1.青い星での活動報告
「ラーシアとヨナがいないようだが、良いのか?」
ファルヴの城塞を訪れたエグザイルは、ユウトの執務室を見回し、訝しげに確認をした。
ユウトが戻ってきたのに加え、報告があると聞いていたのだ。その反応は当然だろう。
「いや、ヨナはいなくても構わないのか……」
はたと、岩巨人の大族長は考え直した。
ヨナは、ユウトやアカネに同行していた。つまり、地球での一部始終を知っていることになる。報告だけであれば、ユウトがいれば充分か。
「ということはつまり、ラーシアに聞かせられない話をするわけだな。また、なにか祭りでもやるのか? それとも、どこかへ遠征か?」
「ヨナと一緒に、地球からのお土産で遊んでるだけだから。エグザイルのおっさん、深読みのし過ぎだ」
「……そうか」
特に感情は交えず、エグザイルは静かにうなずいた。
そして、定位置となりつつある執務室の壁際に腰を下ろし――いつものメンバーのほかに、見知った顔があることに気がついた。
「ユウトの故郷の魔術師だったか」
「秦野真名です。いえ、マナ・ハタノのほうが良いのでしょうか?」
「マキナです。どうぞよろしくお願いします、大首長」
せっかくだからと美少女型アイコンをデザインするようアカネにねだっていたマキナと、それを不機嫌と複雑の中間ぐらいの表情で聞いていた真名がエグザイルに会釈する。もちろん、頭を下げたのは真名だけだ。
――現時点では。
「まあ、それだけじゃないんだけど……。そろそろ始めようか」
ユウトは確認していた書類――急ぎの仕事ではないし、似たような書類は売るほど溜まっている――を机上に置きヴァルトルーデとアルシアへと視線を移動させる。
それを受けて一緒に文字の読み書きを練習していた二人が執務室へのソファへと向かい、並んで座っているアカネと真名の向かいに腰を下ろした。
「まずは、地球でなにがあったか、簡単に説明するかな」
執務机から椅子だけ持って応接スペースへと位置を変えたユウトが、時系列に沿って地球での出来事を語り出す。
賢哲会議から顧問への就任を打診され、了承したこと。
ヴェルガの息がかかった過激派と軽い揉め事があり、ヨナが掃討したこと。
それとは別口の事件に巻き込まれ、元同級生に呪文を使うところを目撃されたが賢哲会議が対応していること。
「だから、あっちに何日か短期的に滞在することが増えるかも知れない。まあ、ヴァルの出産までは控えめにするつもりだけど」
「それは、あまり気にするな。私が終わっても、アルシアやアカネの順番になるだけだぞ」
心持ちソファに深く座っているヴァルトルーデが、鷹揚に理解を示す。
「それよりも……ヴェルガか」
「まあ、ちょっとした実験とか遊びみたいな感じだったんだろうけどな」
「とはいえ、あの悪の半神は、ユウトくんを困らせることができたと喜んでいるでしょうね」
アルシアも、苦虫を噛み潰したような表情で恨み言を口にする。
彼女にしては珍しい。いや、ヴェルガだけが、例外なのだ。
「その不始末をどうにかするという意味でも、ユウトが向こうに関わるのも仕方がないことだろうな」
エグザイルも、不在時は任せておけと重低音の声で請け負った。
そこで、雰囲気を変えようとアカネが軽い調子で口を開く。
「あと、おもちゃをお土産として、大量に買い込んできたりしたわよね」
「ヨナが、学校の友達にも配りたいと思ったときぴんときたんだ。ダクストゥム神がゲーム機を持って復讐に来たとき、俺がいなくても対処できるようにすべきなんじゃないかって。それに、ほら。子供のほうが、上達も早いだろうから」
「なるほど……。そういうことだったのか」
「ヴァル、騙されてるからね。勇人も、もうちょっとましな言い訳を考えなさい」
「ぬぬ?」
「……これで通ったらラッキーだなぁって」
案外、筋は通っていたような気がするんだけどと、ユウトは苦笑する。
もちろん、ロジカルであれば済むわけではない。
「……ユウトくん、まだ続きがあるんでしょう?」
「はい」
アルシアに促され、ユウトは神妙に話を戻す。
むしろ、ここからが、本題。
「ヴェルガの息がかかった過激派――ルージュ・エンプレスと最初に戦ったのは真名でさ、それを切り抜けるために、真名が俺の愛人だっていうブラフを使用したんだが……」
結局、マキナの真の力を覆い隠すための方便として認めてしまったため、真名をこちらへ連れてくることになったと簡潔に説明をする。
「それは、そんなにマズイものだったのか?」
「おっさんには理解しづらいかもしれないけど……。向こうでもこっちでも、能力が明らかになったら争奪戦が起こるぜ?」
「確かに、マキナの能力は規格外よね」
真っ先に理解を示したのは、続きを促したアルシア。
死と魔術の女神トラス=シンクに仕える彼女は、マキナの特異性をよく理解している。
巻物を読み込ませるだけで、ほんの数秒で呪文を習得するなど、常識で考えればあり得ない。
「私は、ユウトくんを支持します。むしろ、お礼を言わなくてはならないぐらいだわ」
加えて、マキナはトラス=シンク神とその夫神である知識神ゼラスの子供と呼ぶこともできた。それを保護するためであれば、表向きの愛人などという話は優先順位は低くなる。
「そうだな。この件に関しては、私がなにか言うことでもあるまい。ユウトよりも優れた判断が下せるとは思えんからな」
ヴァルトルーデが屈託なく承諾し、エグザイルもうなずいた。
「ありがとう。じゃあ、真名の部屋は、あとでカグラさんに準備をお願いしよう」
「センパイ。私も、このお城に住むことになるのでしょうか?」
「前にも言ったろ、部屋なら余ってるって」
「いえ、でも。ご迷惑……というよりは、お邪魔では?」
「どうしてもって言うんなら、別に宿を用意するけど……」
真名の遠慮も分かると理解を示しながらも、ユウトはあまりいい顔をしない。
「居住環境は、比べものにならないぞ。風呂とか、その辺も含めて」
「あー……」
長くこの異世界で過ごしてきたユウトの言葉には、説得力がある。
それに、マキナの充電の問題もあった。
ユウトのように《物品修理》の呪文で回復させることはできるが、大魔術師ならぬ身では、毎日使用するのは大きな負担となる。
城塞の外に発電機を持ち出すべきでないことは、自明の理だ。
「以前、こちらに滞在したときと同じで良いのではないか?」
なにを問題にしているのかと、ヴァルトルーデが言う。
「あのときとは事情が変わったと思っていたのですが……」
ゆったりした服なのでほとんど分からないが、そう思って見るとわずかに膨らんだヴァルトルーデの腹部。妊婦と接したことなどない真名にも、ストレスが禁物であることぐらいは分かる。
そこから視線を外し、次いで、真名はアルシアを確認の意味を込めて見た。
そういえば、目が治ったのか、いつもしていた真紅の眼帯を外している。
「知らない仲というわけでなし、問題ないでしょう。それに、追い出しでもしたら、そのほうが気を使ってしまうわ」
「とりあえず、借りぐらしぐらいの気持ちで良いんじゃない?」
「……そうですね。お世話になります」
アルシアとアカネの取りなしが決定打となった。
迷惑をかけないうちに出ていこう。ペトラさえ良ければ、彼女と共同生活というのも悪くないかもしれない。
そう考えながら、真名は頭を下げる。
「……そういえば、突然私がこちらへ来ると知ったら、ペトラは驚くでしょうね」
「あー。そういえば、まだ、なんだよな?」
「目的は達成して、こちらへ戻っているという《伝言》なら届いたわよ」
気不味そうに頭をかいて確認するユウトに、アルシアは「そういえば」と答えた。
「そっか。それはなによりだ」
レラ――レグラ神の分神体――や帝亀アーケロンも一緒なのだ。滅多なことはないと思ってはいたが、それと心配は別の話。
安堵と誇らしさがない交ぜになった感情が、ユウトのなかで渦巻いた。
そんなユウトを意外そうな表情で眺めていた真名が、状況を知るため疑問を口にした。
「ペトラは、どこかへ出かけているんですか?」
「南の大陸へ、船で」
「……大航海時代ですか」
「奴隷を解放したり、香辛料の苗を持ち帰ったりしに」
「大航海時代でしたか…」
真名の感心とあきれが入り交じった返答。
ある意味、このブルーワーズに戻ってきたと強く確信したのは、この瞬間だったかもしれなかった。
「ふむ。やはり、普通は神殿のようなところで結婚式を挙げるものなのだな」
「そうね。別に、その神様を信じてるなんてことはないけどね」
「神のいない世界だ、それは仕方あるまい。それよりも、式場が広場というのは、珍しいようだな」
「珍しいというよりは、皇族の結婚でも、それはないんじゃないかしらねぇ……」
ユウトたちが帰還した日の夜。
彼と彼の妻たちは、久々に一堂に会し夫婦水入らずの時間を過ごしていた。
夫婦のベッドにアカネが地球から持ち込んできた結婚情報誌を広げ、「感動のウェディングプランベスト50」を眺めている。
写真が多いので、ヴァルトルーデも充分楽しめているようだった。
「真っ先に、それを広げるのもどうなのか」
「そうね。アカネさんが考える理想の結婚式というのも興味があるけれど」
「あたしとしては、家族だけでひっそりとやりたいわね」
「私は、広場の中央でやったのだが」
「……黙秘させてもらうわ」
感動したが、今考えると見世物だったような気がすると、頬を膨らますヴァルトルーデ。それに対し、家族どころか、ユウトとトラス=シンク神しかいなかったアルシアはノーコメントを貫いた。
「勇人はどう思う?」
「俺も、地球で地味に……って思ってたけど」
「けど?」
「今となっては、賢哲会議が、それを許容するかどうか」
「……芸能人じみてきたわねえ」
「あと、元々、ユーディット王妃が、黙って見ているとも……」
「あははははは」
乾いた笑い声をあげながら、アカネはアルシアを見た。
アルシアは、アカネから目を逸らした。
「まあ、それはそれとして」
今する話ではないだろうと、ユウトは結婚情報誌を閉じて裏返しにする。
そうしてから、アルシアの手を取った。
「今回は、アルシア姐さんのお陰で、たくさんの人を助けられたよ」
アルシアに二人の結婚指輪を触れさせながら、ユウトは言う。
ユウトやアカネに、ヨナ。範囲を広げたとしても、真名の助けになればと、アルシアは呪文を指輪に込めたのだろう。
その意味では、《反転の矢》の被害者を助けたのは想定外。けれど、それでユウトの心を救ったことは間違いのない事実だった。
「そう。それは良かったわ」
その想いが伝わったのか、アルシアは素直にユウトの感謝を受け取った。
ヴァルトルーデも、ベッドに横座りになりながら、うんうんとうなずいている。
「じゃあ、また『有効化』しないとね」
「……朱音」
「アカネさん……」
下卑た……とまではいかないが、笑うアカネを、ユウトとアルシアが半眼で見つめた。
「ラーシアみたいだぞ」
「ラーシアかと思ったわ」
「え? やだ。生霊退散」
両手を背後に回して見えない霊――のようなもの――を追い散らす。
「悪霊でないだけ、ましなのか?」
「ヴァル、悪霊にしたらラーシアが死んでることになるからな」
少しずれた感想をもらす愛妻に、ユウトが注意をする。
しかし、ヴァルトルーデはその輝くような美貌にきょとんとした表情を浮かべ――それがまた、抱きしめるのを我慢するのに多大な努力を要するのだが――言った。
「なにを言うんだ。ラーシアが死ぬはずないだろう。逆に問うが、どうやったらラーシアが死ぬのだ?」
「……十字架を持って神への祈りの言葉を唱えるとか?」
「ヴァル、本気で言ってるみたいね……」
「ええ。ヴァルだもの」
ある意味、草原の種族に絶大な信頼を寄せるヴァルトルーデには反論せず――そのほうが面白そうだったからではない。決して――ユウトは、もうひとつ気になっていたことをアルシアへと伝える。
「それにしても、アルシア姐さんも目を見せることに慣れたみたいだね」
「そうね。それは、あたしも驚いたわ」
地球から戻ってきたとき以来、ずっと真紅の眼帯は身につけていなかった。
真名がいるにもかかわらずだ。
これは、かなりの進歩と言えた。
「そんなに感心されるようなことではないでしょう? なにも、初めて目を見せるわけでもないのだから」
「真名は初めてじゃない?」
「確かそうよね」
「……そ、そう。慣れたのよ。いつまでも恥ずかしがってなんていられないでしょう?」
しかし、そんな正論を口にするアルシアの表情は、本人の意思に反して真っ赤。
別に真名の存在を無視していたわけではないだろう。
「これはあれね。久々にユウトに会えたもんだから、舞い上がっちゃった系ね」
「アカネさん? なんの根拠があって、そんなことを言っているのかしら? 何ヶ月も離ればなれになっていたわけでもないのに? ヴァルなんか、ユウトくんが帰ってきたって言ったら、走り出そうとしたのよ?」
「私は関係ないのではないか!?」
思わぬアルシアの裏切りに、ヴァルトルーデが抗議する。
しかし、その勢いも長くは続かず、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
(というか、ヴァルを引き合いに出した時点で、認めてるようなもんだよな……)
とは思ったが、沈黙を守る。
ユウトも、夫婦円満の秘訣を学びつつあるようだった。