7.彼らの主張(後)
「愛人……?」
「まあ、今は、それはどうでもいい話です」
ユウトの手から逃れた真名は、するりと追及もかわし、不埒な闖入者へと向き直る。
「先ほど忠告しましたよ。センパイの手にかかると、楽には死ねないと」
「……俺の扱いが酷すぎないか?」
別に、本気で文句を言いたいわけではない。
自らの行いがどう思われているのか、自覚も多少はある。
それに、真名よりもユウトのほうが攻撃手段に富んでいるのは、客観的事実だろう。
だから、それは良い。いや、良くはないが、ひとまず脇に置く。
あの男の口振りからすると、賢哲会議内で、そういう噂が流れていたというわけではないらしい。
そうなると、真名かマキナ。いや、あのごまかしかたからすると、真名がほのめかしたのだろう。
真名が冗談や嫌がらせでそんなことをするとは思えない。戦闘時のブラフかなにかに使ったのだろうか。だとしたら、それは仕方がない。
そう。問題は別にある。
愛人云々と聞いても、アカネが一切怒っていないのはどういうことなのか。
それどころか、「ああ、そういうことだったのね」と、納得しているように見える。納得でなければ、諦めか。
ヨナは無表情ながら、ユウトを非難するように見つめている。
だが、それはそれで、信じてしまっているということであり、不本意極まりない事態である。
「そもそも、誤解があるようだ」
仲間に支えられながらではあるが、ルージュ・エンプレスのリーダー格である田港が頭を振って言う。
「天草師に我々を導いてほしいだけだ。敵対する理由など、どこにもない」
「導く……?」
「真名は聞いてなかったか。俺に、賢哲会議の最高指導者になってほしいんだとさ」
「……センパイのセルフブラック企業振りには頭が下がります」
「そういう認識だったんだ」
もはや、アカネやヨナの表情を確かめる気にもなれない。
日頃の行いが、どれほど大切か。両親が移住してきたら、もっとゆとりのある生活を目指そうと心に誓う。
とはいえ、今はそうも言っていられない。
ユウトは、闖入者たちへ、視線で話の続きを促した。
「私は、ルージュ・エンプレスの田港。まずは、我々の話を聞いていただきたい」
骨折の痛みに耐えながら、それでもこの役割は他者には譲れないと田港は語る。
彼らは、ある女性に出会った。
外見は幼いが、知性と魅力のある、赤毛の女性だったという。
それを聞いて、ユウトは思わず天を仰いだ。
「やっぱり、ヴェルガか」
「ヴェルガ……。赤毛の女帝……ルージュ・エンプレス……。それで《反転の矢》の呪文が」
「《反転の矢》? ということは、怪我人が?」
「え? ええ。下のエントランスに……」
「分かった。話は聞くから、場所を移動しよう。ヨナ、朱音と一緒にあとから来てくれ」
いきなり話の腰を折ることになったが、ユウトは一顧だにしない。
勝手に方針を決めると、了解も取らずに支部長室を出ていってしまった。
部屋の主である香取はもちろん、ルージュ・エンプレスの面々も止めることはできない。それどころか、勇躍乗り込んできたはずのルージュ・エンプレスのメンバーは、一言もかけられず道を譲った。
「あちゃぁ……。勇人、怒ってるわよ……」
「マキナも、その見解に同意します」
それも当然だろう。
付き合いの長いアカネですら、見送ることしかできなかったのだから。負傷者を見せないようにという配慮をしてくれた以上、我を忘れているということもなさそうだが……。
そんなユウトを、ヨナだけは憧れの眼差しで見ていた。
「まったく、最悪だ」
一方、支部長室を出たユウトは、早足でエレベーターへと向かった。
その胸には、後悔が溢れている。
ヴェルガが地球に来ることになったのは、全面的にではないにしても、自分のせいだ。
そこまでは仕方なかったにせよ、ヴェルガの一言に惑わされ、彼女の行動を掣肘することができなかった。
つまり、この事態を招いた原因は、自分にある。
エレベーターが来るのを待ちながら、いらだち紛れに床を蹴った。
ちょうどそのとき、エレベーターの扉が開く。
後続を待つことなく一人乗り込み、個室状態になったそこで、気を落ち着かせるため大きく深呼吸。それを何度か繰り返し、一階に到着する頃には、いつも通りのユウトを取り戻していた。
もっとも、エントランスホールの惨状を目の当たりにして、すぐに眉をしかめることになるのだが。
「《道化師の領域》」
無言で床に倒れ伏すエージェントたちへと近づいたユウトが、因果の反動を抑制する理術呪文を発動させる。
「《道化師の領域》」
一度だけではなく、合計で三回。真名たち賢哲会議の人間が見ていたら、その鮮やかな手並みに驚いたことだろう。
だが、ユウトに誇る様子はまったくない。
続けて、アルシアとの結婚指輪に意識を集中し、合言葉を唱える。
「我らが愛が永久なることを、ここに誓う――《完全治癒》」
仲間全員の傷を癒し、体力を回復させる第八階梯の神術呪文は、異境の地でも問題なく発動した。
癒やしの光が地に伏せるエージェントたちに降り注ぎ、まるで巻き戻しでもしているかのように負傷を治した。
ただ、治すだけではない。その痕跡……破けた服や流れ出た血まで元の状態に戻し、浄化する。
奇跡のような光景。
しかし、ユウトはそれに感じ入ることはなく、指輪の共同制作者ともいえる死と魔術の女神の思惑に思いを馳せた。
「なんだろう、この合言葉。有効化の方法と良い、トラス=シンク神の悪意を感じる……」
悪意というよりは、行きすぎた世話焼きとでも言うべきだろうか。
そんなことを考えていたユウトに、ようやく笑顔が戻る。
アルシアが、自分たちのことを考えて込めてくれた《完全治癒》を他者に使用してしまったが、後悔はなかった。
自分たちのために温存することも考えないではなかったが、これが一番だ。
意識を取り戻し、不思議そうに体を触っているエージェントたちを眺めながら、自らの判断の正しさを確信する。
アルシアも、きっとほめてくれるはずだ。
「センパイ。ありがとうございます」
「天草師。私からも、お礼を言わせてください」
「俺がやりたくてやったことですから」
遅れてやってきた真名と支部長の香取が駆け寄ってきて口々に礼を述べるが、それを受け取るべきはアルシアだ。
「彼らのことはお願いします」
「そうですね。せめて、それくらいはしましょう」
「私も……」
「いえ、秦野真名さん。あなたは、天草師についていてください」
「承知しました」
怪我は治ったとはいえ、自らの銃弾を受けたというショックまではどうにもならない。
賢哲会議の息のかかった病院へ輸送するため、香取は正面玄関から出ていった。
「《理力の短矢》」
ただし、ロックされていたため、支部長自ら破壊してからではあるが。
「ところで、真名。さっきの愛人がどうこうってのは?」
「あ、センパイ。三木センパイとヨナちゃんが来ましたよ」
「漫画のような見事なごまかしっぷりですね、ご主人様」
「黙ってなさい、マキナ」
言うほど見事とは思えなかったが、真名の指摘は事実だった。
エレベーターの扉が開き、朱音とヨナがこちらへと駆け寄ってくる。
「勇人、大丈夫だった?」
「ああ、問題ないよ。でも……」
「どうかした?」
怪我人よりも問題なのは、エレベーターにルージュ・エンプレスの面々も同乗していたこと。
大胆と言うべきか、なんと言うべきか。
「大丈夫。問題なかった」
「まあ、ヨナがいるなら大丈夫か」
どちらかといえば、エレベーター内で相手を一網打尽にしなかったことをほめるべきかもしれない。
「さあ、話の続きを聞こうか。そっちに、話すつもりがあればだけど」
焼け焦げた、ビルのエントランスホール。
そこで、ユウトたちは再びルージュ・エンプレスを名乗る一団と相対する。
「もちろんです。それが、我々の目的ですからな」
豪快に話の腰を折られたうえに場所まで変わったが、田港は変わらない。
そんな彼を見て、一緒に治療してあげれば良かったかと、ユウトは後悔する。先ほどは頭に血が上ってしまったようで、そこまで気が回らなかった。
だが、田港は気にせず再び語り出す。
赤毛の女帝と出会い、彼女からなにを伝えられたのかを。
『外より来た妾からすると、この世界の魔術はいびつに見えるわ』
『いびつな発展というわけではないぞ。押さえつけられ、ゆがんでおるのよ』
『そも、カガクとやらがこれだけ発展しておるのに、魔術……お主らの言葉で言えば神秘か。それを隠蔽し、隠匿する理由が分からぬ』
『それどころか、愚考にして愚行としか思えぬわ』
『神秘を隠秘とした結果、どうなった? カガクギジュツとやらが発展し、代わりに何十万、何百万、何千万が死んだ? 妾ですら、間接的にでも、そこまでの命を奪ったことはないというに』
『混乱? 起こるであろうの』
『だからといって、今起こっている悲劇を肯定するのかえ?』
『そう。その通りよ。魔法もない、怪物もおらん。そう言い聞かせても、事実は変わらん。迷信だ気のせいだと切り捨てても、そこにおるのだ』
『事実を口にしても、気が狂れたと顧みられなかった者も多くいよう。被害者自らが、呪詛や怪物などあり得ないと判断し、手遅れになった場合も数多あろう』
『嗚呼、悲劇。これは、悲劇に他ならぬ』
『そうであろう、そうであろう。犠牲を出そうと臆さず正しきを為す。これぞ、正義よ』
『では、どうすればいいか?』
『妾は所詮異邦人。手助けしかできぬ。いくつかの呪文を与え、理術呪文の教授をしても大勢は変えられぬ』
『だが、誰かに頼る。その考え方を妾は祝福しようぞ。無力を認めるは、勇気のいる行いゆえな』
『婿殿。否、天草勇人を頼るが良い。この世界で生まれながら、ブルーワーズにおいて魔術を極めた彼の男の子の他に適任者はおらぬ』
『そうよな。まずは、汝らが力を示すことよ。婿殿も、そうやって妾を陥落せしめたものよ』
『交渉は、そこから始まろうぞ』
「ああ……。まったく、そういうことか!」
悪の半神とは似ても似つかない。いや、さんざん迷惑を被ったユウトですら、比較しようとも思わない田港。
それにもかかわらず、ユウトは確かにヴェルガの声を聞いた。
童女ながら淫蕩な。
ヴェルガの顔を思い浮かべた。
非現実的なほど淫猥な。
「あのときのあれは、本気だったのかよ……」
ユウトとなら、地球に残っても構わないと語ったことがある。もちろん、ヴェルガらしく世界征服というおまけつきだが。
どうやら、あれはただの冗談ではなかったらしい。
「どれだけ好かれていたのか」
悪の半神を天上へ追いやってなお、祟るとは。
ユウトは、身震いするほどの狂愛を感じてしまう。
「天草師よ、それができないのであれば、魔術を極めるため、ブルーワーズへ連れていってほしい。せめてもの願いだ」
「……分かった」
責任を取らねばならない。
「おお、それでは」
「答えは、ノーだ。なにひとつとして、叶えるつもりはない」
無力化する呪文は、呪文書にいくつか用意してある。
それを使って、終わらせよう。
そう考えて、呪文書を構えた瞬間。
「《セレリティ》」
アルビノの少女が、ルージュ・エンプレスのメンバーたちの中心へ飛び込んだ。
「《ソウル・ウィップ》」
続けて超能力を発動し、ヨナの背中から透明な触手が生える。
海賊と裏で手を組み、ハーデントゥルムを牛耳っていたブルーノ・エクスデロ。あの悪徳商人を打ち倒した超能力が、ルージュ・エンプレスの面々を容赦なく打ち倒していく。
ユウトの様子がおかしいのを感じ、自ら汚れ仕事を買って出てくれたのだろう。悲鳴ひとつ上げさせず、抵抗もさせずに片づけていく様は圧巻だ。
それは嬉しいが、ユウトの胸は敗北感でいっぱいになっていた。
「勇人」
気づけば、アカネが目の前にいた。
しかし、ユウトは反応を示さない。
それどころか、ヴェルガのことを、あれこれ考えてしまう。
これが敗北でなければ、なんだというのか。
「勇人!」
アカネが叫ぶように名を呼び、両手でユウトの顔を掴む。
そのまま少し背伸びをして、唇と唇を強引に重ねた。
「んっ、くっ……」
アカネは瞳を閉じている。
ユウトはまぶたを閉じるのも忘れ、いきなりキスをしてきた幼なじみの顔を凝視していた。
見慣れた。しばらくは、見ることができなかった。
愛おしい。人生をともにすることを、誓った彼女。
「はぁ……。んっ、どう? 気が晴れた?」
「……ありがとうございます……でいいのか?」
「もちろん。ヴァルにも、勇人のことは任せてって言ったしね」
ヴェルガへの敗北感は綺麗に消え去っていた。
こんな単純とは思わなかったと、ユウトが苦笑を見せる。
けれど、それも長くは続かない。
「ずるい……」
見事に掃除を終えたアルビノの少女が、体をよじ登ってきた。絶対に逃がしてなるものかと、怨念さえこもったクライミング。
「ああ。うん。ヨナもありがとう」
「言葉よりも大事なものがある」
「まあ、特殊論としては、そういう考え方もあるかな……」
ヨナに、どんなご褒美をあげるべきか。
ユウトは、次なる試練に直面していた。
ヴェルガ「計画通り」