7.凶報
「ユウト、ヴァル。見て!」
説明を続けようとしたユウトに、ラーシアが声を上げた。
「黄金竜が」
ラーシアがミラー・オブ・ファーフロムを操作し、視点を引き気味にする。
その瞬間、レーザー照射にも似た光の吐息が鏡面いっぱいにあふれ、蜘蛛の亜神イグ・ヌス=ザドの全身とユウトたちの視界を灼く。
暴虐の赤竜、深淵の黒竜、沈黙の白竜。そして、正義の黄金竜。
イグ・ヌス=ザドと遜色ない20メートル近いその体躯は、ユウトが《竜身変化》で転化した赤竜の倍はある。
竜種は年を経れば経るほど、巨大に、そして強大になる。
その姿からすると、老竜、あるいは古代竜と呼ばれるべき存在だろう。
つまり、このブルーワーズで最強の一角を占める存在。
人に仇なす存在ではなく、悪を駆逐するおとぎ話の存在。
その黄金竜が、邪悪の気配を感じたのか、それとも偶然か。
いずれにしろ、この二体は出会ってしまった。
ならば、上位種と並び称される竜種の内、善と秩序の保護者にして最強を誇る黄金竜が見逃すはずもない。
光が収まると、そこには体躯の上面を灼かれた亜神の姿があった。
重傷だ。
しかし、致命傷にも遠い。事実、傷ついた肉体は再生を始め、急速に元の姿へと戻りつつある。
あるいは、それすらも織り込み済みだったのか。
上空からブレスを放っていたはずの黄金竜は、既に急降下を始めていた。そして、イグ・ヌス=ザドをかすめ飛びながら、その巨大な爪を振るう。
「惜しい!」
悲鳴にも似た、ラーシアの歓声。
黄金竜の鈎爪は紙一重で蜘蛛の亜神の目の前を通過し、黄金竜は再び天空でホバリングする。
「いや、あれは……」
「そうだな……」
ヴァルトルーデとエグザイルの前衛二人が、渋い表情で顔を見合わせる。
「どうしたんだよ」
「気のせいかと思ったのだが、あの黄金竜は、当てられなかったのではなく、自ら外したのだ」
ヴァルトルーデの言葉に、ユウトは愕然とする。
「――恐怖に駆られてな」
幾星霜の時を経た黄金竜が、蜘蛛の怪物を恐れる。
にわかには信じられないが……。
「ヴァルが嘘を吐くはずもないか」
しかも、エグザイルまで同意している。
ユウトの執務室の空気が重たくなる中、当然ながら、黄金竜と蜘蛛の亜神の戦いは続く。
絶望の螺旋の眷属が、突然、めくれた。
「なんだよ、これ……」
それが誰の感想か、なにが起こったのか。なにも分からない。実際に対峙している黄金竜もそうだっただろう。
イグ・ヌス=ザドの顎が大きくめくれ、体がイソギンチャクのように分かれ、その中心に瘴気が渦巻く。
現実として起こった光景とはいえ、余りにも信じがたい。
そんな常識をあざ笑うかのように、イソギンチャクであれば口に当たる部分で瘴気が収束していく。
危険を感じた黄金竜が更に高度を取るが――遅かった。
闇よりもなお昏い瘴気の塊が、光線となって黄金竜を射貫く。空中で旋回し、なんとか避けようとするものの、超大型サイズのドラゴンの機動性ではそれも叶わない。
結局、瘴気の光線によって天を覆うほどの翼を貫かれ、あえなく失速してしまう。首を下にして落下していく黄金竜に、邪悪なる蜘蛛の亜神は立て直す暇を与えない。
いつの間に元に戻っていたのか。光の吐息による負傷も完治したイグ・ヌス=ザドが、錐揉み状態で降下する黄金竜に向かって糸を吐く。
黄金竜も無抵抗ではない。
不十分な体勢ながら糸をブレスで迎撃するが――すべてはかき消すことができず尾を糸で捕縛され、地上に引きずり下ろされる。
大地を揺るがし、その落下音だけでミラー・オブ・ファーフロムの鏡面が揺れた。
もがき、傷ついた翼で飛び立とうとするが、そんな黄金竜に、かさかさかさとイグ・ヌス=ザドが近づいてくる。
超巨大な蜘蛛の動きに、それだけで嫌悪感が湧いてくる。
そんなユウトたちの感想は置き去りに、巨大な蜘蛛の亜神がその鋏角で黄金竜に食らいつく。同時に毒を流し込み、何度も何度もその美しい肉体を蹂躙していった。
こうなっては、黄金竜も蜘蛛の巣にかかった羽虫と大差ない。
黄金竜の金色の鱗がドス黒く染まり、徐々に抵抗も弱まっていく。
王都での決闘騒ぎで、ユウトが変じた赤竜。
咆哮のみで、人々を平伏させた絶対の存在。
それを遙かに超える黄金竜が、今、ただの贄となった。
「えげつな……」
「あの黄金竜が……」
ヴァルトルーデも、半ば予想できた結果とはいえ、呆然としていた。
それ以上に、気味の悪さは否定できない。
蜘蛛の怪物だ。
絶望の螺旋の眷属だ。
それは分かっている。
分かっていても、なお、こう思ってしまう。
いったい、アレはなんなのか……と。
「俺たちが手を出す暇もなかったな」
そうユウトが口にするため、たっぷり数分は間があった。
「そうだ……な。黄金竜と協調してなにかができたかも知れない」
「いえ、手出ししなくて正解でしょう」
ヴァルトルーデらしい言葉を、アルシアが即座に否定する。
「準備も無しにあれとぶつかるのは無謀としか言えないよね」
「やるときまれば、やるがな」
「まあ、そうだな……」
情報は得られた――と思うしかない。
そんなユウトたちの思いとは別に、現実は動く。
鏡の向こうのイグ・ヌス=ザドは、行軍を開始した。地形から見ても、目指す先はこのファルヴに違いない。
《悪相排斥の防壁》で侵入を防げるだろうか? よしんば防げたとして、あの糸は? 瘴気の光線は?
とても検証したいとは思えなかった。
鏡面の向こうで進み続ける蜘蛛の亜神の移動速度は、かなりのものだ。
巨大としか言い表せない体躯にもかかわらず、全速で飛ばした馬車の倍以上は出ているだろう。
20メートルを超える蜘蛛が猛スピードで移動している。それだけでまた、背筋を怖気が走ってしまう。
「それで、ユウト。率直に言って、勝てそうなのか?」
「もちろん。俺たちは、あの邪悪なる炎の精霊皇子――イル・カンジュアルを倒したんだぜ……と言いたいところだが」
うつむき加減で首を振る。
「やってみなけりゃ、分からない」
大魔術師の率直すぎる言葉に、しかし、それで重苦しい空気が一気に晴れた。
「まあ、いつも通りだな」
「そうだね」
「勝てそうにないと言っても、逃げるわけにはいきませんし」
「ブレスで傷ついてたし、ヴァルとエグが殴れば死ぬんじゃない?」
好き勝手に言う皆の言葉をまとめ、リーダーのヴァルトルーデが決断を下す。
「迎え撃とう。みんな、準備を」
絶望的な状況にもかかわらず、ユウトが異世界で出会った仲間たちは、揃いも揃って――
「――バカばっかりだな」
俺も含めてだけど。
これから激戦が待ち受けているにもかかわらず、ユウトの心は晴れやかだった。むしろ、高揚している。最高のコンディションで、サッカーの試合に臨む時のよう。
「さあ、作戦会議をしながら呪文をかけていくぞ」
先ほどの戦闘を思い返しながら、話すべき事項を整理していく。時間がないわけではないが、放置しても被害は広がるだけだ。
再び多元大全をめくり始めるユウト。
そこに《伝言》の呪文による連絡が届いた。
「ハーデントゥルムから?」
「あれ? 他にもいっぱい来たね」
緊急連絡用に、ハーデントゥルムやメインツ、領内の村々に配っていた《伝言》が一斉に到着したようだ。不審よりも訝しさで、眉をひそめる。
彼らは知る。
イグ・ヌス=ザドの出現は、最大の凶報であったことを。
そして最大ということは、多数の凶報が存在していなくてはならないということを。
切り所が難しい……。
というわけで、次回もやや短めですがご容赦ください。




