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レベル99冒険者による、はじめての領地経営  作者: 藤崎
Episode 14 女帝の熾火 第一章 再びはじめる領地経営
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1.現在の状況(前)

 今にして思うと、アルシアと二人だけで過ごした時間は、夢のようだった。

 短い新婚旅行――《瞬間移動(テレポート)》でどこへでも行ける彼らにとっては、家から離れれば、即ち旅行だ――を終えたユウトは、そう振り返る。


 ふわふわとして現実感がなく、それでいて優しく幸せな時間。

 たった数日。知り合って過ごした時間に比べたら、取るに足らない長さかも知れない。


 けれど、いくつもの新発見に遭遇し、知らなかった顔に出会った。確かに短いのだろうが、密度の濃い時間でもあった。それに、自分しか知らないアルシアをいくつも見つけた――あるいは、引き出した――という自負もある。


 永遠に続く夢。

 それは、現実のことに違いない。それも、とびきり幸せな現実のことに。


 で、あるならばだ。


「書類が山積みになっている現実は、なんと表現すべきだろうか……」


 職務に復帰したユウトは、溜まりに溜まった仕事の山を前に絶望のうめき声をあげる。それでも、手を止めないのはさすがだ。

 対峙しているのが書類ではなくモンスターの群れで、握っているのがボールペンではなく剣であったなら、叙事詩に残る英雄的行為に違いない。


「それは、悪夢でいいのではないか?」


 執務室で同じようにデスクワークに勤しむヴァルトルーデが、真剣な口調でユウトの独り言に答える。ヘレノニア神に仕えるこの聖堂騎士(パラディン)は、何事に対しても手を抜くということを知らない。


「……俺の心を読んだのか?」


 だが、心のなか――誰にも見せられない現実逃避――を言い当てられ、ユウトはぎょっとした。

 やましいことはなにもないが、顔に出てでもいたとしたら、恥ずかしいにもほどがある。


「そんなことできるはずがないだろう。それは、ユウトの仕事ではないか」

「まあ、そうかな。自主規制してるんだけどね」


 理術呪文には、そしてユウトのレパートリーにも精神操作の呪文はいくつかある。


 例えば、《記憶操作(アムネジア)》。対象の記憶をのぞき、永続的な変更を加えることができる第九階梯の大呪文。他にも、表層思考を読みとる《精神探査(マインド・サーチ)》。瞬間的に、特定の行動を行わせるよう誘導する《誘引(サジェスト)》など。


 いずれも、強力だが精神集中に時間がかかったり、精神的に抵抗すると効果が発揮されなかったりと、万能ではない。


 それでも修得したのは、〝虚無の帳〟(ケイオス・エヴィル)司祭(プリースト)司教(ビショップ)から情報を得るため。

 しかし、絶望の螺旋(レリウーリア)による精神汚染のせいで読みとっても理解できず、そもそも、終盤になると自爆する者がほとんどとなった。精神的あるいは肉体的に死亡されては、強力な呪文も役に立たない。そのため、使うことはおろか、準備することもなくなっていった。


 まるで、誰かから余計な情報を与えたくないと言われているかのようだ。


「それで、進み具合はどうなのだ。少しぐらいなら、私も……」

「いや、見た目ほど大変じゃないから」


 ヴァルトルーデの気遣いをユウトは謝絶する。

 彼女の体調を気遣ってというのが第一だが、断りの言葉も嘘ではない。


 なんであれ、量が積み重ねられたら食傷する。

 ユウトの現実逃避は、蜜月との精神的な落差によるものであり、実務上の問題ではなかった。


 それに、視点を変えてみれば、こうして執務室で仕事ができるということは、平和な証拠でもある。


 ムルグーシュ神との抗争と、それに続く武闘会。そしてヴァルトルーデの妊娠にアカネやアルシアとのあれこれもあり、落ち着いて政務に励むことができるのも久しぶり。

 世界の危機を救い、英雄と覇を競い、人生の一大転機を迎え、ようやく日常を取り戻したのだ。こんなに嬉しいことはない。


(あれ? つまり、平和だったのはヴァルとの結婚式直後の少しだけ?)


 その結婚式自体、当日は悪魔諸侯(デーモンロード)の襲撃を受けたし、分神体(アヴァター)が降臨して大変だった。その前は赤毛の女帝にいろいろとしてやられた。


(え? 俺の人生、波乱万丈すぎ?)


 これでは、平穏無事な日常のほうが、比率的に非日常になってしまう。それは、さすがにないだろう。ないはずだ。ないと思いたい。


 ボールペンを取り落とし、愕然とするユウト。


 そんな夫を心配して、少し離れた自分の執務机からヴァルトルーデが呼びかける。


「ん? どうかしたか、ユウト?」

「……いや。大丈夫。なんでもないよ」

「まさか、書類に不正でも見つけたのではあるまいな」

「それはあり得ないよ。少なくとも、クロードさんの目が黒いうちは……って、この慣用句が通じるのは日本だけか」


 そんなどうでも良い発見を交えつつ、即座に否定する。ヴァルトルーデの心配は、それくらいあり得ないことだった。裏返せば、ユウトの反応が、それくらいあり得ないことだったとも言えるのだが、そこは深く考えないことにした。


「ふむ。そうか。それなら良いのだが」


 ユウトの言葉に嘘は感じられなかったのだろう。

 若干、釈然としないという雰囲気――それでも、美しさは損なわれない――を醸し出しながらも、ヴァルトルーデは自らの仕事に戻る。


 彼女へ回るのは、精査が終わり、確認してサインするだけという生産性の欠片もない書類だけ。

 形式上、領主の最終承認が必要というだけで、真面目に読む必要などない。ほめられた話ではないが、サインすらも側近にすべて任せてしまう領主も決して珍しくはない。


 当初は、ヴァルトルーデもそうだった。ただ、それはあくまでも能力の問題で、意欲の問題ではない。能力の問題をなんとかクリアしてからは、分からないなりに時間をかけて書類を読み込んだうえで、サインをしている。


 非効率だが、そんな真摯なヴァルトルーデをユウトは愛おしいと思う。まさに、人の上に立つべき人間。彼女が真剣だからこそ、下の者もそれに応えるのだ。


 しかし、それもしばらくすれば一時中断となることだろう。そろそろ、領内にも彼女が妊娠したという触れを出すことになっている。そうなれば、さすがに無理はさせられない。


 まだ妊娠初期で体形に大きな変化は見られず、つわりも軽いというよりは絶無で、健啖ぶりは変わらない。体調不良を訴えることも一切なく、むしろ、剣の稽古を制限されて窮屈そうだ。

 このまま十月十日したら神様が赤子を連れてきてくれるのではないかと、半ば本気で信じてしまいそうなほどいつも通り。


 だが、それでもいくつかの変化は存在した。


 スマートでしなやかだが強靱な肢体は、それでいて触れれば柔らかいことをユウトだけは知っている。けれど、最近はそこに女性的な丸みが加わりつつあった。

 全体の調和や絶世の美が崩れないのは美神が手ずから設計したからと言われたら、こちらは完全に本気で信じてしまう。むしろ、そうでないのが不思議なほど。


 動きは、無意識にか腹部を気遣うように変化しているし、純金を太陽で溶かしたような髪も今までで一番長く伸び、色気と大人っぽさが増している。


 いずれも、端から見れば些細な、しかし、ユウトにとっては重要な変化だ。


 精神的にも、不安定になるどころか落ち着いていて、これはアルシアがユウトと結ばれたことと無関係ではないだろう。ユウトを独り占めしているという後ろめたさから解放され、同時に、彼との愛の結晶が宿っている。その安定した精神が、また、ヴァルトルーデの美しさに磨きをかけていた。


 彼女自身そこまで自覚的ではないにしろ、必死に書類を処理していくヴァルトルーデは見ていて飽きない。執務室を一緒にしてどうなるのかと心配したこともあったが、今なら断言できる。


 大成功だったと。





「というわけで、現状報告をするので、しっかりおさらいしてほしい」

「この度、昇爵のご予定ありとのことで、王家へ提出する資料の叩き台でもありますゆえ」


 その日の午後。夕方近くになって、訪問者があった。ユウトの私的な秘書とでも言うべき次元竜(クロノス・ドラゴン)ダァル=ルカッシュと、イスタス侯爵家の実務を取り仕切る書記官クロード・レイカーの二人だ。

 ユウトとヴァルトルーデがようやくノルマを達成したというところだったが、快く受け入れた。


「おさらい……か」


 小さくつぶやきながら、ヴァルトルーデはその意図を考える。


 ユウトが経営状態を把握していないとは思えない。本来なら、不要な報告だ。

 では、なんのために行おうとしているのか。


 定例の報告という可能性も高いが、それだけなら、ユウトにだけすれば良い。


 そうなると、報告の対象は絞られる。家宰ではなく、領主に向けての講義なのだろう。

 公爵になれば、さすがに引きこもりっぱなしと言うわけにもいくまい。つまり、昇爵に伴う社交などの際に恥をかかないよう予習をさせるということか。


 知識はないが聡いヴァルトルーデは、推論を積み重ね真実にたどり着いた。


「俺も場当たり的な対処ばっかりで、最近は俯瞰して見ていないからな。よろしく」


 ユウトはリラックスして、メモを取る様子もない。

 付き合っている……というだけでもないが、やはり、主はヴァルトルーデ。


 正直なところ、頭を酷使しすぎて疲労と空腹を感じている。嫌ではないが、可能なら避けたいというのが偽らざる本音だ。


 しかし、ヴァルトルーデの正義が、それを許さない。胎内で成長している子供にも、顔向けできない。

 ゆえに、最後の力を振り絞り、イスタス侯爵は臣下の言葉に意識を集中する。


(なにかあったら、ユウトに頼ろう。いや、ユウトの側から離れなければ良いだけだな)


 退路をきっちり用意しておくあたり、絵本のなかの英雄ではなく、生きた冒険者ではあったが。

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