10.決戦(前)
クライマックス戦闘前編です。
その宣言と同時に自動的に呪文書のページがめくられ、9ページが切り離される。
そのまま全身を覆うようにページが展開されるのを確認してから、ユウトは短く呪文を唱えた。
「《時間停止》」
周囲の刻を止める、第九階梯の大呪文。
ユウトの視界からすべての色が失われ、音は止み、あらゆる動きが消え去った。ユウトだけが意識を保ち、行動を許された絶対の時間。
しかし、刻を止めることそのものの価値は低い。
なぜならば、ユウト以外のすべては刻が止まった状態となるため、あらゆる干渉を受け付けることもなくなるのだ。
では、なぜそんな呪文を使用したのか。
「《差分爆裂》」
今度は呪文書から8ページ分が解き放たれ、一抱えほどもあるような巨大な火球と化す。
しかし、爆発はせずにそのまま中空で静止した。
ユウトは続けて、停止した時間の中で《差分爆裂》を都合四回発動した。
ひしめき集められたゴブリンやサハギン、巨人たちの頭上に設置された《差分爆裂》は、魔術師の代名詞とも言える《火球》と同じく、着弾点で炸裂し炎と破壊をまき散らす第八階梯の呪文だ。
だが、もちろんそれだけではない。
最大の特徴は、発動した直後に爆裂するのではなく、時間差があること。
そして、ただの《火球》に比べ、威力も倍以上違う。
それが四発。しかも、同時に解き放たれれば、どうなるか。
「解除」
結果は、すぐに出た。
ユウトが刻を動かした瞬間、轟音というのも生ぬるいほどの爆音が地下空洞に轟き渡る。知識が無くとも、音が空気の振動だと気づかざるを得ない圧倒的な暴力。
効果範囲の外にいるはずのヴァルトルーデたちすら、その圧力で意識が瞬間的に飛び、次いで襲ってきた熱波で無理やりに覚醒させられた。
では、その中心部では?
そこに、生物は存在していなかった。
存在しているのは、あまりの高温にガラス化した地面と、生き物だったモノだけだ。
皮と言わず肉と言わず骨と言わず。
すべてが焼けて溶けて灰となり、悪の亜人たちが身に着けていた革鎧と癒着し、手にしていた武器も溶鉱炉の中にあった状態へ戻っていた。
惨状。
他に言いようがない状態だった。
しかし、それを引き起こした男は、平然としている。
「やっぱ、火属性は効かないか」
《差分爆裂》の効果範囲を一部蜘蛛の亜神に重ねていたが、繊毛ひとつ焦がせていない。《源素耐性》の効果ではなく、恐らく元々完全な耐性を備えているのだろう。
「さすがは亜神ってところか」
「うっわ。ユウトが、本気でぶちギレてるよ」
「かっこいい……」
ラーシアの呆れるような言葉はどうとも思わなかったが、ヨナの危険な発言でユウトは我に返った。
「ヤバイ。教育上、今のは非常にマズかった」
「今更、そこを気にするのですか?」
「――来るぞ」
ある意味で和気藹々とお喋り後衛を遮って、ヴァルトルーデが警告を発する。
「小細工を弄したか」
黄金竜すら恐れをなした蜘蛛の亜神を前にしても、誰一人動揺を見せない。その不可解さにトリアーデがつぶやきを発するものの、やはり、正負いずれの感情も伝わってこなかった。
今回に関しては、正しい。
イグ・ヌス=ザドを前に平静を保つ。それができたからといって、趨勢が変化することなど無いのだから。
「征け」
ただ圧倒的な力で蹂躙すればよい。
まるで他人事のように一言つぶやいたトリアーデが、進撃を始めた。
今殺されたのは、あの冒険者たちに対しては障害にもならないクリーチャーばかり。いくら死んだところで構わない。
変わっていない。条件はなにも変わっていない。
鏖にし、最後に立っていればそれですべては終わるのだ。
イグ・ヌス=ザドが一歩進む度に大地は鳴動し、えぐれ、ユウトたちを圧倒する。
実際に目の当たりにしたイグ・ヌス=ザドは、巨大という表現すら生ぬるい。
縦横20メートルもあろうかという生物が動いている。七階建て程度のビルが意志を持って襲いかかってくるようなものだ。そんな存在が、まずおかしい。ありえない。
星霜を経た黄金竜すら畏れを抱くその異相。
しかし、ユウトたちはいつも通りだった。
なぜならば、脳裏に周囲の3D映像を描き視覚を補う《疑似視覚》の呪文により、イグ・ヌス=ザドを目視することはなく、プレッシャーからも解放されているのだから。アルシアの紅の眼帯と同じ効果だ。
本来は暗所で行動するのための呪文だが、転じてバジリスクの石化の視線やヴァンパイアの魔眼への対策にも用いられるのだから、正攻法の攻略だ――と、ユウトは思っている。
だが、それでも。
エグザイルのこの宣言は異常すぎた。
「ここは、俺に任せてもらう」
錨のように巨大なスパイク・フレイルを担ぎ、エグザイルが前に出る。いくら岩巨人とはいえ、それは人間に比して巨人というだけ。
邪悪なる蜘蛛の亜神と比べようもない。
それにもかかわらず、気負いも緊張もなく。エグザイルは平然とイグ・ヌス=ザドへと向かって行った。追随するのは、自律防御の付与がされた、宙に浮く盾だけ。
「一人で行く必要はあるまい!」
「ヴァルは、先にあっちをなんとかしてくれ」
エグザイルが指さす先には、陸に上がった水竜と《差分爆裂》を生き延びた死巨人がいた。
「……分かった」
戦闘に関しては抜群の判断力を誇るヴァルトルーデだからこそ、頷かざるを得ない。
「死ぬなよ」
「心配するな。勝てば、後から生き返らせてくれるだろ」
「蘇生もただじゃねーからな。死ぬ前提はやめろよ、おっさん」
ユウトには背中越しに手を振るだけにとどめ、エグザイルも巨大な蜘蛛へ向けて進撃を開始する。
「……支援を受けてからでも、遅くはありませんよ」
止めても無駄と分かっているからか、アルシアが胸元の聖印を手にし、神に祈りを捧げた。
「我が頼もしき仲間たちに、悪を討つため、その手にしたる刃に輝きを与えん――《光輝なる刃》」
鎧や、クリーチャーの分厚い毛皮や鱗といった装甲を無効化する第八階梯の呪文。
エグザイルのスパイク・フレイル、ヴァルトルーデの討魔神剣、ラーシアの複合短弓が、聖なる輝きに包まれる。
「さあ、殴り合うか」
「踏み潰せ」
準備は整ったとばかりに立ちふさがるエグザイルに対し、至極当然な命令をイグ・ヌス=ザドへと下すトリアーデ。
キチキチキチという耳障りな叫びと共に、巨大な蜘蛛が足を振り下ろした。
爪で切り裂かれるか、あるいは巨大な質量に踏みつぶされてミンチがひとつ出来上がるか。
容易に想像可能な、未来予想図。
ところが、エグザイル本人には避けるつもりも、身構える気も無かった。
「ふんっ」
それどころか、向かってくる塔のような足へ向かってスパイク・フレイルを全力で振り下ろす。
「グオォォォンンッ」
分厚い外皮を貫いて突き刺さるスパイク・フレイルに、苦鳴を上げるイグ・ヌス=ザド。無理もない。余人に傷を付けられたことなど無いのだ。
それが、こうもあっさりと負傷させられるなどと、誰が思うだろう。
しかし。
確かに痛撃を与えたものの、それで動きは止まらない。止められない。人と同じサイズを誇る肉食獣そのものの爪が、エグザイルめがけて振り下ろされる。
当たれば、確実に体を引き裂き肉塊へと変えるであろう。
そう。当たれば。
エグザイルの肉体に巨大な爪が触れるその寸前、自律防御を付与された盾が横合いから殴りつけるように割って入って進路を変える。
「盾って、ああいう使い方をするもんだっけ?」
「攻撃がそれたんだから、それで良しとしようぜ」
「ガアアァアアア」
野生の獣を数倍。いや、数十倍したほどの咆哮が、ユウトとラーシアの会話を中断させる。
イグ・ヌス=ザドの爪が、牙のような鋏角が、エグザイルを切り裂きえぐり弾き飛ばし刺し貫き、酸性の唾液と毒が肉体と血液を焼く。
一撃一撃が熟練の冒険者を、騎士たちをも打ち壊すに余りあり、黄金竜すら屈した毒だ。
それでも、エグザイルは揺るがない。
人間離れした生命力で一撃一撃を耐え凌ぎ、毒は《祝宴》の効果もあり当たり前のように体内から駆逐した。
逆に、笑顔を浮かべて巨大なスパイク・フレイルを振り上げ叩きつけ不死身の怪物に痛撃を与える。
だが、無論ダメージはある。
致命傷は免れているものの、逆に言えば、ただそれだけ。
今も、鈎爪の直撃は避けたが打撃が竜鱗の鎧を浸透し、エグザイルの肋骨を数本へし折った。
苦痛に顔がゆがみ、呼吸が荒れる――ようなことはない。
「ウオォォオオォッッ」
既に痛みなど無い。
いつも通り。いや、それ以上の力を込めて、エグザイルはスパイク・フレイルを叩きつけた。
その衝撃に、亜神――神の如きモノが血を流し、八つの目でエグザイルを凝視する。しかし、目を閉じ魔法の視覚で知覚するエグザイルにその視線は届かない。
もっとも、瞼が空いていたとしても、気に留めていたかどうか。
エグザイルの思考は、今や真紅に染まっていた。
痛みの代わりに得たのは、怒り。
友が積み上げてきた物を無に帰そうとする敵への憤り。
討ち倒したはずの仇敵が生き残っていたことへの憤怒。
蛮族戦士がトランス状態に入ると同時に至る、激怒の境地。
もはや、防御も回避も無い。
眼前の敵を粉砕し、殲滅し、息の根を止める。
エグザイルは、ただそれだけの生物となった。
「ルゥォオオォッッ」
トリアーデには、岩巨人の姿が何倍にも巨大に見えていた。そう、見えていた。
実際には、サイズに変化など無い。身長は2メートルを超える程度。イグ・ヌス=ザドはおろか、死巨人と比べても小柄と言わざる得ない。
にもかかわらず。
エグザイルの猛攻は、猛り狂う怒りは、邪悪な蜘蛛の亜神をその場に釘付けにした。
巨大な蜘蛛の鋏角がかすめ、鉤爪で二の腕が切り裂かれ鎧の向こうに白い骨が見えても。それでもなお、体が動けば関係ないと、連撃を見舞う。
自らが流す赤い血。
イグ・ヌス=ザドから降り注ぐ緑の血。
その両者に彩られたエグザイルの姿は、凄惨の一語に尽きる。
「そうだ、それでこそ」
それでもなお。ニィとエグザイルが歯をむき出しにして笑う。
凶悪な笑顔だ。
殴り合う一人と一体。
勝負になっているだけで驚嘆に値するが……。
「いやいや、マズイって。まともに打ち合ってるだけで奇跡だろ」
「私が治します」
アルシアの力強い宣言と共に《完全治癒》の呪文で、エグザイルの傷が癒やされる。この調子なら簡単に倒れることはないだろうが、それは相手がイグ・ヌス=ザドだけであるという前提があってこそ。
ようやく我に返った数体の死巨人が、エグザイルへと向かってくるとなれば話は別だ。
それでもなお、ヴァルトルーデは水竜へと向けて歩みを進める。
「ラーシア、あっちは任せる」
ヴァルトルーデと、死巨人たち。その進路が交差する
ヴァルトルーデは、その先にいる水竜を屠るため。
死巨人は、イグ・ヌス=ザドと一騎打ちを繰り広げるエグザイルに死をもたらすため。
お互いを目標とはしていない。
だからといって、この状況で戦わないなどあり得ないのだが――
「やらせないよ――《狙撃手の宴》」
子供と見紛うばかりのラーシアが矢をつがえ、射った。
瞬時に使用した理術呪文の補助により感覚が研ぎ澄まされ、狙いが一層精密になる。
アルシアから《光輝なる刃》の祝福を受けた弓は、矢に貫通の加護を与え、狙いを過たず死巨人の眉間と目と喉と心臓に突き立った。
漆黒の甲冑など、まるで紙切れに等しい。
まるで糸が切れた人形のように、死巨人がどうと地響きを立てて崩れ落ちた。
「相変わらず、すげぇな……」
一年ぶりに目撃する鮮やかすぎる手並みに、ユウトから感嘆の声が漏れた。
しかし、ラーシアはそれを聞いていない。
二の矢、三の矢を準備し、次々と死巨人を打ち落としていった。
いくらアルシアの援護があり、死巨人たちもユウトの《差分爆裂》でダメージを受けていただろうとはいえ、異常な戦果だ。
しかし、本人はけろっとしたもので。
「ああ、急所があるって良いなぁ」
他人には聞かせられない感慨に耽っていた。
その間も、岩巨人と巨大怪獣との決闘は続いている。
不意に、イグ・ヌス=ザドが飛んだ。正確には、糸を天井へと吐き、それにぶら下がって後ろへ飛ぶ。
距離を取り、今後はめくれた。
グロテスクなイソギンチャク状に切り替わり、その中心から瘴気の光線を周囲にばらまく。
狙いもない出鱈目な攻撃。
しかし避ける場のないほどの弾幕であれば、なんの問題もない。
「《エレメンタル・ミサイル》威力増大!」
待ち受けていたわけではないだろうが、精神集中を終えたヨナの眼前に無数の氷の矢が現れる。
ありったけの精神力をつぎ込んだ氷の矢。いや、槍が、瘴気の光線を打ち払い、そのままイグ・ヌス=ザドに突き刺さる。
エグザイルへの攻撃を無効化すると同時に、精神力を代償に生み出されたエネルギーの矢が着弾し、その生命力を着実に削り取る。
だが、まだ終わらない。
ヨナの赤い瞳が妖しく輝き、白髪の中に赤い房が現れた。
「《セレリティ》」
時の流れに干渉し、瞬時に精神集中を終え、即時に行動するパワー。
精神力を振り絞ってそれを発動させたヨナの前に、先ほどと同じく無数の氷の槍が出現する。
「《エレメンタル・ミサイル》威力増大、二発目!」
一斉射撃。
これはもはや爆撃に等しい。
「ウォオオオオオッッッ」
イグ・ヌス=ザドの巨体が、わずかに。だが、確実に傾いだ。
「我らが創造した、人造勇者か!」
人間らしい感情を無くしたトリアーデも、この皮肉には叫ばずにいられない。
ある一柱の神から祝福を受け、加護を授けられた存在を勇者と呼ぶ。
そして、絶望の螺旋を解き放つための核のひとつとして研究されていたのが、人造生命による勇者の創造。
その過程で産まれたのが、人造勇者候補のヨナだった。
ただし、彼女自身はそんな自覚はなく、ただ救ってくれた仲間たちのために力を振るうのみ。
「疲れた……」
「少し、休んでいなさい」
「ユウトの領域には、まだ遠い」
瞬時に精神力を消耗したアルビノの少女が、その場にへたり込む。
こればかりは、休息以外に癒やす方法は無い。
充分働いてくれたヨナの頭を撫で、感謝を伝えるアルシア。
先ほどまで輝いていた紅の瞳は元に戻り、髪もいつも通りの白髪だ。
「このままでは私の出番がなくなりそうだな。いや、その方が良いのだが」
水竜を見据えながら、ヴァルトルーデが苦笑を漏らす。
イグ・ヌス=ザドと対峙するエグザイル同様、ヴァルトルーデからも焦りは感じられない。油断もしていない。完全に自然体だ。
下僕だったサハギンが皆殺しにされたのは、どうでもいい。だが、ヴァルトルーデの余裕が、水竜には面白くなかった。
矮小な人間はすべて、水竜の姿を目にし眼前に立つだけで、恐慌を起こし必死に命乞いを始める。
実際――イグ・ヌス=ザドには及ばないものの――十メートルに及ぶ水竜の姿は、畏怖すべき美とでも表現すべき威容を誇っていた。
艶やかで傷ひとつ無い、全身を覆う鱗。流線型に近い、シャープなフォルム。人間など一咬みで飲み込み、巨大な鉤爪は簡単に粉砕するだろう。
水竜だからといって、水中のみが活動範囲ではない。陸上でも、なんら問題なく行動可能だ。
無論、水辺の近くの方が好みであるのは、間違いないが。例えば、陸上で人間をくわえたまま水中に潜ってしまえば、後はもう、好きに料理できる。
呼吸ができずにもがく生物をいたぶる瞬間は、水竜に最上の愉悦を与えてくれた。
グオオオオォォォンンンッッ!
威嚇を超えた殺意を込めて、水竜が叫びを上げる。
「むっ」
しかし、ヴァルトルーデに動じた様子はない。着々と、危険な水竜との距離を詰めていく。
気にくわない。
眉をひそめただけなのも気にくわない。自分よりも美しいのも気にくわない。四百年間の竜生で、ここまで不快感を覚えたのは初めてだ。
すべてが、気にくわなかった。
『舐めるなよ、小娘!!!』
「済まんが、竜語は分からぬ」
水竜が発した竜語の叫びを、ヴァルトルーデはあっさりとスルーした。竜語どころか、共通語しか操ることはできないのだが、水竜にそれが理解できるはずもない。
水竜は激怒した。
ヴァルトルーデ――派手な装備に身を固めた忌々しい人間が間合いに入るや否や、水竜は両の鈎爪を振るい、首を伸ばして噛みつき、尾を叩きつける。
ヴァルトルーデの細身を砕き掴むように振るわれる鉤爪、頭上からは穂先のように鋭い牙が襲ってきた。さらにとどめと、避けようのない横薙の尾が打ち据える。
怒りに任せた、暴力の乱舞。
これでは、ひとたまりもない。女の肉どころか、魔法銀の鎧も、ガントレットと一体化した盾もまとめて粉砕してしまう。あの光り輝く装備をコレクションにし損ねた。
そう、後悔した。
しかし――
水竜の乱舞が過ぎ去った後、そこにいたのは無傷のヴァルトルーデだった。
あるいは剣で、あるいは盾で、あるいは鎧に当たるに任せ、すべての攻撃を防ぎきってしまったのだ。
もはや人間業ではない。
だが彼女自身は、パーティ内の役割として、攻撃役はエグザイルで、自分は敵を足止めし、防御する役割だと考えている節がある。
呪文の支援もあるのだから、この程度は当然。驚くに値しない。そうも、思っている。
故に、こんな台詞が出てくるのだ。
「本気でやれ」
『ふざけるなッッ!』
竜語の叫びはしかし、ヴァルトルーデには届かない。
もちろん、水竜は全力だ。全力でヴァルトルーデを引き裂こうと、力の限り強打した。正しい。手加減などしていない。
だが、ヴァルトルーデは、それが間違いだと。そんな雑な攻撃など通用しないと言っているのだが……。
残念ながら、その真意は届かない。
『凍り付け!』
水竜が長い首をもたげ、大きく口を開く。
冷気の固まりが巨大な口腔に収束し、金属的な異音と共に吐き出された。
円錐状に広がる、冷気の吐息。
大型の帆船すらも凍てつかせ航行不能にする水竜の必殺の一撃。
「はっ」
ヴァルトルーデは、水竜が口を開いた瞬間にブーツの踵を打ち合わせた。それをトリガーとし、ブーツの両サイドから実体を持たぬ魔力の白い翼が現れる。
そのまま、ヴァルトルーデが飛んだ。
跳んだのではなく、飛んだ。
一時的ながら、着用者に飛行能力を与える飛行の軍靴。
その能力を駆使し、冷気の吐息を回避するのみならず、水竜の頭上を取ったヴァルトルーデ。
アルシアによる《光輝なる刃》の援護のお陰で、容易く水竜の鱗を引き裂くだろう――相手が対策を取らぬのであれば。
「ヴァル、そいつ《反発する鱗》の呪文を使ってるぞ」
年を経た竜は、理術呪文と同様の効果を、内包する膨大な魔力を元に本能として使用できる。魔術師のように巻物や呪文書によりレパートリーは増やせないが、準備が必要ないのは大きな利点だ。
第三階梯に属する《反発する鱗》は、外皮による防御を魔法的なそれに転換する。つまり、《光輝なる刃》による援護は無効化された。
「差し引きゼロになっただけだな」
だが、ヴァルトルーデは意に介さない。
「普通に倒せば、いいのだろう」
水竜の頭上で、くるりと宙返りをしながら頭頂部に一撃。
地上へと降り立ちながら、首に、体に、足の付け根に、足に。都合五発。強固な鱗を紙のように容易く斬り裂き、斬撃を与えた。
その連撃で、一瞬にして水竜を瀕死に追い込む。
『お、おのれぇぇ』
「意味は分からないが、理解できる。私への恨み言なら、好きに述べるがいい」
最後に、地上に降り立ったヴァルトルーデが討魔神剣を突き出し、心臓を抉った。
断末魔の絶叫を上げることもできず、水竜の巨体がどうと崩れ落ちる。四百年間休みなく鼓動を続けた心臓が、今、脈動を止めた。
気付けば戦闘シーンが長くなってしまい、申し訳ありません。
また、次回となる後編も、おなじぐらいのボリュームとなります。




