3.ファルヴの城塞
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「やっぱ、マジかよ……」
《瞬間移動》を終えヴァルトルーデの領地――かつてファルヴと呼ばれていた廃墟に現れたユウトが、目の前の光景に絶句し頭を抱えた。
見るからに、分厚く高い城壁。
東西南北にそびえる、その城壁よりも高い尖塔。
跳ね橋の先にある巨大な城門。
その先に見える城館は、離れたこの丘の上からでも圧倒されるほどの偉容で、百人以上の兵士たちを収容し、行政の拠点としても機能するだろうと思われた。
「ああ……。驚いたな」
萌葱色のチュニックにズボンという平服姿のヴァルもうなずく。
「まさか、あのように立派な城だとは。ヘレノニアに感謝を捧げねば」
「そこじゃねえよ!」
「でっかい、お城……」
「小学生みたいな感想を……って、実際、ヨナは小学生ぐらいか」
「意味不明」
「距離が離れすぎて私には、スケール感がよく分からないのだけど……」
紅の眼帯が与える擬似的な視覚では全貌が掴めなかったのだろう。いつも通りの法衣に聖印を首から下げたアルシアが、可愛らしく小首を傾げた。
「なにもなかったファルヴに、城塞が出現しているのは確かみたいね」
「……いつまでこうしてても仕方ない。近づいて調べよう」
死霊が巣くい――それはヴァルトルーデたちが駆逐したものの――廃墟となっていたファルヴの村。かつて神殿があった場所の跡地に突如現れた城塞。
四人は、城に近づきながらその偉容に圧倒されていた。
石造りに見えるが、城壁には継ぎ目が見えない。ユウトが鑑定してみるが、硬度も石の城壁よりも高いのではないかと思われた。
「ユウト、ちょっとパワーをぶっ放してみよっか?」
「今は止めてくれ」
屈託のないヨナもそうだが、条件付きで認めるつもりのユウトも大概だった。
城壁の内側には、城館だけでなく厩や納屋、井戸などが要所に配置されている。必要なものはすべて揃っているように見えた。
「うむ。内部も綺麗なものだな」
手始めというわけではないが、正面の入り口から城館の内部に入ったヴァルトルーデが感心したようにつぶやく。
奇跡の産物だけにユウトなどは入るのに躊躇したのだが、ヴァルトルーデはそんな冒険者の習い性とは無縁だった。
実に脳筋だが、冒険者というのは入念な準備をしたうえで最後は力押しをする生き物でもある。
「部屋もいっぱい」
「執務室、私室、会議室、倉庫、厨房、必要なものはなんでもあるな」
「地下室もありますね。例の場所にも行けるようです」
一時間ほど見て回った結果をまとめると――
「足りないのは人だけという感じだな、これ」
「神の奇跡は偉大ね」
聖職者らしいアルシアの素朴な称賛に、しかし、ユウトは素直にうなずくことができなかった。
「エグやラーシアが来なかったのは、正解だ」
「薄情な奴だな。見損なったぞ」
明け方にちょっとした事件があったのだが、ラーシアとエグザイルの二人は予定通り旅立っていった。これからは、この四人で活動することになる。
前から決まっていたこととはいえ、一年以上も生死を共にしてきた仲間と離ればなれになるのだ。別れの挨拶もそこそこにせざるを得なかったのは、寂しく感じられる。
ユウトの言葉を、彼女が薄情だと非難するのは当然だろう。
そうは言いつつも、常にユウトの言葉へ真っ先に反応するのはヴァルトルーデだった。そんな二人の様子を、内心微笑みながら傍観するアルシア。
「この城塞を見たら、二人とも旅を中止にしてたはずだぜ」
「なぜだ? まったく、ユウトの話は回りくどいな」
「魔術師だからな」
「性格だと思う」
ヨナの指摘は渋面を浮かべつつもやり過ごし、ユウトは説明を続けた。
「二人とも、あれで結構、仲間思いだからな」
「むう」
ユウトの意図が分からないというのもあるのだろうが、この城の存在を彼があまり喜んでいないのが不満だった。
ただ、それに気づいているのは、当事者のユウトでもヴァルトルーデでもなく、アルシアだけだったが。
話は、昨夜へ遡る。
旅立つラーシアとエグザイルのため、王都セジュールの自宅で送別会が催された。今まではそろってパーティに引っ張りだこだったのだが、今回は身内――六人だけの宴。
それは、多少騒がしかったものの、それほど湿っぽくはならず楽しい時間を過ごした。
ユウトも、二人に緊急連絡用の魔法具を渡した後は、久々に仕事を忘れて楽しんだのだが。
事件は、その後に起こった。
そこそこで切り上げてベッドに横になったユウトは、しかし、意識が途切れた直後、黄金に輝く宮殿にいる自分を発見した。
「夢――なんだろうけど、訳が分からん」
それは確かに、夢のような光景だった。
天井は高く、ユウトに地球の高層ビルのエントランスを思い起こさせる。床も壁も、どんな素材か分からないが、それ自体が輝いているように見えた。
新しいのか、古いのか。それすらも分からない。
夢で片付けてしまうには、あまりにもリアルな光景。そんな場所に制服でいるのは、なんだか酷く場違いに思える。
最も印象的なのは一番奥に設えられた、玉座だろう。黄金でできた、数え切れないほどの宝石で飾られた王の座所。
日本人の価値観からすると顔をしかめかねない趣だったが、ここまで豪華絢爛だと逆に感心してしまう。
だが、そこに主の姿はない。
「ほほう。実に変わった生地じゃのう。いったい、なんでできておるのだ?」
「……ポリエステルだったかなぁ」
「ポリエステル?」
金髪の男の子が、ユウトの制服の裾を引っ張りながら、キラキラした瞳で問いかけてくる。自分が身につけているトーガと見比べては、肌触りの違いを確かめていた。
まるで、新しいおもちゃを前にした子供のようだった。
「石油――生き物の死骸が高熱と高圧で液体に変わった物を原料にした繊維ですが」
「液体から糸を作るのか。変わったことを考えるものだな、異世界の人間は」
「俺も、言っててなんか変だなって思いましたよ」
とりあえず満足したのか、男の子がユウトから離れ玉座へ向かう。それを、その子供もユウトも当然のことと受け入れていた。
黄金に輝く宮殿。そして、主である少年。これだけのヒントがあれば、異世界人のユウトにも彼の正体は分かる。
知識の神ゼラス。
アルシアが信仰するトラス=シンクの夫神にして、賢者の守護神。子供の姿で描かれることが多い神だが――
「実際、そんな子供だったとは思わなかった……」
「知識神たる我が、不死者の倦怠に囚われるわけにはいかぬが故にな。まあ、諸々許せ」
(諸々とは、今のこの状況も含んでいるんだろうなぁ……)
認識をそこまで進めたユウトは、単刀直入に。一応は、敬語で言った。
「それで、今回のお召しは、絶望の螺旋の復活を防いだ論功行賞ってことでよろしいのでしょうか?」
「うむ。その通りだ。天草勇人よ、お前の仲間の許にも他の神々が訪れていよう」
玉座にしどけなく座った知識神が、冬の次には春が来ると言うぐらい当たり前に、衝撃的な事実を告げた。
「マジか……」
アルシア姐さんは、大丈夫。ヴァルも、まあ、感激しまくりだろうが、なんとかやるだろう。
「残りの三人が不安すぎる。無礼を働いて、お手討ちとかになってねえだろうな……」
そんな最悪の。だが、充分あり得る想像をしたところで、ユウト自身もゼラス神にまったく敬意を払った態度を取っていなかったことに気づく。
今更ながら膝を折ろうとしたところ――
「まあ、良い。そなたは、この宇宙の存在ではないのだからな」
「それはありがとうございます」
「それに、我も妻もかつては常命のものだった身。その態度が、懐かしくもあるわ」
幻想世界ブルーワーズ。
この世界では、神と人間の境界は絶対ではない。無論、〝始源〟から生まれた神も多く存在するが、人間たちが住まう物質界で力を極めて亜神として神の階に足をかけ、神となった存在も多い。
ユウトは最初、「菅原道真みたいな?」と思っていたのだが、死後祭り上げられたのではなく、生きながら神になったのだ。
どちらかというと、羽化登仙――仙人に近いだろうか。
「天草勇人、お前の故郷について色々聞きたいことはあるのだが、別の機会としよう」
玉座のゼラス神が、そっと居住まいを正す。
それで、ただそれだけで。目には見えないが、確かに存在するもの――オーラが変わり、ユウトは自然と膝を折りそうになってしまった。
「これが、神……」
心の中でだけ止めておくはずだった台詞が、つい口から出てしまう。
「望みを述べよ」
ユウトの困惑を斟酌することなく、知識の神ゼラスはただ一言命じた。
今回の偉業の報酬として、なんでも望みを叶えようと言っているのだ。
(ヴァル子は、感激して泣いてるんじゃないだろうか)
そう現実逃避をしつつも、ユウトも打算的に欲望を頭に思い描く。
しかし――
〝虚無の帳〟と戦っていた頃ならば、呪文の使用回数を増やすとか、強力な魔法具を希望しただろうが、今となっては必要ない。元の世界に帰る準備も独力で整えた。
財産もある。地位や名誉も権力もいらない。
「では、ひとつだけ」
短いが熟考の末、ユウトは口を開いた。
「俺は、なぜこの世界に呼ばれたのでしょう?」
その問いを耳にしたゼラス神は露骨に顔を歪めた。
(聞いちゃいけない質問だったのか?)
額に汗がにじむ。それを制服で拭おうとし……なんとか意志の力で押しとどめた。
「偶然だな」
「は?」
「ああ。本当にな、特に意味など無いのだ。偶々。運命に守られていたとか、そういうこともない。それで世界を守るという偉業を成し遂げたのだ。そこは誇って良いだろうな」
そのフォローが逆に痛い。
「そ、そうですね……」
神に気を使わせた男――
(なんの自慢にもならねぇ)
突如砕けた口調になったゼラス神のフォローにユウトはなんとか反応したが、心中は後悔一色だった。
「これだけではなんだから、ひとつだけ助言を」
少年の姿をした知識神が、足を組み直して厳かに告げる。
「一年後、大きな決断に迫られることになるだろう。その選択が、実り多きものであることを我も望む」
予想外に優しげな知識神の微笑み。
神との謁見はそれで終わった。
ユウト以外の仲間たちも、それぞれ自身が崇める、もしくは関連する神々からの報酬を受け取ったのだが、エグザイルは『筋力』、ラーシアは『女運』、ヨナは『不要』と、ろくなものではなかった。
アルシアは黙して語らず、意外なことに、唯一、実利的な「お願い」をしたのがヴァルトルーデ。
彼女は、領地経営の拠点となる城塞を欲したのだ。
しかし、政治的に非常に厄介な存在でもあった。
「一夜にして廃墟に城が忽然と姿を現した。こいつは、文字通り神の奇跡だ。ヴァル子は奇跡を賜った領主だ。とんでもない英雄だ」
「それがどうした。素晴らしい事跡ではないか」
「庶民にとってはな」
これを国王や他の貴族が見たら、どう思うか? 反応は想像するしかないが、感動に打ち震え涙を流すということはないだろう。
「ただまあ、いろんな手間は省けたよ。計画の変更で、十分対処可能だ。元々、ファルヴに本拠地を置くつもりだったしな」
廃墟と化したこの地だが、地理的な要因に恵まれていた。
簡単に言ってしまえば、ヴァルトルーデが賜った領地――イスタス伯爵領のほぼ中心に位置しているのだ。
「ようやく前向きになりましたね」
アルシアがにっこり笑って、ユウトの頭を撫でる。
「止めてくれませんかね、アルシア姐さん」
そうは言いつつも、されるがままになっているユウト。それを見て、ヴァルトルーデが不機嫌そうに表情を固くする。
しかし、ユウトが拒絶しない以上、邪魔をするのも大人げないと我慢していたが――
「それで、我々はどうすればいいのだ?」
結局、ユウトとアルシアの間に割って入ったヴァルトルーデが、つんとした表情のまま非難するように言った。
「ああ、変わらないよ。なにも変わらない」
懐から辞書並みに分厚い書類を取り出しながら言う。
「ここから、はじめての領地経営を始めよう」
これで第一章は終了。ようやく、導入も終わりました。
ストックはありますので、もうしばらく毎日更新させていただきます。
これからも、よろしくお願いします。