2.現在の状況(中)
「ではまず、基幹となる農村からの税収ですが――」
そう前置きしてから、クロード・レイカーが授業を始める。
当時は王子だったアルサスの推薦を受けて、赴任してから数年。やりがいを感じているためか、年を追うごとに若返っているようにも見える。
同時に、その辣腕振りも勢いを増し、ユウトが不在でも通常業務が滞ることはない。また、親類縁者はもとより自らの子や孫でさえも官吏として採用することのない峻厳なクロードの存在が、綱紀粛正に大きな役割を果たしている。
ユウトのみならず、ヴァルトルーデも信頼し、敬意を払う理由は、そこにもあった。
自然と、ヴァルトルーデの背筋も伸びる。剣を握っているとは思えないほど細く綺麗な手にペンを持ち、聞く態勢に入った。
「今年も、麦の成育状況は順調とのことです」
「そうか。もう、芽吹いている頃だな」
ヴァルトルーデが目をつぶり、実りに思いを馳せる。
一方、ユウトは秋に種をまいて夏に収穫というサイクルにまだ違和感を憶えていた。春の今頃なら、田植えの時期なのではないかと、どうしても思ってしまうのだ。
そのため、オズリック村にいた頃を思い出しているヴァルトルーデの横顔を観察しつつ、そのギャップを埋めようとしていた。
「例年以上の収穫が期待できそうな状況ですな」
「そうか。無理はせずに頑張るよう伝えてくれ」
「それで、見込みとしてはどれくらいに?」
飴はヴァルトルーデに任せ、ユウトは鞭……というわけではないが、冷静に状況把握をする役割を選んだ。
「概ね、金貨四千枚から五千枚の間に収まるものと思われる」
「そんなところか」
よどみなく答えたダァル=ルカッシュの言葉に、ユウトは予想通りとうなずいた。去年と、そこまで変わらない額だ。豊作が期待できるとはいえ、税収がいきなり倍になったりはしない。
「ダァル=ルカッシュの主よ。不足なら、今からでも税率改定も間に合うが?」
「……ユウト」
「いや、必要ないよ。というか、そんな顔をされても困る」
ユウトは、ひらひらと手を振り、あっさりと否定する。感情に合わせて表情を行ったり来たりさせているヴァルトルーデに、含み笑いを漏らしながら。
次元竜の横で直立するクロード老人も、その判断を首肯した。
ただし、全面的にではない。
「加えて、魔法薬を配布した成果か死亡者も少なく、猛獣やゴブリンなどによる被害もほとんどないようですな」
「良いことではないか」
クロードは、満足そうにうなずくヴァルトルーデから、ユウトへと視線を移した。
過去にも、何度か苦言を呈したことがある。領民に優しくするのは良い。だが、度が過ぎてはいないか。言い方は悪いが、もっと搾り取れるはず。
そう視線で問いかけるクロードに、ユウトは苦笑を返した。
「今のところは、そっちの徴税に時間や人手をかけるなら、別のところにリソースを集中したほうが良いと思うんですよね」
「確かに、そのほうが効率的とダァル=ルカッシュも賛成する」
「そうなのか……。なら、いっそ最初の年のように無税にしたらどうだ?」
「それも考えないではなかったけど……」
村々からの税収が全体に占める割合は、微々たるもの。なくてもやっていけると言えば、完全にその通りだ。
しかし、それはお互いのためにならないとユウトは首を振った。
「俺の故郷――地球で、まあ、国は違うんだけどとある実験をした人がいてね」
「どんな実験だ?」
「まあ、ざっくりと説明すると、『人は、二倍の報酬を与えると、二倍の成果を上げるのか』という実験なんだけど」
「それは、当たり前だろう。その分、報酬をもらっているのだからな」
「しかし、そうはならなかった」
ある程度の報酬で満足する者もいれば、余暇のほうが大事だと考える者もいる。
人間は、そう単純ではない。
「なので、無税にしたら、自分たちが食べる分しか作らなくなるかも知れない。そうなったら、ファルヴ、ハーデントゥルム、メインツの人々は飢える」
「クロニカ神王国から買えば……いや、それは駄目だな」
主食を外国に頼る危険性は、ヴァルトルーデにも理解できた。
「結局、今の形が一番良い……のか?」
「最善なんて時と場合によるけどね。変更するとしたら……。豊作になったら、それに応じて取り分を増やすとかのほうが、やる気は出るんじゃないかな」
働いても報酬が増えねば、怠慢につながる。逆に、報酬を与えすぎても仕事をする意味を見失う。
さじ加減が難しいが……そこを上手く設定するのが為政者の仕事なのだろう。
そして、今のところは上手くいっていた。
「それに、豊作になればいざという時の備えにもなるし」
「実際、税として徴収した小麦は、備蓄にも回しておりますからな」
「ただし、魔法薬を与えている分、利潤という意味では圧迫されている」
「当面は、赤字でなければそれで良いよ。レンが儲かってるなら、その分、市場に金貨が出回ってるってことだからね」
魔術師は、常に金欠だ。
確かに、魔法薬や魔法具を作成して売却すれば、庶民が見たこともないような金貨の山を一瞬で手に入れることができる。
しかし、それが消えるのも一瞬。
貴重な書物に呪文の触媒。魔法薬や魔法具の原料に大量の羊皮紙にと、金貨はいつの間にか消えていく。羽が生えて飛んでいくところすら、見られない。結果、資産はあっても保有している現金はわずか。
為政者として、こんなに嬉しい消費者はいない。
「それは、知り合いへのふけんぜんなりえきゆーどーではないのか?」
「ん? ああ、利益誘導か。よく知ってたな」
「ふふん」
得意げに胸を張るヴァルトルーデ。
「まあ、他に魔法薬店でもできたら一度コンペでも開こうか。俺の姉弟子が負けることはないけどね」
今度は、ユウトが胸を張った。
「……相変わらず、レンには甘いな」
「ふふん。甘いのは、レンに対してだけじゃないぜ」
「そうだった……」
「説明を続けると、ダァル=ルカッシュは宣言する」
もうひとつ、重要な事項として、馬車鉄道の敷設があった。
レールの準備が整い、ようやく作業開始。テルティオーネの念願が叶うことになる。あわせて、ヴァイナマリネン魔術学院付属初等教育院も教員の追加採用などで対応するようだ。
「また、出費が増える」
「そうですな。今回もまた、ドラゴンを倒した分、資産が増えましたが……」
「とりあえず、今のままでは不健全だというのは、よく分かったから」
ダァル=ルカッシュとクロードの二人に責められては、ユウトも無下にはできない。
要するに、一次産業からの税収と割合の増加が将来的な課題と言いたいのだ。
「今のところ領内の食糧事情は安定してるんだから、例えば、フォリオ=ファリナへの輸出ができたりすると、収入に占める割合を増やすことも可能だ」
「……言って、どうにかなることなのか?」
「そりゃ無理だろうけど、美食男爵に任せた神聖土の扱いが上手くいってれば……」
昆虫人が使役する巨大なミミズが掘り返した肥沃な土に、神が放った洪水と昆虫人自身が混ざり合って生まれた、それ自体が魔法具とも呼べる奇跡の土。
あまりにも効果があり過ぎて――なにしろ、それ自体を食べても生きていけるほど――逆に使えなかったのだが、方法論が確立すれば、革命が起きる。
「承知した。その扱いは、ダァル=ルカッシュの主に任せるべき」
「そうですな。常識的な範囲でお願いいたしますぞ」
「……それは、美食男爵に言うべきなんじゃないかな」
そのユウトの発言は、もっともではあった。だが、周囲の視線は厳しい。
言葉というのは、なにを言ったかではなく。誰が言ったかが重要だということを、ユウトはしみじみと思い知った。
「次は、ハーデントゥルムかな?」
「はっ」
クロード老人がはつらつとした声で答えながら、次の資料を用意する。
その間、ユウトはちょっとした話題提供と口を開く。
「そういえば、人狼たちに襲われたけど、その後遺症みたいのは、特にないって」
「その後、報告がなかったから大丈夫とは思っていたが、なによりだ。これも、アレーナたちの尽力だな」
「あと、思ってたよりモンスターへの耐性が高いよな」
モンスターの存在が、良くも悪くも身近なのだろう。犠牲を最小限に、しかも迅速に片を付けたことで沈静化した。その点は、評議会の連絡員となったレジーナからの報告でも裏付けを得ている。
レジーナと話していて気づいたのだが、あの事件は、地球で言えば熊が人里に降りてきたという程度の認識のようだ。確かに大事件だが、しっかり“駆除”してくれればパニックが起こったとしても続かないということなのだろう。
「お待たせいたしました」
クロードの一言で、思い浮かべていたレジーナの顔が霧散した。
彼女とは、ヴェルミリオの王都進出の件でも顔を合わせることになる。今は、こちらに集中すべきだろう。
「ファルヴで使用する建築資材やメインツで必要とする鉱石などの貿易が、堅調に推移しております」
「最初は、うちの領内だけで資材を賄うつもりだったけど、最近はそうもいかなくなったからなぁ。しっかり、カバーしてくれるとは、さすがは貿易で栄えた自由都市……といったところかな」
「もはや、現在のハーデントゥルムは自由都市と言えないのではないかと思う」
次元竜が冷静に指摘するが、ユウトは意に介さない。
「自前で防衛するより、俺らの庇護下にあったほうが得だと思ってくれたんなら、喜ぶべきだろ」
「利でついたものは、利で離れるとダァル=ルカッシュは考える」
「なら、利を与え続ければ良いさ。酒だって、美味しい美味しいと飲んでたら、いつのまにか手放せなくなる」
こくりと、ダァル=ルカッシュがうなずいた。ユウトの言葉は、次元竜の趣味と合致したようだ。
「貿易だけではなく、例の……なんでしたか」
「ヴェルミリオ?」
「はっ、失礼いたしました。ヴェルミリオがかなり好調でして、針子として女性の雇用が増えているようですな。また、原材料の取り扱いも同様に」
「ほう……。アカネのおかげだな」
「あと、ヴァルやアルシア姐さんが広告塔として――」
「それは言うな」
ヴァルトルーデが初めて身につけたアカネプロデュースのファッションは、チェックのスカートや女性らしいレースがふんだんに使用されたブラウスに、ベレー帽というガーリーなスタイル。
ユウトは今でも、馬車鉄道の客車で遭遇したときのことを思い出せる。アルシアのタイトなニットのワンピースも同様に。
あの格好で練り歩けば、それは当然売れる。むしろ、住民の服が総て入れ替わっていないのが不思議なぐらいだ。
「このように、まだまだ好況は続いております。恐らく金貨3万枚前後の税収となろうかと」
「金貨3万枚だと!?」
「まあ、そんなところだとは思うけど、ちょっと多いな……」
ヴァルトルーデは、純粋にその額に。ユウトは、そこから導かれる商会が留保する利益の額に表情を変える。
税収だけを見れば確かにかなりの稼ぎだが、諸々の投資額を考えれば赤字。
では、ユウトの心配はどこにあるのか。
ハーデントゥルムへの課税は、評議会に加盟する――つまり、ハーデントゥルムのほぼすべての――商人の利益の3割としている。
税収の2倍以上の金貨が剰余金として眠っていることになるのだ。
「そうだな。港の拡張とか、ロートニアへの出資に協力するよう掛け合ってみようかな」
万一のために残しておきたいと考えるのは人情だが、ユウトとしてはそうも言っていられない。稼いだ分は、しっかり使ってもらわなければ困る。
「それがよろしいでしょうな。ハーデントゥルム周辺は海賊が出ないと、寄港する船も多いようですから」
「それは、良いことを聞いた」
「ダァル=ルカッシュの主が、いい顔をしている」
「次元竜よ、あれはなにか企んでいるというのだ」
そうは言いつつも、そんなユウトの表情が、ヴァルトルーデは嫌いではなかった。