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レベル99冒険者による、はじめての領地経営  作者: 藤崎
Episode 12 英雄の証明 第三章 英雄たちの競演

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17.電光石火の決勝戦

「ヴァル!」

「ああ、ユウト……。情けないところを見せてしまったな」


 悔しいとは言わず、恥ずかしいとはにかむヴァルトルーデ。

 透明で、儚い笑顔。


 相変わらず、美しい。


 しかし、いつも元気づけられ、弾むような気持ちになった笑顔の面影はどこにもない。


(そりゃ、負けた直後に普段通りってほうが、おかしいんだろうけど……)


 理屈では分かっているが、感情が追いつかない。

 ふつふつと、やり場のない負の感情が湧いてくる。


「ヴァル……」


 ユウトは、再び愛する人の名を呼んだ。

 せっかく、アルシアが気を使って送り出してくれたというのに、それしかできなかった。


 レイ・クルスによってつけられた傷は、既にふさがっていた。いや、直接生命力を吸い取っただけで、そもそも外傷を与えてはいないのかも知れない。


 そんなヴァルトルーデの姿を見て、ユウトは彼女の名すら呼べなくなってしまった。


 とりあえず無事が確認できてほっとしたからというのもあるし、ようやくヴァルトルーデが負けたという現実を受け止めたからというのもあるだろう。


 ヴァルトルーデは負けた。

 その相手と次に戦うのは自分たちだ。


「そんな顔をされると、私が悔しがれないではないか」

「ああ、いや。ごめん……」

「無理はさせられなかった」


 そこへ、ヴァルトルーデとともに退場してきたヨナが割って入る。というよりはむしろ、会話にならない二人の潤滑剤になるつもりなのか。

 その証拠に、ユウトの肩に登ろうとはしなかった。


「まあ、負けは負けかも知れんが、戦えなかったわけではない。どうせなら、次に戦うユウトたちのためにだな……その……」


 アルビノの少女の赤い瞳に射すくめられ、語尾が弱々しくなっていく。最年少の少女が、本気で怒っていることに気づいたのだ。


「子供のためにも、無理はダメ」

「え……?」

「子供? なんのことだ?」

「いや、え? ヴァルがなんでその反応?」


 予想もしていなかったというのは、さすがに無責任だろう。思い当たるところはもちろんあるが、それでも、ヨナの指摘は青天の霹靂だった。


 ユウトは、真剣な瞳で、ヴァルトルーデをじっと見つめる。


「いや、まあ確かに、月のものはあれだが、元々来たり来なかったりというのはあるし。だから気づかなかったというか。え? えええ? そうなのか? そうだったのか?」


 狼狽の生きた見本となったヘレノニアの聖女。

 なぜだろう。そんな彼女を見ていると、ヨナのほうが信頼できそうな気がしてくるのは。


(なんかの超能力(サイオニック・パワー)で気づいたとかなんだろうな。きっと、そうだ)


 だから、夫婦が気づかなくても仕方なかった。

 さすが、超能力だ。


 ユウトは、そう結論づけた。 


「やりたそうだから一騎打ちはさせたけど、危ない真似はダメ。焚きつけた責任もあるし」


 一般レベルの危ないと、ヨナが考える危険とでは閾値にかなり違いはありそうだが、離婚問題があらぬ方向へ行ってしまい、彼女にも思うところがあったのだろう。

 それゆえに、自分の願いを放棄しても、あっさり負けを認めたのだ。


「そうか。ならば、仕方ない。仕方ないが……。ユウト、すまぬ。子供は、私が一人でも立派に育てあげるからな」

「やっぱ、本気か……」

「当たり前だ。負けたら、ユウトと離縁するという覚悟で臨んでいたのだ。そうしなければ、戦いを汚すことになってしまう」

「まあ、覚悟だけじゃ勝てないというか、覚悟だけだから本当にする必要なんかないというか……」


 だが、この程度で説得できるようであれば、そもそもあんなことを言い出さない。


 それに気づいたユウトは、頭を押さえ、息を吐いた。

 こんなことで、大切な人との関係にひびが入る? 許容できるものか。できるはずがない。


 次の瞬間、文字通り目の色が変わった。


「ヴァル」

「な、なんだ?」

「負けたから、この大会の主催者は交代だ。俺の代わりに、優勝者の願いを叶えてくれ」

「あ、うむ。そうだな」


 突然そんなことを言い出した理由は分からないが、もっともだと、ヴァルトルーデはうなずく。


「じゃあ、ちょっと優勝してくる」

「ああ。応援して――」

「優勝したら、また、俺と結婚してくれ」


 それは、ヴァルトルーデが考えていたのと同じ展開。

 だが、立場が逆になったそれは、もっと苛烈で情熱的な愛の告白でもあった。


「ユウト……」


 返事も待たず、ユウトは地下の控え室へと戻っていった。アルサス王にも協力を求めなくてはならない。


 一方、ヴァルトルーデは、腰が抜けたように、ぺたんと座り込んでしまった。

 歓喜か、安心か。とにかく、筆舌に尽くしがたい感情に襲われ、体に力が入らない。その頬は戦闘の余韻とは異なる興奮で上気し、瞳は悔しさとは別の感情で潤んでいた。


 ユウトは男で、自分は女。

 そのことをまざまざと思い知らされ……今、このときだけは、それが不快ではなかった。





「ところで、兄ちゃんも仮面の剣士と謎の魔術師の正体知ってるんでしょ?」

「さあ、二日に亘って行われた武闘会も決勝。泣いても笑っても、泣いたり笑ったりできなくなっても、これで最後だね」

「ガード堅いなぁ!」


 アルシアであれば内部情報を知っただけで済むが、ラーシアの場合、賭けの運営にも携わっている――掛札には、印鑑が偽造防止に使われている――のだから、簡単には、認められない。


「いつか秘密を暴いてやる。というわけで、先に現れたのは、黒髪の剣士レイ・クルスと大賢者ヴァイナマリネンのお二人でっす」

「変装はやめたみたいだね」


 ラーシアの言うとおり、レイ・クルスは白銀色の鎧ではなく、トレードマークである黒檀色の板金鎧(プレートアーマー)を身につけていた。

 しかし、観客は皆知っている。その肉体が仮初めの存在であることを。


 彼が背負った過酷な運命を思い、英雄を迎え入れる歓声も、領主を打ち倒したことによる罵声もあがることはなかった。


「やれやれ、すっかり盛り下がったな」

「俺の知ったことではない」

「私としては、周囲のことも考えてほしいですが」


 ヴァイナマリネン、レイ・クルス、メルエル。パス・ファインダーズの三人が、フィールドの中央で言葉を交わす。かつての仲間同士の軽口に見えて、その雰囲気はやや重苦しかった。

 それは、貴賓室から注がれるもう二人の仲間からの視線も関係しているかも知れない。


「さあ、続けて仮面の剣士と謎の魔術師が登場です!」


 反対側の入場口から、仮面の剣士と謎の魔術師――アルサスとユウトが姿を現す。

 こちらもまた、まとう空気は重たかった。決闘を前にした緊張感というよりは、死地へ赴く覚悟を決めた戦士に近い。


「随分、気負ってるな」


 ヴァイナマリネンが茶化すように言うが、ユウトは取り合わない。

 死神の仮面越しに対戦相手を睨みつけ、おもむろにその仮面を外した。


「ああっと、仮面の下から出てきた顔は」

「イスタス侯爵家、家宰ユウト・アマクサだ!」


 それに続く、どよめき。

 だが、それで終わりではない。


 続くように、仮面の剣士――アルサスも、その仮面を外した。


「なんということだ。仮面の剣士の正体はアルサス王だった!」


 会場に広がる感情は、困惑。

 どう反応して良いのか分からないと、視線をさまよわす。


「アルサス様、ユーディットは見守っておりますわ」

「ユウト、信じているぞ!」


 そんななか、貴賓室から声援が飛んだ。

 それで、「あ、本物なんだ」、「応援して大丈夫なんだ」と、状況が整理できた。


 こうなれば、会場はユウトのホームに早変わりだ。

 ヴァルトルーデの敵討ちを期待する空気に、レイ・クルスとヴァイナマリネンはすっかり悪役になってしまう。


「まさか、王様と大魔術師(アーク・メイジ)様とは。だけど、どっちも兄ちゃんの知り合いじゃん」

「いやぁ、びっくりだね。戦ったのに気づかなかったよ」

「これ、貸しだかんね」

「ちょっと、妹が怖いんだけど!」


 草原の種族(マグナー)の漫才も、その空気に拍車をかける。

 だが、これがユウトの狙い……というわけではない。正体を明かしたのは、こうしないと、勝った後にやるべきことをやれないというだけ。


「うちの嫁さんが、優勝できなかったから離婚するって言ってるんだ。さっさと元サヤに戻るんで、速攻で終わらせる」

「目が据わっておるな。結構結構」


 いつになく真剣なユウトだが、ヴァイナマリネンは余裕を崩さない。呵々大笑し、余裕を見せる。


「面白い、小僧。やってみろ」

「安心していいぜ。今日の相手は、ジイさんじゃないからな」


 しかし、ユウトは取り合わない。

 そして、レイ・クルスへと視線を移した。


「恨まれたものだ」


 その鋭い視線を受けても、レイ・クルスは平然としている。

 本体が両手剣(グレートソード)生命啜り(ライフ・サッカー)にあるとなれば当然とも思えるが、やはり、人並みの感情をどこかへ置き忘れてしまったのだろうか。


「私はこの国の王でアルサスというが……まあ、私のことなど記憶に残りはすまい」


 沈黙を守っていたアルサスが、その堕ちた英雄へと声をかける。


「謙虚なことだ」


 中立というよりは勝利を確信した態度に、さすがのレイ・クルスも鼻白んだ。

 自分に対する必勝の策は、あくまでも理論上だが、存在する。しかし、この場では、それはありえない。机上の空論としても、成り立たないはずなのだ。


 まさか、それに気づかぬほど甘い相手とは思えない。

 となれば、なにか奥の手があるのか……。


「罠なら罠で構わん。粉砕するのみだ」


 もう少しで、望みが叶うのだから。


 極めて、シンプルな望み。


 それは――


「お、今入ってきた情報によると、レイ・クルスがこの大会に出場したのは、トラス=シンク様の墓地で、剣姫スィギルに会うのが目的だったようです」

「なるほどー。大賢者の人が、サポートだったわけだ。ところで、にいちゃん。その紙、さっきからずっとそこにあったと思うんだけど」

「気のせい、気のせい」

「そうだね。きのせい、きのせい。借りふたつっと。んでも、墓地に行きたければ、勝手に行けば良かったんじゃ?」

「それだけだと、剣姫も出てこないんじゃないかな。ヴァルやユウトが認めないと、トラス=シンク様も、エルフの神様の手前、仲介しにくいと思うよ」

「神様の世界もいろいろだ」


 軽妙に語られる、レイ・クルスの願い。

 彼の過去を考えれば当然で、小さな望み。

 しかし、当人たちにとっては切実な望みだった。 


「それは、ユウトも同じ」


 けれど、願いがあるのは、レイ・クルス一人ではない。


「うわっ、ヨナ?」

「ヴァルは、優勝できなかったら離婚するつもりで、この大会に出場してた」

「え? そうだったの?」


 ラーシアも、それには気づいていなかった。

 心の底から後悔する。知ってたら、いろいろ楽しいことになっていたのに……と。


「だから、今現在、ユウトとヴァルは赤の他人」


 いつの間にか実況席に現れたヨナは、メルラの魔法具(マジック・アイテム)を奪って滔々と語る。声は増幅されているが平坦で、感情は希薄。

 けれど、誰一人として耳を離せなかった。


「どーなのそれ?」

「どうかと思う」

「え? 兄ちゃんとヨーちゃん、そこで同意しちゃうの」

「だから、ユウトが勝って、もう一度プロポーズする」

「別に正式に別れたわけじゃないだろうし、それ、普通に後でなかったことに――」

「愛です!」


 冷静なラーシアの指摘を――マイクを奪ったので、物理的な意味でも――遮って、メルラが叫んだ。


「ファルヴ武闘会の決勝戦。これは、まさに、愛と愛の激突だ!」


 オオオオーーーと、地響きのような声が闘技場全体。いや、外壁の外からも地鳴りのように聞こえてくる。

 そうだ。これは、愛のために、愛を賭けた戦いなのだ。


「さて、盛り上がったところで始めようか」


 フィールドの中央。

 最後に残った四人の中心で、メルエル学長が苦笑を浮かべながら促す。審判として支えてきたメルエルは、決勝を前に、悟りに近い心境に至っている。


「これより、決勝戦を執り行う。――始め!」


 最後の合図が、力の神の闘技場に響きわたった。





「《魔力解体(アイソレーション)》」


 やるべきことは決まっていた。逡巡も躊躇いもなく、ユウトは呪文書から9ページ分引きちぎり、究極の対魔法呪文を発動させる。


 標的は、生命啜り(レイ・クルス)


「兄ちゃん、この呪文は?」

「レイ・クルスを完全に消す気だ!」


 魔法具(マジック・アイテム)は力を失い、秘宝具(アーティファクト)ですら消滅させられるのは実証済み。後者に関しては無条件ではなく、術者であるユウト本人の力量次第ではあるが……上手くいけばレイ・クルスという存在は消えてなくなる。


 無論、それはレイ・クルス自身理解している。


 相棒が、黙って見過ごすはずもないことも。


「《魔力解体》」 


 間髪を容れず、待ち受けていたかのように、ヴァイナマリネンからも同じ呪文が飛んだ。

 究極の呪文が中空で相殺。きらきらとした可視化した魔力が降り注ぐ。


 火球や隕石が飛び交うわけではないが、稀に見る高度な魔術戦。その真価を最も理解しているのは、観客ではなく審判だったが。

 そして、メルエルには、まだ次があることが分かっていた。


「《魔力解体》」 

「《魔力解体》」 


 第九階梯の呪文も尽きよとばかりに、再び究極呪文がぶつかり合う。


「読み通りだぞ、小僧!」

「こっちは、予定通りだよ」


 まずは凌ぎきったと、ヴァイナマリネンが吼える。

 昨日の段階でレイ・クルスの正体が露見していたら、ユウトもさらに《魔力解体》を準備していただろうが、そんなに都合のいい話があるはずもない。


 ヴァイナマリネンも、結局、対戦はなかったが、ヨナの超能力相手には《魔力解体》も意味がないので、二回分しか準備はしていなかった。


 お互い、最初に切り札を出し合った格好となる。


「女をやられて、焦っておる……わけでもなさそうだな」

「俺は冷静だよ。冷静に、詰め将棋をしてるのさ」


 開始直後の《魔力解体》の応酬。

 予期はしていたが、《魔力解体》を見せ札にして、他の呪文は通させるという選択肢もあったはずだ。例えば、最初に使ってきたのが《星石落雨(メテオ・レイン)》や《召喚(サモン)》系統の呪文などであれば、《魔力解体》を警戒して別の手段を取っていただろう。


 大賢者ヴァイナマリネンが、ユウトの次の一手を警戒し、自らは動けずにいた。


 そして、膠着状態は、もう一組も同じ。

 冒頭の魔術戦の結果、自然と、アルサスとレイ・クルスが対峙することとなったのだが、こちらの立ち会いは余りに静かだった。


「…………」

「…………」


 じっとにらみ合い、動かない。

 達人同士が機会をうかがっているのにも似た、張りつめた空気。


 お互い、動というよりは静の剣士であることも、それに一役買っていた。


「…………」

「…………」


 じりじりと距離を詰め、しかし、一定の距離まで近づくと、どちらからともなく後ろへ下がる。右へ左へ、円を描くように位置取りを変えていく。


 間合いを征するものが、勝負を征す。


 それを実証するため二人の剣士が深く静かに対峙するが――その剣が交わることは、最後までなかった。


「《絶魔領域アンティマジック・スフィア》」


 先に動いたのは、大賢者ヴァイナマリネン。

 呪文書から8ページ分切り裂いて、周囲に展開。それが光の膜へと変化し、辺り一帯を覆った。


 その効果範囲から逃れられたのは、離れた位置にいたメルエルだけ。空中に逃れた審判は、フィールドの中心が魔力抑止の空間となり、その範囲に出場者全員が含まれていることを確認する。


 あらゆる呪文と魔法具の発動・動作が停止する空間だが、亜神級呪文(イモータリィ・スペル)と秘宝具は、その例外。

 つまり、レイ・クルスには影響を与えない。


 ヴァイナマリネンは腰に差していた長剣(ロングソード)を抜いて、ユウトへ突撃を仕掛けようとし――次の瞬間、焦燥の声を上げた。


神力解放(パージ)

「くっ、しまった!」


 亜神級呪文は、例外。

 なら、神力解放した呪文であれば、魔力抑止されようと問題はない。


 エグザイルが神力解放していたにもかかわらず、その可能性に思い至らなかったこと。ユウトの覚悟を見誤っていたこと。

 それは、確かに失策だろう。


「レイ、どこでもいい。逃げろ!」


 けれど、大賢者といえども、神力解放で具体的にどう強化されるのか知り得ない。それで対策を取れというのは酷な話だ。

 警告を発せただけでも大したもの。


 間に合いは、しなかったが。


「《絶魔領域》」


 神としての力を解放し、人を越えた領域にて行使した呪文は、偶然か必然か、ヴァイナマリネンと同じものだった。

 既存の《絶魔領域》を上書きし、押しつぶし、フィールド全体を覆い尽くす。


 これが、ただの《絶魔領域》であれば、問題はなかった。

 お互い、呪文や魔法具の恩恵がなくなり、肉弾戦へ移行する。そうなれば、どちらの組が有利かは自明。ヴァイナマリネンが先に使ったのも、それに気づいていたから。


「これは――って、うわっ。音声拡大できなくなってる」


 さらに、闘技場の外からは悲鳴が聞こえてきた。無理もない、映し出されていた映像が、突然消えてしまったのだから。

 そう。神力を解放して展開した《絶魔領域》は、神々の秘跡(サクラメント)すら抑止する。秘宝具がどうなるか、言うまでもない。


「陛下!」

「任せろ!」


 二人が、打ち合わせ通りに動く。

 アルサスは、一直線にヴァイナマリネンへ突撃した。


「失礼いたします、ご老体」

「そう思うなら、労らんか」

「それはできかねます。我が友曰く、『あのクソジジイを放置したら、なにしでかすか分からん』だそうですから」

「買いかぶられたものよ……なっ」


 ただの業物となった長剣を振るってアルサスの突進を阻んだのは大した技量だが、それだけ。引きはがすことはできず、無理やり白兵戦へと引きずり込まれた。


 それを見て、ユウトがフィールドを疾駆する。


「レイ・クルス!」

「見事なものだ」


 さすが、悪魔諸侯(デーモンロード)が関わった魔剣と言うべきか。黒髪の剣士は、なんとかその姿を保っていた。ユウトが想定していたなかで、最も悪い状況。

 しかし、足下はおぼつかない様子で、剣を構えるのがやっと。


「優れた戦士は、讃えられなければならん」

「そういうのは、負けてからにしてくれ」


 上段から振り下ろされた生命啜りの一撃を、ユウトは紙一重でかわした。

 もう一度やれと言われても、できないし、やりたくない。それほどまでぎりぎりの回避。


「あああっっ」


 先端がフィールドに突き刺さった両手剣を無視し、レイ・クルスへと肉薄。呪文書も、投げ捨てた。

 今のユウトは、武器を持っていない。怪しまれるため先に出しておくことはできなかったし、今の状態では無限貯蔵のバッグから取り出すこともできない。


「そっちも、いろいろあったんだろう。共感は難しいけど、同情はする。だけど、それとこれとは、話が別だ」


 徒手空拳。武器は、この拳だけ。

 だが、今の気分からするとちょうど良い。


「俺の嫁に、なんてことしやがる!」


 理不尽な叫びとともに、ユウトはレイ・クルスの鼻面を殴りつけた。

 飛び上がりながら放った、喧嘩などほとんどしたことのないことが分かる、殴りつけた拳のほうが痛そうな一撃。


 それでも、もう一発だとユウトが拳を引く――動作は、中断させられた。


「くっ。はははははは。そうか、俺は二人と戦っていたのか」

「気づくのが遅かったな」

「ああ。虎の尾よりも、竜の尾よりも、魔術師の尾には注意しよう」


 ユウトの一発で限界を迎え。いや、もともと限界は超えていたのか。


 愉快そうに。心の底から、愉快そうに笑って。

 レイ・クルスは陽炎のように消えた。


 生命啜りが、どさりとフィールドに落下する。


 一瞬の静寂。


 次の瞬間、それが試合終了を告げる鐘の音となったかのように、観客席から怒号にも似た歓声が噴出した。

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