7.異界の女王と
ダァル=ルカッシュに連行されたユウト――レンとテュルティオーネは知識神の図書館に残してきた――は、貴婦人川の上に浮かぶ次元航行船の甲板にいた。
そして、次元竜が同じように連れてきたヴァルトルーデとともに、異界の女王と再会を果たす。
「お二人とも、お久しぶりですわ」
優雅に、エリザーベトが領主とその夫へ微笑みかけた。不意の来訪であり非は彼女にあるが、同時に、身分差もあって簡単に頭を下げることにもできない。
その境界線上の、へりくだりも礼を失しもしていない、見事な挨拶。
まさに、血筋のなせる技。ヴァルトルーデにもユウトにも真似できない芸当だ。
「またお目にかかれて嬉しく思う。来訪を歓迎する」
だが、ヘレノニアの聖女には、彼女の武器がある。
やや不慣れな対応も、ヴァルトルーデの比類なき美貌と組み合わせれば多少の瑕疵など吹き飛ばしてしまう。
いつもの魔法銀の鎧こそ身につけてはいないが、ぴんと背筋の伸びた立ち姿や凛とした威厳は女王にだって負けてはいない。
女王の背後に侍る機甲人たちすらも、その美しさに飲まれていた。
(うん。ヴァルの勝ちだな)
別になにかを競っているわけではないが、魅力で言えば愛妻に勝てる相手などいない。ひいき目ではない。純然たる事実だ。
そんなヴァルトルーデの手を握ったり、絹のような手触りの髪を撫でたり、桜色の唇に触れたい。
――という願望はおくびにも出さず、ユウトはきちんと礼をして、確認しなければならないことを尋ねた。
「予定より早い来訪ですね。なにかありましたか?」
「いえ……」
エリザーベトは恋する乙女のようにはにかみ、可憐な少女のように言う。
「なんだか、悪い予感がしましたので」
「左様ですか……」
勘が鋭いというよりは第六感。ほとんど、超能力に近いのではないか。ただし、相手がラーシア限定で。
そんな益体もないことを考えていたからか、もう一人の登場人物に気づくのが遅れた。
「やほー。えりえり、元気してた?」
声が、左舷から響く。
誰何よりも早く声の主は空中へと飛び上がり、とんぼを切って鉄のように頑丈なスティールツリーの甲板に降りたった。
この時点でようやく、癖毛の草原の種族だと認識が可能となる。
いつも通りの天衣無縫さだが、一緒に現れたのは彼女だけではなかった。
「きゃっきゃっ」
リトナが背負う赤子が楽しそうな声を上げた。
「お姉さま、そのお子は……」
「ああ。ラーシアくんの姪っ子でラヴィニアだよ」
生後間もない赤子を他人に預けるなど非常識と言われても仕方がないが、相手はタイロン神の分神体。なんの心配もいらない。
ラヴィニアは、二人で育てている間につけた名前。本来は別の名前だったはずだが、「そっちのほうがいいね!」と、メルラ――ラーシアの妹は、あっさり改名してしまった。
実に草原の種族らしいフレキシブルさだ。
「姪? 姪とは、ラーシア様のご兄弟のお子という意味ですか?」
「妹の子供ですよ」
「はう……」
ユウトの補足を聞いて、エリザーベトは卒倒してしまった。
背後に控えていた機甲人の一人が背中を支えるが、ユウトとヴァルトルーデはお互い顔を見合わせることしかできないでいた。
(なぜ、倒れる……?)
誤解を与える表現ではなかったはずだが、あのエリザーベトなら耳と脳の間でなんらかの変換作業が発生しても不思議ではない。
ユウトは改めて、かんで含めるように言い聞かす。
「ええと、もう一度言いますよ。ラーシアとリトナさんの子供じゃないです。ラーシアの妹の、メルラさんの娘のラヴィニアです」
「姪っ子をかわいがる、ラーシア様が父性に目覚める、お姉さまと子供ができる、石女には用がないと離縁される……。姪っ子をかわいがる、ラーシア様が父性に目覚める、お姉さまと子供ができる、石女には用がないと離縁される……。姪っ子をかわいがる、ラーシア様が父性に目覚める、お姉さまと子供ができる、石女には用がないと離縁される……」
ユウトに外交の助言などもした聡明な女王の姿は、そこにはない。
嫁姑及び愛人問題に思い悩む新妻がそこにいた。
完全に先走っているが、こうなっては誤解を解くのも難しい。
だが、困難だからと放置はできない。
ヴァルトルーデは一歩前へ出て、最悪の想像に囚われた女王を叱咤する。
「ラーシアは、そんなことをする男ではないだろう。私の仲間を侮辱するのは、止めてもらおう」
決して大きな声ではないが、不思議と心に突き刺さった。
それを真っ正面から受けた異界の女王の瞳に、ようやく光が戻る。
「そう……。そうですわね。夫を信じずして、なにが妻でしょう」
「その通りだ」
「……変わられましたね」
「私も、その、結婚したからな」
「まあまあまあ、それは」
ヴァルトルーデとユウトの顔を交互に見て、手を叩いて祝福する。
「私のことは、今はいいのだ。せっかくだから、ラヴィニアにも挨拶をしたらどうだ」
「私としたことが、なんたる失態でしょう。お姉さま、ラヴィニアさんも一緒にお茶でも。と言いますか、ラーシアさまはどちらへ――」
ようやく、その核心へとたどり着いたエリザーベト。
しかし、その行く手を阻む者がいた。
「陛下。恐れながら、公務を優先させていただきたく」
全身をくまなく覆った甲冑。
その重量でまともに動けるのかと心配になりそうだが、それは無用。
彼は、エリザーベトらが住まう『忘却の大地』。その旧文明に存在したという工場長なる人物に創造された、機甲人。
なにしろ、彼ら機甲人は、その甲冑こそが本体なのだから。
「課題は先に済ませたほうが、休暇は楽しいというものです」
「くっ。バトラスのくせに正論を……」
だが、相変わらず酷い主従だった。
「お分かりいただけて幸いでございます」
「では、今から打ち合わせをしても構いませんか」
「もちろんです。リトナさんは、ヴァルと一緒に城塞へ戻っててください。仕事が終わったら、エリザーベトさんを連れて、歓迎会をしましょう」
「それは嬉しいです。ところで、ラーシアさまは……」
「ラーシアなら、仕事で遠くに。しばらくすれば、戻ってくると思いますが」
「うう……。そうですわね。夫の帰りを待ち、家を守るのも妻の務め。ああ、ラーシアさま。あなたのエリザは、お帰りをお待ちしております」
その熱烈な良妻振りを目の当たりにして、ヴァルトルーデも感心したようにうなずいた。
それ自体は嬉しいのだが、エリザーベトのことはあまり参考にしてほしくないなと思ってしまう。
「さあ、仕事はささっと終わらせてしまいましょう」
そんなユウトを船内へと誘うエリザーベト。
だが、バトラスは動かない。
「さて。まずは、街で猫を探して参ります。ねこかわいいので」
「公務はどうしたんですか、公務は。私には正論を押しつけておきながら……っっ」
「ははははは。なにをおっしゃいます。女王陛下と一介の護衛騎士を同列に語るなど。頭にウジでも湧きましたかな。生体部品は大変ですなぁ」
相変わらず、酷い主従だった。
「護衛騎士と名乗っておきながら、護衛する気が皆無だ……」
しかし、まあ、今さらだろう。
それに、他にも護衛の機甲人はいるし、ユウトがいればなにが起こっても。いや、事が起こる前に対処できる。
「あ、今、ヨナがいないんで、学校行っても知り合いはいませんから。気をつけてくださいね」
以前、バトラスが初等教育院に出入りしている野良猫を愛でに行ったことを思い出し、ユウトは軽く注意をする。
「ご心配痛み入りますが、不要ですな。これでも、子供には人気ですので」
そう紳士的とすら言える台詞を口にすると、足元から噴煙を上げてファルヴの街へと飛び去っていった。
「……ヴァル、ヘレノニア神殿に残ってる人に注意するよう伝えといて」
「そうだな。うん、そうしよう」
こんな日に限って、エグザイルもアレーナもテュルティオーネも神の台座にいる。
失敗したと思わなくもないが、まあ、基本的には無害だろう。
そんな風に誰へともなく弁護をしながら、ユウトは異世界交易の交渉の場へと赴いた。
「どうにかして、生きた魚を持ち帰ることはできないでしょうか?」
何度目かになる、女王の船室。
スティールツリーの漆黒とは正反対の純白の部屋だ。照明で明るく照らされ、観葉植物も飾られている室内は、とても船のなかとは思えない。
そこでソファ――王族の船室にあるのだから、当然最高級品――に身を沈めながら、ユウトはエリザーベトから切り出された難題を吟味していた。
「確か、前回は剥製とか干物を持ち帰ったんでしたっけ」
次元航行船での航海は長期に亘り、生け簀などで生きたまま運ぶのには困難が伴う。そのため、ある種の研究用サンプルとして運び入れることになった。
それでも、数度に及ぶ世界的な災害や戦争によって生態系が破壊された『忘却の大地』にとっては貴重な品だったのだが……。
「ええ。やはり、生きた状態でないと繁殖もできませんし」
「もっともな話ですが……」
方法があれば、前回やっているとも言える。
残念ながら、無限貯蔵のバッグに入れておけば、生きたまま運べるというわけではない。内部の広さに比べて酸素が希薄なため食物が腐りにくい傾向にはあるようだが、生き物にとっては、逆に有害な空間となる。
防腐瓶なども、同様だろう。
「日本から、でかい水槽とポンプを……って、電気がないとだめか」
アクアリウムは駄目。
では、魚を運ぶ方法として他は……。
「冷凍して……は、違う。食材の話じゃない」
凍らせても意味がない。
そこで、閃きが走った。
「そうか。石化だ」
「……バジリスクはあちらにも、おりますけど」
「いえ、生物を石化できる呪文があります。それを魚にかけておいて、向こうで解呪する。これで、生きたまま運べますよ。いやでも、効率を考えればバジリスクを捕まえて石化してもらったほうが早いか……」
具体的な方策を考え始めるユウトを、エリザーベトは驚きの視線で見つめる。
常識を飛び越えた発想。
世界有数の理術呪文の腕前と、その知識。
どちらか一方を持つ人間はいるだろうが、その双方を持ち合わせた人材はそうはいない。
ラーシアが彼から離れようとしないのも分かると、わずかに嫉妬する。こんなに面白い、そして、面白いことを引き起こしそうな人間はいない。
だが、それも一瞬。
「素晴らしい叡智ですわ」
為政者の仮面を被り直し、惜しみない称賛を送る。
「その呪文を使用する分の上乗せは、当然いたします」
「それは願ってもないお話です」
こちらからは、動植物。
あちらからは、アダマンティンなどの希少鉱石。
一見不平等貿易にも思えるが、『忘却の大地』ではアダマンティンなどはありふれた素材だという。
お互いの足りない物を補完し合う、WIN-WINの関係にあった。
(今度は、ドラヴァエルになにを頼むかなぁ。いや、メインツにも渡さないと問題あるかな?)
だが、それは今考えるべきことではない。
ユウトは頭を振ってその思考を追いやり、無限貯蔵のバッグから一冊の本を取り出した。
秘められし幻想の書。
奥義書に分類されるその書物を読んだユウト――下心があったわけではない――は、とある記述を見つけてどうするか迷った。
迷ったが、結局、ラーシアに伝えることにしたのだ。
「なんてもんを見つけちゃったのさ……」
「だから、先に相談したんだろうが。で、どうする?」
「もちろん、破棄……。いや、あの娘が次に来たら、一応、教えるだけ教えてよ」
「……良いのか?」
「良くはない、良くはないけど……黙ってるのも、ちょっとね」
――そう言ったラーシアの心境は計りかねたが、結局、双方の同意と愛がなければどうしようもない。
だから、ユウトはその奥義書をエリザーベトの側へ押し出した。
「秘められし幻想の書……ですか。素敵な名前ですが、これが……」
「実はこの本に、種族の違う男女が子供を授かる方法が載ってました」
「なにが望みですか! 我が国の支配権が望みですか!?」
「要らないですから」
飛び地にもほどがある。
それに、そんなことになればラーシアも統治に協力するだろうから、エリザーベトに得しかない。とても、公平な取引とは言えなかった。
「ただ、それはラーシアが理術呪文を使わないとどうしようもないですから。そこだけは、二人。いや、三人? まあとにかく、よく話し合ってください」
「もちろんです!」
世界中のなによりも重要だと、エリザーベトは秘められし幻想の書を胸にかき抱く。
そんな彼女へ、聞こえているかどうかやや危惧しつつ口を開く。
「その代わりというわけではないですけど、ちょっと手が足りないので、スペルライト号の力を貸してもらいたんですが」
ユウトはそう、申し訳なさそうに自らの要望を伝えた。




