4.諸国歴訪:ロートシルト王国
結局、ユウトとアカネの里帰りは二日で終わった。
より短い間隔で行き来ができるようになったことと、異世界人との子供ができたこと。そして、移住を希望しているという大きな波紋を投げかけておきながら、その反応を確かめることもなく。
無責任にも思えるが、どうせ一日二日で組織の対応が決まるはずもない。
その状況での早々の帰還は、相手を信頼しているというポーズにもなる。
……というのは、概ね建前でしかなく。
「あたし、完全復活」
「わざわざ宣言する人間、初めて見たけどな」
引きこもっていたアカネがようやく自分を取り戻し、出張中だった彼女の両親と顔を合わせる前に帰りたいと希望したというのが主な理由だった。
「あの親だもの、絶対に『出遅れたけど、アンタはいつになったら子供を産むの?』とか、セクハラ紛いのことを聞いて来るに違いないもの」
「あー。それは目に浮かぶな」
本当に遠慮のない母子だと、ユウトは遠い目をする。
仲が良いと表現して良いかは微妙なところだ。確実に言えるのは、そんな妻と娘に挟まれたアカネの父、忠士の影が薄いということだけ。
しかし、ファルヴへ戻ってもゆっくりしている時間はなかった。
ヴァルトルーデが懐妊したという報告と、武闘会への参加の感謝を伝えるため、いくつかの国々を訪問することになっていたのだ。
その旅には、ユウトの妻として周知するため、アカネが同行することとなっている。
アルシアも同じ立場なのだが、やることがあるからとファルヴに残留。ヴァルトルーデの体調管理もあり、ユウトもそれを受け入れる。
ちなみに、やることとはなんなのか尋ねても、意味ありげに微笑むだけで、答えてはくれなかった。
「ところで、結構ファルヴを空けることになるけど、大丈夫なの?」
「《瞬間移動》で戻って仕事はできるし……」
「あ、はい。そうだったわね」
というやり取りがあったがあったかは定かではないが、最初の訪問地はロートシルト王国の王都セジュール。
王の私室に招かれ、アルサス王とユーディット王妃と二対二で会談に臨むこととなった。
近侍や宰相はおろか、護衛すら部屋に入れない完全に私的な空間。どれだけ国王夫妻がユウトを、ひいてはイスタス侯爵家を信頼しているかを示す格好の場だ。
「この前は、楽しい時を過ごすことができた礼を言う」
「いえ、こちらこそ大変助かりました」
革張りのソファに身を沈ませ、そう切り出してきたアルサスに、ユウトは如才なく頭を下げる。
果たして、アルサスが言っているのは武闘会のことか。それとも、パーラ・ヴェントとのことか。
どちらの場合だったとしても、感謝の言葉が変わらないのは都合がよかった。
「アカネさん、噂は聞いていますよ」
「あ、ヴェルミリオが王都にも店を出すという――」
「違いますわ」
一方、ユーディットの無垢な微笑みを前に、アカネは撃沈を余儀なくされた。
もちろん、王妃が言っているのは、美神の劇場での一件だ。
「どうして招待してくれなかったんですの?」
「いや、あたしもあんなことになるとは……」
ユーディットを呼ばなかったのは、別にそこまでのイベントではないと思っただけで他意はない。ユウトから、ユーディットも妊娠している可能性があるとは聞いていたので、最初から選択肢自体存在しなかった。
しかし、今になって冷静になると、パソコンで読んで気に入ったらしい源氏物語を舞台化してはと、意外と押しの強い彼女なら言いそうな気がしてきた。
それは避けなければ。
確証はないが、大変なことになるのではないか。
「近いうちに、絶対に見に行きますからね」
「いや、それは……。っていうか、どういう評判になってるんです?」
珍しくアカネが押され、王の私室を和やかとは言い難い空気が包み込む。
落ち着いていながら豪華な部屋なのだろうが、空中庭園リムナスに美神の劇場にと規格外の美しさに接しているため、そこまでの感動はない。
緊張せずに済むという観点からすると、歓迎すべきだろうか。
「それで、今日お伺いした用件なのですが」
アカネの窮地を救う……というわけではないが、こうしているといつまでも本題に入れそうにない。そのため、やや強引に話を切った。
「実は、その、ヴァルとの間に子供ができたみたいで」
「ほう」
「まあ」
短い言葉で驚きを表す国王夫妻。
しかし、その顔には喜色が溢れていた。
「アルサス様」
「うむ。先に言われてしまったな」
「では、やはり……」
「ああ。こちらも、そういうことだ」
はにかみながら、アルサスが言う。
ユーディットは幸せそうに微笑みながら、アルサスの肩に頬を寄せる。
「しかし、そうか。そういうことか……」
そんなユーディットの肩を抱きながら、アルサスはアカネが同行した意味を正確に捉えた。
元々、アカネとも婚約しているという報告は受けているが、もう一段進んだ関係となっているということに違いない。
この情報は、王から宰相へ。そして、宰相から貴族たちへと拡散していき、ヴァルトルーデの妊娠中にユウトへ妾を押しつけようとする動きを牽制してくれるはずだ。
「第二夫人か第三になるのかは分からないが、大いに歓迎しよう」
「ありがとうございます。でも、なんか王様よりも多くなりまして、申し訳ありません」
「なにか問題が?」
ユウトの何気ない一言に、ユーディットが即座に反応した。戦闘中のラーシアよりもなお機敏。
「滅相もありません。なにも問題ありません」
臣下なのに国王よりも妻が多いのは格好が付かないので、側室を娶ってはどうか。
そうも解釈できる言葉は、失言以外のなにものでもない。
危うく虎の尾を踏みかけたと、ユウトは平身低頭謝り倒す。
「ちょっと、勇人」
アルサスが行方不明の間、ユーディットが彼の立場を維持するためどんなことをしてきたか知らないアカネは大げさなと笑っているが、ユウトからするとそれどころではない。
「ご理解いただけたようで幸いです」
「夫婦円満こそ、国家の礎となりましょう。ええ」
「では、そろそろ例の件を本格的に進めなくてはならないな……」
「子供を婚約させるという?」
アルサスが話題を変えるやいなや、喜んでそれに乗っかるユウト。
「それだけではないよ」
その口振りからすると、婚約は決定事項のようだ。
以前ヴァルトルーデとも話をした通り、子供たち次第だし、そもそも十年以上先の話。解消を前提にするわけではないが、そこまで本気になる必要もないだろうからそれは良い。
しかし、他になにかあっただろうかと、ユウトは首をひねる。そして、ユウトが分からない問題を、アカネが答えられるはずもない。
疑問符を浮かべる来訪者たちへ、アルサスは酒場でエールを頼むような気安さで言った。
「イスタス侯の陞爵についてだ」
「……陞爵って、上はひとつしかありませんが」
「うむ。不幸にして、最近、公爵家がひとつ断絶してしまったからね」
王家と血縁関係のあったマルヴァト公爵家は、アルサス王即位に際してお取り潰しとなった。
ヴェルガ帝国のスパイに乗っ取られていたのだ。残すわけにはいかないのは理解している。
「次の王の外戚もしくは、王女の降嫁先になるのだ。箔付けは必要だろう?」
「いや、そう言われても……」
イスタス伯爵から侯爵となって、まだそれほどの時は経過していない。それなのに、今度はイスタス公爵。
位人臣を極めると表現しても良いだろう。
問題は、その価値を当事者が認識していないことか。
それなりの忠誠心はあるつもりだが、その大部分はアルサス個人へ向けられているもの。地位を引き上げられたからといって、感激することはない。
「ちなみに、公爵になると、どう変わるんでしょうか」
小さく手を挙げて、アカネが質問を投げかける。
それは、ユウトも朧気にしか把握していないところだが……。
「まあ、いろいろあるのだが……。宮廷へ滅多に顔を出さないヴァルトルーデ卿には、あまり関係がないな」
顎をさすりながら、苦笑して答えるアルサス。
王宮に一室を与えられる。儀礼の際には最上級の対応をされる。王都に屋敷を下賜される。重要な地位――将軍位など――を与えられる。
様々な特典はあるが、領地に引きこもっている――ように見える――ヴァルトルーデには、あまり意味がない。
他の貴族たちからの対応も変わるだろうが、腫れ物扱いは変わらないだろう。美食男爵まで引き込んだことで、魔境と思われている可能性もある。
「大変ねぇ、ヴァルは」
「朱音だって、騎士身分から出世するかも知れないじゃないか」
「それを言ったら、勇人だって」
この話題は止めよう。
幼なじみ二人は目を見合わせて同意に至り、ユウトは深く息を吐く。
(むしろ、陛下にとってメリットが大きいかな)
王座を譲り受けたばかりのアルサスには、国内に確固たる基盤がない。
即位に伴う騒動で反対派の貴族は排除できたが、その分増えた直轄地の経営でいっぱいっぱいだ。混乱しているヴェルガ帝国への介入に消極的なのも、この理由が大きかった。
しかし、イスタス侯爵家を公爵へ陞爵させ姻戚関係を結ぶということは、ヴァルトルーデらの後ろ盾を得ることに等しい。
強固に結びついた両者を敵に回したいと考えるのは、よほどの夢想家か破滅願望の持ち主だけだろう。無論、これは国外への牽制にもなる。
「ああ。もちろん、加増もしよう」
「岩巨人自治区の件ですね」
名目上は王家の直轄となっていたが、ほとんど放置されている黒妖の城郭周辺。そこに、大族長となったエグザイルに従う岩巨人たちを移住させるプランは、既に説明済みだった。
とはいえ、加増といっても、実入りはほとんどない。むしろ、整備や開発にマイナスになるだろう。
だが、これは今さらの話。
純粋に領地経営の部分だけに限れば、黒字になったことなど一度もない。恐らく、この傾向は十年経っても変わらないだろう。
「とりあえず、本人には伝えておきますが……」
「うむ。よろしく頼む」
拒否できる類のものではないし、むしろ、偉くなってしまったほうが融通も利くかも知れない。
今まで通りだし、虚名ならいくら使ってもらっても構わない。アルサスの王権が強化されるのは、こちらの利益にもなるのだから。
「式典が楽しみだ」
ユウトを翻弄できるのが楽しいようだ。
貴公子然としたアルサスの口元は、嬉しそうに綻んでいる。
「しかし、あれね」
「どうかしたか?」
人差し指で唇をなぞりながら、アカネが口を開く。
「王様と公爵閣下が一緒に冒険へ出て戦ったりするとか、いろいろまずいんじゃないの? 江戸を斬るの?」
「むしろ、親になっても冒険に出るのもどうなのか」
当たり前すぎて、誰も口にしなかった指摘。
「私は、なんのために優勝したのだ……」
それを聞いて愕然とするアルサスを、ユーディットは慈母そのものといった微笑みで見つめていた。