6.レグラクス(前)
今週は、月曜日から金曜日まで更新できるような気がします。
「なに狩りに行くー?」
「ユウトもいるし、初心に戻って先生」
「おかしいな。地球人の俺が、初心者扱いされてるぞ?」
地球から持ち込んだ携帯ゲーム機を握りながら、ユウトが抗議の声を上げる。確かに、このゲームはそれほどやりこんでいるわけではない。
それでも、地球人。いや、日本人として、異世界人に「にわか」扱いされるのはプライドが許さなかった。
「だって、プレイ時間が違う」
「だよねー。ランクも全然だし。ユウト、普段からなにやってんの?」
「悪かったな! 仕事だよ!」
けれど、現実は情け容赦ない。
ヨナとラーシアの正論に、ユウトは声を荒らげて抗議する。
もちろん、本気で怒ってなどいない。本気でないだけで、多少の憤りは感じていたが。
「そこは、ヴァルといちゃいちゃしてるとお答えいただきたかった」
「……うん。悪かった」
先ほどの怒りはどこへ行ったのか。
まったくその通りだと、ユウトはうつむいた。思えば、ラーシアが言ったようなことは、新婚旅行の期間ぐらいしかできていない。
落ち着いたら埋め合わせをしようと、強く心に誓う。
だが、とりあえず、今はゲームだ。
「大丈夫、ユウト。時間はたっぷりある」
「そうだな。この旅の間に追いついてやる」
ロートニアと名付けられた租借地の街から、馬車は順調に西――太陽神の都ルテティア――へと進んでいた。
窓から見える田園風景は地平線の向こうまで続いており、代わり映えはしないが美しい風景が車窓に流れている。
ユウトたちが乗り込む《灰かぶりの馬車》は、外から見ればそれほど変わった点もないが、内部は豪華で快適。
見た目よりも広いその内部には絨毯が敷き詰められ、座れば全身を包み込むようなソファにふかふかのベッドまである。振動も感じさせず滑るように進んでいく車内は、まさに別世界だ。
もっとも、振動がないのはヴァルトルーデが聖堂騎士専用の神術呪文で召喚した馬の力によるもの。ともに馬車で移動するクロニカ神王国の護衛に配慮しスピードは落としているが、地面ではなくその数十センチ上を駆けているのだから。
それを操るエグザイルは、黙々と御者に徹している。唯一車外にいる岩巨人だったが、不満はない。それどころか、風の息吹と陽光の暖かさを感じられる外のほうが居心地が良いぐらいだ。
「さて、クエスト貼ったよ。一応、武器の確認しよっか」
「男らしく、大剣」
「ヨナ……。いや、キャラは男か。俺は弓だ」
「ユウトは、ゲームでも遠距離だねぇ。あっ、ボクは双剣ね。速さこそ正義。スピードこそパワーだよ」
そんな馬車で、ゲームに興じるユウトたち。もしアカネがいたら、ふたつの意味でうらやましがっていたに違いない。
ひとつは、ゲーマーとして。
もうひとつは、《瞬間移動》も《飛行》も使用しない――多少、浮いてはいるが――普通の旅だから。
そして、そんなアカネとは別の理由で、ユウトたちをうらやましそうに見ている少女がもう一人いた。
「あちらは、楽しそうだな……」
「そう思うのならば、一緒にやっていれば良かったではないの」
「ぐぬ……」
アルシアのもっともな指摘に、ヴァルトルーデは言葉を詰まらせる。
そう。最初にゲームに誘われたのは彼女だったのだ。
けれど、そこまで熱心なゲーム好きというわけでもない――なにしろ、日本語が読めないので――ヴァルトルーデは、それを断った。
そこまではいい。
だが、代わりに夫がその誘いに乗るとは彼女にとって大いなる誤算だった。
結果、やることのなくなったヴァルトルーデは、揺れのない快適な室内で読み書きの復習をしている。
一方、アルシアはゲームをするユウトたちや未練たらたらな幼なじみを黙って見守っていた。手持ちぶさたにも見えるかも知れないが、口元には微笑みが浮かんでいる。
そのとき、勝利を祝うような音楽が車内に鳴り響いた。
「もう終わったよ。俺、全然役に立ってねえ」
「大丈夫。ユウトは、ただはぎ取ってればいいから」
「うわっ。縛るものっぽい……」
「とんだ風評被害だ」
複雑な感情を抱くユウト。
得意げなヨナ。
思う存分いじれて満足だというラーシア。
混ざりたいが勉強を投げ出すこともできないヴァルトルーデ。
そんな仲間たち――もう、家族と言っていいかも知れない――の感情に触れているだけで、アルシアは充分に満たされていた。
こうして、数日。
ユウトたちは神都レグラクスへと到着する。
しかし、その内部へ入ることはできなかった。
「レグラクス総大司教レグナムである! 力の神の名の下に、勝負を挑む者なり!!」
馬車を降りた直後、巨大な城門の前で見上げるような筋肉の塊に挑戦を受けたから。
「え? 嫌ですけど」
ユウトは反射的にそう答えていたが、レグナム総大司教は顔色ひとつ変えない。つぶやきが小さすぎて聞こえなかったか、自分に都合の悪いことは聞こえないのか。そのどちらかだろう。
にべもない返答だが、ギルロント司教が手配してくれた護衛たちの表情を見るに、どちらが非常識かは明らかだった。
それに、もしアカネが――あるいは真名でも構わないが――いたら、ユウトの反応も仕方ないと擁護してくれるはずだ。
レグラクス総大司教――つまり、神都レグラクスを中心とする行政区を統べ、クロニカ神王国で五本の指に入る権力者――と名乗った彼、レグナムは上半身裸だった。
褐色の肌を突き破らんばかりに成長した大胸筋。
鋼よりも硬質な腹筋。
腕組みをする、丸太のような腕。
それを支える腰回りは太く、魔法具と思しきベルトを巻いている。なめした革のズボンを履いてはいるが、大腿四頭筋ははちきれんばかり。
そんな、ニスでも塗ったような光沢ある筋肉の塊がマントを身につけていた。
この時点で、地球からの来訪者は腰が引ける。たとえ、レグナム総大司教がギリシャ彫刻のような美しさを有しているといっても。
しかも、彼によく似た―― 一回り小さな――集団を引き連れている。
だが、決定的なのは笑顔だった。
そこだけ切り取ればコマーシャルにも出演できそうなさわやかな笑顔。しかし、それが筋肉の塊や立派な口ひげと結びつくと途端に化学変化を起こし、本能的に拒否してしまう。
それゆえの、拒絶。
けれど、それは全員で共有したものではなかった。
「なるほど。これが、レグラ神の言っていた大競技大会というやつか」
「否! 小手調べのようなものよ! なれど、真剣勝負に変わりなし!!」
「面白い」
御者台から降りたエグザイルが、口角を上げてユウトとレグナム総大司教の間に割り入ってくる。総大司教が発する大音声にも眉ひとつ動かさず、体をほぐしながら、やる気満々に。
「いや。待て、おっさん。おっさんなら挑まれて受けないという選択肢がないのは分かる。でも、条件も勝負の内容も分からないのに――」
「問題ないだろう。オレが負けるとでも思っているのか?」
振り向かずに断言をするエグザイル。
もちろん、なんの競技かは分からないが、この岩巨人が総大司教に負けるなどとは考えもしていない。ただ、必要のない勝負に意味を見いだせないだけ。
「エグザイル、それは短絡的というものだろう」
そこで、黙って事態を見守っていたヴァルトルーデが動く。
堂々とした所作で前に出て、自らの頭よりも高い位置にある戦友の肩に手を置いた。
その美しさ、醸し出される清冽な空気。
暑苦しい雰囲気が浄化され、彼女の美しさを一番身近で知るユウトでさえも、頬が上気する。
「私も、むざむざと敗れるつもりはないからな」
「ヴァルもやる気か!」
しかも、レグナム総大司教だけでなく、エグザイルともやる気だ。
愛妻の思考は、ユウトの理解を超えていた。
「ん? 当たり前だろう? 正々堂々と挑まれた勝負だ。特別な事情があるわけでなし。当然、全力で受けて立つぞ」
「まあ、ヴァルならそうするよな……」
なぜ、一瞬でもエグザイルを止めるつもりだと思ってしまったのか。裏表など存在しない聖堂騎士なら、こうするに決まっている。だからこそ、好きになったのだから。
「もう、止めねえよ。好きにしてくれ」
「任せろ」
ユウトの承諾を得て、ヴァルトルーデの瞳が喜びに輝く。
「というわけだ、レグナム総大司教。その挑戦、我らが受けて立つ!」
「結構! 大いに結構!!」
「やるー!」
イスタス侯爵の宣言に、総大司教が呵々大笑し、部下の神官たちも拳を振り上げ足を踏みならし大いに盛り上がる。そこに、アルビノの少女まで便乗していた。
「アルシア姐さん……」
「仕方ないでしょう。好きにさせなさい」
ヨナの保護者である死と魔術の女神の大司教は肩をすくめ、お祭り騒ぎを追認する。それだけで済んでいるということは、問題視もしていないということなのだろう。
むしろ、この状況に目を輝かすラーシアのほうが危険だった。
「これはビジネスチャンスだよ。ユウト、紙持ってるでしょ?」
「持ってるけど、どうするんだよ……」
と不審の視線を向けつつも、律儀にケラの森の竜人の里で作られた紙の試作品を手渡す。
無限貯蔵のバッグから取り出されたそれを受け取る草原の種族が、人の悪い笑顔を浮かべた。
(あ、ミスった?)
けれど、後悔先に立たず。
「ありがとー。さあ、儲けるよ!」
ストレートな宣言と同時にボールペンで縦横に線を引き、1~4の数字を枠内に記入していく。さらに、ユウトにとっては見慣れたスタンプタイプの印鑑でぽんぽんと捺印し、器用に短剣で線に沿って切り離していった。
賭用の札を作っているようだ。
そのフットワークの軽さに驚くべきか、次々と押されていく『羅蘆悪』というやたら画数が多く頭が悪そうな当て字にあきれるべきか。それとも、その両方か。
早速、賭けの受付を始めるラーシアの元気な声を遠くに聞きながら、ユウトは無言で首を振った。
あの印鑑もボールペンもそうだが、いつの間に地球から持ち込んだのか。ラーシアの無限貯蔵のバッグには、他にどれだけ場所や時代にそぐわない品が詰まっているのだろう。
ロートニアで仕入れた原油の樽を無限貯蔵のバッグにしまい込んだユウトは、自分のことを棚に上げて、さらに憂色を濃くした。




