6.諸国歴訪:フォリオ=ファリナ
フォリオ=ファリナが世界に誇るヴァイナマリネン魔術学院。
その学長室で、二人の大魔術師が顔を合わせている。
二人の面会は、すでに学院で噂になっており、用件に関して様々な憶測が飛び交っていた。
魔術理論に関して激論を交わしているのではないか。
いや、世界の危機への対処を話し合っているらしい。
隠されし秘儀に、意見を戦わせていると聞いたぞ。
その予測――あるいは希望的観測――に、学院全体が、やや浮ついた雰囲気となっている。
けれど、当事者であるユウトは、その対極の気分でいた。
「この度はご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした」
開口一番に謝罪し、お詫びの品――玻璃鉄の容器に入ったみそやしょうゆに植物紙などのイスタス侯爵領名産品詰め合わせ――を差し出すユウト。
台詞自体は陳腐だが、その言葉にも態度にも、真摯な反省がこもっていた。
「これはこれは、ご丁寧に……と言うべきかな」
苦笑しつつその謝罪を受け入れたのは、ヴァイナマリネン魔術学院のメルエル学長。
温厚篤実な風貌は、まさに教育者に相応しい。また、ユウトの周囲では非常に珍しい人格者だった。
ファルヴの武闘会では審判として裏から支え、その分、貧乏くじを引いた苦労人でもある。
「まあ、こちらの身内も迷惑をかけたのは間違いない。ここは、お互い様だと水に流すべきだろうね」
柔和な態度で優しく応じるメルエルに、ユウトは思わず心酔しかける。どうやら、かなり気に病んでいたらしい。
「そうしないと、クレス王子の件などで、こっちもお礼や謝罪が必要になってしまうよ」
「そう言っていただけると救われます」
クレス王子の件の、功労者はアルサス王だろう。ユウトは、サポートしただけで礼を言われるほどのことはしていない。
つまり、言外に、レイ・クルスのことを指摘しているのだ。確かに、それを細かく追及すると泥沼になりそうなので、この辺で手打ちにするのが一番。
「というか、一番謝るべきなのはヨナだった……」
「まあ、それは確かにそうかも知れないね」
穏やかなメルエル学長ですら否定しない。
アルビノの少女の爆撃は、それほどまでに彼の大魔術師の心胆を寒からしめるものだったという証拠だ。
これだから、第九階梯の呪文まで使って観客を守ってくれたメルエル学長には頭が上がらない。
そんな超能力に自力で耐えきったヴァルトルーデのことは、まあ、ヴァルだからとしか言いようがないのだが。
「将来の配偶者なのだろう? 今のうちから、しっかりと教育すべきだよ」
「前半はともかく、後半は、ええ。今までも注意しているつもりだったんですが、なにがいけなかったのか……」
なにがいけないのかといえば、それは最初の段階でボタンの掛け違いがあったとした言いようがないのだが、改めて厳しく指導しなくてはならない。
もちろん、厳しく言い聞かせないと、客観的には甘くなってしまうことを見越してのことである。
「ところで、今日は謝罪のためだけに来たわけではないと思っているのだが」
「はい、実は……」
報告は、もう、何度目になるだろうか。
何回やっても慣れないし、何回やっても気恥ずかしく……嬉しい。
「ヴァルトルーデとの間に子供ができたので、そのご報告をと」
「ほう。それはそれは」
まなじりが下がり、好好爺の度合いが増していくメルエル。
心からの祝福に、ユウトも嬉しくなってしまう。
「おめでとう。より一層の頑張りを期待しているよ」
「ありがとうございます」
応接用のソファに座ったまま、先ほどとは違う意味でユウトが頭を下げた。
ただの社交辞令にしか聞こえない言葉も、メルエルから言われると、素直に受け入れられる。これも、人徳と言うものだろうか。
しかし、頭を上げた拍子に目に入ってきたヴァイナマリネンの肖像画に、ぎょっとする。
「ところで、その件をヴァイナマリネン師には?」
「…………」
「そのように嫌そうな顔をするものではないよ。師が聞いたら、お喜びになるだろう」
「それは分かってるんですが、むしろ、分かっているから引き延ばしたいというか」
「……そうか」
ヴァイナマリネンに引っ張り回されている同盟の二人としては、なかなか身につまされる思いだった。
「なるほど。それで、一人だったのだね。武闘会では、そうは見えなかったが」
「いえ、《瞬間移動》でなにかあってはいけないので留守番をしてもらっているだけで、そもそも一人ってわけではなかったんですが……」
もちろん、今回もアカネが同行している。
しているが、この場にはいない。
なぜか。
「予定がバッティングしてしまいまして。今は、ペトラ――チェルノフ家にお邪魔をしています」
「チェルノフ家……。なるほどね」
それだけでなにかを察したのか、メルエル学長が納得の声をあげる。
その瞳には、同情と労りと。
そして、ほんの少しの好奇が浮かんでいた。
どうして、こんなことに。
異世界ブルーワーズへ来てから何度も、そう思ったことはあるが、今回は過去最大級かも知れない。なにしろ、今までは、ユウトが一緒にいてくれた。
好きな人が一緒なら、大抵の問題はなんとかなる。それは、ヴァルトルーデやアルシアも実証していることだ。
しかし、今は違う。
フォリオ=ファリナで9人しかいない世襲議員。
名門にして名家であるチェルノフ家に招かれたアカネは、たった一人で当主夫妻――ペトラの両親――と向かい合っていた。
かつて、ユウトも招かれたことがあるチェルノフ家の応接室。
ブルーワーズでは珍しい大きなガラス窓越しに、手入れの行き届いた庭園が目に入る。調度も落ち着いたもので、まるで実家のリビングにいるような安心感を憶える。
来客の緊張を解きほぐし、リラックスした状態で語り合う。
交渉ではなく歓迎を第一に考えて調えられたであろう一室。けれど、そこに集った三名のうち、表情に強ばりがないのは、たった一人だけだった。
「今日は折り入ってお願いがあり、お招きいたしました」
ペトラの母ソーニャ・チェルノフが、アカネに微笑みかける。
アッシュブロンドの髪も、全体的な顔の作りもペトラによく似ていた。ペトラが経験を積み、落ち着きを手に入れたら、将来はこうなるのかも知れないと思わせる。
(ペトラさんは、この人を救うために、冒険者になったんだったわね……)
結果としては良かったのかも知れないが、ユウトの教育を受けてペトラも随分と丸くなった。それが良いことなのかは、アカネには判断がつかなかった。
「アカネさん――こう呼ばせていただきますね――のことは、娘からの手紙にもよく登場しますの。勝手な思いこみですけど、初対面とは思えませんわ」
「どんな風に書かれているのか、気になるところです」
ユウトでは成し得ない、文化面での変革を成し遂げつつある――という自覚が、最近ようやく芽生えてきたアカネ。ユーディットやセネカ二世の顔を思い出しつつ、今回も、その方面の話だろうかと当たりをつける。
「自分たちの背中を押してくれようとしていると」
「あ、そっち……」
予想外だが、予想してしかるべき話題だった。
にこやかなソーニャと、不機嫌さを押し殺して無表情になっているパベルのチェルノフ夫妻は、娘の婚姻問題を話し合う――進展させる――ために、アカネを招待したのだ。
「あたしもまだ婚約中の身ですから、そんな大層なことはしてないですけど」
「ですが、ユウトさんとご一緒ということは、そういうことですよね?」
「まあ、そうですが……」
指示語の多い会話だったが、アカネとソーニャの間では意思疎通は問題ない。議会での雄弁さとは異なり一切口を挟もうとしないパベル・チェルノフも、意味するところは理解をしているようだ。
「娘からの手紙を読んで気づきましたの」
「なににでしょうか?」
「あの娘には、任せておけないと」
「ははははは……」
飾らない言葉。
思いもしない直球に、アカネは苦笑を浮かべることしかできなかった。
「書いてあるのは、初等教育院や、冒険者としての修行のことばかり。充実しているのは分かりますが、親としては目の前が暗くなりますわ」
「ペトラは、教員として赴任しているんだ。良いことじゃないか」
「あなた?」
「……分かっている。この場は、おまえに任すという約束を反故にするつもりはない」
思わず、口を出してしまったのだろう。しまったという顔を浮かべたパベル・チェルノフが、あわてて口をつぐんだ。
「まあ、ペトラさんが悪いとばかりは言えませんが……」
同じ立場であるカグラやレジーナも似たり寄ったりなのだ。
やはり、間近でヴァルトルーデとの仲を見ると、遠慮してしまうのだろう。
自分など、よく割って入ったものだと自画自賛したくなる。
「ええ、そうでしょう。愛妻家なのでしょうね」
しかし、それでは困るのだ。
「気づいたことが、もうひとつありますの。こちらが攻めるべき対象が、実は間違っているのではないかと」
「……要するに、勇人ではなく、あたしを攻め落とすのが正解だと?」
「察しがよろしくて、嬉しく思います」
ヴァルトルーデのような絶対の美とも、セネカ二世のような穢れなき美とも違う。まさに貴族と表現したくなる微笑みで肯定する。
「……その前にひとつ良いですか?」
「なんでしょう?」
「今からでは、勇人のお妾さんみたいな立場になっちゃいますけど、本当にそれでいいんですか? 別に結婚しなくたって、勇人がペトラさんを無下に扱うことはありませんよ」
「ええ。娘が幸せになれるのであれば、応援するのが親の務めでしょう。特に、助けていただいた恩もありますし」
ソーニャ・チェルノフの呪いを解いた一件を持ち出されると、なにも言えないのだろう。パベル・チェルノフは、ただため息を吐くだけ。世襲議員の権威も形無しだ。
「では、イベントをやりましょう」
「イベント?」
「ええ。他にも同じ立場の人がいるので、一緒に、側室の座を勝ち取ろうみたいな」
「見せ物にすると言うのかね?」
だが、さすがにこれは受け入れられないと、パベル・チェルノフが低くきつい声で確認を装った抗議をする。
「見せ物というか……。勇人を引っ張り出したうえで、アピールの場を用意するみたいな感じですね。もちろん、一般公開なんてしません」
「それなら……」
「それでいきましょう」
パベル・チェルノフは渋々。妻のソーニャは、それしかないと腹をくくって受け入れた。
ペトラだけを焚きつけても、ユウトが受け入れなければ意味はない。無理やりなのは承知の上で、当事者の逃げ場をなくすのは有効な手立てだ。
「勇人にも、惚れさせた責任はありますから」
現時点では、ユウトにその気はあまりないだろう。それは、アカネも分かっている。
ただ、このまま宙ぶらりんのままでは良くないのも確か。
ならば、強引にでも一度は結論を出したほうが良い。
もちろん、実行に当たってはヴァルトルーデやアルシアとの相談も必要だし、すぐにとはいかないが。
(なんかこう、あたしと勇人とで、無茶振りし合ってる感じがするわね……)
それは、ヴァルトルーデともアルシアとも違う。幼なじみらしい、遠慮のない関係と言えた。
(幼なじみ兼婚約者の愛人の世話とか、普通しないけどね!)
しかし、これも惚れた弱みだ。
とことんやってやると、アカネは開き直って氷のような微笑を浮かべた。