2.移住の下準備
ユウトにとって領地経営やヴェルガ帝国への対抗策がマクロな仕事とするならば、ミクロなそれは円満な夫婦生活ということになるだろうか。
であるならば、子供が産まれるのをきっかけに移住を決意した両親の生活環境を整えることは、後者に含まれるはずだ。
「というわけで、俺の両親が移住するのでリフォームをお願いしたいんだけど」
「は、はぁ。まあ、やれと言われればやりますが……」
嫌々とまではいかないが、正直、乗り気ではない。
イスタス侯爵家の家宰を務めるユウト・アマクサからファルヴの城塞へ招かれた――本人の感覚では、呼び出された――トルデクは、率直に言って腰が引けていた。
もはや、メインツには若者を育てる力がないと、ドワーフたちを引き連れ出奔したトルデク。
結果としてそれは誤りで、玻璃鉄によりメインツは活況を呈している。
だが、トルデクに後悔はない。
恐らく、ユウト自身最初から狙っていたのだろうが、ドワーフの里を出たのは鍛冶ではなく石工が得意な者がほとんど。鍛冶を志す者も混じってはいたが、ファルヴの基礎工事が終わった段階で里へと戻っている。
現在は、適材適所で仕事が割り振られ、誰もが充実していた。
トルデクも、里を出たドワーフたちのまとめ役として、上からは重用され、下からも頼りにされている。それも、あのとき族長に逆らってまで行動した結果だ。
そのときの手柄話は、甥っ子にも度々していた。そう、過去形だ。甥が初等教育院でアルビノの少女と友達になったと聞いてからはしていない。
大した理由ではない。ただ、トルデクもドワーフの例に漏れずありとあらゆる酒を愛しており、酒飲みは往々にして話を盛りがちなだけだ。
とにかく、ファルヴとそれに続く領内の整備は、まだまだ終わりそうにない。終わった頃には、初期の施設の補修や建て替えが待っている。人間の数倍の寿命があるドワーフだが、一生食いっぱぐれることはないはず。
ゆえに、思い切った自らの選択を悔いることはなかった。
いきなり、巨人狩りに同行させられても。魔法具で一瞬にして転移させられても。アダマンティンの長剣で岩山を斬っている領主を目撃しても。
しかし、ファルヴの城塞――ヘレノニア神が奇跡で生み出した城塞だ!――の改築を依頼されるに至って、さすがに過去の自分に文句を言いたくなった。
そのトルデクはユウトと並んで歩き、城塞の二階へと向かっているところだったが、ふとした疑問を憶え立ち止まる。
「ところで、勝手に改造なんてして怒られない……ですよね?」
「怒るって……。ああ、ヘレノニア神か」
その発想はなかったとばかりに、数歩先を歩くユウトが考え込む。
「そうか。ヴァルに頼んで、許可を取ったほうが良いのか……?」
そこで真面目に悩まれても困ってしまう。
この話は、それからで――と、切り出そうとしたところ、ユウトがとんでもないことを言い出した。
「前に、呪文とか超能力をぶっ放してもなにも言われなかったし、問題ないだろ」
「えええーー」
「所有者であるヴァルの許可は下りてるんだから大丈夫、大丈夫」
「そ、そうですね……」
ドワーフの若者は、よく笑う。
その例に漏れず、トルデクも笑った。
ただし、快活さとはかけ離れた笑顔で。
ファルヴの城塞は、いくつかの建物で構成されているが、ユウトたちが普段から過ごしている本館は、簡単に言えば三つのブロックに分かれている。
ひとつは、クロードらが詰める行政区画。もうひとつは、ユウトやヴァルトルーデたちの私室などがあるブロック。いつもの執務室も、ここに含まれる。
もうひとつは、以前アルサスらが滞在した貴賓室などがある最上層。当初、ユウトはここを両親の部屋にしようとしていた。
しかし、最も良い部屋を使うのが領主ではないという外聞の悪さ。豪華すぎて、両親が気後れしそうだという懸念。また、重要な賓客が来るときに対応が難しくなること。
以上の理由により断念していた。
「というわけで、俺たちが住んでるこの一角の何部屋かをリフォームしようかなと」
「具体的には?」
「とりあえず、壁を取っ払って広めの部屋を作ったり、壁に穴を開けてドアをつけて行き来できるようにかな」
「なんにせよ、壁はどうにかするんですね……」
あきれを通り越して、無我の境地に至りつつあるトルデク。
まずは確認しなくては始まらないと、そろって空き部屋のひとつに入り、真剣な表情で壁を叩く。
「めちゃくちゃ堅いうえに詰まってる感じがするんですけど」
「ぶっちゃけ、俺にもジイさんにも、なんでできてるか分かんなかったんだよな」
「ジイさん?」
「ヴァイナマリネンのジイさん」
「オゥ」
石の壁ではある。それは間違いない。しかし、ドワーフの優れた石工であるトルデクにも見当はつかなかった。あの大賢者ヴァイナマリネンですらも分からない素材なのだから当然だが。
「でも、なんでできてても、壊せれば良いわけで……」
「呪文とか超能力をぶっ放したって言ったけど」
「こっちで歯が立たなかったら、お願いをす――」
「壊れなかったんだよね」
「……どうしますかね」
となると、難攻不落ではないのか。
「ドワーフ驚異のメカニズムとかで、どうにかならない?」
「驚異かどうかは知らないですけど……」
かなりの無茶振りだ。
それは相手も分かっているだろうから、断っても構わないのかもしれない。
けれど、それはドワーフの誇りが許さなかった。
「そうっすね。普通にやって歯が立たなかったら、アダマンティンの工具でも用意してもらえれば」
「その手があったか。じゃあ、今のうちから発注しておこう」
「正気ですか……」
少なくとも、本気ではあるのだろう。
「今後、またリフォームしたくなったときも使えるし」
「できれば、使わない方向でお願いしたいんですが……」
「まあ、いざとなれば《奇跡》でなんとかする。やれそうだな」
そう言って、ユウトは左手を意味ありげに見た。
その意味はトルデクには分からなかったが、この家宰のことだ。なんとかしてしまうのだろう。
「あと、台所とかも作りたい」
「台所って、水は……」
「尽き果てぬ水瓶という魔法具があってだな」
「あ、そうですか」
――このように。
まあ、それならそれで良い。
上水道を通す工事をする必要がなくなったのだから。下水だけであれば、やりようはある。
その他、間取りの要望と現実との兼ね合いで二人は協議を重ね、叩き台の合意に至った。
「ところで」
「ん?」
「結構、土地が余ってるみたいですけど、別棟を建てたりするんじゃ駄目なんですかね?」
「……それも考えないではなかったんだけど」
曖昧に微笑み、ユウトは首を振る。
「いきなり親だけにするってのもなんだし、それに城塞なら気温も一定に保たれてるから快適だからね」
「まあ、やるだけはやりますので」
「うん。よろしく」
必要な物があれば用意するから。
そんな豪気な台詞を背に、トルデクは城塞を後にする。
その足取りは、意外なことに弾んでいた。
常識外れなことは多々あったが、それは、まあ、今まで通りと言えばその通り。むしろ、神の建築物に手を加える機会を与えられたことに、感謝しなければならない。
このファルヴは、ドワーフたち。いや、自分たちが作り上げてきたにもかかわらず、代表的な建物と言えば神の手による物ばかり。
それに匹敵する物を造りたい……というほど自惚れてはいないが、そこに足跡を残すぐらいのことは許されるはずだから。
「あとは、これがちゃんと上手くいくかどうかだな……」
トルデクと別れた後、ユウトは珍しく城塞の厨房を訪れていた。
そこの女主人であるアカネの許可を取ったうえで、ある呪文を試すために。
「《縮小》」
呪文書から3ページ切り裂き、目の前の食器棚へと飛ばす。
それはまるで意思があるように貼り付き、まばゆい光を放つ。
「……成功かな」
その光が収まると、食器棚が忽然と消え失せていた。
――否、違う。
「おままごとみたいなサイズになったわね」
後ろで見ていたアカネの言う通り。食器が収納されていた棚は、内容物はそのまま。サイズだけが1割以下に縮んでいた。
さらに、それだけでは終わらない。
「で、重さはどうなの?」
「ああ。こっちも、問題ないな」
模型を持ち上げるように、ユウトがミニチュアサイズになった食器棚を手にする。重量だけは変わらない、などということはない。その大きさ相応に変化していた。
「引っ越し屋いらずだ」
「引っ越し屋さんというよりは、荷造りが不要よね。とんでもない呪文だわ……」
「実は、あんまり使い道がなかったりするんだけどな」
第三階梯の理術呪文《縮小》。
効果は見ての通り、物体ひとつの容量を小さくすること。効果は、丸一日程度は持続する。ダンジョンなどで見つけた財宝を運びやすくする冒険者にとっては必須呪文。
……と、思われがちだが、このために第三階梯の呪文として準備するのはリスクが高く、巻物で対応するぐらいなら、無限貯蔵のバッグを目指したほうが良い。
それに一回で物体ひとつにしか効果がないとなると、使いどころも難しい。
有用だが、出番がないとユウトが言うのも当然だろう。
「しかし、地球で使う分には問題ないからな」
「地球で、勇人が使う分にはね」
本来、第三階梯の呪文であっても使い手は限られる。それを引っ越しのために使おうというのだから、常識で考えればおかしい。
アカネにもそれぐらいは分かるが、引っかかっているのは別のこと。
「なんか、こんなのをアニメで見た記憶が……」
「あのひみつ道具は、紙みたいにぺらぺらにするんだったろ」
この世界では、二人にしか通じない会話。
ヴァルトルーデがいたら頬を膨らましそうだが、今は二人きり。
「なんの問題もない。訴訟も受けて立つぞ、真名が」
「自重しなさい」
色気のない会話だが、それも悪くない。
なにしろ、こんな他愛のないやりとりであれば、後からヴァルトルーデやアルシアに根ほり葉ほり聞かれることはないのだから。
「でも、残念よね」
「なにが?」
「エアコン……は要らないにせよ、これなら冷蔵庫とか洗濯機も簡単に持ち運べるのにね」
温度が一定に保たれているため、城塞内でエアコンの必要性は低い。だが、冷蔵庫や洗濯機に関しては、あれば便利なのは間違いない。
「まあ、電気がないんじゃ――って、あたしなんかフラグ建てようとしてない?」
「フラグとか、そんな現実にあるわけないだろ」
「じゃあ、こっちで家電製品が使えることはないのね?」
「……ヴァイナマリネンのジイさん次第かなぁ」
「そっか。そういえば、そうだったわね……」
ユウトが無茶をするのは、自分のためではない。
誰かのために動くときに、その本領を発揮する。
「とりあえず、おじさんとおばさんには、ちゃんと相談してから動きなさいよ」
つきあいの長いアカネでも。いや、長いからこそ。
こんなことしか、言えなかった。