3.家族の時間
書籍化作業に入りますので、今週と来週は月・水・金の縮小更新の予定です。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
「この前、アルシアとも式を挙げました」
「まあ……」
「また、事後報告か」
驚きながらも喜んでいる母の春子とは対照的に、父の頼蔵は渋い顔。いろいろ事情があったのだろうと理解はしているし、挨拶自体は済んでいるともいえる。
「ええと、披露宴は父さんと母さんがこっちに来てからにするから」
「うんうん。いいわよ。若いんだもの。盛り上がっちゃったのね。それは、仕方ないわ」
「そうやって、妙に理解があるのも困るんだけど……」
どちらかというと自身が盛り上がっている春子の姿を見て、頼蔵は小さな嘆息とともに矛を収めた。反省している人間に対し、さらに苦言を呈するのは、彼のスタイルに反する。
「朱音ちゃんのときは、きちんとしないと許さんぞ」
「気をつけます」
もっとも、きちんと釘を刺すことは忘れなかったが。
「というわけで、本棚とか箪笥も中身ごと持っていけるから荷造りの必要はないよ。まあ、食器棚は慎重に運ばないといけないと思うけどね」
なんとか父のお説教から逃れた――これを見越して、アルシアは同行させなかった――ユウトは、やや強引に次の話題を口にした。
「それは助かるわぁ」
頬に手を当て、春子がにっこりと微笑む。ユウトの母親とは思えないほど若々しく、はつらつとしている。素直な感情表現だが、それだけ喜んでいるということでもあった。
引っ越しの手間が大幅に減るというのだ。それが、呪文という一見怪しい手段であっても、問題ない。
元々、疑っていたわけではなかったが、実際にブルーワーズへ渡った経験のお陰で、非現実的な事象も受け入れられるようになっていた。
息子の言うことであれば、なおさらだ。
「お父さんの本が多くて、心配してたのよ」
「心配する必要はない。自分のことは、自分でやる」
「だめよ。無理をして、腰でも痛くされたら困るじゃない」
「…………」
思うところがあるのだろう。
頼蔵はむっつりと押し黙り、ノートパソコンでなにかの作業を再開した。
作業に集中したければ、書斎にこもればいい。わざわざパソコンを持ち出してリビングに来ているのは、彼なりに息子を歓迎しているということなのだろう。
「お父さんが無理をする必要もなくなったし、整理するのはクローゼットと押入のなかだけで済むのね。本当に、助かるわぁ」
「そっちも、全部持っていく必要はないだろう。この家を人手に渡すわけではないんだ」
「分かってるわよーだ。でも、簡単に取りに帰るというわけにはいかないのだから。あ、そうだわ。今のうちに、雑貨もいろいろ買っておこうかしら。コロちゃんのかりかりと缶詰もストックしたほうが良いわよね」
「まあ、迷惑はかけんようにな」
リビングを忙しなく動き回りながら引っ越し計画を立てる春子。
その足下を、天草家の愛犬コロがじゃれつくように歩いていた。
母の暴走にブレーキをかけることを諦めた父は、ダイニングテーブルでノートパソコンを開いて作業を続けている。相変わらず、どちらに主導権があるのかよく分からない二人だった。
休日の朝。親子、いや、愛犬も含めた家族がリビングに集まっている。今時、ドラマでもこんな光景は見られないのではないか。といっても、ここ数年ユウトはドラマはおろかテレビもほとんどみてはいないのだが。
そんな空間で、ユウトはリビングのソファに座ってコーヒーをすする。家族水入らずの時間を満喫していた。
定期的に地球へ戻ってはいるものの、次元門を開いておける時間は短い。賢哲会議との交易を考えると、こんな風にゆっくりはできなかった。なにしろ、次元竜ダァル=ルカッシュの能力をもってしても、ほんの数時間しか維持できないのだから。
しかし、今日は違う。
こちらへの移動には、那由多の門。そして、予め決めておいた時間――今日の夜21時頃――にダァル=ルカッシュが門を開くという使い分けをし、時間を確保した。
すでに、真名へ今回の交易品を用意してもらうよう連絡している。
今回、こんな使い方をしたのは、移住について両親と打ち合わせをしなければならないというのもあったが、真名や賢哲会議との関係を進めることにしたのが理由だ。
那由多の門の存在を明らかにする。
以前、真名に予告はしたが、賢哲会議にとっては衝撃的だろう。だが、それだけではない。次回以降のことになるだろうが、真名だけでなく組織の上の人物と会談し、意識のすり合わせをするつもりだった。
少なくとも、両者の関係が変化するのは間違いない。良い方向に向かわせたいと、建前ではなくユウトは思う。
「ところで、ゆうちゃん」
「……なに?」
いつの間にか、母がコロを抱いて隣に座っていた。
そんな母から微妙に距離を取りつつ、少しだけ不機嫌そうに問い返す。ラーシアにいじられるときとはまた違う、ストレートに不満が含まれた対応。
子供も産まれる――まだ、半年以上先だが――というのに、その呼び方はどうなのか。
という思いは実のところ建前のようなもので、実際は、子供が母親に甘えているのと同じことだった。
「その後、ヴァルトルーデさんの具合はどうなの?」
「ああ……」
「今頃だと、つわりがあったりするんじゃないの?」
「それが、まったくなんもないみたいで」
ブルーワーズでも何度かした話を、母――と、作業をしながら聞き耳を立てる父――に繰り返す。
「味覚が変わったりも、吐き気もなくて、全然いつも通り。ああ、食べる量は二倍以上に増えたかな」
「うらやましいわ……」
当時は、かなり辛かったのだろうか。
母の反応に、その原因であるユウトとしては、その節はご迷惑をおかけしましたと頭を下げるしかない。
「お陰で、今まで通りに動こうとするから、周囲が冷や冷やしてるよ」
「それは仕方ないわね。でも、本人が楽なら、それが一番よ。ヴァルトルーデさんが苦しんでいて心配するより、ずっと良いじゃない」
「……それは確かに」
さすが、経験者。視点が違うと、ユウトは感心する。
「あと、ゆうちゃん」
「ん?」
「話は変わるけど、その服、格好良いわね」
「そう?」
子供のように「ゆうちゃん」などと呼びかけられた不機嫌さは、どこかへ消えてしまった。
途端に気を良くしたユウトが、服を摘みながら相好を崩す。
別に、見せびらかしたくて着てきたわけではない。アルシアからの贈り物である黒竜衣は、すでにユウトの普段着となっていたため、特に深い考えもなく今朝も袖を通した。
それだけなのだ。
真名に服の素材の話をしたら驚きそうだなと、思いはしたが他意はなかった。
だが、ほめられて嬉しくないわけがない。愛する妻をほめられたのと同じなのだから。
「これ、アルシアが作ってくれ――」
「私たちも、そういう服を用意したほうが良いのかしら?」
「なっ!?」
その声は、ユウトと、父の頼蔵のどちらが発したものなのか。一番確率が高いのは、二人そろってという選択肢なのだが、まったく救いのない話だった。
飼い主たちの思いも知らず、春子の抱擁から抜け出したコロは、ユウトのすねの辺りに鼻先を押しつける。構え、撫でろという要求だ。なんなら、おやつでも良い。
無意識のうちにそれに従い、愛犬をその場に転がし、身を屈めてやわやわとしたお腹を撫でてやる。それは、意識を失ったボクサーが反射的にジャブを放つのに似ていた。
「前に、あっちの世界? で良いのかしら? まあ、その結婚式のときも、みんなちょっと変わった格好をしていたじゃない?」
「まあ、それはそうだけど……」
だからこそ、アカネがヴェルミリオでファッション革命を起こそうとしているのだ。
「だから、私たちもドラマやアニメみたいな格好をしたほうが良いのかしらって思っていたのよ。あ、別に年甲斐もなくコスプレしたいってわけじゃないのよ。誤解しないで?」
「うん。そうだね……」
愛犬の腹をなでるという義務を遂行――あるいは権利を行使――しつつ、ユウトは父親の目を見る。
ノートパソコンの天板の向こうの頼蔵は、新興の外国組織の侵攻を憂えるヤクザの若頭のような苦り切った表情を浮かべていた。
「そうだわ。和服も民族衣装よね。それなら、逆に、和服のほうが良かったり――」
「――母さん」
暗殺指令を出すかのように低く凶悪な声音がリビングに響いた。
頼蔵の声だった。
「こっちで用意しなくても、必要なら向こうで作ればいい」
「そうね。それもそうだわ」
春子は、あっさりと矛を収めた。
「そのときは、一緒に作りましょうね」
「…………」
言質を取られることなく事態を収拾した。
それは見事だが、詰めが甘かった。将来に禍根を残すことになったかもしれない。
尊敬すべきか哀れむべきか。
そんな息子の視線に耐えられなくなったわけではないだろうが、頼蔵がノートパソコンのふたを閉めて言った。
「ところで、向こうでは私たちはどこに住む予定なんだ」
「ああ。俺たちが住んでるあの城塞の同じフロアに部屋を用意してるけど」
「一緒のフロアか……」
頼蔵が、なにか思案するかのように押し黙る。
そうしていると、威厳や顔つきはちがうのだが、ユウトと雰囲気がよく似ていた。
ユウトは、絶対に認めないだろうが。親と似ているなどと言われても、まったく嬉しくはない。
「それは、大丈夫なのか?」
「なにがだよ」
「私たちは、確かにお前の親で産まれる子供の祖父母だが、あくまでも他人だぞ? 一時的な滞在というわけでもないんだ。そんな人間が、生活空間に入り込んで、大丈夫なのか?」
「それは……」
コロと離れたくなくて目を背けていた……とは思いたくないが、言われてみれば、その懸念はある。あながち、杞憂とも言い切れない。
「そうねぇ。スープの冷めない距離が良いなんて言うけれど」
母の春子も、父に同調した。
「逆に言うと、熱々のままじゃない程度には離れたほうが良いということでもあるのよね」
「でも、他の場所に放り出すのは……」
トルデクに言われたように別棟を建てることはできるが、異世界から来る父母相手に、それはあんまりではないだろうか。
「まあ、城塞は広いから、あえて離れた位置に部屋を用意することはできるけど……」
「そもそもだ。向こうのお嬢さんたちの了解は得ているんだろうな」
「……あ」
しまったと、ユウトが顔色を変える。
当たり前すぎて、すっかり忘れていた。
「詰めが甘いのは、いったい、誰だろうな」
「親に似ちゃったんだよ、きっと」
ユウトの足下では、すっかり放置されたコロが、抗議するように仰向けのまま身をよじっていた。