5.諸国歴訪:クロニカ神王国
「お二人とも、またお会いできて嬉しく思いますわ」
「武闘会のときは、お構いもできず申し訳ありませんでした」
「滅相もありません。アカネ様には、とてもよくしていただきましたから」
陽光を受けて輝く花のようにきらきらした表情で語る、クロニカ神王国の神王セネカ二世。
鎚が振るわれ、のみが石を削る音を聞きながら、ユウトは彼女の小さな手を取った。
大魔術師と神王が再会を果たした場所は急拵えの作業場で、背景ではドワーフたちが一心不乱に石像を彫り続けている。
友好国の使節と神王が顔を合わせるのに、ふさわしくないとは言わないが、異例であることは間違いない。
だが、ユウトにはそちらへ目を向ける余裕はない。
隣国の最高権威者から無邪気に親愛を向けられ、動揺を内心に納めるのに苦労していた。
「遅くなりましたが、武闘会の優勝をお祝いさせていただきます。今思い出しても、圧巻です」
「ありがとうございます」
「それから、再度のご成婚も」
「できれば、そちらは忘れてください」
「とんでもない。末代まで、語り継がれるべき素晴らしい光景ですわ」
ユウトのプロポーズと、それを受けて胸へ飛び込んでいったヴァルトルーデを思い出しているのだろう。
セネカ二世は、頬に手を当てうっとりとした表情を浮かべる。
美しいが威厳のある神王とは思えない仕草。初めて会ったときの神秘性は薄れ、親しみやすさが増しているのが良いことなのか、ユウトには判断がつかなかった。
立場を抜きにすれば、ともに天上で冒険の日々を過ごし、太陽神フェルミナからの探索行を達成した間柄。仲間といっても差し支えない。
あの冒険が、ずっと太陽神の神殿で大切に育てられたセネカ二世には、あまりに刺激的で魅力的だったというのもあるのだろう。
そのため、多少、距離が近いのも当然だとユウトも思う。
だが、許されるのは、あくまでも多少だ。嬉しくないわけではないが、どうも懐かれすぎているようにも思えた。彼女に対してやったことといえば、促成の冒険者教育ぐらいのもので、決して喜ばれる類のものではないだけに、なおさら。
ユウト自身、妻子ある身である。
誤解を招かないよう、慎重に対応しなければならない。護衛の聖堂騎士がセネカ二世の背後で目を光らせている間は特に。
しかし、天真爛漫にして純真無垢な神王は、その辺りの機微を気にしてはいない様子。惜しみなく笑顔を振りまき、くるぶしまである長い髪を踊らせて再会の喜びを表現する。
そして、それはアカネに対しても同じだった。
「アカネ様も、よくいらしてくださいました」
「あたしは、勇人のおまけみたいなもんだから。気にしないで」
社交辞令ではなく本音で言うアカネ。
どうやら、上流階級の女性にやたら気に入られる、自らの特性を自覚したらしい。
「滅相もありません」
しかし、それは遅きに失した。
「夫を立てようとするそのお考えは素晴らしいと存じます」
「そうそう、それ系で」
「ですが、あれ以来、お噂はかねがね」
「まさか……」
「神々の威光を感じさせる、素敵な演劇を上演されたと聞き及んでおります」
「どこまで噂が広まってるの……。なに? 王侯貴族用SNSでもあるの!?」
SNSはともかく、一定以上の地位にあるものであれば、独自の情報網は持っているものだ。
ファルヴの街そのものが周辺の注目の的であるのは当然として、美神の劇場の一件は、それだけインパクトが大きかったということか。
美神の劇場における興行は、連日盛況。
さすがに、毎回奇跡が発動するわけではないが、純粋に演劇としても喜ばれていた。
著作権という概念も存在しない世界ゆえ、噂を聞きつけた巷の吟遊詩人たちがあらすじを元に歌を作り、周辺地域へ広めようとしている。
ラーシアの妹であるメルラなど、「武闘会のだって、まだまだお金取れるのに次の題材が出てくるなんて!」と、嬉しい悲鳴をあげながら、コネを使ってシナリオを入手しようとしていた。
ただ、それ以前に、武闘会を観覧に来た際、セネカ二世はアカネの歓迎を受けている。
女の子――女性でも、女でもなく女の子――の主要構成要素である、甘いものとなにか素敵なものを運んできてくれるアカネに好感を抱かないはずがなかった。
そんな崇敬の眼差しが、小市民であるアカネには辛い。
そこで、幼なじみ兼婚約者を助けるため、ユウトは露骨に話題を変える。
「素晴らしいと言えば、こちらの石像も素晴らしい」
ユウトの視線の先には、作成中の神像があった。
見上げるような大きさで10メートル近くはあるだろうか。モチーフは、言うまでもなく太陽神フェルミナ。けれど、一般的に知られている神の御姿とは異なっている。
「なるほど。天上でお会いしたときのご尊顔を再現しようとしているのですね」
長い黒髪を顔の両側で束ね、幾本かのかんざしで飾る妙齢の女性――と、なるだろう大理石の像。顔の作りは、少しだけ、セネカ二世に似ている。
太陽を具象化した冠もかぶり、袴に、山形の模様が 描かれた広い袖口の羽織を身にまとった姿で地上に降臨しようとしていた。
しかし、石像の話題となった瞬間、セネカ二世の表情が曇る。
「いえ、それが問題がありまして……」
「問題?」
「セネカが描いたフェルミナ神のご尊顔では、これ以上の再現は難しいと言うのです」
主の目配せを受けて、背後に控える護衛の聖堂騎士が恭しく一枚の紙を取り出した。どうやら、あれはセネカ二世の絵のようだ。
促されるままに、ユウトはそれを受け取る。
「あのときは、ほとんど平伏した状態だったから無理も――」
そして、言葉を失った。
横から、ひょいとのぞき込んできたアカネも同じ。
なにも言えない。
ユウトは、幼稚園のころに描いた母親の似顔絵――タンスのなかに大切にしまってあるのを知ったときは、どうにかして処分できないか頭を悩ませた――を思い出していた。
背後に控える護衛の聖堂騎士を見る。
目を逸らされた。
つまり、そういうことだった。
命とも言える神像の顔がセネカ二世に似ているのも、むべなるかな。他に、やりようがなかったのだ。
「ドワーフ驚異の技術力……」
セネカ二世の絵と、未完成の神像とを交互に見てつぶやく。
神都のひとつ、山岳都市アーチワーグでも最高の技術を持つ石工が集められていたという事実までは知る由もなかったが、ドワーフたちへの評価が上がったのは間違いない。
「まあ、どちらにしろ神々の美しさを完全に再現はできないから、想像で補うしかないのでは」
「しかし、セネカは、皆にもフェルミナ神の真のお姿を知ってもらいたい。いえ、知るべきだと思うのです」
その願いは、理解できた。
かといって、ユウトにも絵心はないに等しい。
「どういう感じだったの?」
「なんかこう、卑弥呼というかアマテラスというかそんな感じ」
「ふ~ん。なるほど」
アカネが絵を描こうとしている。
その雰囲気を察したユウトが、預かっていたスケッチブックとペンケースを無限貯蔵のバッグから取り出し、アカネへ手渡す。
ほとんど無意識にそれを受け取ったアカネは、神像を見ながら紙の上にペンを踊らせた。
「神様的には、実態に近いほうが嬉しいのかしら」
「あんまりかけ離れてると微妙なんだろうけど……。神のメンタリティは想像以上だったりするからなぁ」
自らの都を攻撃してきた張本人に結婚を申し込む半神、下界で楽しそうに飲み食いする分神体、世界の平穏を希求してすべてを静止させようとする悪の相の神。
いずれも、人の理解を超えた行動だ。
それ以前に、普段リトナとして接している草原の種族の種族神タイロンは男女いずれとしても描かれているし、レグラ神など、分神体には男性も女性もいる。
そんな話をしながら、アカネは15分ほどで描き上げた。集中していたため、作業の音が止んでいるのにも気づかない。
「……よし。こんな感じでどうかしら?」
「おお。似てる似てる」
ラフスケッチではあるが、アカネの絵はフェルミナ神の特徴をよく捉えていた。文化が近いというのも、有利に働いたに違いない。
「さすがですわ、アカネ様。それに比べたら、セネカの絵など滓のようなもの」
それを見せられたセネカ二世など、感動に打ち震えている。
「ちょ、ちょっと待って! ほら、ラフ画だから一番良い線を脳内補完していい感じに見えてるだけだから! そんな大層なもんじゃないから!」
アカネも、別の意味で声が震えていた。
「ふふふふふ……笑いなさいよ、勇人」
「朱音は、なんで、自分でダメージを受けてるんだ」
もちろん、上手いもんだとほめることはあっても、ユウトに笑うつもりなど一切ない。
だが、称賛をしても素直には受け取らないだろう。
芸術家という人種は、これだからわけが分からない。
「髪はこうなっとったのか!」
「分かる! これなら、服の構造が分かるぞ」
いつの間にか近くにやってきていたドワーフたちが歓喜の声を上げる。
白雪姫がいたら、囲んで歌い出しそうな浮かれようだ。
「のう、娘っ子よ。そいつを……」
「ああ、上げます。差し上げます」
スケッチブックを切り取り、ドワーフへ進呈するアカネ。
「感謝、感謝じゃ……」
「あとで、ビール持ってけ」
「そうだ。好きなだけ、持ってけよう」
「いやあの……。ハイ、イタダキマス」
ドワーフが酒を譲ろうとするなど、余程のこと。アカネにもその程度は分かる。
誰もが――アカネは当然として、護衛の聖堂騎士たちも――あっけに取られるなか、セネカ二世はつつっと移動し、ユウトに耳打ちする。
「というわけで、ユウト様。このフェルミナ神の像のお披露目と同時に、ムルグーシュ神への勝利を祝う式典を行いますので」
「実は、ヴァルトルーデが妊娠したので、参加できそうにないんですよね」
いかにも残念だと、しかし、言下に拒否した。
「まあ……。それはおめでとうございます。ヴァルトルーデ様にも、お大事になさるようお伝えください」
「ありがとうございます。必ず伝えます」
「ですが、そうですか。武闘会のときには、もう、なのですね……」
ユウトから離れ、指折り数えて計算するセネカ二世。
「ヴァルトルーデ様のことですから大丈夫かとは存じますが、本当にお気をつけくださいね」
「ほんと。ほんと……なんか、心配かけて済みません」
「そういうことでしたら、ユウト様とアカネ様だけでも結構ですので。詳しくは、追って招待状を……」
「え? あたしも!?」
不思議そうに。
心の底から、不思議そうに首を傾げるセネカ二世。
ヴァルトルーデに劣るとはいえ、際だった美少女は、そんな仕草をしても絵になる。
「そうです。アカネ様は、服飾の店も経営されているとか」
「経営しているというか、デザイナーというか……」
「ならば、式典に合わせて、服を仕立ててはいただけないでしょうか」
「できなくはないけど、他に適任がいるんじゃ?」
「いえ、アカネ様にしか頼めません。セネカが所望するのは、フェルミナ神と同じ装束ですので」
「巫女服……」
くわっと、アカネの目が見開いた。
ヨナやレンを初めて見たときと同じ。よくないスイッチが入ってしまった証拠。
絶対に、後悔する。
そう直感したユウトは、二人の間に入ってアカネに自制を促す。
「よく考えたら、アカネがやらなくても大丈夫だろ。カグラさんたち竜人に、任せちゃえばいいんじゃないのか?」
「そうね。協力してもらいましょう」
しかし、アカネ本人に人任せにする気はなかった。
瞳は爛々と輝き、今にも舌なめずりしそうな勢いだ。
「そうよ。私の本業は演劇じゃなくて、こっちなのよ。ふふふふふ……」
演劇の脚本のストレスで、服を作る。
ユウトにはよく分からない世界だが、才能がありすぎるのも困りものだ。
忙しい最中でも魔法具作りは欠かさなかった自分のことは棚に上げ、天を仰ぐ。そして、せめて満足するものができるよう、ユウトは祈った。
その願いを聞き届けてくれる神には、いくつか心当たりがあったから。
書籍化作業のため、今週は月水金の三回更新とさせていただきます。
申し訳ありませんが、ご了承のほどよろしくお願いいたします。




