2.賢哲会議極東支部(後)
ユウトたちを乗せ、車は都心へと向かう。
高速道路も使い、一時間ほど。ヨナが飽きて眠ってからしばらくして、ハイブリッド車は現代的なオフィスビルの前で停車した。
「到着です。皆さん、お疲れさまでした。あ、マキナは以後、喋らないように」
「酷いです。せっかく、これから私の美少女型アイコンのデザインを詰めるところなのに」
「どちらにしろ、この先は別行動ですよ」
「まあ、しばらくはこっちにいるはずだから」
取りなすように言ったアカネが、膝枕をしていたヨナを優しく揺り起こす。
「ん、ん~」
やや不機嫌そうな声をあげ、アルビノの少女が目を覚ました。
体をほぐすように大きく伸びをし、普段と違う状況に小さな疑問符を頭上に浮かべる。
いつもなら二度寝するところだが、ユウトとアカネを守るという使命を抱いている今日は違う。ユウトを追ってハイブリッド車から外に出たヨナは、早速、いくつかの超能力を発動させた。
理術呪文や神術呪文と違い、ブルーワーズから遠く離れた地球でも、超能力に関しては制限は存在しないようだ。周囲の異変を察知する《タクチュアル・サイト》や自らの身を守る《フォース・スクリーン》などで自己強化したヨナは、鼻の穴を膨らませて気合いを入れる。
この地球では、アカネだけでなく、ユウトも弱い。ヴァルトルーデもアルシアもダメで、エグザイルは大きすぎ、ラーシアは小さすぎる。
二人を、しっかり守らないと。
(……なんて思っているんだろうな)
と、ヨナが考えていそうなことを読みとったユウトは、わずかに苦笑を浮かべた。
確かに、高い階梯の呪文は使用できないし、それ以外でも制限はある。しかし、以前の滞在で、コツは掴んでいた。最悪の事態を想定して、呪文書も巻物も用意している。
最年少の少女に頼り切りには、ならないはずだ。
(まあ、ヨナのやる気に水を差す必要もないけど)
とりあえず、最悪の事態を考えても仕方がない。ここには、話し合いにきたのだ。
その舞台となるビルを見上げ、ユウトは改めて思う。
「……でっかい、組織だったんだな」
入り口に立ち、二十階ぐらいはありそうなオフィスビルを見上げしみじみとした口調で言った。
「どこに連れていかれると思っていたんですか、センパイ」
「なんか、人が死にそうな洋館とか、殺人事件が起こりそうなお屋敷とか、かな」
「時代錯誤な」
「だって、呪文やらなんやらを研究してる組織だろ?」
そう言って、ユウトは傍らのアカネに同意を求める。
しかし、幼なじみは曖昧な笑みを浮かべるだけ。
ユウトに賛同したい気持ちのほうが大きいが、入り口にいる警備員がこちらを見ている。その状況で本音は言い辛かった。
「まあ、とにかく行きましょう」
真名が先導し、そのオフィスビル――賢哲会議極東支部へと足を踏み入れる。
事前に通達があったのだろう。警備員が、深々とお辞儀をし、ユウトたちを迎え入れた。
エントランスはかなり広く、学校の運動場ぐらいある。天井も高く、なかなかきらびやかで、多くの人が行き交っていた。オフィスビルというよりは、一時期暮らしていたホテルのロビーに似ている。
そうやって周囲を観察しているのと同じように、ユウトたちもまた、エントランスにいる人々から見られていた。
ユウトが、いつものローブに黒竜衣という派手な格好をしているからというわけではない。
確かに、アカネはニットにチェックのスカート。ヨナも、それと似た感じのニットにデニムという出で立ちのため、ユウトが目立っているのは間違いないのだが。
行き交う人々から向けられる視線は、畏敬。
事実、ユウトたちが足を踏み入れた直後はざわめいていたエントランスも、今は不気味なほどに静まりかえっていた。
普通にスーツを着たサラリーマンやOLにしか見えないが、彼らもまた神秘に携わる者なのだ。
「勇人、めっちゃ見られてるわね」
「やる?」
「やらなくていいから」
居心地の悪さを感じつつ、真名の先導を受けて受付へ移動。
そこでアポイントを確認し、隣接するエレベーターホールへと連れていかれた。エレベーターだけでも何基もあり、案内がなければたどり着けなかっただろう。
ほどなくしてエレベーターが到着し、やたらとボタンに興味を示すヨナをユウトとアカネで制圧している間に、真名が操作。
ほんの少しの浮遊感を味わったところで、最上階へと到着する。
真名が扉を開いている間に、ユウトたちはエレベーターから降りる。
しかし、真名はそれに続こうとしなかった。
「センパイ。私は、ここまでです」
「そうなんだ」
タブレットを小脇に抱えながら言う真名に、ユウトは残念そうなトーンで言葉を返す。
だが、仕方がない。本来の彼女は一級魔導官。現場の人間が、交渉に同席するわけにはいかないのだろう。
「ちゃんと、帰りもお送りしますから。下で待っていますよ」
「つまり、変なことを言って送迎できないようなことにはなるなよと?」
「それは、当然の話では?」
最後まで遠慮のない返答を残し、エレベーターの扉が閉まった。
ユウトが振り返ると、真名の代わりの案内役だろう女性がやってきていて、驚きの表情を浮かべていた。
しかし、それも一瞬。
「天草勇人様、三木朱音様、ヨナ様ですね。私、極東支部支部長の香取圭吾の秘書で倉木と申します。本日は、ご足労いただき、まことにありがとうございます」
「初めまして、天草です。今日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。それでは、こちらへ。香取が、お待ちしています」
落ち着いた照明で照らされた廊下を、無言で進む一行。
すぐに重厚な木製の扉へたどり着き指紋認証とカードキーでドアを開けたため、アカネからダァル=ルカッシュの端末を本格的に秘書コーディネートする計画を聞かずに済んだ。
「ようこそ、賢哲会議極東支部へ。支部長の香取圭吾と申します」
「お世話になっています。天草勇人です」
極東支部長。
つまり、賢哲会議の日本におけるトップ。
その人物と、ユウトたちは初めて顔を合わせた。
「お会いできて光栄です、天草師」
「……面はゆいですね」
「とんでもない。本来なら、ひざまずかねばならないところですが……。報告からすると、そんなことをしたら帰ってしまわれかねないですから」
ユウトは苦笑し、アカネは驚き、ヨナは当然と胸を張る。
「勇人、天草師ですって」
「……まあ、堅苦しいのはなしにしましょう」
「では、恐れ多いですが、仰せのままに」
香取は、これも処世術のひとつなのですと頭を下げ、支部長の一角にしつらえられた応接スペースへとユウトたちを誘った。
ユウトは勧められるままソファの真ん中に座り、その左右にアカネとヨナが陣取った。
対面に座るのは、香取支部長だけ。
商談にも、面接にも見えない奇妙な状況。強いて言えば、職場見学といったところだろうか。
「若いとお思いでしょう」
予想外というわけではないが、その地位から受ける印象に比して、香取圭吾と名乗ったその男は、若く感じられる。
整髪料で整えられた髪に、ぱりっとしたスーツを着こなす彼は、新進気鋭のビジネスマンか少壮の政治家を思わせた。
「まあ、そうですね。イメージより」
三十代半ばの男へ、少年と青年の間ぐらいに見えるユウトが言うべき台詞ではなかったかもしれない。
しかし、香取は気分を害した様子もなく、闊達に笑う。
「こう見えて、賢哲会議は実力社会なのです」
マンション一室分はありそうな広い支部長室の真ん中で、自分も魔術に関しては実力者だと暗に主張した。
ただ、真名を通じて賢哲会議の――つまり、地球の――理術呪文のレベルは把握している。支部長といえども、ペトラに及ばない程度だろう。
もっとも、組織を運営すべき立場の人間が、必ずしも魔術に長けている必要はないはずだ。
「そのため、実力のある老人が長いことトップに居座ったりもするのですが」
「それは、まあ、どこも同じでしょうね」
ヴァイナマリネンの顔を思い浮かべながら、ユウトは肩をすくめる。
同じ老人でも、メルエル学長であれば長く君臨してくれて一向に構わない。問題にすべきは、年齢ではなく人柄だ。
「確かに、その通りですね」
ユウトが若さゆえ侮られずに済んだのは、大魔術師と呼ばれるほどの実力があったからこそ。彼も、この部屋同様、ユウトと似た境遇なのかもしれなかった。
「そういえば」
先ほど倉木と名乗った秘書の女性が、ワゴンに乗せた紅茶とケーキをサーブする様子を眺めつつ、雑談のようにユウトは切り出した。
「真名―― 一級魔導官の秦野真名さんには、いつもこっちの勝手で迷惑をかけています。そちらからも、お礼を伝えください」
「……なるほど。本人も喜ぶでしょう」
含みのある表情で、香取支部長がうなずく。
よろしくお願いしますと言って、ユウトは紅茶を飲む。詳しいことは分からないが、純粋に美味しいと感じられた。
一方、隣に座るアカネは、今のやりとりにどんな意味があったのかと首を傾げている。感謝なら、本人に伝えれば良いのにと思っているのだろう。
さすがに、ユウトが真名を特別扱いしていることが不利に働かないよう配慮しているとまでは気づかない。また、それがきちんと伝わるかで、相手を推し量ろうとしたことにも。
もちろん、ヨナも同じで、早速ケーキに夢中になっていた。
「よろしくお願いします。その真名から、それとなく聞いていると思いますが、今度、うちの両親が異世界へ移住するので、フォローをしていただけると嬉しいです」
「ええ、もちろん。我々は、いろいろなところへ顔が利きますから」
「俺と婚約者の朱音が失踪した件でも、配慮してもらって」
「とんでもない。その分、貴重な文物を譲ってもらっていますので」
若干白々しく聞こえるかもしれないが、友好的な話し合い。
いや、アカネは確実に、白々しいと思っているだろう。
そんな確信とともに、ユウトは横を向く。
「勇人、どうかした?」
「いや、なんでも」
幼なじみにして婚約者の少女は、澄まし顔で話を聞いていた。
とりあえず、任せてくれるらしい。
「それと、もうひとつ。お伝えしていた方法とは別に、向こうとこちらを行き来する方法があります」
「それは……。是非、詳しくお聞きしたいですね」
香取支部長が、この日初めて驚きに表情を変え、居住まいを正す。
果たして、本当に驚いているのか。それとも、ただのポーズなのか。
どちらにしろ、伝えると決めたのだ。言うべきことは、変わらない。
「もちろん。特殊な魔法の道具――秘宝具によって、世界移動ができるようになりました。ただ、使えるのは週に一度、開いていられるのも数時間だけですが」
「その秘宝具というのは、ひとつだけですか?」
「ええ。作ることも、できません」
あとで、アカネから「悪代官と悪徳商人の会話かと思ったわ」となじられそうだ。
少しでも味方を増やすため、自分のケーキをさりげなくヨナへとパスしつつ話を続ける。
「なるほど……。従来の次元門も、あらかじめ日時を指定しておくことで、天草師が地球にいても開くことができるのですね?」
「ええ」
「となると、利用方法は広がりますね……」
いろいろと可能性を考えているのだろう。
香取は、冷めかけた紅茶を口にしつつ、思案をするように目を細める。
しかし、それも長くは続かなかった。
「その件は、承知しました。天草師が独占されている以上、現状と大きく変わることはないでしょう」
支部長レベルではあるが、賢哲会議は今後も異世界との移動手段をユウトに委ねることにしたようだ。
しかも、あっさりと。
「その代わり……というわけではありませんが、要望がひとつあります」
「要望ですか?」
「ええ。ハニートラップとか、そんな話ではありません」
そう言って、香取支部長は、アカネへと笑いかける。
けれど、彼女は、にっこりと微笑み返し、なにも言わない。
「名誉顧問に就任していただきたいのです。これは、極東支部だけでなく、賢哲会議全体の総意です」
「名誉顧問? 具体的に、なにをすれば?」
「基本的には、アドバイザーのような立場を想定しています。こちらで解決できない問題や効率的な呪文の修得などに関し、アドバイスをいただければ」
できる、できないで言えばできる。
しかし、地球へ来たときにしか対応できないし、なによりメリットが薄い。
「もちろん、報酬もご用意しています」
そんなユウトの雰囲気を察したのだろう。
香取支部長は、五本の指を広げて言った。
「日本円で、年間五億ほどですが」
「ごおくぅっ!?」
アカネが先に驚いてくれたので、ユウトは醜態をさらさずに済んだ。
それほどの金額だった。
「もちろん、税引き後です」
ようやく一矢報いることができたと、香取支部長はにっこりと微笑み、お茶とお菓子のおかわりを秘書に要求した。
「かなり常識外の金額だと思いますが」
「スポーツ選手なら、珍しくとも、ありえない額ではないでしょう」
「確かに、勇人みたいな人材は、他にいないでしょうけど」
「よろしければ、三木さんとも契約を結びたいところなのですが」
「あたしも!?」
思いがけず矛先が向けられたことに、アカネは露骨に動揺した。
五億円といえば、まだ10代の彼女にとって天文学的な金額だ。同じだけの提示はないだろうが、たとえ1割でも気が遠くなる。
「ただ、そうなると、今までのような物々交換での交易ができなくなるかもしれませんよ?」
「次の段階に進む用意がある。そうお考えください」
下手にブルーワーズの文物を流すよりは、良いかもしれない。
だが、どうしても二の足を踏んでしまう。
珍しく逡巡するユウトに、追加のケーキも食べたヨナが、この会合で初めて口を言葉を喋ることに使用した。
「やるだけやったらいい。無理なら、やめればいい」
「……そうか。そうだな」
あまり、難しく考えるのも良くない。
まずは、信用しよう。
「じゃあ、お試しで三ヶ月ぐらいから始めさせてもらえますか?」
「ありがとうございます。それでは、正式な契約や条件は日を改めて」
若き極東支部長が、ほっとしたように息を吐く。
それは、ユウトも同じ気持ちだった。
顔合わせとしては、こんなものだろう。
その他、細かい話は、追ってすればいい。婚姻届をもらったり、ヨナにご飯を食べさせたり、スケジュールは埋まっているのだから。
そう、ユウトが腰を浮かせかけた瞬間。
ビル全体が、静かに鳴動した。




