8.決断
「は? 海から、水竜とサハギンたちが侵攻してきた?」
「うげ、巨人と錆を喰らう怪物がやってきたって!?」
「村に配った《伝言》には、オーガに率いられたゴブリンやコボルトどもが攻めてきたって」
「ヨナ!」
「もうやってるよ!」
ヨナがミラー・オブ・ファーフロムに手をかざし、《念視》をコントロールする。
そして、最悪なことに、すべて誤報ではないことが確認できてしまった。
ハーデントゥルムの港。復旧が終わったばかりのそこへ、魚人たちが迫っていた。トライデントを装備し、続々と陸を目指している。さらにその沖には、鱗に覆われた竜の姿が見えた。
存在するだけで死をまき散らす巨人、タナトス。上位巨人ティタンの一種である死巨人が岩巨人を引き連れて、ドワーフの鉱山街へと、ゆっくりとだが大きな歩みを進めていた。
だが、ドワーフたちは巨人の相手をすることはできない。なぜならば、玻璃鉄の鉱山を目指す錆を喰らう怪物への対処で精一杯だからだ。一匹でも侵入を許せば、街の死を意味する。
凶悪で醜悪な亜人たちが、村々に攻め寄せていた。堀と城壁によりまだ村への侵入は阻まれているが、このままでは時間の問題だろう。なにしろ、その軍勢はユウトたちが想定していた規模を遙かに超えている。
どこも、戦争だった。
しかも、存亡の危機を感じさせるほどの。
「まさか、標的が全部だとはな」
想定以上とユウトが苦笑を浮かべる。
笑っている場合ではない。
だが、笑うしかない状況だった。
「……どうする?」
こちらを伺うように、ラーシアが問う。
さすがに、いつもの微笑は消え、声も重苦しい。
いや、ラーシアだけではない。エグザイルやヨナはもとより、ヴァルトルーデやアルシアも、全員がユウトに注目していた。
この絶体絶命の窮地を脱出するためのアイディアを期待されている。
四対の瞳と眼帯越しのひとつの視線を受けて、その身勝手な期待にユウトはキレ――たりはしなかった。
少しは自分で考えろとも、俺はこの世界の住人じゃないんだから関係ない――などとも思わない。
むしろ、その期待が嬉しい。仲間との絆すら感じる。
問題は、その期待に応えられるかどうか。
しかも迅速にだ。
(できるかも知れない……けど)
アイディアと言うのも図々しいアイディアはあるが、実行可能かも分からない。ギャンブルよりも酷い発想だ。
ギャンブルなら、少なくとも賭ける前に倍率は分かるはずなのだから。
「とりあえず、状況を整理しよう」
「そうね。でも、整理と言っても……」
「モンスターがそこかしこに現れて、さあ大変だからねぇ」
「まあ、俺は殴るだけだがな」
「そうだな」
「頼りになる前衛だなぁ」
「せっかく《テレポーテーション》で移動できるんだし、戦力を分ける?」
エグザイルとヴァルトルーデの存在は脇に置き、ユウトはヨナのアイディアを検討する。
「そうね。戦力を半分に分けて、ファルヴ防衛組と他の街や村の敵を殲滅する組に――」
「いや、それじゃ押し切られる」
ユウトは首を振って、そのアイディアを否定した。
それこそ、相手の思うつぼだと。
「私も戦力の分散には反対だ。このファルヴ――オベリスクだけは絶対に〝虚無の帳〟の手に渡すわけにはいかない」
ヴァルトルーデが、ユウトの発言を追認した。いっそ、非道とも言える声音で。
「じゃあ、見捨てる?」
「それこそまさかだ。私が、そんなことを認めるはずがないだろう」
平然と矛盾した台詞を口にしたヴァルトルーデの視線は、まっすぐにユウトへと向かっていた。
領民を救わなくてはならない。
世界も守らなくてはならない。
矛盾する命題。
それを前に思い浮かんだのは、両親の顔。それから、幼なじみと友達。高校は別になったが、今でも交流のあるサッカー部のチームメイト。
地球、日本、自分の家、自分の部屋、学校。行きつけのコンビニ、よく行ったラーメン屋。好きだったテレビやマンガ。
次に脳裏をよぎったのは、ヴァルトルーデと巡ったファルヴのこと。
発展途上で活気のある街、屋台の熊のようなおやじ、話し好きなウェイトレス、任務に忠実な門衛。クロードを筆頭に、妙に謹厳実直で有能な官僚団。
メインツのドワーフたち。最初は絶望していた彼ら、玻璃鉄や馬車鉄道を与えられて、新しいおもちゃではしゃいでいる子供のような彼ら。
ハーデントゥルムの商人たち。めざといが、いつもユウトやヨナに驚かされていた。父の跡を継ぎ、商会を発展させているレジーナ。
カイエ村を始めとした、村々も巡った。農作業や自警団の訓練に励む村人、楽しそうに遊ぶ子供、新しい命も生まれた。収穫祭にも参加した。
――ユウトは決めた。
多少帰るのが遅くなるぐらい、どうってことはない。少なくとも、そう思いこんだ。
「一年後、大きな決断に迫られることになるだろう。その選択が、実り多きものであることを我も望む」
約一年前。夢の中で、知識の神ゼラスから最後に伝えられた言葉が、唐突に蘇ってきた。
(ちょっと、待てよ)
その可能性に気付いた瞬間、ユウトの顔から血の気が引いた。
知識の神ゼラスであれば、この状況でユウトがなにを選択するか、分からないはずもない。それなのに、なぜわざわざ、知識神はこんな言葉を贈ったのか。
(そういうこと、なのか……?)
確証はない。
しかし、気付いてしまった可能性を否定もできない。
「……そう、だな」
だが、ユウトはあっさりと迷いを捨てた。
その可能性は、一度傾いた天秤を逆にするほどの重みはなかった。いや、あったとしても後悔だけはしたくなかった。
まさに、実り多い選択だ。
「止めても無駄なようなので、ユウトくんにだけは伝えておきます」
その決意を感じ取ったのか、アルシアは立ち上がりユウトの耳元に唇を寄せる。
他意はないと分かっていても冷静ではいられないヴァルトルーデを横目で見つつ、耳元でささやかれたその告白を聞いて、ユウトの瞳がいっぱいに見開かれた。
「……ありがとうございます、アルシア姐さん。使わせてもらいます」
確かに、他の仲間――特にヴァルトルーデ――に聞かれたら、一悶着ありそうな内容だった。
同時に、ユウトの賭けを確実にしてくれる手札でもある。
「作戦は決まった。俺とアルシア姐さんは、先に地下空洞に行く。みんなは、悪いけど普通のルートで来てくれ」
「一緒に行っては駄目なのか?」
「というか、なんで地下なのさ」
「悪いが、反論も質問も無しだ」
「……分かった、信じるぞ」
ユウトが発案し、ヴァルトルーデが承認した。
これで動く理由には充分。
ユウトはアルシアの手を取って、ミラー・オブ・ファーフロムの機能を転移門に切り替えた。
そして、そのまま鏡をくぐって地下のオベリスク前へと移動する。
その表情は――誰にも見えなかったが――まるで悩みから解放されたかのように晴れやかだった。




