4.危険な農業革命
「ヴァル、アルシア姐さん、朱音。それじゃ、行ってくるよ」
その日のユウトは、朝から視察だった。
アルシアから贈られた黒竜衣を着こなしてファルヴの城塞を出るユウトを、二人の妻と一人の婚約者が見送る。
「うむ。しっかりな」
「ユウトくん、気をつけてね」
「いってらっしゃい」
三人と抱擁を交わし――ユウトとアカネは抵抗したが、ヴァルとアルシアに押し切られた――露台から、ふわりと空に浮かぶ。
ラーシアがいたら、冷やかされそうな光景だ。
「……なんかこう、ふつふつと怒りが湧いてくるよね」
いや、実際にラーシアはいた。視察に付き合ってほしいとユウトに誘われて、一緒に呪文で城塞を飛び立ち、揃って空を進んでいる。
しかし、投げかけたのは、冷やかしではない。静かな憤怒を感じる。
「ラーシアだって、奥さんが二人いるじゃん」
「そうだけど、そうじゃなくてさ! ユウトには、恥じらいってもんがないの!?」
「ヴァルとアルシア姐さんが望んだんだ。それに応えるのが、男ってもんだろ」
空を移動しながらの会話でも、いつも通り。むしろ、人目を気にする必要がない分、遠慮もなくなっている。
「ああああ。堂々としてて、なんかむかつくぅ!」
「どうしたんだ? いつにも増しておかしいぞ?」
「なんか、ユウトたちを見てたら、唐突に昔の感情を思い出しちゃったよ。神に、『女運』とか『素敵な出会い』を求めていた昔のさ」
「お、おう」
発作のようなものだろう。
エグザイルが義妹だったスアルムと結婚すると聞いたときなど、ラーシアには稀というには憚られる頻度でよくある。
「まあ、それはどうでもいいから。ちょっと相談があって、今日は誘ったんだよ」
「分かった。その前に、わら人形と釘と金槌とろうそく持ってない? 呪うから」
「なんでジャパニーズスタイルなんだよ。というか、全部俺に頼るな。呪うのなら、少しは自分で用意しろよ」
そんな心温まる会話を交わしつつ、ユウトとラーシアは進む。
目指すは、美食男爵の実験農場。神聖土の適切な利用法など、研究がどうなったか確認したいと伝えたところ、百聞は一見にしかずと誘われたのだ。
しかし、それとは別件でラーシアの意見を聞きたいことがあった。
「なあ、ラーシア。ヴェルガは、まだ俺のこと狙ってると思うか?」
「なに? 自慢? やっぱ呪われたいの?」
「いや、真面目な話」
その表情と声音に真剣さを感じ取ったらしい。
ラーシアが黙って考え込むが、それも一瞬。
「逆に聞くけど、あの女が諦めると思うの?」
「そうか。そうだよなぁ」
当事者である自分やヴァルトルーデはもちろん。アルシアやアカネでさえも、赤毛の女帝には平静でいられない。そのため、中立的立場からの意見を求めてラーシアに聞いたのだが、冷静すぎる返答が返ってきてしまった。
「ヴァルのときもアルシア姐さんのときも結婚式とかに介入してこなかったから、一度死んで心を入れ替えたんじゃないかと……」
「単に、ヘレノニア神を出し抜けなかったからじゃないの?」
「そうかな……」
「もしくは、力を溜めているとか」
「それは勘弁してほしいな」
薄々分かってはいたが、やはり、ヴェルガはヴェルガなのだろうか。
腕を組んで空を飛びながら、ユウトは眉間にしわを寄せる。
「あれなら、天上に行ったときに会えば良かったじゃん。それか、ヴェルガを降臨させる呪文とか儀式とか、なんかあるんじゃないの?」
「それをしたくないから聞いてるんだろー」
「ボクが答えられるわけないじゃんー」
楽しそうに言い合いながら、空を進む。
「っていうか、なんで、そんなことを聞いてきたのさ」
「昨日、領地経営の状況をヴァルと一緒に確認したんだけどさ」
「なんか問題あったの?」
「いや、きわめて順調」
「どういうことさ」
「順調で、その分、問題がクローズアップされたんだよ」
問題とは即ち、ヴェルガ帝国の動向……というよりは、レイ・クルスの動向か。
本当に、ヴェルガ帝国をまとめて天上へ攻め入るつもりなのか。いや、それだけなら好きにやればいいのだが、一番の問題は、戦力が足りないとこちらにまで矛先を向けてきた場合。
それを座して見ているヴェルガとは思えない。まだユウトに執着があれば、必ず介入してくるだろう。
「やっぱり、どうにかしないとだな……」
「エルドリックの王様のところと同盟するんじゃないの?」
「それだけじゃ足りない気がするんだよ」
「そっかー。ユウトなら、なんとかできるよ」
「超他人事」
「それより、美味しいもの食べられそうな気配がするのが気になるな」
ラーシアのリクエスト通り、実験農場が見えてきた。
そこだけ緑が濃く、植物が繁茂している一帯。遠目からでも、農場であることが分かる。
「おー。随分、育ってるねぇ」
「……育ち過ぎじゃないか」
以前訪れた際は、失敗続きだったので実りというものはほとんどなかった。
それと比較するのは間違いだろうが、近づいていくと異常性が露わになる。
「ほとんど、ジャングルじゃねえか」
問題は、もっと身近にあった。
ユウトは渋面で、ラーシアは満面の笑みで、美食男爵の実験農場へと降り立った。
間近に実験農場を目にしたユウトは、驚きを隠せなかった。
「お米だよな、あれ。間違いなく田んぼだし」
「あっちは麦だねぇ。あ、そばも実ってるね」
小麦、稲、そばといった穀物が、同時に収穫を待っていた。
季節を無視した光景に、神聖土の効果を知っていても、頭がくらくらとする。
しかも、それだけではない。
地球でも見たことのある、大根やキャベツ、ネギなどの野菜。それに、リンゴや桃、ブドウといった果物も、この農場では旬を迎えていた。
空中庭園リムナスと違い、食べられる植物しかないが。
「ユウト、一言」
「言葉もない」
確かに、美食男爵には全面的に任せた。間違った判断だとは、今でも思っていない。
神聖土の非常識な効能も把握している。
しかし、突然、成果を眼前に突き出されると後悔にも似た感情が湧き上がってくるのはなぜだろう?
植物型のモンスターがいない分だけ、ヴァイナマリネンに任せるよりはまし……という考えを慰めにするしかないのか。
「さすがのユウトも、専門外には弱いみたいだね」
「この後始末をしなくちゃいけないかもしれないんだぞ?」
「ボクには関係ないねー」
はははははと、朗らかに農場を歩き回るラーシアだったが、唐突に立ち止まったかと思うと悲鳴のような声をあげた。
「あっ、ユウト。あっちには、うちの玻璃鉄城のパクリみたいな建物があるんだけど!」
「どういうことだ?」
「こうしちゃいられない!」
植物の隙間を縫って、首を傾げながら進むユウト。
まるで、秘密基地への道を進んでいるかのようだ。
「これ、温室か?」
「温室?」
「ああ。あのなかは外より温度が高くて、季節外れの植物とか、もっと南が原産のやつも育てられたりするんだ」
「なるほどねー。うちの商売敵にならないなら許してあげよう」
きらきら輝く建物は全面ガラス張り。いや、玻璃鉄か。
同様に野菜や果物が植えられている。
「おお。お待ちしておりましたぞ。出迎えが遅れて申し訳ありません」
その温室の陰から、聞き覚えのある声がした。
ユウトは反射的にそちらを向き――思っていたのとは異なる人物の姿に、目を丸くした。
「いかがですかな。かなりの成果を出せたと自画自賛しておるのですが!」
「いや、あの……」
「ユウト、誰?」
ラーシアの反応も仕方ない。というよりも、当然だ。
この実験農場を自慢するのは、責任者だけ。そして、責任者は、美食男爵こと前アンソン男爵。
しかし、目の前の人物に、その面影はない。
色のあせた作業着に、麦わら帽子をかぶった男は――やせていた。やせていたのだ。
「ははははは。よもや、この美食男爵をお忘れですかな?」
「いやいや、別人じゃん!?」
今ほど、ラーシアが一緒で良かったと思ったことはない。ストレートに口にしてくれるので、非常に助かった。
「そうですかな? まあ、食べる間も惜しんで仕事をしておりましたからなぁ」
「寝る間じゃないんだ……」
実験農場の有様よりも、その変わり様に一番驚かされた。
しかし、そういえば彼の家族もやせていた。もしかすると、あの体型を維持するのにも、カロリーが必要だったのかも知れない。維持してなんの得があるのかは、皆目見当もつかないが。
「それよりも、ご覧いただけましたかな」
「凄いことになっている……ということしか分かりませんが」
「ほほほほほ。仕方がありませんな。報告をするよりも、栽培、実験、試行錯誤に時間を使っておりましたゆえに」
つまり、止めるタイミングがなかったということか。
今まで自分で仕事をやってばかりと言われ、無理をしているという自覚はあった。そのため、有能な人材をスカウトして任せたのだが……。
「つまり、ユウトの部下にユウトがいた場合、こうなるということだよね」
「その例え、俺の自業自得みたいで納得いかないんだが……」
ラーシアがそう言って脇腹を突いてくるのを、邪険に振り払うユウト。実に、心外だ。
そして、美食男爵は、そんな二人の言い合いをまったく意に介さない。マイペースに、報告を始めた。
「神聖土の配合は極めた……とは言い切れませんが、まずは、肥料代わりに使える程度の比率は確認できましたぞ」
「おお。ちなみに、どの程度」
「この程度ですな」
細くなってしまった指先を1センチほど開く美食男爵。
「えっと?」
「そうですな。向こうに、麦の農地がありますが……」
「ああ……」
確かに、サッカーグラウンド程度の農地が見える。
「あの広さに、ひとつまみといったところですぞ」
「非常識な……」
それは、過去の実験が失敗するはずだ。まさか、それほどとは想像もしていなかった。肥料をひとつまみなど、気づけというほうが無茶ではないか。
「よもやの結果ですな」
そう一言で片付けた美食男爵だが、自ら言ったとおり、試行錯誤があったに違いない。
それこそ、やせるほどの苦労が。
「ですが、それに気づいてからは順調そのものですな。詳しくは後ほど文書で提出いたしますが、品種改良にも成功しておりますぞ」
「例えば?」
「収量が従来の二倍近い品種や、冷害に病気に強い品種などですな」
「……陛下と扱いを話し合わないといけないな」
そんなものを考えなしに広めたら、人口増加や価格低下がとんでもないことになる。
「もちろん、味の改良も進めておりますからな。そうそう、今度、城塞へ届けさせますぞ」
「ははははははは」
「これに懲りたら、ユウトも無茶をやめると良いよ」
ラーシアにとっては他人事。むしろ、ユウトをいじる材料を得られて、この農場の作物のように生き生きとしていた。
「予算が潤沢で助かりましたぞ! まったく、素晴らしい生きがいを与えていただき、感謝してもし尽くせませんな」
「見逃してたか……」
予算の申請があったのが、ちょうど、アカネに領主代理を任せていた間だったようだ。引き継ぎの関係で、見落としていたのだろう。予算を渡したこと自体は問題ないが、用途や進捗を確認しなかったのは失敗だった。
玻璃鉄の板ガラスの生産も順調という報告を受けていたが、もしかすると、それはこの実験農場で買い取ったものなのかも知れない。
そうなると、領内で経済を回しているだけで素直に喜ぶこともできなかった。
しかし、美食男爵の目は次へと向いている。
「早く、南方の野菜も育ててみたいものですな」
ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、コショウ、トウガラシ。例を挙げれば切りはない。
「食べたいの間違いでしょ」
ユウトにできるのは、そう訂正することだけだった。