9.一応の決着
「まさか、天草師と秦野くんが、そんな関係だったとは思いもしませんでした」
「いきなり、そこなんだ……」
事件の二日後。
再び賢哲会議極東支部を一人で訪れたユウトは、支部長室に足を踏み入れた瞬間、満面の笑みを浮かべる香取に迎えられた。
さわやかだが、押しの強そうな笑顔だ。
「まあなんと言いますか、今回に関しては、私が全面的に悪いと認めるのも致し方ないです」
そして、疲れた表情でうなだれる真名もいる。
いつもはきつめの印象がある彼女にしては、実に珍しい状態だ。心なしか、ポニーテールもぐったりとして元気がない。
あの笑顔で事情聴取を受けたのであれば、それも当然だろうか。
「これは、俺が話をする前に外堀が埋められたって感じかな」
「内堀まで埋まっていますよ、センパイ」
生気に欠けた真名という珍しい光景に苦笑を浮かべながら、ユウトは香取の勧めに応じて支部長室の応接スペースへと移動する。
その真名の隣に座り、秘書がいなくなったため自らもてなしの準備をする香取へと問いかける。
「それで、俺たちの秘密の関係を知って、どうするつもりなんでしょう?」
「自由恋愛を禁じるような組織ではありませんが、配慮は必要ではないかと考えています」
白磁のコーヒーカップに悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い液体を注いだ香取は、含みのある口調で答えた。
「配慮ですか……」
「ええ。ご迷惑をおかけした経緯もありますので」
「その前に、ひとつ」
まず、ユウトは出されたコーヒーに手を付ける。
香りを楽しみながら、一口。焼けるように熱い液体を嚥下しながら、ユウトは満足そうに息を吐いた。この前飲んだファミレスのコーヒーより、遥かに美味しい。
それで気分を落ち着け、ユウトは改めて口を開いた。
「真名のタブレットが今の状態になったのは、偶然です」
「ええ。事情は、先に伺いました」
ユウトと真名の対面に陣取った香取は、最近の激務でわずかにこけた頬を撫でながら言う。
「仮に量産が可能だとしても、今ひとつ扱いに困る代物のようですね」
「ええ。その通りです支部長」
「なにやら、心外な話がされているようですが……」
「マキナ、黙っていなさい」
「Yes,My Lady」
マキナを沈黙させた真名が、ようやく頭を上げた。
やはり、彼女は少し生意気なぐらいのほうがいいと、ユウトは微笑んだ。
「タブレットの件は内々に処理をするにしても、二人の関係に関しては……」
妥協をする香取に、ユウトはうなずく。
「ルージュ・エンプレスに知られてしまいましたからね」
「申し訳ありません。逃げるために必死だったので」
「そこを責めてはいませんよ。さっきも言ったとおりです」
「だけど、連中の取り調べで俺と真名の関係がほのめかされ、隠し通すことができる状態じゃなくなったと」
「ご迷惑をおかけしたところ、このような状況で大変申し訳ないのですが」
ユウトの物分かりの良いまとめを受けて、言葉とは裏腹に、香取は我が意を得たりと大きくうなずく。
そして、手ずから入れたコーヒーを口にしてから、話を続けた。
「そこで、我々としても苦渋の決断ではありますが、彼女をお預けしようと思います」
「預ける? 真名を?」
「はい。こちらとあちらの連絡員ではないですが……。まあ、国の外交で言えば大使のようなものと思っていただければ」
「なるほど。それで、噂が下火になるのを待つわけですか」
「一級魔導官のなかでも優秀な秦野くんに抜けられるのは、正直痛手ですけど。他に、方法はないでしょう」
と、言う割には嬉しそうに、香取はユウトへ承諾を迫った。
コーヒーカップを手にしたユウトは、今度は口には運ばず、先に疑問点を指摘する。
「それは、俺と真名の噂を肯定することになるだけでは?」
「センパイ、仕方がありません。マキナの存在を隠蔽するためです」
「そういうことか」
ユウトとの愛人関係。
マキナという、特殊なAIの存在。
どちらをより隠蔽すべきか。考えてみれば、比べるまでもなかった。
香取は、そう考えているのだろう。清々しいが押しの強い相変わらずの笑顔で、ユウトに決断を促す。
「大丈夫です。天草師には、妻が複数いることも同時に噂として流しておきますので」
「それ、本当に大丈夫なんですかね……」
「教授、そこは噂ではなく事実だと訂正しなくては」
マキナに言われたからではないが、ユウト自身の評判に関しては諦めるしかないようだ。
ユウトが黙って首を振ると、さすがのマキナも深入りしないほうが得策とみたのか、自らの希望を述べる。
「それに、やはり力は隠したほうが燃えますから。量産機との対戦は、時期尚早かと」
「黙っていろと言いましたよ、マキナ」
「Yes,My Lady」
妙に良い発音で答えると、マキナは再びサイレントモードに入る。
とはいえ、それもいつまで保つか分からないし、真名も疲れた表情を浮かべている。早めに結論を出したほうが良いだろうと、ユウトは重々しく口を開いた。
「分かりました。連絡員でも大使でも留学でも構いませんが、真名を受け入れましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、真名だけですよ。彼女以外を向こうに連れていくつもりはありませんから」
「ええ、それで構いません」
本心からなのか、それとも、時間をかければウヤムヤのうちに枠を増やせると思っているのか。どちらとも判断はつかないが、話は決まった。
急な話だが、ユウトたちがブルーワーズへ帰還する際、一緒に真名も連れていくということで調整を進めることとなった。
「……なんとか、上手くいきましたね」
「正直、計画段階だと嘘を吐くみたいで抵抗があったんだけど、香取さんのあの笑顔を見ているうちに、そんな気持ちは、どこかへ消えてしまったな」
先ほどまでの疲れ切った表情は、どこへ行ってしまったのか。いつも通りのきりっとした表情で、真名がハイブリッド車を発進させた。心なしか、トレードマークのポニーテールにも艶が戻っている。
ユウトも、安心したような表情を浮かべ、助手席でシートベルトの位置を調整していた。
このあとは、アカネやヨナと合流して買い物をするだけだ。最大のハードルを乗り越えたためか、ハイブリッド車の走りもスピードが乗っているように感じられる。
「教授、嘘を吐くみたいではなく、紛れもなく虚偽と思われるのですが」
「少なくとも、俺は嘘を言ってはいないんだけど」
「虚偽でなければ、詐欺ですね」
「それは認める」
嘘とはつまり、ユウトと真名が愛人関係にあること。
そして、マキナが、ただのAIであるということ。
「でも、真相が明るみに出て、いじくり回されるのは嫌だろう?」
「そうですね。残念ながら、賢哲会議のテクロノジーでは、パワーアップイベントにもなりそうにありませんし」
「……やはり、本当のことを言ったほうが良かった気がしてきました」
ちょうど赤信号になったため、真名がパーキングブレーキを踏みながら嘆息する。
後悔――とまではいかないが、そう言うのももっともかもしれない。
なぜなら、今回の芝居は、すべてマキナのために行なったことなのだから。
「最初に謝っておきますが、私がセンパイの愛人というのは戦場から離脱するための方便です。センパイへの恋愛感情はこれっぽっちもありません」
「う、うん」
ファミリーレストランで食事をしたあと、ユウトの家へ戻った一行は、そのまま作戦会議を行なった。満腹のヨナは除いて、だが。
その開幕直後の一言に、ユウトではなく、アカネが気圧されたように首を縦に振る。
「まったく、完全に脈なしです」
そこまで強調されると、逆にあやしいんだけど……という、アカネの心の声も知らず、真名は完膚なきまでに完全にユウトとの関係を否定した。
「まあ、そこまで強調しなくてもいいよ。変な誤解するほど自信過剰じゃないから、話を先に進めようか」
「教授、その台詞は逆にハーレム主人公っぽいですよ」
「……難しいな」
なにを言ってもやぶ蛇になりそうだ。沈黙は金とはよく言ったもの。
昔やった――というよりは、アカネにやらされた――RPGでは主人公はほとんど喋ることはなかったが、それが正しい主人公なのかもしれない。
(いや、俺は別に主人公とかじゃないけど)
そんなことよりも、目の前の問題だ。
真名がユウトの愛人だという問題――ではない。そんなもの、ごまかす必要もない。本当のことを言えば、それで良いのだ。
本当の問題は――マキナの存在が明るみに出てしまったことだった。
「ご主人様に迷惑をかけるのは、本意ではないのですが。本当に申し訳ありません」
「いいえ。元はといえば……誰のせいなんでしょうか?」
「まあ、責任は取るよ」
世界移動をしたのはユウトのせいではないが、その後の行動と結果に関しては責任を取るべきだろう。
「さすが、教授。男前ですね」
「それはそうよ、あたしの婚約者だから」
「そういうのいいので、話を進めましょう」
真名の対応はクールだ。
ユウトも、それは望むところ。
「とりあえず、マキナはただのAIみたいなもんで、大した能力はないですよってことにすべきか」
「それでは、別のタブレットを支給するので、この子を寄越せと言われたら拒否できませんよ」
マキナが、わずかに震える。
バイブレーション機能を使ってのことなのだろうが、なかなか器用だ。
こんな愉快な仲間を、失うわけにはいかない。
「仕方がないわね」
それはアカネも同じだったのか、嫌々ながらとアイディアを披露する。
「じゃあもう、真名ちゃんも愛人という設定にしちゃいましょう」
「設定、ですか?」
「いや、朱音。真名も?」
アカネは、ユウトの些細な抗議には取り合わず、自らの考えを述べていく。
「それで、マキナへの追及をかわしましょう。最悪、真名ちゃんも向こうへ連れていけば良いじゃない。それで、解決でしょ」
「いや、それはダメだろ」
この幼なじみは、なにを言っているんだと、ユウトが言下に否定する。この後輩に、そんな評判を立てさせるわけにはいかない。
それは、実に立派な態度と言えたが……。
「なるほど。マキナの存在と、センパイの愛人が賢哲会議にいるという事実。明らかに、センパイの愛人が組織としては重要度が高いですね。なかなか妙手です」
なぜか、真名が乗り気だった。
「いや、真名。それで良いのか? 良くないだろ」
「別に結婚願望も恋愛願望もありませんので構いません。今は、これが最善手です。それに、マキナも、この案を見越してセンパイにガラスの破片を取らせたのでしょう?」
「ここまで見通していたとまでは言えませんが、その可能性も考慮していました」
マキナがファミリーレストランで口にした「今後のことも考えると、だめ押ししたほうが良いと思いました」とは、つまり、こういうことだったのだ。
「……ヴァルとアルシア姐さんに、なんと言えば良いのか」
「大丈夫。ちゃんと、あたしが説明するから」
「そうですよ。天地神明に誓って、センパイと私はなんでもありませんから。なんでしたら、実際に神さまの前で誓っても構いません」
こうして、民主的に方針は決まった。
先に事情聴取を受けた真名は、香取支部長へ、マキナは神によって生み出されたのではなく、ヴァイナマリネンが試しに《覚醒》の呪文で誕生したものだと報告をする。
特殊すぎるので、ヴァイナマリネンやユウトから秘密にするよう命令されていたとも。
率直に言って良い顔はされなかったが、ユウトと愛人関係にあることを認めると、がらりと態度が変わった。
香取がブルーワーズとの連絡員にすると言い出したのも、真名の誘導による部分が大きい。
こうして、本人たちからすると三文芝居も良いところだったが、なんとか極東支部長を騙しおおせ、マキナを守ることに成功したのだった。
「しかし、センパイ。今になって考えると、顧問の権力でどうにかなった気がしないでもありませんね」
「できなくはなかっただろうけど……」
ハイブリッド車のシートにもたれかかりながら、ユウトは首を振る。
密談に等しい内容だが、魔法的な方法で監視されることはユウトがいる以上あり得ず、盗聴器などが仕掛けられていないことはマキナが確認済だ。
「ルージュ・エンプレスみたいな跳ねっ返りがいた以上、俺が安心できない」
「……センパイが、そんなに過保護だとは知りませんでした」
「ヨナを見れば分かるだろ」
「そう言われてみると、確かに」
信号が青に切り替わり、真名が再び車を走らせる。
「ところで、センパイ。恋愛感情はないとか脈なしとか言いましたが」
「ん?」
「だからといって、別に嫌いというわけではありませんから」
「ああ、うん」
その告白は、あまりに唐突で。
「そうか。俺も、もちろん嫌いじゃないよ」
思わず、言わなくても良いことまで言ってしまう。
そのまま、車内は沈黙に包まれた。
環境に良いのかも知れないが静かなハイブリッド車と、こんなときに限って喋らないマキナが恨めしい。
結局、その沈黙は、アカネから携帯電話に着信があるまで続くこととなった。