エピローグ
エピローグなので、短めです。
「本当に……。本当に、あなたという人は……」
アルシアは、そう口にするのが精一杯。
感極まるというのとは、また違う。少しでも気を緩めたら、この場に座り込んでしまいそうだ。
心のなかはぐちゃぐちゃで、なにを言えばいいのか、なにを言うべきなのか。なにも分からない。
他の誰にも思いつかない方法で。
他の誰にも実行できない方法で。
婚約者にして親友の夫である少年は、懸案を解決。否、根こそぎ取り払ってしまったのだ。
言葉にならない。
これほどの衝撃と感動を受けたのは、ユウトとヴァルトルーデの結婚式に参列したときだけだ。
現実感がない。
天上世界の空の上。婚約者たちは手を握ってお互いの感触を確かめる。
「どれだけ私たちを驚かせれば気が済むのですか」
手のひらから伝わる熱で再起動を果たし、ようやく意味のある言葉を紡げるようになった。それでもまだ、愚痴に近かったが。
「できれば、驚くよりも喜んでほしかったんだけどね」
「まったく……」
なにも分かっていないんですかと、アルシアは息を吐いた。
「喜ばないわけがないでしょう」
他の誰にも思いつかない方法を編み出したのも。
他の誰にも実行できない方法をやり遂げたのも。
すべては、自分のためなのだから。
強引で、突然で、無茶苦茶だが、ここまでやってくれたのだ。喜ばない女などいない。
「ヴァルトルーデと一緒になったのに、女心が分からないのね」
「言い訳じゃないけど、ヴァルを一般的な女性のサンプルとするのは違うと思うんだ」
「……聞かなかったことにするわ」
遠慮をしてか、そのヴァルトルーデたちも、今は遠巻きにこちらを見ているだけ。我慢をさせているのだろうなと、思う。
だが、ユウトを独占しているという喜びには代え難い。
「今だけで良いから……」
「ん? どうかした?」
「いいえ」
小声で伝わらなかったらしい。
そのほうが良い。説明もできないし、恥ずかしい。
追及される前に手を離し、真紅の眼帯を外した。寝るとき以外はほとんど外すことのない。ヴァルトルーデ以外は、外したところを見たこともない。
アルシアは自ら真紅の眼帯を外した。
しゅるりという小さな衣擦れが天上に響き、ダークブラウンの瞳が露わになる。抵抗も感じず、あまりにもあっけない初めて。
刺激が強かったのだろう。まぶしそうに眼をしばたたき、焦点を合わせていく。
刹那。一気に、情報が流れ込んできた。
空の広さ、大地の形、光のまぶしさ。色彩の乱舞に、思わずまぶたを閉じてしまう。ムルグーシュ神のことも、その瞳のことも、上書きされるように意識から消える。
話には聞いていた。
知識はあった。
だが、実物は想像を遙かに超えていた。
皆は、こんな世界に生きていたのか。
こんな広大で、どこまでも続く、終わりのない世界に。
凄いことだ。
真紅の眼帯で知覚できる、数十メートルの世界で生きてきた自分には、とても真似できそうにない。
それでも、アルシアは再びまぶたを開く。
見たいものがあるから。
「ユウトくん、こんな顔をしていたんですね」
「相変わらず、なんか恥ずかしいな、これ」
まぶたの開閉は意外に簡単な作業なのかと感心しつつ、ユウトの顔に手を触れ、遠慮なく撫で回しながら婚約者をまじまじと観察する。
アルシアのなかに、美醜の基準はない。
だから、一般的なそれも分からない。
ただひとつ言えるのは、彼の顔を見て、心が弾んだということ。
「それに、最初に見るのが俺の顔でいいのかという疑問もあるけど……。まあ、初めてがヴァルだと目が潰れる可能性もあるか」
その言い方がおかしかったのか、アルシアは微笑を浮かべる。眼帯を外した状態での、初めての微笑みを。
「なにを言っているのよ。きちんと、責任を取ってもらわなくては困るわ」
「それ、人生で言われたいような言われたくないような台詞のベストスリーに入ると思うな。いや、ワーストか?」
他のふたつはなんなのか。
少しだけ気になったが、今聞くべきことでもないだろう。
「そういえば、私の顔を見てどう思った?」
「今、それ聞くの?」
「不都合があるのかしら?」
「ないけどさ……」
感情感知の指輪に頼らなくても、彼がどう思っているのか分かる。一目瞭然だ。
だが、言葉がほしかった。
「いつも以上に美人さんで驚いた」
「……照れるわね」
「なにこの踏んだり蹴ったり感」
ユウトには悪いが、その感情よりも喜びが勝っている。目が見えるようになるだけで、こうも浮かれるとは思いもしなかった。
だからだろうか。自分でも考えていなかった台詞を発する。
「海も見てみたいわね」
「ああ、良いね。ツバサ号で出かけようか」
ヴァルトルーデに悪いような気もするが、許してもらおう。それに、ユウトにとっての一番は不動なのだから。
だから、自分の存在もきちんとアピールしなければ。
「ねえ、ユウトくん」
「なんです?」
「私と結婚してくれる?」
気負いの感じられない口調。なんでもないタイミング。自然な台詞。
一番言いたかったのは、これだったのかと、腑に落ちた。
そう一人納得するアルシアだったが、ユウトにとっては不意打ちだった。
眼を白黒させ――その表情を見ているだけで面白い――アルシアの婚約者は必死に言葉を探す。恐らく、プロポーズをすることには慣れていても、された経験はほとんどないのだろう。
そう考えると、少しだけ誇らしい。もちろん、ヴェルガの件は例外だ。
赤毛の女帝の姿を脳裏から追い出したアルシアへ、ユウトがようやく答えを返す。時間がかかった割にはひねりのない。しかし、彼女が待ち望んだ答えを。
「こんな俺で良ければ」
「あなただからよ」
目を合わせ、微笑みを交わす。
だが、それだけ。それ以上は、しない。手で顔を覆いつつ、指の間からこちらを見ているセネカ二世には悪いが、アルシアもこれ以上は耐えられそうにない。
真紅の眼帯を顔へと持っていき、慣れた手つきで着け直そうとする。
そこで、ユウトが訝しげな声を上げた。
「アルシア姐さん……。また眼帯するの?」
「それはそうよ」
「え?」
「え?」
二人して、顔を見合わせる。
今までは、こんな簡単なこともできなかったのだ。
少しだけ情けない表情を浮かべたユウトに新鮮さを感じつつ、そうするのが当たり前だと、真紅の眼帯をするりと装着した。
「いつまでも目を晒すなんて、恥ずかしいではないですか……」
「ええ? そこ? そこなの?」
意外そうな声をあげるユウトだったが、アルシアには逆に理解できない。眼をそのまま晒すなど、服を着ていないのと一緒ではないか。
「まあ、いいか。なんかアルシア姐さん、可愛いし……」
「さあ、ヴァルたちの所へ行きますよ」
「……そうしようか」
これ以上、ユウトになにか言われたら恥ずかしさで死んでしまいかねない。
そんな感情を眼帯に隠し、アルシアはずっと待ってくれていた幼なじみにして親友や仲間たちの下へ飛んだ。
最愛の婚約者に、エスコートをしてもらいながら。
これにて、Episode11終了です。
感想・評価などいただけましたら幸いです。
また、いつものようにプロット作成などのため、しばしお休みをいただきます。
再開は、書籍版3巻刊行にあわせてというわけでもないのですが、発売記念短編の掲載との絡みで6月30日とさせていただきます。
この日の0時に外伝、20時に本編再開となる予定です。
それでは、今後とも本作品をよろしくお願いいたします。




