プロローグ
お待たせしました。本日から連載再開です。
Episode14 女帝の熾火。前のEpisodeよりは、長くなる予定です。
人は、生まれながらに哲学者なのか。それとも、ある日、哲学者となるのか。
もし後者が正しければ、アルシアが哲学者となったのは、まさに今。目覚めたこの瞬間となるだろう。
起きた瞬間、思考がクリアになっている自分に気がついた。根拠のない万能感に全身が支配され、この世に知らないことなどなにもなく、なにが起こってもすべて許せそうな気がする。
錯覚。いや、確信だ。
この世界に、自らと愛しい人が実在しているという事実。
それにより、自らも影響を受け、構築される。世界は個を内包し、個もまた世界を有している。つまり、同じ世界にいるように見えて、個人個人の世界は異なる。
ならば、そう。自分はなんて幸せな世界に包まれているのだろう。
覚醒した瞬間に、そんな思索を繰り広げたアルシア。
しかし、傍らで眠るユウトの顔を見た瞬間にすべて霧散した。
見慣れぬ部屋。いつもとは違う場所。
ベッドの上。ユウトと二人きり。
名実ともに、夫婦となった。
その実感に、すべてが上書きされる。
空中庭園リムナスで行われた結婚式。
その後、ヴァルトルーデのときと同じく、ハーデントゥルム近郊の温泉宿へと押し込まれた。せっかく、エグザイルが神に頼んで作られた宿も、別荘のような扱いになってしまっている。いずれ、どうにかすべきでは……と、現実逃避しているうちに、二人だけになってしまった。
結婚式を終えた新郎新婦を二人きりにするのは、当然だろう。だが、新郎には他に妻がおり、妊娠までしているのだから、事情は異なる。他に婚約者であるアカネもいるのだから、アルシアが困惑するのも当然。
ユウトも、同じ理由で城塞へ戻ろうとしたのだが――
「アルシア、頑張るのだぞ」
「ヴァル、ちょっとなんで応援しているの? 話が見えないのだけど? どういうことなのかしら!?」
「ユウトも、しっかりとな。アルシアを、私の親友を任せるぞ」
「本人の意思を無視して、委ねないでちょうだい。アカネさんもなにか言って」
「そうよ、ユウト。アルシアさんに恥をかかせちゃ駄目なんだから」
「朱音まで……」
――と、むしろ、身重の妻と婚約者に勧められてしまった。
奈落から帰ったばかりだったという疲れもあり、それ以上の抵抗は放棄。別々に温泉に浸かって仮眠を取り、結果、夜中に起きてしまった。
夜。新郎新婦が二人。特定の話題を避けるように、夜食をとる。
微妙に間が持てない。
そのうえ、中途半端な睡眠や食事で、寝ようと思っても寝られなくなる。
そして――ヴァルトルーデやアカネの。あるいは、ラーシアやエグザイルの思った通りの展開となった。せめて、ヨナの期待通りではないと思いたい。
「その意味が、よく分かったわ……」
後始末を済ませた大きなベッド――ユウトの故郷ではクイーンサイズと呼ぶのだという――で、熟睡していた二人。カーテン越しにでも日差しが降り注いでいるのが分かり、かなり寝坊をしてしまったことが分かる。
愛しい人と一夜をともにし、いつの間にか眠っていたようだ。アルシアにとっては未体験の邂逅だったが、相手となったユウト――今や、彼は自分の夫だ――は、違った。
豊富な知識と経験に裏打ちされた技術。なにより愛に優しく導かれ、神と一体化したトランスに等しい境地に達した。もしかすると、ラーシア――というよりはエリザーベト――に渡したという、秘められし幻想の書も関係しているのかも知れない。
そのときは幸せいっぱいだったのだが、今、冷静に考えると別の感想も湧いてくる。
「ユウトくんは、なんて無茶をしてくれたのかしら……」
悪くはない。決して悪いことではないのだが、完全に身を委ねてしまうのも恐ろしい。この先、どこまで行くのかという不安もある。
ヴァルトルーデから聞いていた話とも、なにか違う。検証のため、一刻も早くアカネともどうにかなってほしいとも思う。
そんなことを考えながら、いつかのように、彼の顔を両手でまさぐっていた。始めたのは無意識だ。だが、意識しても、やめようとはしない。
アルシアと同じ黒い髪。元からなのか、それとも手入れをきちんとしているのか。さらさらといい手触りだ。
手は耳から、頬。鼻やまぶたを通過し、唇に至る。
(昨日は、ここで……)
柔らかく潤ったそこを撫でながら回想を始めた瞬間、アルシアは異変に気づいた。
今はダークブラウンの瞳をさらしているが、真紅の眼帯がなくとも気配には敏感。
「ユウトくん、起きているわね?」
「…………」
「ユウトくん?」
「……そんなにされたら、起きるんじゃないかなぁ」
あっさりと観念して目を開けたユウトが身を起こす。
引き締まった上半身を堂々とさらし、意外とたくましい体をほぐすように背をそらした。
「あー。今、何時だろ?」
「お疲れね」
「でも、心地よい疲労って感じかな」
「……まったく。昨日のことといい、ずるいのだから」
「いや、なんか良さそうな感じがしたので」
「初心者相手になにをするのよ」
求められるのは嬉しい。嬉しいが、どうにも複雑だ。
だから、枕を叩いて抗議する。
抗議というには可愛らしい仕草に、ユウトは笑顔を浮かべていたが。
そして、その笑顔がラーシアにも似た、意地悪なものへと変わる。
「つまり、経験を積めば多少の無理は許されると」
「まあ、そうね……」
初心者相手に無茶をしてはいけない。
熟練者なら、多少無茶な真似をしても大丈夫。
間違ってはいない……はずだ。
「そして、経験を積むつもりもあると」
「そう……なるのかしらね」
いつの間にか言質が取られていた。
ユウトが、そんな迫り方をするのはよっぽどのこと。それが、嬉しくないと言えば、嘘になる。
それに、ヴァルトルーデが妊娠している以上、ユウトを受け止める人間が必要なのは確か。いや、ユウトだって見境のない獣ではないし、自分も、そういう義務感で受け入れたわけではないのだが……。
「でも、無計画なのは駄目よ。ヴァルがユウトくんの子供を産むまでは……ね?」
妊婦が妊婦を診察して、お産を助けるなどあり得ない。
そう自制を促したつもりだったが、困ったような表情と、濡れた瞳で言っても逆効果。そのことに、アルシアは気づかない。というより、想像もしていない。
「とりあえず、休みはあと二日もらえるみたいだよ」
「本当に、休んでいいのかしら?」
「だ、大丈夫だもん」
仕事が溜まっていることは、ユウトの反応を見るまでもなく分かる。
致命的ではないにせよ、それでも一緒にいたいと思ってくれているのは、アルシア自身、思った以上に嬉しかった。意識して引き締めていないと、勝手に頬がゆるんでしまうほどに。
しかし、無計画なのはいけないと言った手前、流されてはいけない。
それに、ユウトがパーティの司令塔だとしたら、アルシアは舵取り役。しっかりと根付いたストッパーの精神により、なんとか踏みとどまる。
「そういえば、私たちの指輪には、どんな呪文を込めるつもり?」
「……考えてなかったというか、考える暇もなかったなぁ」
露骨な話題の変更。
ベッドの上で――しかも、お互い半裸で――する話ではないかも知れないが、ユウトは素直に乗った。彼にとっても、関心事だったのだろう。
「アルシア姐さんの指輪に込めるとしたら、《時間停止》か《魔力解体》かなぁ」
「……強力ではあるけど、普段使いというわけにはいかないわね」
「確かに」
切り札と考えれば良いのかも知れないが、せっかくの結婚指輪だ。伝家の宝刀といっても、宝の持ち腐れになってはもったいない。
「となると、《瞬間移動》のほうが実用的かな。往復はできないのが、ややネックになるけど……」
「《瞬間移動》となると、狙って使えるかが不安ね」
「ああ……。確かに、俺もそうだったけど、慣れないと目標の場所からずれたりするしな。こればっかりは、練習あるのみ」
「そう言うけれど、ユウトくんはそこまで失敗はしていないじゃない? フォリオ=ファリナへ初めて行ったときも、ちゃんと宿に移動できたじゃない」
「あのときは、ヴァルやヨナに良いところ見せるために、集中したから」
「私は?」
「アルシア姐さんになら、格好悪いところを見せても幻滅はされないだろうし。むしろ、慰めてくれそう」
「そう言ってもらえると、嬉しいわ」
「ストレートに言われると照れるなぁ。ところで、俺の指輪には?」
「そうね……」
顎に長く綺麗な指を当てながら、アルシアがしばし考え込む。
「やっぱり、怪我や病気を癒す呪文が良いのではないかしら。今後、なにがあるか分からないもの」
「ヴェルガみたいなことは、そうそう起きないと思うんだけど」
「起きたら困るでしょう?」
ユウトと違い、アルシアは保険にするつもりのようだった。
「まあ、もう少し考えようか」
「そうね」
とりあえず、保留ということで話がまとまる。
元々、話をそらすためのものだし、喫緊の議題でもない。
一段落したところで、ベッドから出よう。
そう企図したアルシアだったが、意外に強い力で肩をつかまれ引き留められる。
「アルシア姐さん」
「ユウト……くん」
「呪文を決める前に、有効化しないと」
「昨日、散々したでしょう?」
「毎日やらないと、でしょ?」
「うんっ、もう……」
微かな抵抗は、あっさりと打ち破られる。いや、元々、拒絶などしていなかったのだ。
吐息が混じり合い、隙間がなくなり、そして二人は、しっかりと『心を通わせ』た。
10/30に書籍版4巻が発売になりました。
そのあとがきのようなものを活動報告にアップしてますので、よろしければどうぞ。