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レベル99冒険者による、はじめての領地経営  作者: 藤崎
Episode 13 花嫁に捧ぐ夜想曲 第三章 アルシアの決意
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8.ふたつの指輪

「逝ってしまったわね……」

「立派だったよ」


 なおも両親が消えた虚空を見つめ続けるアルシア。

 ユウトは、妻となったばかりの彼女を、自分の胸に顔を押しつけるように抱きしめる。普段なら緊張をもたらしただろう、温もりも膨らみも柔らかさも意識の外。

 ただ、そうしなければならないという焦りにも似た感情に突き動かされ、アルシアをぎゅっと抱きしめた。


「もう、俺しか見てないから」

「ユウト……くん……」

「だから、我慢しなくてもいいよ」

「ユウ……ト」


 アルシアの表情が、戸惑いから理解に変わる。

 彼の言わんとするところが、理解できた。その瞬間、端正な相貌が歪んだ。


「あっ、ああああああ――」


 堰を切ったように、感情があふれ出す。

 瞳に涙を溜めて、こぼれ落ちないようにしていたのに。せっかく我慢していたのにと、アルシアはユウトへ八つ当たりにも似た感情を抱いてしまう。


 それは、甘えだ。

 ユウトに甘えてしまう。そんなこと、誰にもしたことがないのに。


「お父さんもお母さんも、とっくに死んだ人で。何年も会っていなくて。記憶だって朧気で。今さら、悲しんだって思って」

「悲しみに理由なんかいらないよ」


 優しく、慈しみを込めて。

 せめて、気持ちだけでも伝わるように頭を髪を撫でていく。


 アルシアは、自分からユウトの胸に額を強く押し当て、彼の服を強く掴む。


「泣いていい。泣いてもいいんだよ、アルシア」

「ああああっ、あああああ――」


 身も世もない号泣。

 こんなアルシアを見るのは初めてだ。正直、戸惑いがないとは言えない。


 だが、同時に、この場に居合わせたのが自分で良かったとも思う。


 ユウトとアルシアは、信頼から関係が始まった。

 もしかすると、自分自身よりも大切に思っているヴァルトルーデとも違う。

 友人であると同時に、好敵手にも似たアカネとも違う。

 保護者と被保護者であるヨナとも、もちろん違う。


 対等な関係だったからこそ、遠慮せず、意地を張らず、みっともない姿だってさらすことができる。


「偉かったね、アルシア。お義父さんとお義母さんに心配をかけないよう、我慢してたんだろう? 二人とも、安心して逝けたと思うよ」


 返事はない。

 ただ泣き声だけが、二人きりの黒い空間に木霊する。


 今は悲しくても、アルシアは絶対に立ち直る。

 だから、せめて今だけでも、泣いてほしかった。


 そのまま、どれくらい過ぎただろう。


 相変わらず、ユウトはアルシアの背中を撫で続けていたが、泣き声は徐々に小さくなっていった。

 しかし、嗚咽が止まっても、アルシアはそのまま動こうとしない。結局、ひとつになっていた二人がふたつに分かれたのは、10分以上が過ぎてからのことだった。


 ユウトからハンカチを受け取り――ユウトは、毎朝用意してくれているアカネに改めて感謝する――アルシアは、泣き笑いの表情を浮かべながら涙を拭った。


「服が未完成で良かったわ。ユウトくんに着てもらってたら、涙で汚すところだったわね」

「俺としては、それでも良かったけど……。まあ、遠慮なく泣いてもらえるほうがいいか」

「嫌だわ、本当に。今日は泣いてばかり。泣きすぎると、頭が痛くなるのね」

「今日か。外に出たら、明日になっていたとかでも、驚かないけどね」

「それは、別の意味で頭が痛くなるわ」


 自分で言って、普通にありえるなと気づく。

 むしろ、この後、なにもないほうが不気味だ。


「よくぞ、役目を果たしたのじゃ」


 噂をすれば影――というわけではないだろうが。

 そんなユウトの予想――断じて、期待ではない――通りに、漆黒のトーガを身にまとった死と魔術の女神が降臨する。同時に、空虚だった空間に妙なる調べが流れ、どこから現れたのか、色とりどりの花々が周囲を埋め尽くした。


「辛い役であっただろうが、こればかりは余人に任せられぬこと。許すのじゃ」

「滅相もありません。深く御礼申し上げます」


 その場にひざまずき、神へ感謝を捧げるアルシア。

 ユウトも、そこまで大げさにはしないが、しっかり礼を尽くす。


「私からも御礼を申し上げます。門出にふさわしい役目を与えていただき、感謝に堪えません」

「ならば良し!」


 満足そうに、黒髪の少女――トラス・シンク神はうなずいた。


「悲しみを乗り越えることができると、信じておったのじゃ。此方も嬉しく思うぞ」

「もったいない、お言葉です」


 過去を披露し、親子の別れをお膳立てした死と魔術の女神。

 それも、愛娘と呼んではばからないアルシアのため。ムルグーシュ神も駆逐された今、遠慮は無用だ。


(――と、思っているはず。さて、なにが飛び出すか……)


 義父や義母、それに生贄にされた子供たちの魂を保護し、アルシアに大きな物を与えてくれた。

 その行いは、まさに神と呼ぶにふさわしい。力ではなく、その精神こそほめたたえられるべき。


 それは素晴らしい。


 だが、それで終わらないことを、ユウトは知っていた。


 ――経験で。


「さて」


 関係者を集めた名探偵のように、トラス・シンク神が一言発した。

 ユウトだけでなく、アルシアも身を震わせる。


 なにが飛び出すか。


 人と神の中間に位置する二人でも、この場は黙って待つしかない。


「ついに、此方が愛娘と愛しき御方の眷属が結ばれることとなり、感無量である」

「あの……」

「問答は無用なのじゃ」


 ゼラス神の眷属になった記憶はない――という抗議は、ユウトにとっては正当なものであったが、しかし、トラス・シンク神の一睨みで雲散霧消する。

 

(納得いかねぇ……)


 けれど、これが現実。

 そして、死と魔術の女神に言わせれば、それは本質ではない。


「ゆえに、祝福を与えようぞ」

「喜んでお受けいたします」

「……お受けいたします」


 アルシアに、断るという選択肢は端から存在しない。

 それは、ユウトにとっても同じ。正直なところ、言葉で祝福してくれるだけで充分。気持ちだけで、それ以上はなにもいらないのだが……。


 実は、その敬いながらも伏さぬ態度こそ、力ある者に好かれる要因であることには、気づいていなかった。


「左手を」

「はい……」


 信仰する神の言葉に従い、なんの疑問も抱かずに手を差し出す。


「不変なる洞窟真珠(ケイブ・パール)。それを婚姻の証とするは、実に乙女心をくすぐる仕儀なれど……」


 アルシアの手を取り、ユウトが贈った結婚指輪を指で撫でながら、トラス・シンク神が言葉を続ける。


「本来、結婚指輪は一対であろう。まさに、片手落ちじゃな」

「あっ」


 本当に気づいていなかったわけではない。だが、感情感知の指輪の代わりにという意識があったのと、ひとつ作るのも困難だったという理由で、アルシアへと贈った。

 いや、それも一面の事実でしかない。


 結局のところ、ひとつ完成したら歯止めが利かなくなっただけなのだ。


「なれば、此方が祝福をもって、その代わりとするが良いのじゃ」


 指輪に触れていた手を離し、瞑目。

 一見して分かるほど――あるいはユウトたちも神力を得たためか――トラス・シンク神の神力が増していく。


「《魔術師の加護(アクシス)》」


 そして、秘跡(サクラメント)が解き放たれる。

 同時に、莫大な力――神力か魔力かも判然としない――が、洞窟真珠の指輪へと注がれていく。途中で指輪が崩壊せずに済んだのは、不変の性質に加え、ユウトが手ずから加工したためだろう。


 ゆえに、もうひとつの秘跡にも耐えられた。


「《恋人たちの絆(エルス)》」


 それは、ユウトでも理解できない秘跡。

 果たして、どのような加護を与えたのか。


 しばらくして力の奔流が収まると、アルシアの薬指から洞窟真珠の指輪は消え失せ、代わりに、手のなかに指輪がふたつ出現した。

 奇跡というよりは手品のよう。


 しかし、それは寸分違わず同じ指輪であり、秘宝具(アーティファクト)にも匹敵する力を秘めているとなれば、やはり、奇跡の産物であろう。


「アルシア」


 ユウトが名を呼ぶと、アルシアはトラス・シンク神へと目礼し、彼に指輪をひとつ手渡した。


「一日に二回もで、やり直しみたいになっちゃったけど……」

「何度でも良いのよ。相手が、ユウトくんならね」


 その言葉に後押しされ、再び愛する人の左手の薬指に指輪をはめる。


「ユウトくん……いえ、ユウト」


 お返しとばかりに、アルシアもユウトの手を取って指輪をそっとはめた。

 ヴァルトルーデとの結婚指輪と、しっかり共存している。


「ふふっ。なんだか、恥ずかしいわね」

「うん。照れるね」


 視線は気にしないようにしていたが、神前での指輪交換だと考えると勝手に顔が赤くなってしまう。


「うむうむ。此方が前で愛を誓ったからには、それを永遠とするべくお互い努力するんじゃぞ」

「永遠の愛を保証するとかじゃないんですね」

「此方に保証を求めるよりも、お互いを気にかけたほうが成就する可能性は高かろうぞ」


 天は自ら助くる者を助くということか。

 神から言われると、妙に説得力がある。


 だが、そう言うからには、単純に洞窟真珠の指輪を増殖させただけのようだ。ユウトは、ほっと一安心――とは、いかなかった。


「ところで、その指輪には、呪文を込めることができるのじゃ」

「ああ……。そう来ましたか」


 似たような魔法具(マジック・アイテム)はいくつかある。以前、ペトラに渡した槍もそうだった。

 なにもないはずがないのだし、その程度であればまったく問題はない。


 そう思っていた。


「ただし、自らの指輪に呪文を込められるのは配偶者のみ。発動は一日に一度しかできぬが、翌日に有効化すれば込め直さずに再使用可能じゃ」

「それは……」

「ひとつの呪文しか込められぬが、やり直せば新しい呪文に上書きもできるぞ。もちろん、階梯の制限もないのじゃ」

「マジか……」


 秘宝具。いや、神の手による聖遺物(レリック)か。どちらにしろ、魔法具の域を越えた存在には違いない。

 限定的とはいえ、アルシアが《瞬間移動(テレポート)》や《時間停止(クロノス・アイズ)》を。ユウトが《奇跡(テウルギィ)》を発動できるということ。


 ただし、強力であるがゆえに、落とし穴も存在した。


「我が神よ、ところで有効化とは……?」


 アルシアが、おずおずと疑問を投げかける。


「ふふふふふ」

「あ、嫌な予感が」

「それは、指輪の所有者同士が心を通わすことじゃ」

「心を……」

「通わす……」


 いきなり、無理難題が降ってきた。

 心を通わす前に、ユウトとアルシアは顔を見合わせる。


「やりようはいくらでもあろうが、まずは唇でも重ねるのがよかろうなのじゃ!」

「それをやらせたかっただけだろ!」

「此方が愛娘が、ヘレノニアの聖堂騎士(パラディン)に負けっぱなしではいかぬであろ」

「余計なお世話過ぎる!」

「返品は受け付けぬゆえにな。では、そろそろ戻るが良かろう」


 指輪の交換を見届けたトラス・シンク神が、一方的に言い放つ。

 文句を言う間もあらばこそ。

 死者の魂と対面した黒い空間が歪み、伸び、縮み、崩壊した。


 なお、この指輪は後に、リング・オブ・アークメイジ・アンド・パトリアーチ――『大魔術師と大司教の指輪』と呼ばれることになるのだが、その所有者は、単純に「俺とアルシア姐さんの指輪」もしくは「私とユウトくんの指輪」と呼んでいた。





 予想通りというべきか。霊廟を出た二人が目にしたのは、夜明けの光景。


「大変な目にあった……」

「そうね……。でも、楽しかったわよ」

「そうだね。一生に一回ぐらいなら、こういうのも良いか」


 徐々に昇る太陽の下、眩い光に照らされたアルシアは、本当に綺麗で、まぶしくて。

 理性の制御を離れて、つい、思っていたことをそのまま口にしてしまう。


「ずっと、一緒にいよう」

「嫌だと言っても、離さないわよ。前にも、言ったでしょう?」


 ほほえみを交わす二人。

 距離が徐々に近づき、すぐゼロになる。


 瞳にはお互いの姿。

 耳朶を震わす熱い吐息。

 触れあう、柔らかな唇。

 鼻孔をくすぐる甘い香り。

 そして、存在を口内でも味わう。


 五感のすべてでお互いを感じ、二人は永遠を誓った。

次回(明日)エピローグを更新して、Episode13終了です。

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