10.安らかなインターバル(前)
次回は、男連中のターンです。
「なんか、とんでもないことになってるわね……」
本来は、今日一日で終わるはずだったファルヴ武闘会。
ブルーワーズにおける《瞬間移動》の使い手の過半が集まっているのではないかと思われるイスタス侯爵領だったが、さすがに来賓を日帰りさせるつもりではなかったのが奏功し、延長自体は問題はなかった。
ただ、優勝者を讃えるはずだった大会後のレセプションは中間イベントとなってしまい、明日もまた似たようなことをしなければならないとなると、頭が痛い。
ユウトとは別にそのあたりの調整を行い一息ついたアカネは、城塞内にある私室へ戻ってベッドに腰掛けた。
「ああ。明日が、楽しみだな」
「話が通じてない……。そっちじゃないわよ……」
パジャマに着替えたアカネは、最初に転移した頃から使用しているタオルで髪を乾かしつつ――ドライヤーが欲しいと、いつも思う――ヴァルトルーデのずれた回答に苦笑する。
こちらと向こうの認識の差というよりは、やはりこの聖堂騎士が特別なのだとは理解している。なにしろ、その後ろでアルシアが静かに首を横に振っているのだから。
「先ほどの会場でも思いましたが、この果実水、美味しいですね」
ガラスのコップを両手で持って、氷が浮かんだ柑橘系のジュースを飲むのは神王セネカ二世。女の子らしいその仕草は、男なら一発で参ってしまうところだ。
もちろん同性相手にも攻撃力はあるが、アカネにとっては残念なことに、それに見とれてはいられない事情があった。
「……それで、これはなんの集まりなのって、聞いていい?」
「アカネさんの故郷で言う『女子会』ですわ。せっかくのお泊まりなのですから。そのまま寝ては、もったいないでしょう?」
王族らしいシルクの寝衣に身を包んだユーディットが、たおやかに微笑む。その表情は人形のように整っており、愛らしい。
「ユウトや王様を放って?」
「アルサス様には、アルサス様のお付き合いがありますから」
病的なまでにアルサスを愛するユーディットだが、いたずらに束縛をしようとはしなかった。それは信頼の証であると同時に、嫌われたくないという乙女心も多分に含んでいた。
もちろん、彼女にも妬心はある。
だが精々、王宮に仕える侍女の配置転換をしてアルサスの目に若い娘が入らないようにしたとか、側室などをあてがわれないよう多くの子を産む決意をしたとか、その程度。
特に後者に関しては、アカネから5男11女を産んだという女帝の話を聞き、深い深い感銘を憶えていた。
「女子会って言うか、時間的には二次会という感じもするけど……」
そこまで遅い時間というわけではないが、明日と肌のことを考えれば睡眠をとるべきなのも確か。ただ、アカネが汗を流している間に部屋へ入り込み、飲食物もしっかり用意されていることを考えれば、正論が通用する段階でもなさそうだ。
「じゃあ、やりましょうか女子会。ところで、人数はこれだけ?」
「ローラ様は、残念ながら不参加だそうですわ」
「言われて誘ったけれども、メルラさんもリトナさんも明日は忙しいからと」
ローラ王妃に関しては、エルドリック王とクレス王子もいるし、パス・ファインダーズのメンバーが勢ぞろいしている。それを考えると、こちらに来ている場合ではない。
草原の種族の女子も、仕事を抱えているのは確かだ。
呼ぼうと思えば、ペトラやカグラ、レジーナなど『女子会』に相応しいメンバーも思い浮かぶが、喜ばれるとは思えない。ヨナと同じく、寝かせてあげるべきだろう。
「じゃあ、まず聞きたいんだけど、ヴァルはここにいていいの?」
「仲間外れか? それはひどくないか」
塩をふったベジタブルチップスと、カグラが新メニューに挑戦して完成した一口カステラもどきを交互に口へ運ぶだけの機械になっていたヴァルトルーデが、久々に食べ物以外で頬を膨らませて抗議する。
「完璧に、食べながらしゃべってるわ……」
「時間差を利用していますね」
婚約者の妻が披露する神業に、アカネとアルシアは言葉もない。
夜遅いからとか、体型の維持が心配だからとか。そんな女性が一般的に抱く配慮など考えたこともないと、油っぽいものを口にするその姿勢は、いっそ、神々しかった。
神王と王妃が羨望の眼差しで見ているのだから、間違いない。
「仲間外れじゃなくて、勇人と一緒じゃなくていいの?」
「ヴァルのことですから、明日は敵同士、夫婦といえどもなれ合うべきではないなどと思っているのでは?」
「夫婦……か」
アルシアが口にした妥当な推論。
しかし、ヴァルトルーデは肯定も否定もせず、視線をお菓子から離し遠くを見つめた。
「なにか、事情があるようですわね」
確認というよりは確信した様子で、ユーディットはヴァルトルーデに先を促した。セネカは無言だが爛々と瞳を輝かせている。
「ヨナに言われたのだ。私には、覚悟が足りない――とな」
「覚悟?」
「ヨナ?」
アカネとアルシアで引っかかった場所が異なったが、それに気づかずワンピース状の寝衣の裾をいじりながら、聖堂騎士は遠い目で続ける。
「ああ。この大会で優勝できなければ、ユウトと離婚するぐらいの覚悟が欲しいと」
その瞬間の空気を、どう表現すればいいのか。
アカネは驚きに動作が停止し、セネカ二世はおろおろとしてジュースをこぼしそうになり、アルシアはどうして気づかなかったのかと失策に天を仰いだ。
「愛、ですわね」
「ああ、愛なのだ」
そこに、なぜかユーディットとヴァルトルーデが分かり合ってしまい、混沌に拍車がかかる。
(これが既婚者との壁!?)
などと二人の共通点に気づき心の中で叫ぶが、きっと間違っている。間違っているはずだ。
「ええと、つまり、どういうこと?」
「決まっているではないか」
なぜそんなことがわからないのだと言いたげに、このなかでは最も小さな胸を張って言う。
「この大会で優勝し、与えられる願いで私は改めてユウトと結ばれるのだ」
その瞬間の空気を、どう表現すればいいのか。
アカネは「あ、はい」と反射的に言った後は二の句が継げず、セネカ二世は口に含んでいたジュースを吹き出しそうになったが寸前でこらえ、アルシアは頭痛をこらえるかのように額を押さえた。
「愛、ですわね」
「ああ、愛なのだ」
再び、なぜかユーディットとヴァルトルーデが分かり合ってしまい、混沌に拍車がかかる。
アカネとしては、「女子会に相応しい恋愛話ね。もう好きにすれば?」と言いたいところだ。
どうせ、ユウトにはここまで詳しく話してはいないのだろうし――もしユウトが聞いていたら、どちらかに相談しているはずだ――優勝できなかったからといって本当に別れるはずもない。
負けたときのことを考えていないのが、その証拠だ。
「ヴァル、もしかして本気で……?」
「私は、冗談など口にしたことはないぞ。オズリック村にいた頃は、『ヴァルは冗談が上手いな』と何度か言われたことはあったが」
けれど、最も付き合いが長く深いアルシアの一言で風向きが大きく変わる。
「ちょっと、ヴァル。待って?」
「どうしたのだ、アカネ」
満足そうで、自信に満ちあふれ。いつもながらに美しいヴァルトルーデだが、今回ばかりは負の感情が先に立つ。
「決勝の相手が勇人たちだったら、どうするのよ?」
「是非もない。正面から、打ち破るのみだ」
「えっと、そうなると、勇人が勝ったらヴァルと結婚したくないってことになるわよね?」
そもそも、ユウト本人は離婚をしたつもりはないのだが、それは脇に置く。
「あと、もし勇人がこの件を知ったら八百長になるわよ」
「むう。それはいかんな」
不正。それは、ヘレノニア神の聖女にとって、最も忌むべきもののひとつである。それに荷担するなど、聖堂騎士として、そして人として決して許されないことである。
「ですが、それ以前に、ヴァイナマリネン様と魔剣士殿に勝利しなくては決勝までたどり着くことができないのでは?」
予防策としてジュースを全部飲み干してしまったセネカ二世が、グラスを床に置きながら根本的な質問をした。
「確かに……。ダークヒーローっぷりを見せつけられちゃったし」
「ヴァイナマリネン師も、絶好調だったわね」
「なかなか、刺激の強い光景でした」
「ええ。天上での冒険という経験がなかったら、卒倒していたかも知れません」
ヴァルトルーデがヨナの攻撃に巻き込まれたときにも驚いたが、それとはまた違う。
レラがパーラ・ヴェントに足を食いつかせてからの流れは、凄惨と呼ぶほかなかった。力の神の闘技場が持つ祝福により回復すると知っていても、クレスとパーラ・ヴェントが串刺しになったシーンは血の気が引いた。
いや、たとえ知っていても、あれがユウトだったらと考えるとアカネは気が気ではない。
その意味でも、クレスが、元気とまではいかないものの、しっかり回復してレセプションに参加していたのは良かった。肉体と精神は別物で、さすがに心にまでは祝福も及ばないのだ。
にもかかわらず、しっかりとした足取りで会話もこなしていた。
それでもなお王太孫がタフだと目されないのは、レラやレグナム総大司教が元気いっぱいで食欲も旺盛だったからだろう。
彼の悩みも聞いているが、ブルーワーズに来てから戦闘力でも美貌でも自分を超える人間にばかり遭遇しているアカネとしては、クレス王子には一刻も早く「よそはよそ、うちはうち」の精神に目覚めてくれるよう願ってやまない。
「ああ、凄まじかったな。だが、相手にとって不足なしだ」
心配と不安を覗かせるアカネやアルシアを余所に、ヴァルトルーデは平常運転。
いつもと変わらず、強敵を歓迎する態度を崩さない。
「それに、改心とは言わぬが、私が勝利することでレイ・クルスになにか影響を与えられるかも知れん。そう考えれば、ますます負けるわけにはいかんな」
そう宣言するヴァルトルーデの姿は、寝衣を身につけていても堂々たる聖堂騎士。単純に悪を討つだけでなく、改心させてこその善だと断言する。
気高いヘレノニアの聖女がそこにいた。
「でも、結局は離婚だ結婚だのに収束するのよね……」
「そこは言わぬが花よ」
負けたら、相当面倒なことになる。
是が非でも勝ってもらわなくてはならないと、アカネとアルシアは思いを新たにした。




