7.5.夜、宿を抜け出して、二人で
閑話なので、やや短めです。
「なんというか、体育会系のノリね」
「元サッカー部の俺が言うけど、体育会系なめんな」
レグラクスに到着し、いろいろ――本当に、いろいろとしか言えない――なことがあった日の夜。ユウトは、用意された宿舎から《瞬間移動》で抜け出し、ファルヴの城塞へと舞い戻っていた。
ツバサ号でムルグーシュ聖堂を目指したときのように街へは立ち寄らず旅をしているときは、ファルヴから船へと戻るのは困難だ。
だが、今回のように、戻る場所がはっきりしている場合はこのような二重生活も可能だった。
ただ、それでやっているのは執務室にこもって書類のチェックや処理なのだから、ワーカホリックのそしりを受けても仕方がないだろう。
執務机に頬杖を突いてユウトの話を聞いているアカネは、そんな事実から目を背けた。
そのお陰で二人の時間が持てているのだから、文句を言ってはいけない。そんなことをしたら、ユウトが現実に打ちのめされてしまう。
「だけど、ヨナちゃんが、そんなに頑張るなんて意外よね」
「ヴァルやエグザイルのおっさんの影響を如実に受けている可能性があるな」
「なるほど。それは、ありえるわ」
「どうして……。なぜ、そんなことに……」
「自分で言って苦しまないでよ」
レグナム総大司教から挑まれた勝負の顛末を聞いたアカネの疑問。
それに対して、書類を処理しながらマルチタスクで返答していたため意識せず真実を口にしてしまい、結果として自分で自分を傷つけてしまった。
「でも、あそこまで力押しするとは思ってなかったんだよな」
一段落したのか、それとも止めにしたのか。書類から目を離して近くに浮かべた《燈火》の光をまぶしそうにちらりと見たユウトは、意外そうな口調でつぶやいた。
「え? ヨナちゃんに賭けてたんでしょ」
「ああ。ラーシアの悔しそうな顔を朱音にも見せたかった」
もっとも、大穴で受け取った当選金はほとんど喜捨してきたし、そもそも、胴元のラーシアはそれ以上に儲けている。
物質的な意味で言えば、今回の勝者は間違いなくこの草原の種族だ。
「それに、ヨナちゃんって力押し大好きじゃない?」
「まあ、ヨナだけじゃなくて、結局俺たちも力押しに落ち着くことは多いけどさ」
ちょっとあざとく見えるぐらい可愛らしく――だが、ユウトは嫌いではなかった――首を傾げるアカネへ、自嘲を込めて返答する。
そう。情報を集め、呪文で戦力を整え、あとは物理的に対処。それが、冒険者のセオリー。貴族になって変わったのは、間に根回しが増えた程度だ。
「《サイコキネシス》を使うのは良いけど……。例えば、ほら。超能力で浮かした後、コースを氷で固めて滑らせるとかしたほうが楽だろ?」
「……カーリング?」
「ブラシでこすったりはしないだろうけどな」
そう否定しながら、あのアストラル・ストラクチャが頑張るのも面白いかもしれないと想像するユウト。
「まあ、そんなことがあって、その後も腕相撲大会が催されて、今は宴会の真っ最中だ」
「勇人は抜け出して良かったわけ?」
「こういうのは、ヴァルトルーデに任せればいいんだよ。適材適所だ」
飲めないわけではないが、好きでもない。
なら、飲めて好きな人間にコミュニケーションは任せるべきだ。
今回のレグラクス訪問は、あくまでも敬意を示すためのものであり、実務的な案件は存在しない。強いて言えば、ヴァルトルーデの存在を広く周知させることが目的かもしれないが、それは既に、腕相撲大会の次に行われた槍投げ大会優勝で果たされている。
だが、今まさに、エグザイルがレグナム総大司教にラ・グ――岩巨人に伝わる、野球とラグビーを足して割らずに地獄の釜で煮詰めたような競技――のルール説明をしていると知ったなら、抜け出したことを心から後悔していたに違いない。
「というか、あの街おかしいんだよ。大競技大会の予選だか練習だか知らないけど、街の周りには走り疲れて力尽きた人が倒れて積み重なってるし、街のなかでは重量挙げや塔を登る住民がいっぱいだし……」
あのノリにはついていけない……とユウトがうつむきながら話す内容に、アカネは大きな瞳をさらに見開き、驚きを露わにする。
「つまり、筋肉パラダイスだったのね?」
「なにその言霊……。まあ、実際にそうだったんだけど……」
別の意味で、力こそ正義。
それが、レグラクスだった。
そんなレグラクスが都市機能を維持できているのには、いくつか理由があった。
ひとつは、さすがに住民のすべてが自己研鑽に努めているわけではないこと。せいぜい、6割から7割ほどだ。
もうひとつは、鍛えた住民はクロニカ神王国内の各地へ衛兵や神官戦士として派遣され、その報酬がレグラクスへと喜捨される。
最後のひとつは、太陽神フェルミナに祝福された神王国の農業生産力は高く、安価な農作物がレグラクスへと提供されているから。
国内で分業が成り立っていると言ってしまって構わないだろう。
「まあ、筋肉はさておき。レグナム総大司教にも、神王陛下に呼ばれた俺たちを見極めるという目的があったんだと思うけど……」
「さっきの話を聞く限り、クリアはできてるわね」
「ああ。だから、俺は用なし」
仕事に戻ろう……としたところで、ユウトは動きを止めた。
「でも、もう一度聞くけど、本当に戻ってきて良かったの?」
アカネが確認してきた内容よりも、そのいたずらっぽい――いや、小悪魔のような微笑みときらきら光る瞳のほうが気にかかる。
派手目のあか抜けた彼女の容姿がさらに引き立ち、ヴァルトルーデやアルシアで美人には慣れているユウトも思わず見入ってしまう。
「……確かに、まあ、招待を受けておいて宿から抜け出すのは問題かも知れないけど――」
「問題は、抜け出して、誰に会いに行ったかよね」
「誰にって……」
領主代理を押しつけてしまった幼なじみのフォローをしに来ただけだ。そうなればアカネと顔を合わせるのは当然だが、別に会いに行ったわけじゃない。
「さて。勇人、そこで問題よ。誰が、そんな話を信じるのかしら?」
わくわくが止まらないといった表情で問題――というよりは婉曲的に答えを投げかけるアカネ。
「もしかして、朱音と密会してると思われてる……のか?」
「正解! 何番のパネルに飛び込む?」
「何番が空いてるんだよ。あと、他の回答者どこだよ」
律儀にツッコミを入れながら、「なんてことだ」と落ち込むユウト。
アルシアのほか、レグラクスの関係者にも、《瞬間移動》でファルヴへ戻ることは伝えてあった。噂にならなくとも、同じ答えにたどり着く人間はいるだろう。
「明日、ラーシアになんて言われるか」
「そんな勇人に、素敵な選択肢があるわよ」
まさか、そんな都合のいい話があるはずがない。
そうと知りつつも、天から垂れる蜘蛛の糸にすがるように、幼なじみの顔を正面からのぞき込んだ。
しかし、その「素敵な選択肢」を聞く前。アカネの小悪魔を通り越して天使のような悪魔の微笑みを見た瞬間、希望は潰える。
「噂されるのが嫌なら、真実にしてしまえば良いじゃない」
「悪化してる!」
「毒食えば皿までって言うでしょ?」
「それは、傷を広げてるだけだ!」
椅子から立ち上がって息を荒らげるユウトを、してやったりと見上げるアカネ。
「私としては、出荷先もきまってるし、傷物になっても全然構わないんだけど?」
「くっ。まあ、俺も嫌というわけじゃないんだが……」
そんなユウトの台詞を聞いて、アカネは一瞬顔色を変える。
自ら言いだしておきながら、その反応は予想外だったのかも知れない。
だが、それも一瞬。
ユウトが反応する暇もなく後ろへ回り込むと、耳に息を吹きかけながら蠱惑的な声でささやく。
「なら、やることやりましょう」
「朱音……」
「実は、頼まれてた劇の脚本をどうするかまだ悩んでるのよね!」
「そっちかよ!」
だが、それも重要な案件だ。
「決まってないっていっても、腹案ぐらいはあるんだろう?」
「それはさすがにね」
ユウトが椅子に座るのと同時に、アカネも彼の正面へと戻っていく。
「せっかくだから、地球の物語をパク……翻案しようかと思ったんだけど」
「なにか、問題が?」
「昔話系は、結構似たようなのがあるのよね」
シンデレラ、白雪姫、眠れる森の美女。
まったく同じではないが、アカネの言うとおりブルーワーズにもコンセプトが近い話が存在していたのだ。
「かといって、シェークスピアとかオペラみたいなのは、私もよく知らないでしょ?」
「シェークスピアか……。ロミオとジュリエットは……なんかいろいろあって、二人とも死ぬんだっけ?」
酷い話だった。
「それに、長すぎても短すぎてもだめだし、セットの問題もあるし、悲劇も避けたいよわね」
「なるほど……」
条件が厳しい。
ということはつまり、ある程度候補が絞られるということでもある。
「なら、日本の話をこっちに置き換えるか。武士を騎士にするとかして」
「その心は?」
「例えば、平家物語なら、古典の教科書に載ってたろ? まあ、ある意味悲劇かも知れないから、他でも構わないけど」
「なるほど。義経ね……」
アカネのなかで、なにか閃きがあったらしい。
このあと、多元大全を二人で見ながら相談し、まずは歌舞伎の『勧進帳』をベースにやってみようということで意見の一致を見た。
しかし、唐突に飛び出したアカネのアイディアが、ユウトに困惑を与える。
「義経ポジションは男装した女騎士に変える……か。いや、でも……」
最初に聞いたときは奇異に感じたが、ヴァルトルーデが治める街の劇場で上演されるのだし、『勧進帳』には女性の登場人物もいない。
考えてみれば、的を射た変更かも知れなかった。
けれど、アカネはユウトのさらに――斜め――上を行っている。
「え? なんで義経が男って前提なの?」
「意味わかんないんだけど……」
……方針は決まったものの、前途は多難そうだった。




