11.冒険者たち(後)
「まさか、ジャングルに行くことになるとは、思わなかったわね……」
魔法具の大型ボート――なにしろ、そうでないとエグザイルが乗れない――に揺られながら、アカネは異世界に来て何度目かになる感慨に耽った。
城塞を出る前に、ユウトから《耐熱・耐寒》を、アルシアからは《害虫駆除》の呪文をかけてもらっているので、ジャングルクルーズは快適だ。
珍しいパンツルックに運動性重視の靴で、しっかり準備もしている。
風が気持ちいいし、左右の密林はまさに非日常。時折、豹や虎と思しき肉食獣や、見たこともない凶暴な面構えをした魚と遭遇するものの、エグザイルとヨナがいればなんの心配もない。
遠くで白煙をたなびかせる火山も、滅多に見ることはできない光景だ。
「ほんと。船なんて、めんどう」
飛んでいけば済むのにと、ヨナがアカネに同調する。
微妙にポイントをはずしているが、アカネにとってはアルビノの少女が心配してくれるだけで胸がいっぱいになるので、なんら問題はなかった。
「いきなり行ったら、警戒されるだけだからな。我慢だ」
船を漕ぐエグザイルが、重々しい重低音で言う。
唯一労働している岩巨人に言われては、アカネは当然、ヨナも納得するしかなかった。
なにしろ、今回は戦闘ではなく、勧誘のために訪れているのだから。
ファルヴの遙か南。
南方大陸への途上に、その火山島はあった。
船で南へ向かおうというクレスたちを横目に、ヨナの《テレポーテーション》を駆使してあっさりとたどり着いたそこは、まさに秘境と呼ぶにふさわしい土地だった。
名もなき島はジャングルに覆われ、野生の動物が闊歩し、植物が繁茂する。一方、エルフやゴブリンなども含んだ人間の集落は存在しない。
なぜならば、この島には支配者が別に存在しているのだ。
交互に目覚め獲物を狩る赤竜のつがいが。
「エグ、止まる」
「分かった」
ヨナの指示に従い、エグザイルは大型のボートを操って岸に乗り上げさせた。
「ここにいるの?」
「気配がする」
川に落ちないよう、足下を滑らせないよう。臆病なほど慎重に船から降りつつ、アカネはアルビノの少女に確認する。
動物使いのジャスティン。
遠路はるばるやってきたのは、彼に会うため。気配程度の根拠では不安になるが、超能力で気配のようななにかを感じたのだ……と思うことにする。
「正解だったようだな」
合い言葉でボートを元の姿――指先サイズのバッジ――に戻したエグザイルが、鋭い視線をジャングルの向こうに向けながら言う。
「遠方よりの客人よ、何用か」
そこからのそりと出てきたのは、中肉中背の男。
ただし、それは特徴がないという意味ではない。
全身は厳ついほど鍛えられており、眉も含め体毛は一切ない。その代わりというわけではないだろうが、至る所に傷跡があり、虎の毛皮で体を覆っていた。
「…………」
「…………」
岩巨人と動物使いが、正面から視線を合わせる。
一触即発……というわけではない。
二人とも、相手を値踏みしているのだ。
実力はどの程度か。
信頼に足る人物か。
そして、どうやらお互いに合格の判断を下したようだった。
「頼みがあって来たが、まずは飯にしよう」
「え? あ、まあ、そのために来たんだけど」
エグザイルからの要請に、アカネは目に見えてうろたえる。急展開――というよりは、会話が欠けているように思えた。
しかし、ヨナに期待の眼差しを向けられては断れない。
そのまま、河原で調理の準備を始める。
ジャスティン相手に料理で接待をするという方針はユウトが決めたもので、アカネはそのために来たのだ。必要なものは、すべて無限貯蔵のバッグに入っている。
けれど、自然崇拝者である彼には、肉や魚は出せないのだという。
植物――野菜だって生きている。
もちろん、動物と完全に同列に置いているわけではないが、命を頂いていることには変わりない。なので、菜食主義者の主張を尊重する気持ちはあるが、同調はできない。
だが、それはそれとして、手を抜くことはない。
植物油を敷いた鍋を魔法具のコンロにかけ、しょうがとにんにくのみじん切りを炒める。いい匂いがしてきたところで、やや厚めに切ったタマネギを投入。あまり薄すぎては、煮ているうちに溶けてしまう。
エグザイルも、こちらを警戒しているだろうジャスティンも無言。
どっしりと河原に腰を下ろし、視線を合わせてはいるが言葉は交わさない。ヨナは、興味津々とアカネの一挙手一投足に注目している。
やりにくいことこの上ないが、作業に集中してやり過ごすことにした。
タマネギがしんなりしてきたらニンジンを追加し、弱火のコンロへ移動。ふたをして水分が出てきたら、カボチャやブロッコリーのような野菜にキノコを、昆布で出汁をとったスープを入れる。
ここまでくれば、後は簡単。
野菜に火が通るまで待ち――その間に、もう一品準備しつつ――頃合いを見計らって水に溶いた米粉でとろみをつける。続けて、豆乳を足して塩で味を調えればベジタブルシチューの完成だ。
「どうぞ。あの、お肉とか卵とかは使ってないので……」
「いただこう」
毒を警戒する素振りもなく、木の器にたっぷりよそわれた豆乳のシチューを受け取り口に入れる。
無言。
しかし、一心不乱にスプーンを動かすジャスティンを見て、もう一品作った豆腐ハンバーグを出しつつ、アカネは安堵する。
「……ん? んん?」
美味しいのだけど、なにか物足りない。でも、理由が分からない。
そんな微妙な反応をするヨナを余所に、動物使いは三杯もおかわりし、ようやく一息つく。
「こんなに美味い物を食べたのは久しぶりだ」
飾らない称賛の言葉に、アカネはほっと一息つく。
「なにを求めてやってきた、遠方よりの客人たちよ」
「正義のための戦いを」
そう言って、依頼の内容――ヴェルガ帝国で悪の勢力と戦ってほしい――を語るエグザイル。
黙って聞いていた動物使いは、しかし、首を縦には振らなかった。
「このシチューの代価と考えれば、お安いご用だ……と、言いたいところだが、それは叶えられんのだ、客人よ。この島を離れることはできんのだ。家族の仇を討つまではな」
動物使いと呼ばれる彼が、たった一人でここにいる。
それと、噴煙をたなびかせる火山を遠い目で見るその表情を考え合わせれば、おおよその事情は察せられる。何度挑んでも、一人では、つがいの赤竜を倒せなかったのだろう。
ならば。
もはや、障害はないに等しい。
「ドラゴンなら、得意」
そのドラゴンが聞いたら、どう思うか。
少なくとも、赤火竜パーラ・ヴェントが聞いたら精神的外傷をえぐられることは間違いない台詞で、アルビノの少女が仇討ちへの協力を請け負った。
「今日は、よく来てくれた」
「ヒヒヒヒヒ。お貴族様に用事があると言われたら、出向くのが礼儀ってもんさ」
ヴァルトルーデとラーシアが、ユウトの執務室に迎えた一人の老婆。
それも、ただの老人ではない。赤や黄色といった派手な色合いのチュニックに身を包んだ、見るからに怪しい老女。
彼女こそが、ロートシルト王国の王都セジュールを中心に活動する最大の冒険者集団ハック・マスターズのリーダー、ミヒャルデだった。
そのミヒャルデの他には、硬質な革鎧を身につけた黒髪の男が同行している。武器は持ち込んでいないが、護衛なのだろう。
その立ち居振る舞いだけで、実力者であることが分かった。
もっとも、ラーシアには、なんの関係もないことだったが。
「礼儀? 処世術じゃないの?」
「ヒヒヒ。同じことさ。長生きすりゃ、分かるよ」
「やりにくい婆さんだなぁ……」
めんどくさいのを押しつけてと、心のなかでラーシアがユウトに悪態をつく。
交渉材料は預かっているが、通じるのかどうか。
「しかし、あんたの顔をいつまでも見てると、心臓に悪そうだ。早速だけど依頼の内容を聞こうか。うちなら、なんでも引き受けられるぞい」
無責任な誇張やセールストークと解釈されかねない発言だが、決して誇張ではない。それは、ハック・マスターズが特殊な冒険者集団であるという事実に依拠していた。
通常、冒険者は4~6名程度の人員で構成される。それ以上では機動性に欠けるし、それ以下では戦力的に不安がある。
ハック・マスターズでも、それは同じだ。違うのは、その十倍以上の人員を内部に抱え、依頼に応じてメンバーを適宜組み替えて派遣するという形を取っていること。
これは意図してなったのではなく、中核メンバーが、ある孤児院の出身者で固められていたことから、自然とそうなったのだ。
交渉に訪れたミヒャルデも、今は一線を退いているが、若い頃は有名な冒険者だった。
しかし、最初から、そうだったわけではない。元々は、孤児院で子供たちの面倒を見ていたのだが資金難に陥り、一念発起して冒険者となり現在の地位を築いたのだという。
「依頼は、ふたつある」
「へええ。ふたつかい。そいつは、なかなか食いしん坊だねぇ」
「どうやら、ひとつは知ってたみたいだ」
「ヒヒヒヒヒ。どうだかね。そう見せかけてるだけかもしれんぞい」
森の奥に住む魔女のように笑い、煙に巻こうとするミヒャルデ。いちいち、反応がうさんくさい。
知られていても別に構わないかと、気を取り直して、ラーシアは隣のヴァルトルーデに続きを促した。
「ひとつは、ヴェルガ帝国に潜入して暴れてほしい」
「いいよ。手に入った財宝は、全部こっちのもんだろ?」
「もちろんだ」
その代わり、依頼料は金貨千枚もしない格安設定となる。
リンとキャロルの姉妹のように具体的な目標がなくとも、ヴェルガ帝国という未知の土地に潜り込んで悪を退治して金を得るというのは、冒険者の本懐のようなもの。
予想通り、こちらに関しては、特に問題はなかった。
「じゃあ、もうひとつ。めんどくさい内容なんだけど」
まとまったと見て取ったラーシアが、話を引き継ぐ。
「うちの参謀がさ、冒険者の互助会を作りたいって言うんだよ」
「互助会じゃと……?」
老婆から、笑顔の仮面が外れかける。
それほどまでに、意外だったのだろう。それは、ミヒャルデの背後に控える護衛の男も同じだった。
「今のところは、冒険者が集まる酒場に依頼書を貼ったり、個人的な伝手で依頼を回してたりしてたじゃん? それを管理する機関を設立したいんだってさ」
「今の形で上手く回っておるもんを、変える必要があるんかいな」
「えーと。ああ、あったあった」
事前にユウトから渡されていた交渉用の書類。そこには、手回しの良いことに、想定問答まで書かれていた。
「『互助会を設立することで、就労対策及び、駆け出し冒険者の死亡率低減が期待できる』……ってさ。というか、ぶっちゃけさ、ハック・マスターズでやってることじゃん」
「……まあ、そうじゃな」
ユウトが想定している互助会は、同業組合というよりも、職業斡旋所に近い。
実力があるのなら、今まで通り活動すればいい。
それよりも、食い扶持を求めてやってきたが働き口がなく、冒険者を目指すしかなかった。そんな層に街の雑用などを割り振り、ステップアップがしたければサポートをする。
そんな機関を目指していた。
簡単に言ってしまえば、失業者対策だ。
美食男爵の農業改革やヴェルミリオに端を発する軽工業の発展で社会構造が変わっても、それに対応できるように、今から手を打っておきたいということらしい。
そして、ラーシアの言うとおり、孤児院を基盤にするハック・マスターズが行なっているのも、これと同じことだったのだ。
「ヒヒヒヒヒ。まさか、お貴族様がうちらと同じことをやろうとするなんてねぇ」
「勘違いしてくれるな。私たちは、冒険者だぞ」
虚を突かれたように、ミヒャルデの動きが止まる。
ヴァルトルーデの言葉に、まったく嘘が感じられなかったのだ。
「のう、フォイル。どう思う?」
「ミヒャルデ婆の好きにすればいい……が」
「が?」
「信頼できるかどうか確認したいのなら、手段はある」
フォイルと呼ばれた男が、立ったままヴァルトルーデの美貌を見下ろす。
およそ感情を感じさせない表情と口調で言葉を発するが、その内容は情熱的だった。
「手合わせだ。刃を交えれば、だいたい分かる」
「なんだ、そんなことでいいのか」
「……実は、そうなるだろうと思って、王都から他にも希望者を連れてきている」
「いいだろう。まとめて相手をしてやる」
まるで悪役のような台詞を発すると同時に、それが聞きたかったとばかりにヴァルトルーデが立ち上がった。
「ちょっ、ヴァル。妊婦がなにしようとしてんのさ! ええい、ヴァルと戦いたければ、まずこのボクを倒すことだね!!」
やけくそのように言うラーシア。
それを聞いて、ヴァルトルーデは絶望的な表情を浮かべるのだった。
これにて、第一章は終了。
短めの幕間を挟み、第二章 移住へ向けてに続きます。




