3.現在の状況(後)
「メインツは、やはり玻璃鉄ですな」
話は、ドワーフたちの里メインツへと移る。
「完全に、軌道に乗っております」
「良かった……。最初は、どうなるかと思ったけどなぁ」
「そうだな。今でも、ユウトの交渉を思い出せるぞ」
「あの頃は若かったなぁ」
もちろん、何年も前の話ではないが、ユウトはしみじみとつぶやく。
秘密主義だったドワーフたちに怒りすら感じ、強引に話を進めてしまった。潔く滅びを待つとでも言いたげな態度も、気にくわなかったのだろう。
結果としては上手くいったのだが、反省すべき点は多い。それが今に生かされているかどうかは、分からないけれど。
「ヴァルがなだめてくれたお陰だな」
「私は、酒を飲んだだけだがな」
そう言って、小さくのどを鳴らす。
妊娠が分かって以来、断酒しているヴァルトルーデ。なければ生きていけないというわけではないが、恋しくなることもあるのだろう。
ユウトは、そんなヴァルトルーデに、申し訳なさと愛おしさを感じる。
思わず抱きしめたくなるが――残念ながら、二人きりではないのでぎりぎり自重した。
「玻璃鉄の需要の中心は宝飾品や芸術品として。武器や防具に細工が施された食器類。それに、調度品など。だが、板ガラスなどの引き合いも増えつつあるとのこと」
くいっとフォックス・タイプの眼鏡を上げながらダァル=ルカッシュが言う。アカネがいたら、歓喜していたことは想像に難くない仕草。
伊達眼鏡なので度は入っていないが、位置が気になったようだ。もしかすると、少しサイズが大きいのかも知れない。
(まさか、自然にくいっとさせるため、大きめのを買ったわけじゃないよな)
ありえない。
ありえないのだが、アカネならありえるとも思ってしまう。
(まあ、深く考えないようにしよう)
可愛らしい動作だった。それで良い。
「ドワーフの職人が、勝手に作ったのが右から左に売れていくという感じかな?」
「ダァル=ルカッシュの主の指摘の通り。板ガラスをのぞけば、ワンオフの工芸品が珍重されている」
ヴァルトルーデの新たな愛剣、熾天騎剣。その鞘もメインツの職人の手による逸品だ。この出来を見れば、売れるのも当然。
「でも、《燈火》の球とかは、そんなでもないんだな」
「そもそも、数が作れない」
手元にある明細を見つつユウトが聞くが、ダァル=ルカッシュの返答はにべもない。
「初等教育院での理術呪文教育が軌道に乗れば、話は変わってくる。ゆえに、一朝一夕にはいかないとダァル=ルカッシュは指摘する」
「それもそうか……」
「だが、初期投資の金貨五千枚は今期で回収できる見込み」
「ミランダ族長からも、基金を設立していざというときのために資金を確保するつもりとの報告を受けております」
「基金? どういうことだ」
領主直々の確認に、クロード老人は背筋を伸ばして答える。
ただ、その内容はなんとも言い難いものだった。
「なんでも、いくら稼いでも、すぐ飲み食いに使ってしまうとのことで」
「……ユウトの理想通りではないのか?」
「身を持ち崩すようじゃ、それはそれで困る」
職人のモチベーションにも直結する部分であり、規制するような問題でもない。当面は、ミランダ族長に任せるしかないだろう。
ユウトに言えることは、限られる。
「でも、基金というのはちょうど良いな。それを運用して、玻璃鉄の次を育成してもらおう」
「次、ですか?」
意外そうに、クロードが問う。
玻璃鉄の産品は好調で、供給が需要に追いついていない。先ほどユウトが見ていた明細にもあるが、領内の商会との取引がほとんどという状況なのだ。そこから、領外へも流れてはいるのだろうが、需要はいくらでもある状態。
今は、資源を集中すべきではないか。
しかし、ユウトの意見は違った。
「こういうのは、衰えてから準備しても遅いから。病気になってから、日頃の生活を改めるようなものかな」
「……もっともですな」
クロードは、大魔術師の知恵に敬服し、自然と頭を垂れた。
イスタス伯爵として一番最初に拝領した領地は、いずれも順調に発展していた。
あれだけの資金を投じれば、誰だって発展させられる。
そんなやっかみも聞こえてきそうだが、海賊を退治し、玻璃鉄の有用さを示したユウトたちの行動力と合わさってのこと。金の力だけで、どうにかしたわけではない。
その意味で、ユウトたちでなければ発展の礎を築くこともできなかったのが、ファルヴの街だろう。
「このファルヴには、目立った産業はない」
「それはそうだな」
ダァル=ルカッシュの前置きに、ユウトはあっさりとうなずいた。せいぜい、馬の育成程度のものだろうが、基本的に馬車鉄道のための牧場なので、売りに出すものでもない。
「しかし、王都からの物資をメインツやハーデントゥルムへ送る中継地となりつつあり、イスタス家に仕える人々とその家族を養う街となっている」
人が集まれば、それだけで商売はできる。
人工の街ファルヴも、消費地として経済を回す一端になっているようだった。
「加えて、外からの訪問者が増えておりますので、宿の増設を計画しているところです」
「観光かぁ」
「観光? 巡礼でしょうな。私が言うのもなんですが、見るべきものがいくらでもありますからな」
「そうか……。まあ、娯楽で旅行をするには、まだ早いか……」
巡礼の旅でも、金を落としてくれることには変わらない。
それに、名所が神に関連しているから巡礼というだけで、実質的に観光と同じだろう。
「旅と言えば温泉だよな。掘ったら、出てこないかな」
それを聞いたヴァルトルーデは、嫌な予感でもしたのか、その美貌を歪ませる。しかし、心配のしすぎかと、言葉に出してはなにも言わなかった。
代わりに、手元の紙に、なにごとか書き付ける。
「とりあえず、ファルヴも順調と」
「そうまとめてしまうと、順調ではない土地は、あまりない」
ケラの森の竜人の里も、順調になじみつつある。アンテナショップだった東方屋も受け入れられつつあり、支店を出す計画もあるという。
味噌・醤油・米・紙の生産も、試作段階は終了し、市場に流せる段階となっている。
「あとは、どの程度受け入れられるかか……」
「私は、米も味噌も醤油も好きだぞ」
「じゃあ、今度、試食イベントでもやろうか。ヴァルが美味しそうに食べていれば、みんなも気になって食べてくれるだろ」
「うっ。や、やってやろうではないか」
葛藤があったようだが、食欲がそれを超克したようだった。和風食材の普及は、もはや約束されたようなものだ。
一方、保留に近い状態になっているのが、クロニカ神王国の一部を租借しているロートニアの街だった。
「あれ? まだ街とか街道の完成には時間がかかると思ってたんだけど」
「それが、クロニカ神王国が担当した分の工事は終わりつつあると報告を受けております」
「え?」
「恐らく、太陽神の探索行を果たした英雄を迎え入れるため、突貫工事をしたものと思われる」
「久々に、ゼネコンになるのか……」
どうやら、ユウトが山を削って馬車鉄道を通すだけという段階らしい。
予定通りではあるが、そうやって迫られるとプレッシャーを感じないではなかった。どれだけ、招待したいというのか。案外、まだファルヴを神都認定することをあきらめていないのかも知れない。
しかし、原油の取引もあり、おろそかにもできない。
「まあ、それはスケジュールを組んでさっさと済ませちゃおう」
「そうしていただけると、ありがたいですな。まだ公表しておりませんが公爵への陞爵に、こちらは近日発表予定ですが、領主様のご懐妊にお世継ぎの誕生と、祭りが控えておりますゆえ」
「……アルシア姐さんとは、ジミ婚にしてよかったなぁ!」
あれで地味とはどうなのかと自分でも思うが、相対的にはそうなるだろう。
こうして、長きに渡る領地経営状態講義は終了した。
大きく伸びをしたユウトは、クロード老人とダァル=ルカッシュに労いの言葉をかけ、ヴァルの下へと移動する。
「そういや、ヴァル。さっきから、なんか書いてたみたいだけど」
「うむ。忘れても良いように、要点をまとめていた」
「忘れる前提なのはどうかと思うけど……え? なんて書いてあるんだ?」
ヴァルトルーデは聞いた話を思い出しながら、手元の紙にメモを残していたという。
それは良い。
しかしだ。
そのメモは、なにが書いてあるのかさっぱり分からなかった。字が汚くて読めないわけではない。文字自体が、理解できないのだ。世界移動に伴い、翻訳の能力を得たユウトでも読めない文字。それは、暗号としか言えなかった。
「うむ。読みのほうは大丈夫だったのだが、しばらく使用しない間に、名前以外の文字の書き方を忘れてしまってな」
「それで、この文字は……」
「自分で作った」
堂々と。そして、誇らしげにヴァルトルーデは言い切った。
ユウトのみならず、退出しようとしていたクロード老人の動きも止まる。
暗号というほど、大したものではない。
ヴァルトルーデのメモを翻訳すれば、以下の通り単純な単語の羅列に過ぎない。
むぎ いっぱい。
ぜいきん いまのまま。
ユウト レンにあまい。ヨナも。
ワーウルフ だいじょうぶ。
ぼうえき いい。
ぜいきん いっぱい。
みなと ふやす。
しかし、ユウトは一周回って感心してしまった。
「天才か……」
文字が憶えられない――忘れてしまった――のなら、自分で分かる文字を作ってしまえばいい。普通は、その考えには思い至らないだろう。
凄いとしか言いようがない。
呆然とする主を、無言で見つめるダァル=ルカッシュ。
その光を反射しない無機質な瞳には――本来あり得ないことなのだが――あきれの感情がこもっていた。