エピローグ
彼らの指輪へ呪文を込め合う前に、『心を通わせ』ていたユウトとアルシア。
アルシアの両親と邂逅を果たした空間と外とは時間の進みが違ったようで、気づけば朝になっていたが気にした様子もない。
永遠に続くのではないかと思われた口づけは、しかし、天からの声で中断させられた。
「アルシア! ユウト!」
上空から急降下してきたアルビノの少女の声を聞き、ぱっと距離を取る二人。今さらではあるが、ヨナの声が耳に入らないほど末期ではなかった。そこにまず、ほっと胸をなで下ろす。
「どうした? なんかあったのか?」
「そうね。いつもは、なかなか起きてこないのに」
見られていたのは確実であろう。
にもかかわらず、そんなことなどおくびにも出さない。冷静な大人の態度で、ユウトとアルシアが問いかける。
「ん~~」
しかし、ヨナは答えない。
まず、地上に降り立った勢いでアルシアへと抱きつき、顔をぐりぐりと押しつけていく。
「どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
まさに慈母の微笑みでヨナの髪を撫でるアルシア。
保護者として当然のことと思っていたアルシアだったが、ユウトの視線に気づいて表情が凍り付く。
「大丈夫。さっきのアルシア姐さんみたいだなんて思ってないから」
「言ってしまったら、同じことじゃない」
泣きじゃくって抱きついていたのと同じ。
いや、ヨナは泣いていない分、負けているのか。
だが、ヨナはそんな葛藤などお構いなし。
「ユウトーー!」
満足したのか、混乱するアルシアから離れたヨナが、今度はユウトの足に飛びつき、そこから這うように肩までよじ登っていった。
バランスを崩しかけるが、なんとか踏みとどまる。
「ユウト、アルシア。つきあって!」
「よし。話の脈絡を勉強しようか」
「勉強と言えば、ヨナ、学校はどうしたの?」
「お休み」
「サボリかよ!」
「大丈夫。ヴァルトルーデのお墨付き」
益々、訳が分からなくなった。
けれど、そんな大人の事情など関係ないと、一冊のノートを取り出した。
「ヨナ、それは……」
「ユウトにやってもらうことノート」
「やってもらいたいじゃないんだ……」
希望ではなく、いつの間にか確定していた。
確かに、ヨナが自重を憶えたら、願い事を叶えるという話をした記憶がある。
「最近、いい子にしてた」
「まあ、そうかな……?」
「最近、放置されてた」
「う。まあ、そうだな……」
それを言われると弱い。
むしろ、最初からヨナのわがままには弱い。
それを、ユウト以外の全員が知っていた。
案の定、要求に負け陥落する。アルシアも、仕方がないわねと笑っていた。
「分かった。どこに行くんだよ」
「狩り」
単純明快。
誤解のしようのない簡潔さで、ヨナが希望を伝えた。
「生きてファルヴに戻ってこられるとは思わなかったな……」
「大げさですよ、ユウトくん。命の危機なんて、二度か三度ぐらいしか感じなかったではないの」
一般的には、一生に一度あるかないかだろう。
そんなことを言い出す時点で、アルシアも相当追いつめられているようだ。
あのまますぐに出発したためユウトは呪文を補充できず、そもそも、パーティの盾となる戦士たちも不在。そんな状態でも、ただのモンスターであれば問題はなかった。
事実、最初の狩りは大過なく終了したのだ。
「まさか、ヨナがキープしていたドラゴンの巣が奈落につながっているとは思ってもみなかったわね」
「しかも、ブルーワーズへ侵攻を開始する直前だったなんて。運が良かったのか悪かったのか」
そう。ユウト、アルシア、ヨナの三人は、奈落で魔竜と死闘を繰り広げ、ようやくファルヴへ帰還を果たしたのだ。
と言っても、丸一日しか経過はしていないのだが。
「やりすぎた」
「まあ、終わりよければすべてよしだ。いい加減、家に帰ろうぜ。仕事も残ってるだろうし」
「まだ、終わってない」
「……どこへ連れていくつもりなのかしら?」
これ以上のわがままは許さない。
真紅の眼帯をつけたアルシアが低い声で言うと、ヨナがびくりと反応する。
それでも、ヨナは引かなかった。
「上」
「上?」
「そう。結婚式場が来る」
ブルーワーズの空を周遊し、数多の伝承・伝説を生み出した空中庭園リムナス。
現在は赤火竜パーラ・ヴェントが居城であるそこに、バージンロードが敷かれていた。
季節を超越した多彩な花々の間を、花嫁がしずしずと歩いている。
その光景は、絵に描いたような理想の結婚式。
言うまでもなく、純白のウェディング・ドレスを身にまとったアルシアだった。当初は困惑していた彼女も、覚悟が決まったのか、神妙な面もち。
それが、神秘的とすら思える雰囲気を醸し出すに至っていた。
祭壇で二人目の花嫁を待ち受けるユウトも、まるで戦闘中のように。いや、どんな相手との戦いよりも真剣そのものだった。
この式が完全にサプライズで、ヨナの行動が趣味と実益を兼ねた時間稼ぎだったとしても、それは変わらない。
そう。疲労の極みにあった新郎新婦は空中庭園へと連れ込まれ、大切な人たちが企画した結婚式へ身を投じていた。
「神々の祝福も良いが、人の力も見せつけねばな」
「というか、ヴァルがお祝いしたかっただけよね」
「それもある」
ヴァルトルーデとアカネにこう言われては、抵抗もできない。
それに、アルシアへプロポーズすると伝えてから、準備を始めたらしい。否、準備は前々から秘密裏に進められており、本格化させたと言うべきか。
とにかく、ユウトの衣装はアルシアが最終調整した黒竜衣。そのアルシアのウェディング・ドレスは、ヴァルトルーデのを手直しした物だった。
大きさがいろいろと違うはずだが、どうやって仕立て直したのかは……謎のままにしたほうがいいだろう。
(しかし、急なのに、よく集まったもんだ)
バージンロードの左右には、親しい人たちが並んでいる。
アカネ、ヨナ、ラーシア、エグザイルは当然。それに、リトナとスアルムもいる。
ファルヴの城塞からは、カグラ、クロード、ダァル=ルカッシュ。加えて、レジーナにペトラとレン。会場を提供したパーラ・ヴェントは、奥に引きこもってしまった。もしかすると、結婚自体に思うところがあるのかも知れない。
そして、当然のようにテルティオーネやヴァイナマリネンの姿もあった。
しかし、残念ながら、ユウトの両親や真名などは不参加。というよりは、ユウト抜きでは呼べなかったというほうが正しい。
これに関しては――
「まあ、披露宴は別にやればいいでしょ」
――と、アカネが不吉なコメントを残していた。
そんな思考は、列席者が一斉に拍手を始めることで駆逐された。祭壇で待つユウトの下へ、アルシアがしずしずと近づいてくる。
洞窟真珠の結婚指輪と同じく、純白で、汚れなき花嫁衣装。
だが、今回も、花嫁を引き立てる存在になってしまったようだ。
アルシアのイメージからは、やや遠い位置にあるウェディング・ドレスだったが、彼女の美しい黒髪とのコントラストが息を飲むほど美しい。
花婿に花嫁を引き渡す父親役は、ヴァルトルーデのときと同じくゼインが務めているが、ユウトは彼の射殺すような視線に気づかない。
それほどに、ヴェールをかぶった花嫁に釘付けだった。
あまり頭が働かない状態ではあったが、結婚式を取り仕切る司祭に負けず劣らず、花嫁が綺麗だということは分かる。
ユウトにとっては永遠にも等しい時間が経過した後、アルシアの歩みと拍手が止まった。
新郎新婦が集い、式が始まる。
「天上に住まう諸神格よ、心あらば、我が声を聞き届け給え」
朗々と歌うような声が空中庭園に響きわたる。
恐らく、世界で最も高い位置で執り行われる結婚式だろうが、そうでなくとも司祭――ヴァルトルーデの奏上は、天へ届いたことだろう。
「我が夫ユウト・アマクサ並びに我が友アルシアは、新たに夫婦として契りを結び、永久の愛をここに誓うものである」
この場にいる、ユウト、アルシア、ヴァルトルーデ。一言では言い表せない関係の三人。
しかし、だからこそ、身重だろうとなんだろうと、ヴァルトルーデはここに立たねばならなかった。
「彼と彼女は、神々を崇拝し、忘恩の徒となることなく、助け合い、子々孫々まで家門の繁栄を図るものである」
以前、自らの結婚式でアルシアが読み上げた祝詞を、そのまま読み上げていく。
司祭としては当然だが、ヴァルトルーデが暗記をしたというそれだけで、彼女の意気込みが分かった。
「また、此度結ぶ契りは神々も導き授けた縁であり、容易ならざるときも、意に沿わぬときも堪え忍び、今日より末永くともに生きることを固く約束するものなり」
その苦労を思い、横に立つアルシアから感動の気配が伝わってくる。
(アルシアらしい。いや、俺たちらしいか?)
表情は引き締めたまま、内心でだけユウトは笑う。
だが、いつまでもそうしていられない。
次は、ユウトの番だ。
「婚姻の儀式を行う我らは、愛し、尊重し、助け合い、終生変わらずともに生きていくことをここに誓うものである。願わくば、我らの前途に祝福を与えられんことを」
これも、ヴァルトルーデとの結婚式で誓った言葉。
ただ、『婚姻の儀式を行う我ら二人』ではなく、『婚姻の儀式を行う我ら』に変えた。
小さなこだわり。
だが、必要なことだ。
それを理解してかヴァルトルーデが、ほんのわずか相好を崩した。
「神々は、彼らの誓いを聞き届けられた。それを永遠とするため、証を示すべし」
結婚指輪は、既にお互いの指にある。
ゆえに、二人は向き合った。
「アルシア」
「ユウト」
大切な人の名を呼び、ユウトはヴェールを上げた。
視界に飛び込んできた、ダークブラウンの瞳。それを見て、ユウトは頭が真っ白になった。
それを感動と呼ぶには軽すぎた。達成感と表現するのは無粋すぎる。
残ったのは、たったひとつの衝動。
今までで一番荒々しく、新郎は新婦の唇を奪った。
「くぅんっ」
「はぁっ……」
誓いの口づけ――の名を借りたなにかは、たっぷり一分以上。皆があきれを通り越して、心配するほど続いた。
そして、結婚式は――まだ終わらない。
最後に、以前にはなかった趣向が用意されていた。
アルシアが、空中庭園リムナスの花で作ったブーケを手にし未婚の参列者たちに背中を向ける。
「これで良いのかしら?」
「遠慮せず、やればいいよ」
アルシアもユウトも作法など知らない。
だから、言われた通りにした。
「いくわよ」
その声とともに、ブーケが青空へと飛んでいく。
未来が無限大であるのと同じく、その行く先は誰にも分からない。
(でも、案外、幸せに行き着くものかも知れないわね)
背後の悲鳴と嬌声を聞きながら、アルシアは艶やかに微笑んだ。
これにて、Episode13終了です。
感想・評価などいただけましたら、作者が喜びます。
また、いつものように、プロット作成などでしばしお時間をいただきます。
10/30に恒例の書籍版発売記念短編を更新(たぶん、ヴェルガ様が出ます)、
11月2日(月)から本編再開の予定です。
それでは、書籍版ともども、これからもよろしくお願いいたします。