4.ある要望
「いらっしゃいませ」
「……頑張ってるみたいだな」
お世辞にも広いとは言えない、レンの魔法薬店。《燈火》の呪文を封じた玻璃鉄で照明は充分だが、どうしても閉塞感は否めない。
その店内に入ったユウトは、ふたつの違和感に迎えられた。
ひとつは、レン以外の人間が店番をしていること。
もうひとつは、いつもきりりとした表情を崩さない後輩が、必死に笑顔を作ろうと頑張っていること。
貴重な。とても貴重な光景だ。
「マキナ、ちゃんと動画で保存してるだろうな? 失敗していたら、俺が朱音に怒られるんだぞ?」
「抜かりはありません、教授」
「完璧だ」
「お任せください」
自分ではなく、カウンター上のマキナと交わされる流れるような会話。それに、なんとか、笑顔――らしきもの――を保ちながら、真名が控えめに注意を試みる。
「お客様、店員にあまり親しげにされますと、示しが付きません」
「それは失礼」
他に客などいないのに、店員としての立場を優先するらしい。
それがいかにも真名らしいと、ユウトはくすりと笑う。
「……本当に失礼です」
だが、取り繕うのも限界だったようだ。
深く深く息を吐き、ユウトを鋭い視線でにらみつける。それが、いつも通りの接し方に切り替える合図だと言わんばかりに。
野生の動物でも退散させられそうな迫力があったが、ユウトには効き目が薄い。それでこそ真名だと、変な感心をするだけ。
「レンは?」
「師匠なら、作業中です。呼びますか?」
「いや、いいよ。ところで、調子はどうだ?」
「たった数日で、調子が良いも悪いもありません」
端から端まで移動するのに五歩もかからない狭い店内だけに、カウンターに近づくのにも時間はかからない。
そして、ユウトは魔法薬の瓶が並べられた棚を背にする真名に、曖昧な質問をする。
とはいえ、あやふやなのはその通りだが、仕事の合間を縫って訪れる程度には重要な問いだ。紹介者として、気を回すのは当然の責務だ。
「ですが、いろいろな面で、ようやく慣れてきたのは紛れもない事実です」
「ご主人様は、若先生にどう接するべきか、戸惑っていましたからね」
「今までに話をしたことがないタイプでしたから」
真名がブルーワーズに短期滞在していた間や、ユウトとヴァルトルーデの結婚式の際などに面識はあったが、話をするのも初めてだった二人。
しかも、真名はお世辞にも愛想が良いとは言えず、レンもコミュニケーション能力は高くない。
二人の初対面は、奇妙な緊張感に溢れていた。
真名の弟子入りは破談になってもおかしくなかったのだが、レンの父でありユウトの師でもあるエルフの魔導師テルティオーネが、強力に推進した。
どうやら、一人で店を経営する娘が心配だったらしい。
実際、レンは「弟子を取るなんて、早い……よ……」と思っていたし、「一人でだいじょうぶ……だから」と、遠慮していた。
それを、「弟子なんて、大層なもんじゃねえ。助手だと思え」と強引に論破し、「そもそも、注文も増えてるんだろうが」と、現実を突きつけるテュルティオーネを、ユウトは微笑ましいと見守っていた。
最終的には、真名の熱意にほだされてレンも承諾し、弟子入りが決まったのが数日前のこと。
ファルヴの城塞から通いつつ、魔法薬の勉強も進めていたのだが……。
「師匠とのコミュニケーションはどうにかなりましたが、まさか、魔法薬という名称なのに薬ではないとは」
「ああ……。言われてみると、確かにそうだなぁ」
レンとのコミュニケーションは、遠慮せずに、言葉をはっきり伝えることである程度解決した。実父のテルティオーネやヨナで慣れているのか、多少強引なほうが円滑に進む。
もちろんそれだけではなく、要所要所で仲立ちしたマキナの存在も重要だった。
しかし、問題は、まだ存在したのだ。
「勝手な思いこみと言われたら、確かにそうなのでしょうが」
「薬というよりは、魔法具だからな」
魔法薬は、経口摂取しても良いし、対象に振りかけることでも効果を発揮する。そのため、魔法薬には、武器や防具などの物品に塗布するタイプの物も存在する。
これが『薬』であれば、飲んでも塗っても傷が治るなどということは、ありえない。
ユウトの言うように、一種の――使い捨ての――魔法具なのだ。
「そもそも、原料からして薬効のある植物とかじゃなく、巻物だしな。まあ、紙だから、自然由来の成分と言えるのかもしれないけど……」
「センパイ、それは無理があるかと」
理術・神術を問わず、その使い手は巻物に呪文を込めることができる。
その階梯により、巻物の長さや作成に必要な時間。そして、特殊なインクを使用しているため費用なども異なってくるのだが、基本的に最低限の効果であることと、使い捨てとなることは変わらない。
その巻物を特殊な薬液で溶かしてから特殊な製法で加工し、摂取や塗布することで誰でも使用できるようにする。それが、ブルーワーズにおける魔法薬だった。
「まあ、それは冗談だけど、普通は薬だと思うよな」
「ええ。そもそも、賢哲会議には巻物に関する知識がありませんでしたので……」
カウンター上の相棒をちらりと眺め、真名はブルーワーズと地球の違いに思いを馳せる。
「さすがに、マキナを溶かして魔法薬にはできませんから」
「ご主人様、そんな恐ろしいことを考えて……」
「液晶画面を溶かして飲むとなると、ぞっとします」
「飲み物ではありませんよ!」
真名の真面目な表情と声音だけだと分かりにくいが、もちろん、本気ではない。かといって、マキナを溶かす部分に関しては、冗談かどうかの確証もないが。
「ですので、まずは巻物を作成するところから修行はスタートです」
「これには、若先生も驚いていましたね」
「まあ、そうだろうな……」
巻物作成は、魔術師の初歩。初級呪文の学習を終え、第一階梯の呪文が扱えるようになる頃には自然と憶えているものだ。
だが、レンにとっては、確実に教えられる項目でもある。その意味では、地球の歪な進歩も悪いことではない。
「丁寧に教えてもらっていますから心配はいりませんよ、センパイ」
「そっか。安心したよ、レン」
「え?」
いつからそこにいたのか。
驚いた真名が振り向くと、店舗と作業場をつなぐ入り口にハーフエルフの少女がたたずんでいた。
全身を覆うほど長い金髪、華奢な肢体、木の葉型の耳。妖精のようなと表現するのにふさわしい、湖のように静かな少女。
しかし、レンはいつものようにユウトへ近づこうとはせず、じっと真名の顔を見つめていた。
「マナ……ちゃん……」
「なんでしょうか?」
真名が膝を折り、レンの瞳を正面から見つめる。
「『店員にあまり親しげにされますと、示しが付きません』って、言ってたけど……」
「ええ。それが?」
「お兄ちゃん……に……抱きついたりしちゃダメ……なの……?」
可愛らしいハーフエルフの店長兼師匠から哀しげな表情を向けられ、真名は途方に暮れる。
とっさに周囲を見回すが……味方は、どこにもいなかった。
なにを言っても、角が立つのは間違いない。
ゆえに、ユウトは「また来るから」と、レンへ伝え魔法薬店をあとにした。真名の様子を見るという最大の目標は達しているのだから、なんの問題もない。
それに、倫理観とか一般常識という面では、最も頼りになるのが真名だ。
「マキナが微妙に不安要素だけど、真名ならなんとかするだろう」
そう、控えめに言っても丸投げしたユウトは、家宰としての仕事に戻った。
地球へ行っていた間に堆積した案件は既に処理済みだが、それが終われば新しい仕事が待っている。
移住してきた、岩巨人たち。
集落の建設は順調で、岩巨人騎士団の訓練も熱が入っているようだ。
岩巨人へ「ほどほどに」と言っても意味はないので、アルシアに頼んで手厚いバックアップを取ってもらうしかないだろう。
また、馬車鉄道の新規・延長工事も準備が進んできた。
最終的には、ユウトが呪文や地の宝珠を使用する必要はあるが、レールなどの用意は着々と行われている。逆に言えば、テルティオーネにせっつかれてもかわしていたのは、資材の準備を待っていたからでもあった。
ユウトは頭のなかでスケジュールを確認し、工事予定日の候補を弾き出す。
あとで、書記官のクロード老にも話を通し調整を――と思っていたところ、控えめなノックが執務室に響く。
ヴァルトルーデは城塞の中庭で、ヨナやラーシアの自転車の練習を監督しているため、ユウトが一人だけ。来客の予定もなかったが、すぐにノックの主であるカグラを迎え入れた。
「クロード様が、面会をご希望です」
「もちろん、良いよ」
イスタス侯爵家の屋台骨であるクロードであれば、直接来てもらっても構わない。
常々そう言っているのだが、特別扱いは良くないと、決してうなずこうとはしなかった。
しばらくすると、謹厳実直な書記官が年齢を感じさせないきびきびとした動作で入室し――
「それで、披露宴はいつになさいますかな?」
――と、わけの分からないことを言い出した。
(どうせなら、クロニカ神王国の租借地へのトンネル工事も、一緒にやりたいよなぁ。問題は、一気に処理をして、工事や事務処理が追いつくかどうかだな)
聞こえなかったのか、理解を拒否したのか。
ユウトは、ロートニアへのトンネル工事をいつにするか思案し現実逃避をする。
「最近の陳情と問い合わせは、そればかりになっておりますぞ」
だが、クロードがそれを許すはずもない。
祖父のように信頼する書記官の真っ直ぐな視線に抗しきれず、ユウトは現実へと帰還した。
「まず、やるのが確定しているんですかね?」
「既に、アルシア様との婚姻に関しては広く知られておりますので……」
領民向けに公表はしていないが――ユウトは家宰でしかないのだから――秘密にしていたわけでもない。二人そろって同じ指輪をしていれば、結婚していると声高に主張しているようなものだ。
それは仕方がない。
だが、おかしな点がある。
「まあ、やるやらないは別にして、どうして陳情に?」
「それはもちろん、祝い事ですから」
「ほんとのところは?」
「商売上の理由でしょうな」
「ああ……」
ヴァルトルーデとの結婚式で行った大盤振る舞い。
武闘会で得られた臨時収入。
要するに、イスタス侯爵領の商人たちは――あるいは、それ以外の商人たちも――イベントを求めているのだ。
「といってもなぁ。そんな大々的なのは、アルシア姐さんも本意じゃないだろうし。もちろん、朱音も。そもそも、領主でもない俺の結婚を領内で祝うのは、筋違いでは?」
「厳密に言えば、そうなりましょうが……。庶民に区別をつけられるかと言うと……」
「まあ、そうかも……」
領地経営を始めたときにはアルシアが村々を巡って調査をし、ユウトもヴァルトルーデの補佐ではあるが顔を出している。確かに、混同してもやむを得ない。
「加えて申し上げますなら、慶事があれば祝いたくなるのが人の常でございましょう。前例があるだけに、期待するなというのも酷な話かと」
「……俺が許可を出したら、最終的にクロードさんたちの負担となって跳ね返ってきますけど?」
「覚悟はできております」
即答したクロードに、悲壮感はなかった。
そこにあるのは、侍を思わせる気高く純粋な決意。
「さすがに、俺一人じゃ決められません。猶予をもらいます」
保留すると言うユウトに、クロードは頭を下げて感謝の意を示す。
それは、必ず結論を出してくれるという、主への信頼でもあったが……。
(とりあえず、相談するときはラーシア抜きだ)
そのユウトはというと、とても人には言えない、けれど、極めて重要な決意を固めていた。