8.分神体の既成事実
分神体は神の写し身である。
そう一口に言っても、実態は千差万別。
ファルヴへ降臨した際のゼラス神らのように、元の神格を模したケース。その場合は、天上に住まう神々のまさに分身。力が制限されることを除けば、同一神格と言っていいだろう。
だが、実のところ姿も性格も同じくしなければならないという制限などない。
見窄らしい乞食のような老人が竜神バハムートの分神体だった、子供の頃一緒に遊んでいた少女が実はレグラ神の分神体だった、偶然パーティを組んだエルフ聖堂騎士が“常勝”ヘレノニアの分神体だった。
いずれもありえることであり、吟遊詩人が歌う分神体に絡んだ伝説は、実話を基にしたものも多い。
草原の種族の創造主にして守護神であるタイロン神。その分神体であるリトナも、後者の例に属する。タイロンは男女いずれにも描かれる神であり、ラーシアが夢のなかで出会った際も男の姿をしていた。
そんな状況で「素敵な出会い」など望まれたのだから、自らの分神体を差し向けるのはもはや必然だろう。
実際、種明かしをした瞬間の反応は、悪戯好きな神格を満足させるに余りあった。
ゆえに、最初はからかいだった。
それがいつからだろうか、本気になっていったのは。
「ラーシアさんと、なにかあったんですか? ええと、その、具体的に、ですが」
言葉を選びつつ。
しかし、曖昧な表現では確認ができないと、侍女の格好をしたままのカグラがリトナへと問いかける。
「心配させちゃったかしらね?」
「いえ、むしろ出しゃばった真似でしたら、申し訳ないです……」
二人は、リトナの私室にいた。
ファルヴの城塞内に割り当てられた一室は、ベッドと収納。そしてチェストしかない粗末な部屋。
そこに、彼女のコレクション――玻璃鉄製品、子供のおもちゃ、立派な装丁の本など――が乱雑に積み重ねられている。
侍女となったカグラが定期的に掃除していなかったら、魔境と化していたことだろう。
「んー。まあ、別にもう怒ってるわけじゃないんだけど……」
実は追いかけっこで発散していたらしいリトナが、かなり気楽な様子で発端から語り始める。
簡単にまとめてしまえば、軽い気持ちでした結婚話を本気で否定されて傷ついた。
それだけのこと。
「それは、リトナさんは悪くありません」
しかし、乙女にとっては重大事。
それも、あの結婚式を見せられた後なのだ。美しく幸せそうなヴァルトルーデに自らを重ねるのは当然のこと。
にもかかわらず、悪意はなくとも頭から否定されては怒るのも当然だ。
「そ、そう?」
両手を取り、顔を近づけて言うカグラの勢いに押されるリトナ。
「そうです。どうにかすべきです」
「どうにかって、どう……?」
「そうですね。ユウト様なら、もう一回結婚式の準備ぐらい整えてくださると思います」
「ラーシアくんには秘密にして、新郎にならないといろいろ台無しよって、迫るのね……」
芸人気質というか、あれで空気を読むラーシアなら、不承不承――あるいは照れながら――参加してくれるだろう。
「それは、なにか違わない?」
しかし、リトナには不評だった。
既成事実を積み重ねるにしろ、やりようというものがある。要するに、それはフェアではない。
譲れない一線を主張するリトナの下に、ある報せが届く。
兄さんにって、草原の種族の赤子を押しつけられたんですが、どうしたらいいでしょうか、姐さん。
ラーシアの部下からそんな相談を受けたのは、彼がアーケロンとともに帰還する前日のことだった。
「まさか、ボクの……?」
「……そうよ」
帝亀から飛び降り、得意げな表情でユウトへ報告しようとしたラーシア。
しかし、彼の動きも表情も、リトナと彼女が抱き上げるものとを目の当たりにして固まってしまう。
野次馬が集うハーデントゥルムの港に、なんとも言えない空気が生まれる。
「んなわけないだろ、冷静に計算しろ」
それを破壊したのは、懊悩を抱えたユウトだった。それはどうでもいいから、あのアーケロンをどうにかしたいと全身で語っている。
同行しているレジーナが、隣で目を回しかけているだけに。
「計算……?」
思考能力まで低下していたのか、日数を指折り数える草原の種族。
それを何度か繰り返し――
「……びっくりしたぁっ!」
――どう考えても数が合わないと声を上げる。
「そこで、驚くのか」
周囲は、島と見紛うばかりの帝亀アーケロンに言葉を失う人々ばかり。それを無視して二人――と、一人だろうか?――の世界に入ってしまった親友を逆に尊敬する。
「まあ、リトナさんとの子供じゃないみたいだけど、ラーシアを名指しでこの子は預けられたそうだぞ」
「ええ!? なんで!?」
「聞いてるのは、こっちだ」
「ラーシアくんの子供なら大丈夫よ、問題ないわ」
「身に憶えのない赤ちゃんで、包囲網が完成しつつある!?」
「密室並に堅固な包囲網だな。というか、アーケロンの処遇のほうが頭痛い……」
もう、こっちは当事者に任せよう。そうしよう。
ユウトはもうひとつの問題に対応すべく、アルビノの少女へと視線を送るが……。
「やってやった」
なにも分かっていなかった。
むしろ誇らしいと、沖に停泊するアーケロンとユウトとを交互に見る。
ラーシアの子供――か、どうかは現時点では確定していないが――のことは、まあ、仲の良い二人のことだからいても不思議じゃないという程度の認識のようだ。
「うん。ヨナは、ほどほどにな」
「常に全力全開」
「ああ、うん。そうだな。全壊でなければいいや」
ユウトは、ヨナを伴ってアーケロンの下へと向かった。《テレパシック・ボンド》で双方の意思をすり合わせるために。
ラーシアは、自ら仕掛けた悪戯によりユウトからのサポートを受けられなくなってしまった。自業自得と言わずに、なんと言おう。
「それで、心当たりはって聞いていい?」
草原の種族らしからぬシリアスな口調。
それに怯みそうになるが、ラーシアは毅然として言った。
「ない!」
「いいのよ。怒らないから正直に言って?」
「いや、そうじゃなくてね」
「この子には、私たちしかいないのよ」
「あ、うん。まあ、それはそうなんだろうけど……」
そう。子供だ。
自らの無罪を証明するのは重要だが、本当に罪がないのは赤ん坊ではないか。
改めて、あるいは冷静になってから初めて、リトナが胸に抱く赤子を見る。その見た目は、人間も草原の種族も変わりがない。わずかにとがった耳が、それを示すだけ。
第一印象は、小さい。
当たり前の話だが、それだけに真実の感想と言えるだろう。目も、なにかを求めて動く唇も、指も。なにもかもが、小さく細い。これが成長して、自分と同じ大きさになるのか。不思議だ。
エグザイルの子を抱かせてもらったときよりも、その印象はより鮮烈だった。
思わず、その頬に手が伸びる。
ぷにぷにとした、赤ん坊特有の弾力。
楽しくなって、何度もほっぺたを突っついた。
「女の子だけど、ラーシアくんによく似てるでしょ?」
不意に、ラーシアは思い出す。
昔も、こんなことをしていた。
そう。生まれたばかりの妹に。
草原の種族は、一所に定住しない生き物だ。その多くはキャラバンなどに同行し、旅から旅の生活を送っていた。
その例外は、子育ての時期。その間だけは、適当な村や町に住み着き、子供が旅に耐えられるようになるまで育て、様々なことを教えるのだ。
例えば、住人からばれずに現金や食べ物などを分けてもらう方法などを。
そうしてまた旅を続け、独り立ちができるようになったら親兄弟と別れを告げる。また再会できるかは、タイロン神のお導き次第。
ラーシア自身、彼の家族には長いこと会っていない。生きているのか死んでいるのかも分からない。
物思いに耽るラーシアと、それを優しく見つめるリトナ。
そして、頬を突っつく指を、小さな手がぎゅっと握った。
この瞬間、ラーシアのなかでなにかが変わる。
端的に言えば――陥落した。
よく見れば、その妹にそっくりだ。
なるほど。自分の子供なら、妹に似ていて当然か。
「分かった、二人で育てよう」
いろいろな前提を省略した結論だったが、それを指摘する人間はどこにもいなかった。
「さあ、子育て会議はーじーめーるーよー!」
イスタス侯爵家恒例の合議。
過去、絶望の螺旋の眷属への対策などを練った場に、新たな議題が持ち込まれた。恐らく、絶後の議題でもあるだろう。
「いや、違うから」
椅子の上に立ち上がるラーシアに半眼を向けながら、言下に否定するユウト。
そのラーシアたちが連れてきたアーケロンについての話し合いをする場だ。
「話し合うようなことは、特にないだろう。オレの実感としては、父と母がいれば、子供は健やかに育つものだ」
「プリミティブで良いわね」
エグザイルも、別の方向からユウトに賛成する。
一方、劇の脚本という未知の仕事まで振られたアカネは、心ここにあらずといった風情だ。
「いろいろあるんだよ! まずは、名前を付けてあげないとね!」
「とりあえず、あの子の母親について、トラス=シンク神にうかがってみました」
「さすがに、アルシアは冷静だな」
いきなり現れたラーシアの子供――か、どうかは、重ねて言うが現時点では確定していない――にどう接して良いか分からなかったヴァルトルーデは、幼なじみを頼りになると称賛した。
しかし、真紅の眼帯を身につけた大司教は物憂げに首を振る。
「『心配無用』だそうです」
「安心して良いのだろうが、だろうが……」
神託が多様な解釈を許す曖昧な文言であるのは常のこと。大いなる御方の意思を人の子に伝える以上、そうなってしまうのは当然だ。
「トラス=シンクのお墨付きまで、もらっちゃった」
「うんうん。あの子の明日は明るいね」
一方、隣り合って座る二人の草原の種族は、子供の未来に思いを馳せる。その赤子は、別室でカグラが見守っていた。
「親バカ……。いや、バカ親か……?」
「とりあえず、妹にはお転婆でもいいからたくましく育ってほしい」
ヨナにも、悩みはなかった。
「名前の他にもいろいろあるよ。今はミルク代わりに甘露を飲ませてるけど、リトナがそれを作るのも大変なんだよね。だから、アルシアには《祝宴》の呪文で協力してほしいし、アカネにはこの子の服を用意してほしいし。あと、ユウト。ボクはしばらく仕事はお休みね」
「……分かったよ。なんとかするから。アルシア姐さん、アカネ。大丈夫だよね?」
「なんとかします。捨て置くこともできませんし」
「以下同文で」
しばらくは、好きにさせるしかない。
イスタス侯爵家の上層部が、ひとつの意識にまとまった。
「よーし。それじゃ、名前を考えがてら出かけてくるね。天気も良いし、霊園の辺りにピクニックに行こうか」
「行ってくるわねー」
こうして、引っかき回すだけ引っかき回して草原の種族は会議を勝手に終わらせてしまった。
「いや、会議ではなかったよな」
「そうだ……な」
ユウト――夫の疲れたような声。
しかし、応じるヴァルトルーデの声は熱を帯びていた。
(いつか、私もああなるのか。いや、あそこまでなるのは問題だが……)
だが、その立場になってみないと分からないこともある。
自分でも説明のできない感情を胸に抱いて、ヘレノニアの聖女は最愛の人をじっと見つめた。
こうして一週間ほどが過ぎた。
その間、ラーシアのフィーバー振りは変わらず――
「ボクらが、子供を作るじゃん? それが男だったりするじゃん?」
「ああ……」
「思春期辺りに、おまえたちは血のつながらない姉弟なんだよって教えて悶々としてる子供たちを眺めたい」
「お、おう」
――などと脈絡もなく言いだし、ユウトを混乱させたこともあったが、そんな日々は唐突に終わりを告げた。
「よー。兄ちゃん久しぶり!」
「……もしかして、メルラ!?」
偶然、ラーシアとリトナ。そして、ラヴィニアと名付けられた赤子がユウトの執務室を訪れていたその時。
カグラが、ラーシアの妹と名乗る草原の種族を連れてきた。
「ああ、ちゃんと預かってくれたんだ。良かった良かった。兄ちゃんがいないって聞いてたから、心配してたんだよ」
そう言って、リトナが抱きかかえる我が子の顔をのぞき込む。
すやすやと眠る子供を見るその横顔は、確かに母親の面影があった。
「ところで、この美人さんは、兄ちゃんの奥さん? やるね!」
「お前の子供だったのか!?」
「ん? そだよ? 兄ちゃんの姪だね」
それなら似ているのも当然。
へなへなと脱力するラーシア。
(なるほど、確かに心配無用だった)
思いっきり蚊帳の外に置かれた――中に入りたいわけでもないが――ユウトは、神々の正しさを再認識していた。
「いやー。キャラバンでこの辺に来てさ、ちょうどいいからしばらく定住しようとしたんだけど、軽く肺炎にかかってさー。息も絶え絶え、命からがら、兄ちゃんに預けにいったんだよね。無事で良かったわ、私」
「いやもう、いろいろ言いたいことはあるけど、事情ぐらい説明しなよ!」
「説明? それなら、ほら。ちゃんと手紙だって、書いて……」
「すとーーぷッ!」
「うん?」
「その手紙が手元にあるということは?」
沈黙。
黙考。
そして、理解。
「あああああぁっっっ! ごめんよぅ!」
我が子が危ういことになっていた可能性があった。
それに気づいて、メルラ――ラーシアの妹――が取り乱す。
その本気で狼狽する様子を見て、ラーシアはすべてを水に流した。
「とても、良い子だったよー」
リトナも、様々な思いを押し隠してメルラに赤子を返す。
すべての草原の種族は、分神体である彼女にとって我が子同然。それは、どこにいても変わらない。
そのはずだったが、食事のため執務室から出ていく二人を見つめる視線には、複雑な色が混ざっていた。
「まあ、仕方ない。本当の親と一緒のほうが良いさ」
そんな彼女へ、さばさばした口調で、ラーシアが言う。
それが逆に、彼の心境を物語っていた。
「そうよね。本当の子供を作れるものね」
「え?」
「なに? 不満なの?」
「いや、不満とかそういうことじゃなく。なんというか、前向きに善処したうえでご報告させていただくというか……」
しどろもどろに言葉を紡ぐ男と、それを見つめる女。
答えは決まっているようなものだ。
それは構わない。
祝福しよう。
だが……。
「良いからおまえら、余所でやれよ余所で」
目の前で見せつけられるほうは、たまったものではない。自分もあんな感じなのかと別の意味でも恥ずかしかった。
「ほんとお願いします」
親友と分神体への哀願。
残念ながら、大魔術師の言葉は届かなかった。




