1.あなたのための贈り物(前)
世界転移して以来、ユウトは、ずっと高校の制服を着用している。最初はそれしかなかったし、余裕ができてからも、制服よりも品質の良い服はブルーワーズにはなかった。
その意味では、止むを得ない選択だったと言える。
同じ服を着続けていることに問題を憶えないわけではなかったが、適宜《物品修理》の呪文を使用しているので清潔ではあるし、破れても元通りになるのだから大丈夫だ。
――と、少なくともユウトは思っている。
この詰め襟と魔法具のローブの組み合わせは、今ではトレードマークになっており、プライベートもフォーマルも、これで通していた。制服は冠婚葬祭に使えるという日本の常識で一点突破した結果である。
とはいえ、当たり前だが、この一着しか持っていないわけではない。
ヴァルトルーデとの結婚式で着たスーツもあるし、地球との行き来ができるようになってからは、部屋着を持ち込んでいる。
ユウト自身は与り知らぬことだが、不思議なことに、そのうちの何着かがアルシアの手元にあった。
「やっぱり、手縫いで同じようにはいかないわね……」
ユウトが置いていったパジャマを胸に抱き、じっと襟元を観察するアルシア。縫製はしっかりしているし、生地の肌触りも良い。これが、一般的な市販品とは考えられないことだった。
驚異を抱きつつも、真剣な表情を浮かべたまま、アルシアの視線がパジャマの肩から脇へと移動していく。
ファルヴのトラス=シンク神殿内に設けられたアルシアの執務室には、幸いにして他の人影はない。もし他の人間がいたならば、死と魔術の女神の愛娘がフェティシズムに目覚めてしまったのかと誤解されかねない光景だった。
もちろん、完全な誤解だ。
ユウトの服を観察しているのは作業の参考にするため。抱き寄せるようにしているのも、視力が悪いからではなく、目で見るという行為に慣れないので、つい近くに持ってきてしまうだけ。
他意はない。
手にしていたパジャマを机の脇に置き、作りかけの衣服を手にしたのが、その証拠だ。
「間に合うと良いのだけど……」
未完成なためフォルムは想像するしかないが、一見すると軍服に近い上衣で、丈は腰の下の辺りまでありそうだった。つまり、ユウトの学生服にも似ているということになるだろう。
諸国への挨拶をアカネに任せてまで行わなければならなかった、アルシアの用事。
それは、ユウトへ贈る服を手作りすることだった。
といっても、さすがにすべての作業をアルシアが受け持っているわけではない。
デザインと型紙の作成は、アカネを通してアルサス王の結婚衣装で実績のあるヴェルミリオへ依頼。
ドラゴン・ゴーレムを作成するために訪れた竜細工師のウルダンとドラヴァエルたちには、それぞれドラゴンの革に、針と糸を融通してくれるよう頼んだ。
当然代価は支払ったが、皆、快く応じてくれた。
目指したのは、世界に一着だけの服。
構想を聞いたときに、アカネが「裸の王様が欲しがりそうな服ね」と言っていたことを思い出す。まあ、裸であれば、どんな服でも欲しがるだろう。
裸の王様ということは、恐らく玉座を追われた身だ。再起を図るためにも、素晴らしい一着を求めるのは当然。
「さて、もう一頑張りしましょう」
誰へともなくそう言って、アルシアは気合いを入れ直す。
ウルダンが用意してくれたのは、見事な黒竜の革。薄手だが、軽く、丈夫で動きを阻害することはない。
また、光沢があり息を飲むほど美しい素材でありながら、詳しく鑑定でもしない限りそれが革だと見抜くのは困難だ。未知の美しい布地にしか見えないだろう。
武器や防具以外にもドラゴンの革の用途を広げる。
ユウトの提案を受けて、ウルダンが研究した成果の一端だった。
しかし、それを縫製するのは物理的にも難しい。
ゆえに、ドラヴァエルに頼んでアダマンティンの縫い針と、魔法銀の糸を購入したのだ。といっても、対価は金銭ではなく酒による物々交換。むしろ、作りたがるドラヴァエルたちを制止するほうが大変だった。
物質の硬度をある程度無視するアダマンティンの針であれば、ドラゴンの革も貫くことができる。その作戦は成功した。
また、ツバサ号の帆にもなっている魔法銀の繊維は丈夫で、この服にふさわしい素材だった。
足りないのは、それを縫う腕前だけ。
ヴァルトルーデに真紅の眼帯を渡されてからの話だが、村娘の常識として、アルシアも裁縫技術は身につけている。
けれど、その程度の腕前では力不足であることは重々承知していた。だから、レジーナに縫製まで頼んでしまうという選択肢もあった。
しかし、アルシアはその道を選ばない。
手作りに、特別なこだわりがあったわけではなかった。
ユウトがヴァルトルーデへ贈った熾天騎剣は、最終的に様々な人間の手を経て完成した。逆に、ヴァルトルーデがユウトへプレゼントした那由多の門も、一人で勝ち取ったものではない。
真心があれば良いのだし、喜んでくれることこそが最上。
それを理解してなお、アルシアが縫い進める理由は、とてもシンプル。
ただ、そう。彼のために、なにかしてあげたかったのだ。
わがままだと言われたら、仕方がない。「だからどうかした?」と、開き直ろう。
自己満足だなどとは、誰にも言わせない。
とはいえ、手作りは重要だが、かといって、みすぼらしい物など論外だ。
ゆえに、呪文の力に頼ることにした。
第二階梯の理術呪文に、鍛冶や石工、木工など、なにか物を作り出す腕前を底上げする《技能体得》という呪文がある。
レンに用意してもらったその魔法薬を大量に消費して、アルシアは作業に没頭していた。見れば、机の足下には木箱が置かれており、そこには整然と空き瓶が並べられている。
「それでも、あんな一定に縫うことなどできないわね」
敵はミシン。ユウトは、普段からあの高品質な衣服に慣れ親しんでいた。はっきり言って、人の手には余る相手だ。
それでも、負けるわけにはいかない。
アルシアは、目薬を差してから作業に戻った。
これを見越して、目薬を渡してくれたアカネはさすがだと、感心する。きちんと差せるようになるまで試行錯誤はあったが、その甲斐はあった。
あとは、じっくりと時間をかけるだけ。腕の未熟さは、それでカバーするしかない。
一針一針、慎重に進めていく。
思い浮かべるのは、ユウトの顔。
そもそも、顔を思い浮かべられるようになったのも、ユウトのお陰。一度はすっかり諦めていた、視力の回復。危険な橋を渡ってでも成し遂げてくれた。
その瞬間、感極まってプロポーズをしてしまったのだ。
「いたっ」
わずかだが、アダマンティンの針が、アルシアの指に刺さった。
血が落ちないよう気をつけながら、初級の回復呪文で傷口をふさぐ。
やはり、《技能体得》で底上げしても、精神的な動揺があると針の動きが乱れてしまう。無心に縫い続けていきたいが、どうしても、ユウトのことを考えてしまう。
初めて会ったときのことは、衝撃が大きすぎてよく憶えていない。
オベリスクから放たれる膨大な魔力に翻弄されたことに加え、絶望の螺旋が復活しなかったと安堵していたところに、どこからともなく人間が現れた。
疑似的な視覚で周囲を知覚するアルシアにとって、それは驚くべき現象だった。
ゆえに、ユウト個人を認識したのは、その後。異世界人だと主張してから。
荒唐無稽な作り話とは思わなかった。伝承レベルではあるが、いくつもの異世界の存在は既知のもの。それにひとつ加わった程度だ。
後に、地球の文明レベルを理解できなかっただけ……という真相が判明するのだが。
それよりも、ユウトの呪文習得能力には感心させられた。トラス=シンクの信徒としても、アルシア個人としても。真似ができるとは思わなかったけれど。
さらに、彼がパーティに加わることで、安定感が増した。というよりは、以前が考えなしだっただけか。
ユウトの言葉には不思議な説得力があり、突撃一辺倒だった戦術に厚みが加わった。彼が魔術師を卒業し、魔導師と呼ばれるようになる頃には、異世界人かどうかなど関係なく、信頼すべき仲間となっていた。
そう。仲間だ。決して、恋人ではない。
彼とヴァルトルーデが惹かれあっているのは、目が見えなくてもよく分かっていた。
それなのに故郷へ帰ると言い出したのには、密かに憤慨したものだ。苦渋の決断なのは理解できるし、そこに口を挟む資格がないから、なにも言わなかったが。
だから、ユウトがこちらへ残る決断をし、ヴァルトルーデを受け入れてくれたときは、心の底から嬉しかった。
ヴァルトルーデが、ユウトとヴァルトルーデが幸せになってくれると思ったから。
アカネも含めて婚約者にしてしまったのも、いわばユウトを帰したくないという打算があったのだ。今なら、それが分かる。
そのため、ユウトに求婚されたときには戸惑った。
自分に、それほどの価値があるとは思ってもいなかったし、結婚する気も。いや、できるとはまったく想像もしていなかった。
けれど……。
戸惑いながらも、求められたことは喜びだった。そして、ユウト以外に同じことをされても拒絶しただろうことも、朧気ながら自覚していた。
もっとも、ヨナに言わせると「アルシア、自覚がなさすぎ」ということになるだろう。アルシアの気持ちなど、ヴェルガがファルヴへ訪れた後の反応で、一目瞭然だったのだから。
「まあ、悪くはないわね」
やや頬を赤らめながら、アルシアはつぶやいた。無人の空間に、少しだけ上擦った声が浸透して消えていく。
実際、彼のことを考えながら彼のために作業をするのは、思いの外、高揚するものだった。
驚くだろうか。喜んでくれるだろうか。
想像しながら、アルシアは慎重に。しかし、ユウトが帰ってくるのに間に合うよう、作業を進めていった。
大変申し訳ありませんが、書籍化作業が入ったため、明日の更新はお休みさせていただきます。
また、来週も更新回数は減るものと思われます。予めご了承ください。




