10.小さな事件(前)
「なかなか、やる」
「やる? ああ、スピードのことね」
「うん。結構、速い」
二人がけのシートが並ぶ赤い車体の快速特急。
その窓側の席で子供のようにはしゃぐ――表情は、あまり変わっていないのだが――ヨナを抱きしめたくなる衝動をこらえながら、アカネはスマートフォンを構えた。
言うまでもないが、この絶景を録画するためだ。
休日の車内は、それなりに早い時間にもかかわらず人で埋まっている。家族連れが多く、いわゆる行楽客になるのだろう。
アカネとヨナの二人も、それに分類される。
ユウトと真名は、例の事件の後始末で支部長と会談。そちらが終わったら、アカネとヨナに合流し、“ご褒美”を選ぶ予定になっていた。
とはいえ、ユウトたちを待っている間は、暇になってしまう。
そこで、アカネとヨナの二人だけで、ちょっとしたイベントに参加するため電車で移動をしているのだった。
(まあ、実際には、護衛の人がいるらしいけど)
スマートフォンをスリープにしてバッグにしまいながら、アカネは周囲を見回した。
しかし、当然と言うべきか、辺りにそんな人物は見つからない。重要な護衛対象であるアカネたちのために派遣された人員だ。かなり、優秀な部類に入るのだろう。
といっても、ヨナより実力があるはずもない。無駄な労力を使っていると評することもできるが、賢哲会議も譲れないところなのだ。
大人の事情だが、それはアカネも理解できる。
必要がなければ接触することもないと確約されているし、気にしなければそれで良い。
(せっかく、ヨナちゃんと二人きりのお出かけなんだから)
楽しまなくては損だと、アカネは車窓に目をやった。
快速特急の名に恥じず、下り線の電車はかなりのスピードで都心から遠ざかっている。ガタガタ音がして、下手をしたら脱輪するのではないかと心配になるほど。まるで、なにかと競い合っているかのようだ。
そんな電車にヨナはご満悦。
短時間で移動するだけなら《瞬間移動》もあるし、呪文や超能力で空を飛ぶこともできる。
それなのに、いや、それだからか。物珍しいと、予定だと一時間ほどの電車の旅を楽しんでいる様子。
途中で飽きて寝るのではないかというアカネの予想は外れ、流れていく風景を食い入るように見ていた。
ビルや民家、商店といった建物。並行して通っている自動車道と、そこを流れていく車列。停車せず通過していく駅。
いずれも、ブルーワーズには存在しない風景。
地球――日本の風景は、アカネにとっても、すでに懐かしさの対象となっていた。
(あたしも、随分と染まったものね)
染まったといえば、真名の処遇に関しても、そうだろう。
異世界へ行く前は、名目上のこととはいえ、ユウトに愛人を認めるなど絶対になかった。
それが、ブルーワーズへ行った途端、正妻であるヴァルトルーデに対して愛人のようなポジションに収まってしまった。
これに関しては、ユウトの懐の深さとおおらかな社会制度のお陰でアルシアも含めてみんな妻ということにはなったのだが。
まさか、自分から愛人だと――重ねて言うが、名目上ではあるものの――認めるよう話を持っていくことになるとは想像もしていなかった。
やたらと強調するところに若干怪しさを感じないでもなかったが、真名がユウトを恋愛対象として見ていないのは確かだろう。
この場合、ユウトが不適格というよりは、真名に恋愛するつもりがないというほうが大きい。
そこまで理解したうえでアカネが進言したのは、真名やマキナを助けるというのも本心ではあったが、ユウトの味方を増やしたかったというのが本音だった。
言えるとしたら、アルシアやラーシアぐらいにしか伝えられない本音だが。
言い方は悪いが、これで真名に“恩を売った”形になる。
賢哲会議を信頼していないわけではないが――正直なところ、アカネはそれを判断すべき材料を持ち合わせていない――今回の事件のようなこともあったのだ。
万が一のときには、こちらの味方になってくれるだろう。
ユウトを裏切るような形になってしまったのは心苦しいが、アカネは、必要なことだと考えていた。
(でも、なんかあやしい気もするのよねぇ)
停車駅が近いのか、スピードが緩みだした車内でアカネは瞳を閉じる。
(結婚とか興味ないですけど、子供は産みたいので、その点だけはお願いしますとか。しれっと、言い出しそうな……)
さすがにそれはない。妄想にしても、失礼だろう。
理性が変なゲームのやり過ぎだと一笑に付すが、本能。あるいは、乙女の勘が警告を慣らす。
「アカネ」
「ん? どうしたの?」
ヨナの呼び声で、現実に呼び戻される。
気づけば快速特急は停車しつつあり、車掌のアナウンスが流れていた。
「ここで下りる?」
「ここは、あとで勇人たちと買い物に行く街よ。目的地まで、あと30分ぐらいね」
まだ、しばらく電車に乗ることになるわよと、優しく微笑んだ。
「そういえば、最初はなにしに行くの?」
「……言ってなかった?」
「……聞いてたけど、確認」
「カレーを食べに行くのよ」
初めて地球に来たときのこと。ホテルで缶詰にあっている頃に食べた味を思い出したのか、アルビノの少女の赤い瞳が、喜びに瞬いた。
下車した快速特急の停車駅から、歩くこと15分ほど。
「いい? あれは飾ってあるだけだから攻撃しちゃ駄目なんだからね」
「……アカネは心配しすぎ。鉄でできてる戦艦は、そんなに柔じゃない」
「お願いだから、ちゃんと否定して!」
歯科大学――歯医者のことを説明しても、理解が及ばなかったのか、ヨナは無反応だった――の脇を通り抜け、水が流れる歩道を進み、地元の自治体が主催するカレーフェスタの会場にたどり着いた二人。
ただ、その会場となっている公園には戦艦が保存展示されているため、前科のあるヨナにはきちんと注意しなければならないのだった。
「それよりも、良い匂いがする。なくなる前に、急ぐ」
「それもそうね」
開場時間に合わせて訪れたのだが、既に人だかりができていた。そこまで早く売り切れるとは思わないが、落ち着いて食べようと思ったら、確かに急ぐべきだろう。
入り口で案内チラシを受け取ったアカネは、それを見ながらテントの並ぶ会場へ早足で移動する。さすがに冒険者だけあって、小さな体躯にもかかわらず、ヨナが遅れることはない。
「カレーだけでなく、カレーパンもいろいろあるみたい」
「問題ない。全部食べる」
この日、記念艦が無事で済むか否かは、用意されたカレーの量に左右されるのかもしれなかった。
――という心配はさすがに杞憂であり、ワンコインで四種類のカレーを選べるセットも、同じく四個でセットになっているカレーパンも、早々に確保することができた。
二人とも両手が塞がっている状態だが、実は、万が一がないように、ヨナが《サイコキネシス》の超能力で押さえていた。
混雑しているため誰も気付かないが、よく見れば、ヨナはカレーとカレーパンの皿に触れていないことが分かっただろう。
しかし、アルビノの少女は、微妙に納得がいっていないようだ。
「四つしか選べないのは、納得いかない」
「ほら、でも、あたしのとは、全部別だから」
「うー」
「じゃあ、今度は、ユウトとかみんなで来ましょ」
「……ヴァルとエグは留守番。たくさん食べ過ぎる」
当人が聞いたら情けない顔をしそうなことを言って、ヨナは矛を収めた。
カレーを買ったは良いが、会場の奥に用意された飲食スペースは早くも人で一杯で、一刻も早く落ち着いて食べられる場所を見つけなければならないというのもあった。
アカネも、苦笑しつつ、辺りを見回して空席を探す。
すると――
「あっ」
「もしかして、あかねちん?」
――見知った顔に、出くわした。
「よっちゃんに、佐伯さん?」
クラスメート。いや、元クラスメートか。
懐かしさに後押しされるかのようにして、二人に近づいていく。
ヨナも、不承不承、アカネの後についていった。
「やっぱり、あかねちんだ!」
「偶然だねー。あ、座って座って」
自分たちの荷物を座席から膝へと移動させ、アカネの元クラスメート二人が席を譲ってくれる。
「いいの?」
「もっちろんだよ」
「せっかくだから、一緒に食べよ~」
アカネが「よっちゃん」と呼んだのが、茶色に染めた髪をソバージュにした、彫りの深い顔立ちの少女。名前は、吉沢蛍といった。
それとは対照的に、黒髪をおさげの二つ結びにして、眼鏡をかけた少女が佐伯和香奈。
どちらも、クラスではアカネと別のグループだったが、もちろん没交渉というわけではない。
クラスでも目立つ存在だったアカネ。そんな彼女も、女子とは良好な関係を築いており、どのグループにも顔が利く存在だった。
「あ、この娘はヨナちゃん。まあ、お世話になっている人の子供……みたいなもの」
アルシアには世話になっているし、ヨナは、そのアルシアの子供のようなものだ。
嘘は言っていない。
「…………」
紹介されたヨナは、しかし、一瞥しただけでカレーとカレーパンの攻略に乗り出す。
「ごめんね。ちょっと、人見知りで」
「全然、いいよいいよ。かわいいー」
「ほんと! お人形みたいだね~」
「ねえねえ、この娘ちょうだい」
「あげないわよ」
「即答!?」
「あーもー。怖がってるでしょ。はい、離れて離れて」
「うー。差別だわー」
ユウトがこの場にいたら、深く深く同情していたに違いない。
偶然の再会を果たしたクラスメート。
目当てのカレーを忘れることはなかったが、自然と会話も弾む。
だが、そうなると、近況に触れないわけにもいかなかった。
「ところで、今、なにをしてるとか聞いて良いこと?」
「いや、それは……」
本当のことなど、とても話せるはずがない。
同時に、気の利いた言い訳ぐらい事前に考えておくべきだったかと後悔する。
「そっか~。やっぱり、言えないか」
「ごめんね」
「こっちこそ、無理言っちゃって。そりゃそうよね」
「うんうん。好きな男の子を追いかけて、外国の秘密の研究機関で働いてるなんて、詳しく話せないよね」
「え?」
「え?」
思わず、顔を見合わせる。
言葉が出ない。それどころか、思考が真っ白になって、頭がまったく働かない。
「だって、そういう話なんでしょ?」
「最初、天草くんが秘密機関に誘拐されて、あかねちんが探しだし、なんやかんやあって、海外へ移住することになったって噂だったんだけどぉ?」
「なに、その頭悪すぎるシナリオ……」
「よっちゃん、違うよ。最初に誘拐されたのがマフィアだかテロ組織だかで、それを潰したあと秘密機関にスカウトされたんじゃ?」
アカネの頭のなかで、「話題のノンフィクション待望の映画化!」とか、「全米が泣いた」とか、映画の宣伝フレーズがぐるぐる回る。
真名は関わっていないのだろうが、賢哲会議は、どういう情報操作をしているのか。ユウトに報告して、徹底的に調査するべきではないか。
いや、しなくてはならない。
現時点でひとつ言えるとしたら……。
「噂って、怖いわー」
「違うの? ヨナちゃんも組織の一員なんじゃないの?」
「そうそう。実は、超能力者なのよ」
「そんな、投げやりな」
真実だが、絶対に信じられない真実。
このように、話しても信じてもらえないことも、話せないこともたくさんあった。
それでも、久々に会った友達との会話は、理屈抜きに楽しいものだった。
(そう。それは確かなんだけど……)
終始笑顔で、受け答えをしながら、アカネは心のなかで首を傾げていた。
楽しい。それは、間違いない。
けれど、どういうわけか、それと同時に物足りなさも感じていたのだ……。
5000文字かけて、事件にたどり着かなかった……だと……?




