11.小さな事件(後)
「あかねちん、ヨナちゃん。今日は楽しかったよ~」
「うん。私も、いい気分転換になったかな」
偶然出会った、元クラスメートの吉沢蛍と佐伯和香奈。
かなり人が増え始めたカレーフェスティバルの会場を、彼女たちと一緒に後にする。
ヨナは、かなり出発を渋った――カレーと記念艦のどちらに後ろ髪を引かれているのか分からない――ものの、ユウトの約束の時間に間に合わないと説得し、事なきを得た。
「私たちは駅に行くけど、二人はどうするの?」
「私は、和香奈とデートの続きなのだよん。うらやましいか?」
アカネとヨナは駅へと向かうが、吉沢蛍と佐伯和香奈の二人は、このまま海沿いを歩き観光を続けるそうだ。
「そうね。でも、浮気になっちゃうからごめんなさい」
そう言って、アカネは左手の薬指にはめた婚約指輪を見せる。
三連の大粒のダイヤモンドが配された魔法具の指輪。着用者を災厄から守る、ユウトがアカネのために用意してくれた大切な指輪だ。
「うわっ。さっきから思ってたけど、すごい指輪。ダイヤ? 本物?」
「偽物でも構わないのよ。愛が本物なんだから」
「うわー。すごい、男に騙されてるっぽい感じ。ぞくぞくしちゃう」
吉沢蛍とアカネの遠慮ないやり取り。
ヨナは特に気にせずカレーの味を反芻していたが、佐伯和香奈は友人たちの会話に割り込むことなく微笑んでいる。
しかしその笑顔にはなぜか、薄幸なと形容したくなる寂しさがあった。
「どうかした?」
「ううん。なんだか、こんなに楽しいのは久しぶりだなって思っちゃって」
その様子に気づいたアカネが、変にはしゃぎ過ぎたかという反省とともに尋ねるが、和香奈の寂しげな笑顔はいや増すばかり。和香奈が首を振ると、一緒に二つ結びにした黒髪も揺れた。
「ちょっと、家でいろいろあってね」
「だから、私が和香奈を連れ出したのだよん。まさか、ヨナちゃんとお友達になれるとは思わなかったけどね」
和香奈に抱きつきながらヨナへ秋波を送る蛍。
「友達じゃないし」
だが、アルビノの少女はばっさりと一刀のもとに斬り捨てた。
「照れちゃって。もー、かわいいんだから」
斬り捨てたはずなのだが、蛍はめげない。
いや、あえて明るく振る舞っているのか。
そんな蛍の様子を見て、アカネは、一歩踏み込むことにした。
「佐伯さん、家庭の事情って? なにかあったの?」
「うん。お父さんの浮気が、ばれちゃってね」
「そ、そうなんだ……」
金銭や健康の問題などであれば力になれるかと思って尋ねてみたものの、さすがにこれはいかんともし難い。
アカネは、先ほど、浮気などと軽々しく口にしたことに頭を下げる。
「全然、そんなの気にしなくていいよ」
和香奈本人は、それほどショックを受けているわけでもないのか、あっさりと口にしたが、それが逆に問題の根深さを感じさせる。
「それに……。お父さんのことは仕方ないっていうか、別に良いっていうか、問題はその後なんだ」
「そうそう。和香奈のおばさんがさ……」
浮気をされたのだ。
その当人がショックを受けているから、和香奈が逆に冷静になっているのかもしれない。
そんなアカネの推測は、あっさりと裏切られた。
「離婚は決まったんだけど、そのあとから、お母さんが私を束縛しだしてね……」
「一人娘なんだから気持ちは分からないでもないけど、学校だけじゃなく買い物にも行かせようとしないなんて異常でしょ」
「それは……」
確かに、おかしい。
度が過ぎている。
「じゃあ、それ以来ずっと……」
「ううん。さすがに、最初は情緒不安定気味だったけど、ここまでじゃなかったよ」
行きも通った歯科大学の辺りで、またしても佐伯和香奈は首を振った。
「なんかお守りだって、どっからか金の指輪を買ってきてからかな。それ以来、肌身離さず身につけてて……。もちろん、時期が重なっただけで偶然だと思うけど……」
「それを聞いて思ったんだよね。束縛するほど大切に思うんなら、まず和香奈に渡すべきっしょ」
「私は、アクセサリーとかは……」
「気持ちの問題だよ、気持ちの」
偶然。それで済ますのが常識だ。
だが、それは今や、アカネの常識ではなくなってしまった。
アカネは、ユウトから贈られた婚約指輪にそっと触れる。異世界で作られた指輪。特殊な力を持つ指輪。大切な、想いのこもった贈り物。
それとは反対に、人に悪影響を与える呪いのアイテムのようなものが存在していてもおかしくないのではないか。
杞憂ならそれで……良くはないが、カウンセリングなり、一般的な対処をすれば良い。
「ヨナちゃん、どう思う?」
「家に行ったほうが良い」
アカネからの問いに、相変わらずの無表情だが、アルビノの少女は即答した。
冒険者としての経験によるものか、それとも超能力者ゆえの直感か。どちらにしろ、ヨナの判断ほど頼りになるものはこの場にない。
「ちょっと待って、勇人に電話するから」
「いきなり、どしたの?」
いきなり立ち止まり、真剣というよりは深刻そうな様子でスマートフォンを取り出すアカネへ、吉沢蛍が怪訝そうに聞くが、答えはなかった。
アカネが、無視をしたわけではない。
事態が急変し、返答する余裕がなくなったのだ。
「お、おい。なんか、あのおばさんおかしくね?」
道の先を行く人々から、怯えの気配が伝わってくる。気づけば、こちらへ向かう人の流れも途絶えていた。
だが、目の前の光景を見れば、それも無理はないと納得するだろう。
そこに、一人の女性がいた。
首があり得ないほど傾き、ほとんど真横に倒れるようになっている。
瞳は空虚で、なにも映していないし、なにを映したとしても反応しそうにない。
口は半開きで、なにか常時恨み辛みの乗ったつぶやきが漏れていた。
髪は長くぼさぼさで上半身を覆うように絡みつき、服も負けず劣らずぼろぼろだ。靴など、片方どこかへ行ってしまっている。
そんな異常でみすぼらしい身なりとは対照的に、左手にはめている金無垢の指輪が妙に印象に残った。
「お母さん……」
佐伯和香奈が呆然と立ち止まり、小さくつぶやく。
本当に小さな。近くにいたアカネですら聞き逃しそうなつぶやき。
しかし、まだ10メートルは離れていたはずの女は、びくりと反応した。
ロボットのようなメリハリの利いた動きで首の位置を変えると、途端に目の焦点が合った。そのまま、猛然とこちらへ駆け寄ってくる。
「和香奈和香奈和香奈和香奈和香奈和香奈和香奈」
「ひっ」
「勝手にいなくなっちゃだめでしょしょしょしょしょしょしょしょしょしょしょしょ」
予想外――否、人と相対して、こんな反応を予想するほうがおかしい。
スマートフォンの発信履歴からユウトの携帯電話へコールしたアカネだったが、思考も動作も停止する。
なにが起こっているのか、脳が理解を拒んでいた。
「《ソウル・ウィップ》」
そんな状況で、真っ先に動いたのは、やはりヨナ。アカネたちよりも前に出て、事態に対処する。
非致傷の超能力を選んでいることからも、冷静さは失われていないことが分かった。
アルビノの少女が触手を生やして異常者を打ち倒すなど、それはそれで別の問題を生み出しそうだが、犠牲者が出るよりはまし。
「倒れない?」
――そのはずだった。
ヨナの《ソウル・ウィップ》――屈強なルージュ・エンプレスの面々も簡単に打ち倒した超能力――は、確かに和香奈の母に届いた。
にもかかわらず、突進は緩まない。それどころか、触手で打たれたことに気付きもせず、ヨナを跳ね飛ばしてこちら――和香奈の下へと突き進む。
「さあさあさあさあさあさあ、帰る帰る帰る帰る帰るのよのよのよのよのよのよのよ」
「朱音! 朱音! なにかあったのか!?」
「っ、逃げるわよ!」
スマートフォンから聞こえてきた、幼なじみの声。
それで瞬間的に正気を取り戻したアカネは、和香奈の手を引いて駆けだした。吉沢蛍も、弾かれたように追従する。
「あかねちん、逃げるって、どこへ?」
「知らないわよ!」
ショックでなすがままになっている和香奈を引っ張りながらの逃避行だ。土地鑑がないこともあり、とにかく、人通りが少ないほうへと走るだけ。
「朱音! 朱音! あ・か・ね!」
「ユウトが呼んでる」
「うわっ。ヨナちゃん」
いつの間にか追いついたヨナが、冷静に指摘する。だが、懸命に走りながらで、そんな余裕はなかった。
「あのモンスターは、護衛っぽい人が取り押さえようとしてた」
「それなら、安心……」
「でも、たぶん、負ける」
「できないのね……」
数百メートルも全力疾走したところで、早くも限界が訪れた。
ゴール寸前の駅伝選手よりも無様に立ち止まったのは、四階建ての駐車場の前。
元々、ヨナを除いて運動が得意というわけでもなく、無茶苦茶に走ったので呼吸も乱れ放題。また、足下の装いも全力疾走に向いているとは言いがたかった。
じんじんと、足の裏が熱を持って痛む。
「勇……人……。放置して……ごめ……ん」
息も絶え絶えに、ようやくユウトに声を聞かせる。
たぶん、ユウトには見せられない顔をしていることだろう。
「なにがあった?」
「なんか、よっちゃんのお母さんに襲われて……」
「分かった。ヨナに、この前のファミレスへ《テレポーテーション》するよう言ってくれ」
もちろん、アカネの説明でなにかが理解できたわけではない。だが、説明を聞かずとも、助けを求められたということは、分かる。
無言電話となった段階で、ユウトはヨナが知っている場所に車を向けるよう真名に指示していたのも慧眼だった。これで、《テレポーテーション》での移動が可能になる。
「ヨナちゃん。この前ステーキ食べた店で、勇人が待ってるから」
「分かった」
ユウトを連れて、また、ここに来てもらう。
それは良いが、道ばたで待っているのも不安だ。
「私たちは……ええと……人のいないところは……」
「あかねちん、この駐車場に入っちゃったら?」
迷ったのは、一瞬。
「あそこに入ってるから」
「《テレポーテーション》」
ヨナがうなずくと同時に、姿がかき消える。
「和香奈和香奈和香奈和香奈和香奈和香奈和香奈」
まるで、それを待っていたかのように、近づいてくる影と声。
髪も服も先ほどより一層酷くなっていた。さらに、両手は血で染まり、金無垢の指輪も血塗れになっている。
「あなあなあなあなあなただけだけだけははははは、いっっしょいっっしょしょでしょしょしょしょしょしょ」
「お母さん……どうして……」
佐伯和香奈は、目に涙を溜め、悲痛な声をあげる。
気を失うことでもできたら、あの母についていくと言えたら、どんなに楽だろう。
「和香奈、だめだかんね」
「蛍ちゃん……」
しかし、友人がそれを許さない。
迷惑をかけている。それは分かっているが――嬉しかった。
「逃げ込む暇もないとか……」
和香奈を見捨てるつもりがないのは、アカネも同じだ。
思わず苦笑を浮かべ、惨劇の主役となった元クラスメートの母親と対峙する。
(笑ってるの、あたし)
それに気づいて、ふっと、アカネの緊張が緩んだ。
本人は気づかなかったが、体は記憶していたのだろう。
「朱音がいる駐車場ってのは――」
「勇人!」
異世界で危険に巻き込まれたときも、幼なじみで婚約者のユウトが一緒だったことを。
ユウトであれば、どんな状況だって、なんとかしてくれるということを。
「朱音、無事か?」
「うん」
ヨナと真名を伴って瞬間移動で現れた幼なじみへ、満面の笑みで答えた。先ほど、顔など見せられないと思っていたのにだ。
「なら、10秒で片を付ける」
「邪じゃ邪じゃ邪邪魔邪魔ママママまっママママ」
髪を振り乱して、裸足で迫ってくる幽鬼のような女。
それを見て、ユウトは僅かに眉をひそめ――あるいは、ひそめるだけ――で、呪文書から9ページ切り裂く。
「《魔力解体》」
そして、魔法具すら破壊する究極の対魔術呪文を和香奈の母親――否、その左手にはめた指輪へと放つ。
その真剣な横顔に、アカネは思わずどきりとした。
同時に、足りなかったピースが埋まる感覚がする。
吊り橋効果かもしれない?
だとしても、今の感情は本物だ。
気づけば、指輪を中心に生まれていた光は収束し、それと同時に、佐伯和香奈の母親は、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「これで一件落着だよ」
ほっと安心した表情を浮かべ、ユウトがアカネへ向き直る。
呪文を消去する系の呪文は因果の反動を受けないことが分かったとか、あの指輪が体を操っていたから気絶させても意味がなかったとか、そんなことを言っていたような気もするが、アカネは聞いていなかった。
好きな人の胸に飛び込むことで、忙しかったから。
「ありがと……」
ユウトの意外と分厚い胸板に飛び込み、額をぐりぐりと押しつける。
しばらくそうして満足したのか、アカネはユウトの顔を見上げた。
「勇人、分かっちゃった」
「な、なにが?」
私の居場所が、ここなんだなって。
その告白は、今さらやってきたパトカーのサイレンにかき消され、ユウトにだけ届いた。
クリスマス・イブに更新する内容だっただろうか……?
というわけで、明日エピローグを更新して本Episode終了です。