プロローグ 直後と直前と
たくさんの感想、評価をいただきありがとうございます。
本日より、EP2開始です。よろしくお願いします。
また、「三木朱音? 誰だっけ?」と言う場合には「3.地球から青き盟約の世界へ」を読み返して頂けましたら幸いです。
「ゆう、と……?」
消えた。
本当にたった今まで話していた幼なじみが突然消えた。
他に言いようもないし、少なくとも彼女にとっては純然たる事実。
「なんで? どうして?」
なんの痕跡も残さず、完全に消えた。
三木朱音は、ただただ混乱するばかりで、その場から動くこともできない。
いつもの自信たっぷりな笑顔は消え失せ、挑発的な瞳の光は困惑で彩られていた。
呆然と虚空を。
天草勇人がいたはずの空間を眺めている。
「朱音? 校門でぼーっと突っ立ってなにやってんの?」
そこに、クラスメート――名前は思い出せないが確かに、クラスメートだ――がやってきて肩を叩く。
「……見てた?」
「なにを?」
通じない。
それはそうだ。
ともだちの名前すら思い出せない役立たずの頭をフル回転させて、なんとか質問をひねり出す。
「勇人、天草勇人って知ってる?」
「え? 同じクラスの男子でしょ?」
「うん。そう、そうね……」
勇人の存在は、わたしの妄想じゃないみたい。
最低限の事実に安心はしつつ、しかし、他に目撃者がいそうにないという現実に視界がブラックアウトする。
「ちょっと、大丈夫?」
実際によろめいていたらしい。
心配するともだち――名前は、まだ思い出せない――に弱々しい微笑を向けながら、朱音はなんとか言葉を紡ぎ出す。
「人が消えるって、あり得ると思う?」
「……なんの話?」
「隣を歩いてた人間が、いきなり跡形もなくいなくなっちゃったの!」
「て、手品? 人体消失マジックとか、テレビで見たことあるなーなんて」
いきなり態度を豹変させた朱音の剣幕に押されながら、それでも現実的な答えを返す。
そう。これが現実。
朱音は、急速に頭が冷えていくのを感じた。いや、単に血の気が引いただけだろうか。
分からない。何も彼もが分からない。
「うん……。そうよね……」
どうしようもない断絶。
誰に、なんて訴えればいいのか。どうやって説明すればいいのか。
もしかしたら、全部夢なのだろうか?
それとも、勇人のイタズラなのだろうか? 家に帰ったら、上手くいったと微笑を浮かべて、ひょっこり顔を出すのではないか。
そんなことを考えながら、買い物も何もせず、どこをどう通ったかも思い出せず、朱音は家にたどり着いた。あのともだちと、どうやって別れたのかも記憶にない。
築二十年ほどになるマンション。
その八階の五号室が朱音の、六号室が勇人の家だ。彼女は自分の家を素通りし、六号室前に立つ。
まるでタイミングを計っていたかのように、扉が開いた。
「勇人……!」
「あら、朱音ちゃん」
「おばさま……」
朱音は再びめまいを憶える。
そんな都合のいい話はなかった。現実は、こんなものだ。
「ゆうちゃんは、まだ帰ってないわよ。あ、今夜は私たちいないから後はよろしくね?」
よそ行きのワンピースを着た勇人の母へ、朱音は無言で頷くことしかできない。
背後では、天草家の愛犬コロが出かけようとする主人への抗議でか、甘えるような鳴き声を上げている。
呆然と勇人の母を見送った朱音は、そのまま自分の家に入り、制服も脱がずにベッドへ突っ伏した。
一度だけ起きて合い鍵を使って天草家へと入り、コロに餌をあげた。
勇人は、帰っていなかった。
それから――当然のことだが――大騒ぎになった。
朱音も、学校や警察で事情の聞き取りを受けた。
最初はありのまま話したが、周囲の不審を通り越して哀れみの視線を向けられては、真実を現実に近づけるしかなかった。
全校集会も開かれ、クラスでは勇人が失踪したという話題で持ちきりだった。
どこか不安が漂い、ニュースにもなり、警察も多くの人員をかけて捜査に当たっている。
人間が一人いなくなるというのは、それほどの大事件なのだ。
山西や鈴木といった勇人の友人たち、中学時代のサッカー部の仲間がビラを作って捜索に協力してくれたが、手がかりも掴めない。
手がかりなど、あるはずもない。
また、勇人がいなくなった瞬間の目撃者もいなかった。
朱音のように会話をしていたのでなければ、目撃していたとしても見間違いと判断してしまうだろうが。
なにも分からず、追加の情報もなく、再発することもなく。
事件は徐々に風化していく。
人間が一人いなくなるというのは、その程度の事なのだ。
その当事者を除いては。
勇人が消えて以来、朱音は帰りが遅い彼の両親に代わってコロの世話を請け負っていた。
朱音が鍵を開けると、いや、開けようと鍵を取り出すと家の中から鳴き声が聞こえてきて、扉を開けると同時に突進してくる小型犬。
しかし朱音だと気付くと、義理チョコ程度の博愛精神で尻尾を振ってから、すっかり定位置になってしまったそこへ戻る。
勇人の部屋の前へと。
誰を待っているか、一目瞭然。
それを目の当たりにする度、朱音は泣きそうになる。
だからというわけではないが、唯一の目撃者であり真実を知る者として、朱音は絶対に諦めるつもりはなかった。
「よし」
勇人の失踪から半年以上が過ぎた。
季節は夏。
ラジオ体操を終えた小学生が家へと戻っていく頃、昨日終業式を迎えたばかりの学校を朱音は訪れていた。
勇人と別れることになった校門から校舎を眺め、朱音はかつての自信に満ちた笑みを浮かべる。
70センチはあるキャリーバッグを引きずりながら、まぶしそうに手でひさしを作った。日焼け止めは当然塗ってあるが、陽光のきつさはまた別。
海外旅行にでも行こうかという荷物だが、服装はいつもの制服。
では修学旅行かというと、それも違う。
制服なのは単純な話で、他の服はバッグに入れるか売り払ったから。
バッグには、ノートパソコンやモバイルプリンタ、タブレットなど同人誌の原稿執筆用のガジェットを一通り。
他は、着替えや化粧品など旅行の必需品。それに、多くはないがアクセサリ類やブランド品など換金できそうな物も。
「夜逃げかって、感じよね。職質とかされたらアウトっぽい」
怪しさに自覚はあるらしい朱音が、そんな呟きをもらす。
しかし、自嘲はあっても後悔はない。
なにしろ、これからもっと怪しい人物に会いに行くつもりなのだから。
「それにしても、霊能者なんかに会いに行くことになるとは思わなかったわ……」
さすがに、恥ずかしすぎて誰にも言えない。
警察がどれだけ捜索しても見つけられない――警察のせいではなく状況が異常すぎるだけなのだが――のであれば、オカルトでもなんでも踏み台にしてみせる。
そう思い立った朱音は、この半年以上の間にネットやリアルの関係を総動員して、どうやら本物っぽいという人物に行き当たった。
行き先は、熊野。
これが恐山とかじゃないあたり、信憑性が高い……と思わなくもないが、藁にもすがる思いであることには違いない。
そして、現代医学でどうにもならないからと悪質なカルトにお布施をしてしまう被害者と似たようなことをやっている事実からも目を背ける。
「とにかく、勇人を見つけるわ」
それが、すべてだ。
もっとも、その資金を捻出するため、持ち物を売り払ったり、同人誌の売り上げにすがらなければならなくなったわけだが。
「勇人に請求しないとね」
あの幼なじみを見つければなんとかなる。
そう決意を新たにした朱音が、振り切るように学校を離れた。
その瞬間。
――朱音の意識は途絶した。
ルビを振らなかったのって、今回が初めてなんじゃ……。




