5.美食男爵
『諸々了解。変人が増えるね。こっちも、作戦遂行中。ところで、エグ部隊とヘレノニア神殿部隊で模擬戦やっていい? 場所は、レグラ神の修練場で』
ラーシアへ送った《伝言》の呪文への返信を眺めながら、ユウトは考え込むようにソファにもたれかかり、手を顎に当てた。
この呪文には140文字までという制限があるが、この内容では半分にも満たない。だから、意図的に伏せているのだろう。
なぜ、このタイミングで模擬戦なのか。
(確認のため、予定を切り上げて一度ファルヴへ帰る?)
そのアイディアは、口に出す前に霧散した。
そんなことをしたら、なにかあると言っているようなものだ。獣人たちに感づかれるかどうかは分からないが、慎重に行動するにこしたことはない。
「なにかあったの?」
黙り込んだユウトへ、ほとんど密着するように座っていたアカネが控えめに問いかける。
今の彼女は、ユーディットのお茶会に参加したのと同じ、襞が多くトラディショナルなデザインのドレスを身につけていた。深い藍色が、アカネの華やかな美しさを引き立てている。
「ラーシアが、いろいろ考えてるっぽい」
そんな彼女の服装への感想ではなく、《伝言》の内容をかいつまんで伝えた。
こちらから先にラーシアへは伝えたとおり、フォリオ=ファリナでの用件と王都での根回しは終え、美食男爵の邸宅を訪れている。
今は、その控え室で、アカネと二人きり。
部屋の調度は質素だが、もてなしのお茶や茶菓はグレードが高い。急な来訪ではあるが、歓迎されているのは間違いないようだ。
「いろいろって、具体的には?」
「そこまでは。でも、たぶん罠を仕掛けてるんだろうな」
「ラーシアも、思うところがあったんじゃない?」
「どういうことだ?」
訳知り顔でうなずく幼なじみを、ユウトは思わず問い質していた。
「う~ん」
言うべきなのか、どうか。
悩んだが、それはそう長い時間のことではなかった。
「前に、勇人がヴェルガにキスされて眠ってたことがあったでしょ?」
「そう言われると、童話みたいだな。でも、それが?」
「そのとき、なんかみんなの動きがぎくしゃくしてたみたいなのよね。サッカーで言うと、司令塔不在みたいな?」
「だから、リベンジじゃないけど、俺抜きでどうにかするつもりなのか」
そもそも現在のトレンドでは司令塔自体がほとんど置かれないんだけど――などと余計なことは言わず、アカネの言わんとするところを飲み込む。
それは歓迎すべきことなのだろう。
「でも、なんかハブられてるような気がして落ち着かないな……」
「どんだけ仲良しなの……」
若干引き気味に言われると、なんだか恥ずかしくなってきた。
それを誤魔化すように、もうひとつ気づいたことを口にする。
「それが本当なら、俺がファルヴを追い出されたのと朱音の存在は無関係になるな」
「うっ」
あのときの惨状――自分ではそう思っている――を思い出したのだろう、薄くメイクしたアカネの顔が羞恥に染まる。
挙動不審に、右を向き、左を見て咳払いをひとつ。
「たまには甘えたかったってのも、あったかもね」
そして、冷静に――あるいは開き直って――そう言った。
「別に責めたいわけじゃないから良いけどな」
「それは良かったわ。ヴァルとの新婚生活で、新しい趣味に目覚めたわけではなさそうね」
「いつから、もともと俺はSじゃないと思っていた?」
「なん……ですって……?」
そんな、ブルーワーズではこの二人でしかできない他愛もない会話。それが無性に嬉しくて、目を合わせて笑う。
不意に、アカネがユウトの頬をつねろうとし、反射的にそれを邪魔しようとして来訪者たちの指が絡まり合った。
そんな子供のようなじゃれ合いが数分続き、ユウトは真剣な表情で幼なじみにして婚約者の少女へ語りかける。
「気を使ってくれるのは嬉しいけど、遠慮にまでなるとヴァルも喜ばないと思うぞ」
「そうね」
優しく微笑み合い、二人の唇が重なる――その寸前、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
素早く応えをしたユウトの表情に、先ほどの名残はない。完璧に居住まいを正したアカネも同様だ。
控えの間へ入ってきた恰幅の良い執事も、なにかに気づいた様子はない。
「お待たせいたしました。当主の下へご案内いたします」
「よろしく」
横柄にならないように気をつけながら返事をして立ち上がる。
ユウトは守護爵で、男爵とほぼ同等。そのうえ、イスタス侯爵家の家宰なのだから、アンソン男爵よりは上位として扱われる。
だからといって、威張り散らすような趣味は持ち合わせていない。
藍色のドレスを身にまとったアカネをエスコートし、たどり着いたのは食堂だった。
「ようこそ、我が家へ。心より、歓迎いたしますぞ」
大きく丸い顔に、それを支える太い首。そして、遠近感を疑う胴回り。それが、美食男爵の全体像だ。
続けて、美食男爵の妻、その長男と配偶者が順番に紹介される。当主以外は痩身なのが、妙に印象に残った。
「アンソン男爵、急な訪問をお許しください」
「いやいやはや、とんでもない」
「ありがとうございます。それから、こちらは私の婚約者のアカネ・ミキです」
「おおっ。女神よ、またお目にかかれるとは光栄の至り」
アカネに跪き、祈りを捧げ始める。不思議と愛嬌を感じさせるのは、人徳かも知れない。
「あっ、はい。どうも、お久しぶりです」
初対面のときは、全力で引いていた。
それに比べれば、愛想笑いを浮かべられるだけ進歩している。
とはいえ、放置もできない。
「本日は、お願いがあって参ったのです」
「ああ、ああ。そうでしたな。しかし、先に食事を召し上がっていっていただきたい」
「喜んで」
ユウトが間に入ったお陰で、晩餐が始まる。
「お二人には物足りないかも知れませぬが、心づくしを楽しんでいただければ幸いですぞ」
清潔なテーブルクロスに、磨き抜かれた食器類。
そして、次々と運び込まれる料理――根菜類やブロッコリーを茹でた温野菜と蒸し鶏のサラダ、数種類のジビエのロースト、川魚のワイン煮――は、一目でレベルの高さがうかがえる。
「おっ、これは」
食前酒のワインを口にしたユウトが、思わず声を上げた。
「お分かりになりましたか」
「エルヴン・ワインですね。それも、かなりの年代物だ」
具体的な産地を言い当てるまでには至らないが、薫りも深いコクも通常の物とは段違い。《祝宴》で生み出した物に次ぐ味わいだ。
「友人の好物なので」
「ご友人は、良い趣味をお持ちですな」
その友人は、草原の種族なんです……とまでは、言う必要もないだろう。
「ワインの品評なんて、まるで貴族みたいね」
「朱音も、そうなんだからな」
「正論なんて聞きたくないわ」
そうユウトの反撃をかわして、来訪者の少女は取り分けられたローストに手を伸ばした。コース料理ではなく一度に出てくるので、食べたいものを適当に食べられるのが良い。
「これは、なかなか……」
下処理の仕方が良いのだろう。
野趣に満ち風味も強いが、決して不快ではない。それどころか、肉本来の味とはこういうものだと思い知らされるかのようだ。
ぱさつきもなく、しっかりと旨味を感じる。
「私なんて、まだまだね」
ただ、知識と珍しさのアドバンテージがあるだけ。やはり、調理となると本職には敵わない。
「それに、ソースも……。あっ、もしかして」
「気づかれましたな!」
顔色を変えたアカネを目ざとく見つけた美食男爵――いや、最初から注目していたのだろう。隠し味に、気づくかどうかを。
「ソースに、醤油を使ってるんですね?」
「まさに、まさに」
「本当に、あの黒い調味料には驚かされましたわ」
「ええ。あるとなしとは大違いですもの」
アンソン男爵家の女性陣が絶賛する横で、まだ20代と思しき美食男爵の息子も無言でうなずいていた。
どうやら、全員が食に一家言持っているようだ。
(料理関係の話は、全部アカネに任せよう)
ユウトは、そう固く決意する。
そして、晩餐会は、その思惑通りに進んだ。
「それで、本日お伺いした用件なのですが……」
食事が一段落した頃を見計らって、一回り大きくなったように見える美食男爵へと本題を切り出した。
事前に、メルエル学長からの紹介状は渡している。
神聖土の活用のため、農業に詳しい人材をイスタス侯爵領へ派遣してほしいという内容は、把握しているはずだ。
「当家は初代以来200年の長きに亘り、領民の食生活の向上に腐心して参りました」
ナプキンで口を拭いながら、美食男爵が語り出す。
一見無関係にも思える内容だが、ユウトも、先ほどまで胃を苦しそうに押さえていたアカネも神妙に聞き入った。
「それもこれも、食こそが体を作り、精神を育む生命の源と信じてのこと。食こそ生きる喜びであると確信してのこと。そして、我が民を200年の間一度も飢えさせたことがないということは、当家の密かな自慢でもあります」
領主として当然のことですがと、付け加え美食男爵は一度言葉を切った。
やや大げさにも思えるが、その信条に異論はない。同じ統治者として、見習うべきだろう。
「今回は、神々の恵みにより、この思いを王国中へ広める好機と考えるほかありませぬ。必ずや、選りすぐりの者を送りましょう」
「ありがとうございます。やはり、専門家でなくては難しいようですから。大変、助かります」
その言葉を聞いて、メルエル学長に依頼した甲斐があったと、ユウトはほっと息を吐いた。
だから、だろうか。
つい、余計なことまで話してしまったのは。
「なにしろ、下手に使うと成長が早くなりすぎて、枯れてしまうぐらいで」
「ぬぁんでぇすとぉ!」
やたらと拗音の多い叫び。それを発した美食男爵は、勢いよく立ち上がった。
数多のモンスターと遭遇し、亜神や半神をも打ち倒し、絶望の螺旋すら退けた大魔術師が目を丸くする。
「そそそ、それは、どの程度の期間で?」
「条件次第ですが、普通の小麦が一ヶ月で実るぐらいですかね」
「ぬぁんでぇすとぉ!」
やたらと拗音の多い叫び。それを発した美食男爵は、勢いよく走り寄ってきた。
「それでは、品種改良などやり放題ではないですか!」
「あ、ああ……。そう言われると確かに」
今の今まで、その発想はまったくなかった。
品種改良は、研究所のようなところでやるものだと、思い込んでいたからかも知れない。
「ちなみに、今までそちらで実験された作物などは残っておるのですかな?」
「え、まあ……。念のため、保存瓶に……」
言ってから、これはまずいと思ったが、もう遅い。
「保存瓶? それは、どういうものなのですかな」
その巨体に迫られたら、洗いざらい話すしか他に選択肢などなかった。
「なんという、なんという……」
保存瓶の機能―― 一年程度であれば、食物を腐らせずに保存できる――を聞き、神の実在を確信した聖職者のように、跪き感動に打ち震える美食男爵。
(いや、神は実在するんだけど)
ユウトも、冷静ではない。アカネも、そう変わらないだろう。
「ブレント!」
「はっ、父上」
忘我から立ち直ると、息子の名を鋭く呼ぶ。
「アンソン男爵家の家督は、今この瞬間からそなたのものだ。より一層、励むが良い」
美食男爵自らが、イスタス侯爵領へと赴くという宣言でもあった。
さすがにそれはと口を挟む――
「承知いたしました」
――その前に、当事者間で合意が為されてしまった。
「だが、美食男爵の称号は譲らぬ。父から、奪い取ってみせるが良い」
「はっ、必ずや」
これも親子の感動的な別れ……になるのだろうか。
(美食男爵って、自称だったのか……)
けれど、同席したユウトは、まったく別のことを考えていた。
そして、それはアカネも同じ。
だが、その一点をして、気の合う二人とは言えない。
この場にいたなら、誰だろうと同じ感想を抱いたはずだから。




