8.インターミッション:食べる人たち
「ふむふむ。では、王都進出の件は円満に解決したということなのだな」
「そういうことになるかな」
湯気の向こうにある愛妻の美貌――いつも通り絶世の――を眺めやりつつ、ユウトは肯定した。
やや歯切れが悪いのは、レジーナに任せたとはいえ、自分の与り知らぬところで丸く収まったからからだろうか。
「良かったではないか……ん、これは美味いな」
だが、幸せそうに食事をとるヴァルトルーデの姿を見ていると、そんな疎外感も目の前の鍋に溶けて消え去ってしまう。
「ヨナちゃん、どう?」
「いくらでも食べられる。むしろ、いくらでも食べる」
「ふっ。常夜鍋、大成功ね」
偏愛するアルビノの少女から太鼓判をもらい、アカネも嬉しそうだ。
ユウトたちは、東方屋の個室で鍋を囲んでいた。
複数用意された魔法具のコンロの上には土鍋が置かれ、そのなかには肉と野菜が食べ頃となっている。
今日は、ちょっとしたお披露目を兼ねた食事会。王都の九大商会との顛末は、饗される珍しい鍋料理に並んで、参加者を喜ばすこととなった。
「レジーナといい、美食男爵といい。ユウトの部下も育ってきたじゃん」
「部下……なのかねぇ」
器用に箸を使いながら言うラーシアに、箸を置いたユウトは曖昧な返事をする。クロード老人やダァル=ルカッシュであれば首肯しただろうが、草原の種族が言う二人だと難しい。
美食男爵は、組織図でいえば部下に違いない。だが、元になっているとはいえ男爵だった年上の存在を完全に部下扱いすることはできなかった。
協力者というのが、ふさわしいだろう。
それはレジーナに関しても同じで、領地経営を始めた直後からの付き合いで……認識としては戦友に近い。それに、地位の上下はあっても、上司と部下と言われると違う気がする。
どちらも、心の持ちようと言われたら、反論できないこだわりだが。
「仕事を押しつけ……任せられるんなら、部下で良いんじゃないの?」
「まあ、そうかもな」
「露骨に、そういうのに慣れてないって顔をしてるねー」
「そのうち、慣れるさ。それよりも、レジーナさんにはご褒美じゃないけど、難しい交渉をまとめてくれたお礼をしないといけないな」
「部下なのに?」
「部下だとしても、それだけでもないからな」
厳密に線を引いて定義する必要もないかと、ユウトは取り皿に残っていた――やや冷めた――豚肉を野菜や薬味と一緒に口へ放り込む。
それを追って、ご褒美と聞いてぴくりと反応したアカネには気づかず、白いご飯を投入。
具材の甘みとポン酢の酸味、大根おろしのほのかな辛みが渾然一体となって白米にまとわりつき、ハーモニーを奏でた。異世界に骨を埋める覚悟をしているが、日本人としてのアイデンティティを感じる瞬間だ。
「このたれと、白い付け合わせが良いな。肉の脂をさっぱりとさせてくれる。ヨナではないが、いくらでも食べられそうだ」
「ああ。進むな」
パーティの双璧であるヴァルトルーデとエグザイルもユウトと同じスタイルで食べているが、スピードは段違い。猛烈に鍋の中身が減っていく。
鍋を三つ用意して正解だったと、アカネが額の汗を拭う。鍋には遅い季節のため、呪文で室温を調節している。そこで流れる汗は、冷や汗に違いなかった。
食べるばかりでなく酒が入れば、また事情が違ったのだろうが、妊娠中のヴァルトルーデは当然。エグザイルやラーシアもアルコールを入れようとはしなかった。
「いいのだぞ? 私のことは気にせず酒を飲んでも」
「酒は、いつでも飲める」
エグザイルに配慮の気持ちがないわけではなさそうだが、今は食べることを優先するようだ。おひつを空にする勢いで、米・肉・野菜を大量消費していく。
「あ。ボクが酒を飲まないのは、普通にヴァルを思いやってだからね?」
「それを言わなきゃ、最高だった」
「でも、言わなきゃボクはボクでいられないのさ」
「業が深いな……」
それでも、父親として感謝すると、鍋に入れていた肉をラーシアへと譲渡する。
それを――
「いやー。そういうつもりじゃなかったんだけどさー」
――と、受け取るラーシア。
「む。肉か……」
そして、うらやましそうに見るヴァルトルーデ。
「ヴァル、子を身ごもったからって、二人分食べる必要はないのよ?」
「そうは言うがな、アルシア……」
「せっかく、肉も野菜も一緒に食べられるようになっているのだから、せめてバランスよく食べなさい」
ヨナの世話はアカネに任せ、アルシアはヴァルトルーデの介助に回っていた。つわりもなく、気を回す必要はないのだが、単純な話、食べ過ぎは良くない。
その死と魔術の女神の大司教の薬指には、結婚指輪がはめられていた。
白く輝く洞窟真珠に、ユウトは、つい目がいってしまう。
それ見ると、結婚したんだなぁとか、いつも着けてくれているんだなと、実に感慨深かった。
「で、勇人。どう思う?」
「……なにが、だよ」
そのタイミングで、アカネから飛んできた言葉を省略した問い。
露骨にぼろを出さなかった自分をほめてやりたいと思う。
「決まってるでしょ、純ブルーワーズ産食材で作った常夜鍋のことよ」
水と竜人の里で醸造した清酒を一対一の割合で鍋に張り、ハーデントゥルムで入手した昆布で出汁を取る。
そこに、美食男爵の実験農場から譲られたキャベツや下ゆでしたほうれん草、豚のバラ肉を投入し、ポン酢と大根おろしで食べる常夜鍋。
しゃきっとしたキャベツと、くたっとしたほうれん草の食感の違いが面白く、甘い。滋味を感じるとはこのことだろうか。野菜が嫌いなヨナも、率先して口に運んでいる。
脂身の多い豚肉も、良い。
いつかアルビノの少女が言っていたように、肉の旨味とは脂の旨味だ。しかし、そればかりではしつこくて食べられない。
そのジレンマを、大根おろしのさわやかさが見事に解消してくれる。効果絶大であることは、疑う余地もなかった。
「とりあえず、美食男爵の実験農場は、大成功だな……」
「そうね。正直、日本で買うのと遜色ないわ」
農場を設立したユウトに、今回の鍋をプロデュースしたアカネ。
来訪者――と言う割には、すっかり居着いているのだが――たちが、顔を見合わせ複雑な表情を浮かべる。素晴らしいが、それもどうなんだと、素直に喜ぶこともできない。
「これも、ある種のオーバーテクノロジーよねぇ」
「となると、俺たちが宇宙人のポジションになるのか……」
「え? あたしも?」
「そりゃそうだよ。俺たちは、一蓮托生だろ?」
「もうちょっと良い場面で聞きたかったわね~」
それも、そうだとユウトは素直に反省する。
「まあ、そんな真剣に解釈されても、あたしとしても困るけどね!?」
「自分で言ったのに、恥ずかしがってるー」
「ああ。ヨナちゃんが棒読みでいじってくるとは」
恥ずかしがっているのか喜んでいるのか分からない婚約者をから目を逸らしつつ――是非、前者であってほしいものだ――ユウトは、この鍋の意味を改めて考える。
食材だけなら、今までもそろえることはできただろう。
しかし、味と入手性は、従来のそれを凌駕した。
もう、後戻りできないほど世界に影響を与えている。その象徴でもあった。
(まあ、後戻りするつもりはないし……責任は取るさ)
それですべてが許されるわけでもないだろうが、少なくとも、覚悟はできている。
そんな決意を知ってか知らでか、ヴァルトルーデ、エグザイル、ヨナを中心に用意した食材は全滅し、締めのうどんが投入されるに至った。
「そういえばさ、ユウトは王都に行かずなにしてたわけ?」
うどんが煮えるまで暇だから聞いた。
そんな態度を隠しもしないラーシアの問いに、ユウトは肩をすくめて答えた。
「実は、王都にも行ってた。ただ、忙しくて時間がなかったんだよ」
「ん~? なにやってるの?」
「そうだな。それは、私も気になっていた」
頻繁に煮え具合を確認してアルシアから注意を受けるだけでなく、ヨナからも白い目で見られていたヴァルトルーデが言う。
追及をかわすためではない。夫がなにをしているのか知るのは、妻の務めでもある。
しかし、必ずしも、それを理解できるわけではないことをヴァルトルーデは忘れていた。
「サミットの準備だよ」
「……さみっととはなんだ?」
アカネだけは、なにをやろうとしているのか悟ったようだ。
疑問符を頭の上に浮かべるヴァルトルーデと対照的に、「また、面倒くさいことをやってるのね」と、小さく頭を振った。