1.再会
新章開始ですが、切り所がなかったのでやや長めです。
もうすぐ、約束の一年が訪れる。
王都セジュールでの決闘騒ぎなどトラブルはあったが、順調な一年だったといえるだろう。その分、ユウトの仕事も順調に――増えていった。
「おかしい……」
最初の立ち上げ時期が忙しいのは、分かる。当然だ。しかし、人を雇い、仕事も権限も委譲したのに、楽にならない。それどころか、加速度的に仕事が増えているような気さえしていた。
「どうしてこんなことに……」
「やることが、いっぱいあるからでしょうね」
ある報せを手にしてユウトの執務室にやってきたアルシアが、当たり前のこととつまらなそうに断言した。
一年が経った。
つまり、ユウトが地球に帰還する日はすぐそこに迫っている。
「どこの石川啄木だよ、俺は」
働けど働けどなお我が仕事楽にならざり。
じっと机の上を見ると、書きかけの引き継ぎ資料が散乱していた。それだけではない。来年からの徴税に備え、役人の採用や教育も必要だ。それに、長期的な開発計画の草案も残しておきたい。軍役代わりの魔法具作成も、五年分はストックを作っておきたいところだ。
「まあ、好きでやってることだけどさ……」
二人とも、分かっている。
このまま、この世界に残れば良いだけだと。
だけど、決して口にはしない。
二人とも、分かっている。
それは、ただの未練だと。
「それで、アルシア姐さん。なにか、用事があったんじゃ?」
「ああ、そうそう。お客様が来ているのよ?」
「客?」
実のところ、急な来客は珍しくない。たいていヴァルトルーデやアルシアがさばいてくれるのだが、様々な関係からユウトの同席が必要な場合も多い。
今回もその類なのだろうと判断し、ユウトは執務室を出ようとする。
「ここで大丈夫よ。もう、外に待たせているから」
「そうなんですか?」
一応は納得して席に戻ったが、疑問は残る。この執務室はユウトのプライベートスペースに近く、ヴァルトルーデたちのような仲間たちか、クロードのような腹心ぐらいしか通さない。
ここで来客を迎えるようなことは稀だ。
「二人とも、入ってきて」
そんなユウトの疑問は置き去りに、アルシアが呼び寄せる。
「やっほー」
「久しぶりだな、ユウト」
なんら物怖じすることなく入ってきたのは、懐かしい顔だった。
草原の種族の盗賊、ラーシア。
どこから見ても子供のような容姿だが、目の奥には熟練の盗賊のような油断のない光を湛えている。
そして岩巨人のエグザイルは、相変わらず周囲を圧倒するような巨体だ。恐るべきことに、体が一回り大きくなったように見える。岩で筋肉だ。
「アルシア姐さん、こいつらは客じゃないですよ」
「おお、ボクらは生死を共にした仲間ってことだね?」
「うるせえ、お前らなんて裏切り者だ。ダブルクロスだ」
「ひどいなー、ユウト。ボクたちだって、傷つくんだぞー」
「いや、俺はあまり」
ラーシアがエグザイルの足を踏んで黙らせる。
「だって、お前ら字読めるじゃん……」
「うん。正直、すまなかった」
素直に頭を垂れるラーシアを見てユウトは笑った。
まだ手にしたままだったペンを放り投げて、一年ぶりに再会した仲間のもとへ歩み寄る。
「とりあえず、おかえり」
「おお、ユウトがデレた……」
「これが、ヴァルトルーデにもできれば良いのだけど」
「ということはまだ、なのか。処女と童貞でもあるまいにな!」
「いや、そうなのよ?」
「うるせー」
アルシア姐さんも同類だろうに、とは言わない。この話題を続けるのは危険だからだ。
そのため、執務室内の応接スペースへ移動し、ラーシアとエグザイルの旅の成果を聞くことにする。
「というわけで、忘却の大地に行ってた」
「……ブルーワーズを飛び越えてたかー」
別の物質界とは、ユウトも予想していなかった。あきれたように、二人をみる。
「まあ、あんまり変わりはなかったな。管轄する神々は、また、異なるようだったが」
「そうだね。でもさー。あっちは、神様の加護を受けた魔術師とかが、結構、大威張りなんだよ。善の相ではあるんだけど、なんか良くないよね」
チーターに対する悪感情みたいなものかな? と、ユウトは自分なりに解釈する。まあ、神だからこそえこひいきは良くない。
「んで、神様にお願いまでした女運はどうだったんだよ?」
「アスカリッドを、完全にまいた!」
嬉しそうに。
心の底から嬉しそうにラーシアが飛び跳ねた。
「お、おう」
アスカリッドはアルサス王子捜索の依頼を受けて動いていた冒険者の一人で、〝虚無の帳〟に囚われていたところを偶然助けた草原の種族の女性なのだが。
金に汚い。
とにかく、金に汚かった。
日本のマンガだったら、確実に関西弁でメガネキャラだなと、ユウトは偏見むき出しで思う。
実際には、うざいギャル系だったが。
そんな彼女が、同じマグナー族で成功した冒険者であるラーシアにアタックをかけるのは当然であり、そんなアスカリッドをラーシアは蛇蝎のごとく嫌っていた。
「我が神、タイロンの加護に感謝だよ」
「そうか。それは良かったな……」
草原の種族の守り神であり、旅人を守護するタイロンに感謝を捧げるラーシアに、生暖かい視線を向けるユウト。
実は、あまりの嫌がりようを見かねたユウトが、アスカリッドにこっそりと金を握らせて遠ざけたのだが、まあ、本人は幸せそうなので、深く追及することもないだろう。
あのままだと、ラーシアがアスカリッドを亡き者にしていた可能性もあることだし。
「って、そうじゃなくて。忘却の大地でなんか出会いはなかったのか?」
「ああ、そういや。あっちで、大臣に命を狙われてたお姫様を助けたりしてたぞ」
「おお、やるじゃん」
ユウトからするとありがちすぎて笑ってしまうようなシチュエーションだが、すれていないこの世界の住人なら、かなり惹かれるのでは?
「それで?」
「うん。悪い大臣は倒して、お姫様には感謝されたよ」
「それだけかよ」
「だって……」
しかし、二人の答えは芳しいものではなかった。
「人間なんだもん」
「人間だからな」
種族が違うと友人にはなれても、性的な欲求は湧いてこないものらしい。健全で良いことなのだが、残念な連中だ。
「もう、おっさんは田舎に帰って嫁取りでもしてこいよ。ああ、一族そろって移住でも良いぞ。歓迎する」
「また、そうやってユウトくんは仕事を増やして……」
アルシアの指摘に怯みかけるが、ユウトは負けなかった。
「岩巨人なら、やっぱ山の方に住むんだろ? うちの領地は、結構山が多いから、ドワーフ以外にも信頼できる相手がいると助かる」
「あれぇ? 草原の種族は?」
「そっちは別に……」
ラーシアが部族単位で増えるなど、正直、想像もしたくない。賑やかになるのは、間違いないだろうが。
「そういや、ヴァルトルーデとヨナはどうしたの?」
「ああ……」
話が変わり、ユウトの表情が憂色に彩られる。
「ヨナは家出中です」
「ぶー」
「家出? そいつは良いな」
「原因はなんなのさ?」
「原因は、俺かなぁ……」
ちらりとアルシアの方を見るが、肯定も否定もしない。
それが答えなのだろう。
観念してユウトは約一年ぶりに出会った仲間たちに、ぼそぼそと語り始めた。
「どうも、ヨナは俺の帰還が一時的なものだと思ってたみたいでさ。ちょっと帰郷したら、すぐに戻ってくるって考えていたらしい」
当然、ユウトが帰ると言っても大騒ぎするわけがない。
「なるほど。それで、拗ねちゃったわけだ」
「しかし、家出か。成長したものだな」
〝虚無の帳〟の培養槽から助け出した直後のヨナは、およそ感情というものを持ち合わせていなかった。それを思えば、エグザイルの感慨も分からないでもない。
だが、当事者からするとたまったものではなかった。
「もしかして、ヴァルトルーデはお守りで?」
「ああ、ヴァル子もいるから、滅多なことはないだろうよ」
「ふむふむ。んで、二人はどこにいるの?」
「どうして、居場所が分かると?」
エグザイルの素朴な質問に、ラーシアは自信満々に答えた。
「この過保護なユウトが、《念視》で確認していないわけがないからだよ」
「甘いのは、ラーシアもそうだろ?」
「それはいいから」
「南西の大砂漠だ」
ラーシアに軽くかわされたユウトが、半分ふてくされたように場所を告げる。
「俺が見たときは、サンドワームやバカでかいサソリと戦ってたよ」
「そうなんだ。それは……かわいそうに」
八つ当たりをされている蟲たちが。
南西の大砂漠は、完全に国外。感覚的には、別の大陸にいるのに近い。その分、大暴れしても問題はないのだが、心配なことに変わりはない。
「何日ぐらいいるんだ?」
「かれこれ、五日というところですね」
冷静に、アルシアが答える。
「ユウトくんが現地に飛んで説得しましたが、聞く耳持たずでしたよ」
「だから、二人とも良いタイミングで帰ってきてくれたと思うよ、ほんとに」
「うんうん。ボクらをダシにして関係修復をはかればいいと思うよ、お父さん」
「くっ。殴りてぇ」
「止めた方が良いよ。ユウトの攻撃なんか、当たるはずないだろ」
「じゃあ、エグザイルのおっさんに殴ってもらう」
「それは、ダメ。絶対」
「そうか。せっかくだから、神から授かった筋力を披露しようかと思ったのだが」
「こちらも、治癒呪文の準備は万端ですよ」
「このパーティ、ユウトに甘すぎる!」
「ラーシアに辛いだけじゃないかなぁ……」
「ウソぅっ」
久しぶりに再会した仲間たちとの内容のない会話。
そんな和気藹々とした雰囲気に水を差す冷たい声が響く。
「ずるい……」
ユウトの知らぬ間に、天岩屋戸が開いていたらしい。扉の陰から、アルビノの少女が恨めしそうにこちらを覗いていた。
「ヨナ……」
思わず呆然とし、名前をつぶやくことしかできないユウト。
「言い忘れていましたが、《伝言》の巻物で二人にはラーシアとエグの帰還を知らせていますから」
「それ、絶対故意でしょ」
「さあ……」
アルシアとラーシアの掛け合いなど耳に入らず、ユウトは思わず駆け出していた。
そして、逃げ出さないようにヨナを抱き上げてしっかりと捕まえる。
「このバカ!」
「バカはそっち!」
しかし、どちらも素直ではない。
「それに、ラーシアやエグに会いに来ただけ」
「まったく、どれだけ心配したと思ってるんだ」
「知らない」
ぷいと、間近にあるユウトの顔から顔を背けながら、ヨナが唇を尖らせる。
「どっか行っちゃう人のことなんか、どうでもいい」
「ヨナ……」
本音を。むき出しの感情をぶつけられ、ユウトは思考と言葉を失った。
「俺だって……」
その先は、言葉にならない。
残るのは簡単だ。仲間もいる、地位もある、仕事もある、力もある。もしかしたら、地球に帰るよりも、幸せになれるかも知れない。
じゃあ、親は友人は幼なじみはどうでもいい?
そんなはずは無い。
だから、こんなにも悩んでいるのだ。
それでも、結論を出したというのに――
思わず、感情に任せた罵声を吐き出しそうになる。
「あー。私も、中に入れてほしいのだが……」
「ヴァル子……」
それを押しとどめたのは、ちょっと困った笑みを浮かべたヴァルトルーデだった。
それは、そうだ。ヴァルトルーデだっているはずだ。
自分がいかに余裕のない状態だったのか、まざまざと思い知らされる。
「まあ、ここはボクに任せなよ」
「ラーシア。しばらく見ないうちに、おっきくなった?」
「なってないよ!? ボクはれっきとした成人男性だからね!?」
ヨナの冗談か否か判断が難しい挨拶にツッコミを入れたラーシアが、ユウトからヨナを解放して執務室から出ていった。
「ラーシア……」
「まあ、大船に乗った気でいていいよ。あ、ヴァル久しぶり。それじゃ、ヨナに用があるから」
「なんか、私の扱いが軽くないか!?」
ヴァルトルーデは、散々だったが。
「ありがとう、ヴァル。迷惑かけたな」
すっかり毒気を抜かれたユウトが、ヴァルトルーデをねぎらう。
「迷惑などとは思っていない」
「だよなぁ。好きな男に頼まれちゃったもんな」
巨体にもかかわらず気取られることなく、二人の世界に入りかけたユウトとヴァルトルーデに近づくエグザイル。分かりにくいが、満面の笑みだった。
「……エグザイル。そういえば、一度決着を付けねばならぬと思っていたところだ」
「やるか」
「望むところだ」
「止めなさい」
「はい」
「ごめんなさい」
このやり取りも久しぶりだなと、ユウトが相好を崩す。
とりあえずヴァルトルーデも室内に招き入れ、再びソファに集まった。
「まあ、ヨナも本気で言ったわけじゃない」
「分かってるよ」
エグザイルのフォローに、ユウトは頷く。しかし、次に聞こえてきた言葉に、思わずソファからずり落ちそうになった。
「初恋の人がいなくなるって言うんだ、そりゃ余裕もなくなるってもんだ」
「……は? 初恋って?」
「ヨナが、ユウトのことを好きってことだ」
脳の処理が追いつかない。隣に座るヴァルトルーデも似たような状態だが、お互い気づいてはいなかった。
「いや、でも。まさか、子供だぞ?」
「ヨナも女の子ですよ」
「それはそうだがなぁ、しかし……。そうなのか?」
「俺に聞くなよ」
「じゃあ、誰に言えというのだ」
「そう言われると、俺しかいないか……」
いないのだが、言われてもどうしようもないというのが本音だ。
ヴァルトルーデや地球のことを抜きにしても、ヨナは幼すぎる。近所の小学生に「大きくなったら、お兄ちゃんのお嫁さんになってあげるね」なんて言われているようなものだ。
そう考えると……。
「……どうもする必要は無いのか」
「そうですね」
アルシアが冷静に肯定する。
「ですが、ちゃんと釈明はしてもらいますからね」
「それは、もちろん」
とは言え、どう説明したものか。
見慣れた天井を眺めながら、この後に訪れるだろうヨナとの会話をシミュレートするユウト。
「よし。なんか、美味い物でも買ってこよう」
「いきなり、物で釣ろうとするんじゃない」
「ダメか……」
うな垂れるユウトの耳に、ガチャリと扉の開く音が飛び込んでくる。
「ヨナ……」
「ごめんなさい」
予想外に早くヨナが現れ、しかも、頭を下げてきた。
「お、おう。分かってくれたらいいんだ」
面食らってしまい、それを受け入れることしかできない。ラーシアはなにを言ったんだ? と疑問だけが深まっていく。
「よく言えたね、ヨナ。さあ、もうひとつ言うことがあるよね?」
「うん」
後ろにいたラーシアがヨナを誉め、勇気づけるかのようにぽんと背を叩いた。いつもの悪戯っぽい微笑は消え、まるでヨナの兄のようにも見える。
「でも、ユウト約束して」
「約束?」
「そう。故郷に帰るのは仕方ない。でも、こっちに帰ってくる方法を全力で探すこと」
「ヨナ……」
それ以上、ユウトはなにも言えなかった。
言いたいことも、言うべきこともあったはずだ。ヨナにこの言葉を発せさせるため、ラーシアがなにを言ったのかも気になる。
しかし、そのすべてが霧散してしまう。
「俺の故郷には、魔法なんて無いんだ。だから、俺が帰っても、魔法が使えるかは分からない。いや、たぶん、使えないんじゃないかと思っている」
呪文の開発は頓挫したまま。使えたとして、戻ってこられる保証はない。
正直に、包み隠さずそれを伝えた。
その真剣さが通じたからか、今度はヨナもなにも言わない。
「でも、そうだよな。だからって、最初から諦めるのは間違ってるよな」
ユウトは、そっと小指を出した。
「俺の故郷じゃ、こうやって約束するんだ」
そう言って、ヨナに指切りを教える。
「針千本飲むの?」
「飲まないで済むように、あっちでも頑張るよ」
ユウトの微笑につられ、ヨナが笑った
推移を見守っていた仲間たちも、ほっと息を吐く。
「うんうん。雨降って地固まるだね。良い話だなぁ」
「そうだな。なにせ、俺たちの冒険じゃ、ユウトの故郷の地球とやらの情報はまったく得られなかったからなぁ」
「うわわわわっ。エグ、それを言っちゃダイナシじゃないか!」
それで、忘却の大地にまで遠路はるばる行ったわけだ。
疑問が氷解すると同時に、ユウトの中を複雑な感情が満たしていく。
帰る気持ちに変わりはない。
だが、帰る手段なんて、見つからなければ良かったのに。
そうも思ってしまうのだ。
そこは、光の差さぬ漆黒の空間だった。
ここは、ブルーワーズであって、ブルーワーズでない場所。
世界と世界の狭間。
そこに、一人の男が姿を見せた。前触れもなく、突然に。
しかし、この闇の中だ。
当然、気配や雰囲気という朧気で不確かな感覚でしか、その出現に気付くことはないだろう。
けれども、それは幸いである。
もし完全な暗闇を見通す瞳を持つ者がいたならば、この空間にその男以外の存在がいることに気付いただろう。
そう。まるで生物を石化させたかのように精緻で邪悪な悪の相を持つ亜人種族や巨人種族が無数に立ち並んでいることを。
そして、最奥に巨人種族よりも巨大でおぞましいなにかが存在していることに――
すでに心が壊れたその男は、なんの躊躇も迷いもなく最奥へと進み、そのなにかの前で無限貯蔵のバッグの中身をぶちまけた。
散乱する、人間ぐらい――否、人間そのものにしか見えない物。
それは、元は人間だったモノ。
今は、もう、物だ。
野盗の類を狩り、餌とする。
復活のための生け贄ではない。
儀式に必要なわけではない。
単純で純粋に餌だ。
男――〝虚無の帳〟の支配者――トリアーデであった己が、野盗の類を狩り出すなど落ちぶれたものだ……などとは思わない。
それが必要で、最も危険が少ないのだから。
充分に餌が積み上がり、紅く妖しい光が浮かぶ。
それは、四対の眼。
自然界に存在しうる。しかし、冒涜的な瞳。
ほんの刹那で、うずたかく積まれた餌が消え去った。
四対の眼が満足げな光を放つ。
文字通り瞬く間に――そこは再び絶対の闇へと閉ざされた。




