4.老人訪問
「お久しぶりです。この前は、どうもありがとうございます」
オズリック村の領主ゼインは、イスタス侯爵家の家宰の挨拶にも、わずかにまぶたを動かしただけでなにも言わない。
ただ不機嫌そうに口を真一文字に結んでいた。
「態度悪いわよ」
その筋肉が盛り上がった肩をぺしぺしと叩いて、ゼインの後妻であるルファがいさめる。そばかすが特徴的で線の細い彼女がそんなことをしたら手のほうを痛めそうなものだが、降参したのはゼインだった。
「まったく。ヴァルの結婚式から日も経たぬうちに……」
とはいえ、総白髪の老人は好意的にはほど遠い。
顔にも、むき出しになった腕にも傷跡のある古強者にすごまれると、思わず首をすくめてしまう。
その感情を察したアルシアが、婚約者と義父の間に入った。
「ゼインさん、今日は思っているような話で来たのではないわ」
「アルシア……。ゼインさんなどと、そんな他人行儀な……。いつものようにおじいさんと呼んでいいんじゃぞ?」
「いつもではなく、昔の話でしょう?」
「それもこれもっ」
すべてユウトのせいだと、オーガも逃げ出す眼光でにらみつける。
「ルファさん、ゼインさんの子供を産む予定はあるの? そうすれば、少しは落ち着いてくれると思うのだけど」
「頑張ってるんだけど、なかなかねー。ヴァルが孫を産んでくれたほうが良いかも」
「巡り巡って俺にダメージ入ってるんですが」
ブルーワーズへ転移してからしばらく本拠地にしていたのに、漂ってくる敵地感はなんなのか。
だが、今日は世間話をしに来たのでも、義父のご機嫌うかがいに来たのでもない。
もっと重要で大切な話があるのだ。
「ゼインさん、今日は教えてほしいことがあって来ました」
オズリック村で一番立派な建物だが、城館ではなく精々お屋敷といった規模の領主の館。その一室で、向かいに座る老戦士へ真剣な声音で来訪の意を伝えた。
その雰囲気に気圧されたのか、ゼインからも娘を取られた父親の雰囲気が消える。
「なんの話じゃい。死んだあと、この村をそっちに預けるという件なら――」
「アルシア姐さんのことです」
「……詳しく話せ」
とはいえ、本当に詳しく説明しても心配をかき立てるだけだ。だから、ユウトは単刀直入に斬り込んだ。
「アルシア姐さんの目について、なにか知っていることはありませんか?」
「アルシアの目じゃと……?」
完全に予想外だったのか。
呆然と、ゼインが言葉を反芻する。
冒険者から騎士へと成り上がった戦士の姿はそこにはない。
今でも悪の相を持つ亜人種族などが現れれば先頭を切る彼の表情に浮かんでいるのは戸惑いだ。
「いや、なにも聞いておらんな」
「そう……ですか」
その言葉に隠し事はないように思えた。
それに、ユウトが見抜けなかったとしても、アルシアならなにか気づくはず。彼女がなにも言わないということは、きっと真実なのだろう。
それほど期待していたわけではないが、当てが外れたのも確か。
「アルシアの両親は、どこか北のほうから流れてきたと言うとったな」
「まあ、この村ってできてからそんなに経ってないから、私の少し上ぐらいじゃないと、オズリック村で生まれ育ったって人間はいないけどね」
ゼインの言葉を、後妻のルファが補足する。
彼女も、アルシアになにがあったのか聞きたいだろうに、あえて触れずにいた。
「確か、アルシア姐さんが小さいときに亡くなったとか。ヴァルと同じように」
「そうじゃな、だが……」
果断な老戦士にしては珍しく、続きを語るのにためらいを見せる。アルシアの目に関しては知らなくとも、両親の死にはなにかあるのか。
それを彼女自身が問い質すよりも早く、ゼインが重々しく口を開いた。
「こんな機会でもなければ墓まで持っていくつもりだったが、仕方がなかろうな」
「聞かせてちょうだい」
「森に入ったところで、なにかのモンスターに殺された……ということにしたがな、あれは嘘。いや、ワシらででっち上げた」
一拍おいて、死の真相を口にする。
「何者かと戦って、事切れておったんじゃよ」
森のなかでというのに嘘はないが、アルシアの両親の亡骸の側には彼らの武器と、相討ちになったらしいいくつかの死体があったのだという。
物盗りの可能性もあったが、一見してそうは思えなかった。
そこで、ゼインらは、すべてを隠蔽することにした。
「恐らく、なにか事情があったのじゃろうな。だが、持ち物を確認しても、なにも分からん。だから、余計な憶測を呼ばぬためにすべてなかったことにした」
「そう……だったの」
もう何年も前のことだ。
今さら、ショックを受けるようなことでもない。
自分も、大人になっている。
そもそも、その処置自体、一人残されることになった自分への配慮に他ならない。
盲目で面倒事を呼び込みそうな娘を育ててくれた恩義には代えられない。
「すまんな」
「いえ……」
ゼインの謝罪の言葉も耳に入らなかった。
今、アルシアの胸中では様々な思いが去来していることだろう。本当にいろいろで、未分化で整理のつかない感情が。
「アルシア姐さん」
「大丈夫よ」
「うん」
そこは信頼している。驚きは、一時的なものだろうと。
けれど、少しは立ち直る手伝いをしても良いはずだ。
ユウトは、隣に座る婚約者の肩に手を回し、そっと抱き寄せた。
肩に彼女の重みがかかり、小刻みに続いていた震えが、徐々に収まっていくのを感じる。
ゼインが殺意の籠もった視線を送り、ルファは興味津々にこちらを見てくるが構いはしない。そうすることが、今はなによりも重要だったから。
「……なんなら、今日は帰っても良かったんだけど」
「大丈夫と言ったでしょう?」
オズリック村から数えて何度目かの同じやりとり。
あのあと、念のために襲撃者の物も含めて遺品を確認したものの特別な収穫は得られず、次の目的地へと向かった。
大賢者ヴァイナマリネンの居城、八円の塔。深山幽谷にあり、通常はたどり着くことなどできないそこへも、《瞬間移動》の呪文があれば、まさに一瞬。
もちろん、ヴァイナマリネンが許可をした者でなければ、転移も不可能なのだが。
その数少ない人間であるユウトは、アルシアへの対応とは正反対に無遠慮な足取りで大賢者の書斎に向かう。
前回訪れたときは、音楽作成ソフトを使って作業をしていた。ファンタジー世界で大賢者と呼ばれる大魔術師のやることではない。
ユウトなど、「センパイ、せめて手書きの書類はやめませんか……?」と言われているというのにだ。
今度は、どんな非常識な行いをしているのか。
もちろん、期待しているわけではない。警戒しているのだ。
「ジイさん、本を借りに来たんだけど」
なおざりなノックと同時に、返事も待たずに書斎に足を踏み入れる。
「今、取り込み中だ」
言葉よりは不機嫌そうな様子はなく、大賢者は学問の師を迎え入れた。ただし、背を曲げてノートパソコンをのぞき込みながら。
まあ、これくらいは想定の範囲内だ。なにをしているのかを問い質すこともしない。むしろ、知りたくない。
数分して、作業が一段落したのか、ようやくヴァイナマリネンが液晶画面から目を上げた。
「本か。そういえば、まだ結婚祝いを渡していなかったな」
「その件なんだけど……」
ユウトが『諸神格とその崇拝者たち』について言おうとするよりも早く、一冊の本が飛んでくる。反射的に、それをキャッチしていた。
「もしかして、既に用意を……?」
いち早く驚きから回復したアルシアが、大賢者ならあり得るかもしれないと、つぶやきをもらす。
「こいつは……」
けれど、それは買いかぶりに過ぎた。
真顔の大賢者ヴァイナマリネンに対し、珍しいことにユウトは顔を真っ赤にしている。アルシアの感情感知の指輪へ伝わるのも羞恥。
「新婚生活に必要だろう」
「要るかっ!」
発した言葉が固体化しそうな勢いで、ヴァイナマリネンへ抗議する。それでも、その本を床に叩きつけなかったのは、理術呪文の徒だからだろう。
「ユウトくん、それは……」
「あー。えーと……」
ユウトは、ヴァイナマリネンとアルシアの顔を交互に見て、自ら説明すべきだと判断を下す。
正確には――
(あのジジイに任せられるか)
――ということになるだろうが。
「なんというかこう、ベッドの上で役に立つ理術呪文の書物みたいな?」
「それは……」
秘められし幻想の書と呼ばれる、奥義書に分類される書物。
ユウトたち理術呪文の使い手が呪文を行使する際に使用する呪文書。それに、学術的な者も含む解説が合わさった物だ。
使い手が自らの呪文として記憶してしまえば呪文書の部分は消えてしまうので、ほぼ一点物になる。
それでも、有名な奥義書は存在し、秘められし幻想の書もそのひとつだった。
当然と言うべきか、残念ながらと言うべきか、悪い意味で。
「ユウトくんに、そんな本が必要だっただなんて。どうすれば良いのかしら?」
「必要としてないから!」
アルシアが本気で言っているわけではないことは分かっている。それは、久しぶりに笑顔を見せていることからも明らか。
その経緯は、本当に心の底から釈然としないが。
「ふむ。頼まれていたような記憶があったがな……」
「適当なこと言って、人間関係ぶちこわしにするのは止めてもらえませんかね。ラーシアじゃあるまいに」
さりげなく親友の草原の種族を貶めつつ、ユウトは天を仰ぐ。
(落ち着け。反応したら負けだ。この本自体は、『愛こそがすべての基本。それなくして、使うこと能わず』とか、普通に良いこと書いてあるんだ……って、そこを弁護するのも良くないな)
そういう精神的な部分の他、《燈火》の呪文を応用して気分を盛り上げるとか、簡単な念動で呪文書などを持つための《保持の手》の応用方法なども載っているので、内容に踏み込むのも危険だ。
「カッ、カカカカカッ」
大賢者が呵々大笑して、満足したと
「なんだか沈んでいるようだったからな。場が和んだだろ」
「そういう問題かっ!」
だが、あきれているのだろうが、アルシアに笑顔が戻ったのは確か。
やり口はともかく、成果は認めなければならない。
「だから性質が悪い……」
そうぼやきつつ、ユウトは本を無限貯蔵のバッグへしまった。使う使わないは別にして、こちらで管理したほうが良いだろう。
エリザーベトが知りたい情報も載っているかも知れない。
「それで、いったいなんの用だ?」
「やっとかよ」
散々被害を受けたが、ここからが本題。
疲労を憶えるユウトの代わりに、アルシアが話を切り出した。
「『諸神格と、その崇拝者たち』という書物をお持ちでしたら、お貸し願えないかと」
「ああ、あれか」
ふんふんとうなずいた大賢者は、部屋の片隅を指さした。ゴミでもまとめているのか、羊皮紙の束が散乱している。
「あそこにあるから、好きに持ってけ」
「って、なんだよこれ!? 本がばらばらになってるじゃんか」
「そりゃそうだろ。裁断してスキャンしたんだからな」
「あ、ああ……」
本題に入ったからといって、ユウトに心の安寧が訪れるとは限らないのだった。
背の部分をばっさりと切り取り、本ではなく紙束となった残骸を前に頭を抱える。年代物で貴重な本もあったはず。いや、そんな本しかなかったと言っても過言ではないだろう。
それを、なんの遠慮もなく破壊している。
確かに、書物をデジタル化しているとは聞いていたが、まさか裁断までしているとは想像が及ばなかった。
精々、本をスキャナに押しつけたりしたら傷まないかなと思っていた程度。
「なにを驚いとるか。大事なのは内容だろうが。本などその入れ物なのだから、便利な方を選ぶのが当たり前だ」
「……うちに来た新人の司書に呪われるぞ」
「カカカ。そいつは面白い」
神々の住まう天上から知識を持ち帰ったという伝説を持つ大賢者は、我関せずとまったく動じない。
「ええと、なにが起こっているのかしら……?」
スキャンにデジタル化など、地球に短期滞在した彼女にも分からない。ただ、なにか問題が発生していることだけは分かる。
「探せ、本はすべてそこに置いてある」
「《物品修理》」
もうヴァイナマリネンに用はないと、ユウトは紙片に対して呪文を使用する。
魔法具ではない一般的な品物を直す理術呪文は確かに効果を発揮し、背の部分が切り落とされた羊皮紙は元の姿を取り戻した。
だが、山と積まれた書物の束を前にしては、あまりにも虚しい結果。
「いや、羊皮紙に対して使ったから良くないのか。本一冊分をまとめてから使えば……」
「その手があったか。なんなら全部くれてやるぞ」
「俺が引き取りに来るの、待ってただろ」
「そうかも知れん。そうでないかも知れん」
「いつか、仕返ししてやる……」
ムルグーシュについての記載がある『諸神格と、その崇拝者たち』は、アルシアのためにも絶対に必要。
大ざっぱにではあるが、一応、タイトル毎にまとめてあるので必要な部分だけ確認するのはそれほどの手まではない。
かといって、それ以外の部分を放置するのも気が引ける。
「よし。残りはニースに任せよう」
そう妥当な結論に達したユウトは、バラバラにならないよう一冊ずつ紐で縛りながら、アルシアと協力して無限貯蔵のバッグへ詰め込んでいった。




