3.真名の任務(後)
今までにないほどゆっくりと朝食を食べ終えた真名は、マキナを片手にファルヴの街を訪れていた。
以前にも滞在していたことはあったが、基本的には誰かと一緒だった。なにより、ヴェルガがユウトを狙ったり、ヴァルトルーデの結婚式があったりと、落ち着いて過ごした記憶がない。
「それにしても、随分と様変わりしましたね」
「ご主人様も、わざわざ服をこちらに合わせる必要はなかったかもしれません」
「確かに……」
ファルヴの常設市場を行き交う人々。
人間だけでなく、いや、むしろ比率としてはドワーフが多いぐらいか。他にも、木の葉状の耳をしたエルフに、岩巨人や草原の種族など、多様な種族が商品を求めて歩き回っている。
それ自体は、以前、連れてきてもらったときと同じ。
変わっているのは、その服装。それも、主に女性服だ。
以前は、長袖で丈の長いチュニックをワンピースのように着ていた程度。色も白か青ぐらいで、柄物など見た憶えがなかった。
今でも、それが絶滅したわけではない。実際、真名も似たような服装をしている。
しかし、今は、それだけではなかった。
ワンピースタイプの服が多いのは確かだが、ブーツなど足回りとのコーディネートが考えられており、また、ワンピース自体のデザインも洗練されている。
体の線が出る毛織物のワンピースなど、その最たるものだろう。着る物を選ぶかもしれないが、スタイルが良いものが着ると、どきりとするほど魅力的だ。
また、ブラウスとチェックのロングスカートの組み合わせなど、地球の服装と大差なかった。
それを、人間だけでなく、ドワーフやエルフといった異種族たちも嬉しそうに着こなしている。なにかの芸術作品のような、非日常的な光景だ。
もちろん、生地や縫製の品質は、そこまで高いとは言えない。それでも、見た目の華やかさは、従来に比べて段違いだ。
「これが、三木センパイが頑張った成果ですか……」
市場を見て回るのも忘れて、真名は目の前の光景に感じ入る。
そして、思う。
「自分には、なにができるのか。そう考えていますね、ご主人様」
「なぜ、あなたが言うのですか……」
手元のエメラルドグリーンのタブレットに視線を落とし、ため息を吐く真名。
そんなに分かりやすかっただろうかと、少しだけ、落ち込む。
右も左も分からぬ異世界で、徒手空拳の状態から成り上がったユウト。
そのユウトの支援があったにせよ、自らの得意分野で足跡を残したアカネ。
それに比べて、自分はなにができるのか。
そう自問自答するのも、やむを得ないところだろう。劣等感を抱いているわけではないが、どうしても比較してしまう。
なにしろ、真名には、絶対にこれをしなくてはならないということがないのだ。
強いて言えば、賢哲会議への定期的な調査報告書の提出は求められている。だが、内容に関しては任意。義務というわけでもない。
ブルーワーズへ送られた理由は、ユウトとの縁をつなぐことだと考えれば、本来の業務など二の次というところなのだろうか。
それに、今まで訓練と任務に明け暮れていた真名に、これといった趣味もない。やりたいことも、思い浮かびはしなかった。
「センパイのお陰で、その辺はどうとでもごまかせそうで助かりますが」
「別に、事実にしても構わないと思いますが」
「……そろそろ、怒りますよ?」
「イエス、マム」
おどけたように言うマキナに、もう一度ため息を吐き、真名は移動を開始する。
ただし、市場の中心から離れる方向へ。
「おや、ご主人様。市場の見学は、よろしいのですか?」
「行ってみたいところが、ありました」
真名の視線の先。
そこには、ユウトが設置した陸上の島――神の台座がどっかりと鎮座していた。
(豪華というよりは、荘厳な図書館ですね……)
真名が知識神の図書館を訪れたのには、いくつかの理由があった。
ひとつは、地球の本を異世界へ送り込んだ一員として、その行方が気になったというもの。
もうひとつは、現地の本を読んで基礎知識を得たかったという動機もある。
そして、静かな環境で落ち着いて考えごとをしたかったというのが、最も大きかった。
だが、その前に、図書館そのものに圧倒される。
すり鉢状の建物に、何層にも渡って本棚が並ぶ光景は、まさに偉容。足を踏み入れただけで、その規模と蔵書の数にため息が漏れた。図書館独特の雰囲気と匂いも心地よい。
本の保存のためか、室温も湿度も快適に保たれている。その快適さは人間ではなく、書物のため。そもそも、時間が悪いのか、二階の閲覧スペースにいるのか、周囲に人影は見えない。
ただ、要所に配置された木製の魔導人形が整理整頓に勤しんでおり、その光景をどう受け止めるべきか迷うところだった。
「話を聞く限りですと、彼らは私の兄弟姉妹ですね」
「確かにそうですが……。図書館では静かにしていなさい」
マキナに常識的な注意をしつつ、真名は周囲を観察しながら進んでいく。
分厚い革の装丁の書物――表紙が本体なのではないかと思ってしまうほど――が並ぶ本棚の間を抜け、すり鉢の底から縁へと進んでいく。
途中、黒衣の人物……というよりは、黒い塊のような物体を目にしたような気がしたが、黙って通り過ぎてしまった。正確に言うと、どうアプローチしたらいいのか分からなかった。
それに、目指す場所は、すぐそこだった。
「……なんというか、周囲から浮いていますね」
「この場では、それでこそでしょう」
ささやきを交わしながら、真名は身長の倍はあるだろう書架を見上げる。
そこには、ある意味で真名にも馴染み深い本が並んでいた。
シェークスピアなどの古典文学に、アンデルセンなどの童話。さらに、いくつかの宗教の教典や自然科学の入門書。写真がふんだんに使われた美術書などもある。
地球の図書館であれば、ひとつの本棚に集まることは絶対にない書物。
しかし、ここでは異世界の書物というカテゴリで一箇所にまとめられていた。
周囲とは装丁の豪華さが違う“普通”の本。
にもかかわらず、魔導人形が多数配置されている、この知識神の図書館でも重要な一角。
存在を確かめるように、真名が適当に一冊取り出す。
それは、子供向けの動物図鑑だった。
動物園にもいるような動物の写真と、漢字の少ない平易な文章で説明書きが掲載されている。ありふれた物。ブルーワーズで見たからといって、なにかが違っているということはない。
本は、所詮本。
しかし、このブルーワーズにおいては、千金にも値する異世界の情報の宝庫。
逆に、この図書館に並んでいるブルーワーズの書物を一冊でも地球へ持ち込めば、様々な分野に多大な衝撃を与える劇薬となるだろう。
図鑑のページを開いてはいたが、真名の瞳は写真も文章も映していない。
「つまり、物の価値は不動ではなく、時代や場所によって移り変わるもの……」
それは、人の価値においても同じことだろう。
その当たり前とも言える認識は、真名が抱えていた屈託に光を当てる。
「決めました」
「聞いてもいいですか、ご主人様」
「馬鹿の考え休むに似たり、です」
自分一人で思いつかないのであれば、先人の知恵を借りればいい。
ある意味で開き直った真名は、ユウトの下へと向かった。
「なるほど」
ちょうど休憩をしているところだったのか、真名の相談――このブルーワーズでなにをすれば良いか――を聞き終えたユウトは、コーヒーカップをもてあそびながら、一言つぶやいた。
「つまり、自分探しか……」
「さすが教授。的確な表現です」
「探す必要なんかないさ。真名、君はそこにいるじゃないか」
「そういうのは、結構ですので」
「あ、そう……」
少しだけ寂しそうに、ユウトは視線を逸らした。
もしかすると、気の利いた返しだと思っていたのかもしれない。
それを証明するかのように、次の言葉は、幾分投げやりだった。
「別に、一日中食っちゃ寝してても、誰も怒らないと思うけどね」
「それは理想的な生活ですね!」
「マキナ……」
「もちろん、嘘です。そんな刺激のない生活など、電源を切っているのと変わらないではありませんか。ええ、退屈で死んでしまいますとも」
安穏と暮らしたいが、それだけではつまらない。
わがままと断じることもできるだろうが、マキナの発言は案外、正鵠を射ているのかもしれなかった。
「まあ、気持ちは分からないでもない」
ユウト自身は、なんとか異世界に適応して生き延びたいという願いがあった。それゆえに、なにをしたら良いかなど、思いつきもしなかった。
必死に呪文を憶え、ヴァルトルーデたちに置いていかれないように、必死に食らいついた。
一方、真名は、なにをしても良いし、なにもしなくても良い。実に、どっちつかずで宙ぶらりんと呼ぶしかない状態ではないか。
ユウトは、そう推測する。
だとしたら、事態は余程重要だ。
なにしろ、ブルーワーズについての報告を、本当に求められているわけではない。
そして、一級魔導官として行なってきた怪物退治や神秘にまつわる事件の調査や解決は、ブルーワーズでは冒険者や神殿の仕事。
一般的な冒険者に比べて劣っているわけではない、むしろ平均以上の実力は持っているだろうが、真名しかできないというわけでもなかった。
つまり、今まで従事してきた仕事から外れてしまい、寄る辺を失っているような状態なのだろう。
ヴァルトルーデのためだけに家宰になった誰かより、よっぽど真面目で真摯な悩み。
そう考えれば、ユウトが手助けをするのは厚意ではなく、義務に等しいだろう。
「そうだな……。例えば、ペトラと同じように初等教育院の教師を任せても良いし、旅に出たいと言うんだったら信頼できる護衛も付けられる。本格的に勉強をしたいんだったら、メルエル学長に口を利いてもいい」
指折り数えてではないが、いくつかの進路を列挙していく。
「仕事、旅、勉強……ですか」
「今ひとつ、ぴんと来ないという雰囲気ですね、ご主人様」
「私の心を代弁しなくて良いのよ」
「なにを仰るのです。サポートせずして、なにが呪文書ですか」
マキナに視線が集まる。
ひとつは、生暖かい。もうひとつは、厳しい射るような視線だ。
もちろん、それで動じる人工知能ではない。
ユウトはマキナから真名へと視線を移動させ、詰問にならないよう優しく問いかけた。
「どれも、気に入らないか」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
ただ、マキナの言う通りぴんと来ない。
そうしている自分が想像できない。
「別に気にする必要はないさ。変に気を使って、やりたくないのにやりたいと言われても困る……けど」
「けど、なんでしょう?」
「いずれやりたいことが見つかるから焦る必要はないなんていう展開になったら、ニー……家事手伝い路線に拍車がかかりそうだなと」
「他に、なにかないでしょうか!」
真名も、焦ったわけではない。
もちろん、仕事も勉強もせずに過ごす気などない。
それでも、ユウトの予言がリアルではないが不吉なものに思えて、勢い込んで聞いてしまった。
「他か……」
その圧力に押され、ユウトは視線を彷徨わす。
それで、処理中の書類が視界に占める割合が一番高かったのはユウトらしいと言えたが……ふと、一点で視線が止まる。
それは、姉弟子であるレンへの支払いに関する書類だった。
「助手をやりつつ魔法薬作りの勉強をするなんてのはどうだ?」
「魔法薬、ですか……」
「ああ。ファルヴに魔法薬店を開いている姉弟子がいるんだ。俺も魔法薬作りにはほとんど触れてないから、弟子入りし――」
「やります」
ユウトが言い終わる前に、真名は即答していた。
「いえ、先方の都合もあると思いますが……。是非、やらせてください」
地球には存在しない技術を学べるから。
ユウトにもアカネにもできないことだから。
理由はあとからいくらでも付けることはできるだろうが……受け入れたのは、ほとんど直感だった。
こうして、真名がユウトを師叔と呼ぶようになるのでした(なりません)。
あと、レンに弟子入りした真名の様子は、次回少しだけ触れます。