7.典型的な大魔術師の一日
ユウト・アマクサの一日は朝六時頃始まる。
今までは携帯電話でアラームを設定していたこともあったが、最近は結婚祝いの――この時点でなにかがおかしいが――時計塔により、それも不要になっていた。
すぐ側で、すやすやと眠るヴァルトルーデ。
その無垢な寝顔は胸が締め付けられるほど愛おしい。そして、眠るときも外さない結婚指輪を目にすると、得も言われる幸福感に満たされる。
そんな愛妻を眺めること数分。
徐々に彼女のまぶたが開き、ユウトとしっかり目が合った。
「……おはよう」
「ああ。今日も綺麗だな」
「まったく、そんなことばかり言って」
それ以上の言葉はいらない。
起き抜けに交わされる口づけ。
ただし、唇以外の場所への。
昨夜、寝る前にも散々したが、自分たちでも不思議なほど飽きることはない。
夜であれば若干大胆になるヴァルトルーデも、朝日の下では恥ずかしいらしく、すぐに離れようとする。もちろん、ユウトは許さない。
このギャップこそ、夫婦円満の秘訣かも知れなかった。
ただ、じっくりと堪能し終わると、そこからはドライとすら言える切り替えを見せる。
それぞれさっと服を着替えて身支度を整え、ヴァルトルーデは外へ、ユウトは机へと向かう。妻は朝の鍛錬のため、夫は呪文書に今日使用する呪文の準備をするため。
次に会うのは、アルシアが《祝宴》で用意した朝食の席だ。
「ああ……。眠い……」
今日のスケジュールを思い浮かべながら、必須の呪文と、用心のための攻撃・付与魔法を書き込んでいく。ほとんど未使用で終わるが、保険というのはそういうものだ。
しかし、ある程度ルーティン化した作業とはいえ、集中力が散漫としている。
「やっぱ、ベッドがなぁ」
新婚生活により、魔法具ヒューバードのベッドを使用できなくなったのは困りものだ。大きなサイズでも売っているだろうか?
しかし、新婚早々短い睡眠時間でもしっかり休息がとれるベッドなど買っては、なにを言われることか。主に、ラーシアから。
(そのときは、リトナさんに同じベッドを送りつけよう)
なんだかヤマアラシが傷つけあっているような気もするが、退いたら負けだ。
その後、だいたい七時頃には朝食。これでも、庶民よりはだいぶ遅い。
ユウトの両親も、滞在中は食卓を共にしている。歓談しつつ一時間ほどかけて食べ終えると、ヨナは学校、アルシアは神殿など、それぞれの職場へと向かう。
ユウトは、いつもの執務室だ。通勤時間は徒歩数分。うらやましがられる環境かも知れないが、《瞬間移動》を使用できる以上、特に意味はない。それどころか、オフがなくなる分マイナスだ。
「おはようございます、御主人様」
「お、おはよう」
執務室に入ると、メイドとなったカグラが出迎えてくれた。
薄紫の無地の着物に、白いふんわりとしたエプロンを合わせた服装で、額の角を隠そうとはしていない。アカネのそのチョイスに、ユウトも賛成だった。
(でも、まだ慣れない……)
服装にも、呼び名にも、メイドという存在にも。
「御主人様。お召し物を」
「ああ、はい」
善の魔術師であることを示す白いローブ。それを手渡すと、ざっとブラッシングしてクロークへと仕舞う。魔法具なので手入れはほとんど必要ないが、それは彼女のプライドが許さなかったのだろう。
その手つきを視界の端にとらえつつ、机上の書類に意識を向ける。今日も、千客万来だ。
「執務室の清掃は済ませてあります。それから、ダァル=ルカッシュ様からこちらの書類を目に通してほしいと言付けを受けています」
「ありがとう」
「いえ。なにかご用はございませんか?」
「じゃあ。悪いけど、コーヒーを」
カグラが無言で頭を下げ、用意のため部屋を離れる。
「ふう……」
これだけで、緊張してしまう。
指示を出すのではなく、奉仕される。これは、かなりの難題だった。
カグラがメイドとなってほんの数日。アカネからの引き継ぎはきちんと行われているようで、今のところ問題は出ていない。それどころか、専任状態のため捗っているぐらいだ。
しかし、彼女の意図が侍女としてユウトたちに仕えることにあるとは思えない。その先の思惑を考えると……。
「自意識過剰だよなぁ。それに、ヴァルにもアルシア姐さんにも了承得てるし」
それはないと頭を振り、仕事を始めた。
いつもの予算決裁や、様々な提案に対する許諾など、ユウトかヴァルトルーデにしか承認できない報告書。もっと権限委譲したいところだが、そうもいかない事情もある。
「細々としたのは任せられても、判断が必要になるとどうしてもな~」
今ユウトが読んでいる、ハーデントゥルムの評議会から提案のあったファルヴに出張所を置きたいという陳情書など、クロードやダァル=ルカッシュでも処理できるものではない。
「ふむふむ。大使館とまではいかないけど、要は連絡所ってところか。確かに、あれば便利か。となると、メインツの分も必要になる?」
家宰が呪文で移動すれば不要だが、将来のことを考えれば、今から整備しておくべきだろう。
「とりあえず、ハーデントゥルム、メインツ、ファルヴの三都市から代表者を出して話し合ってもらおう」
出張所を作るのは、決定。そのうえで、問題点を洗い出し、権限を決めなくてはならない。
そこは部下に投げ、ユウトやヴァルトルーデはあとから報告を受け、必要があれば修正する。
その流れを記載したメモを挟み、処理済みのボックスへと投下。普通の陳情書だったため、提案者であるレジーナの真意に気づくことはない。
「お待たせいたしました」
一息ついたタイミングを見計らったかのように、コーヒーを持ってカグラが戻ってくる。
まるで、上流階級になったかのような錯覚を憶える。
(いや、今までが貴族らしからぬ生活だっただけか……)
世界の平均からすると、そのほうがらしいのだろう。
そんなやくたいもないことを考えつつ、不純物は入れずに、黒い液体を口に含む。
「ふう……」
インスタントだが、充分美味しい。
カフェインが体内を巡り、意識を覚醒させた……ような気がする。この熱さもちょうど良い。
「ありがとう」
カグラへ笑顔を向けると、彼女も嬉しそうに微笑む。
今まで気づかなかったが、そうしていると実に魅力的だった。
「それでは、なにかございましたら遠慮なくお呼びください」
メイドたる者、主人の邪魔はしない。
そう思っているのかは分からないが、楚々とした所作で頭を下げるとカグラは執務室から退室する。
仕事に集中するユウトは、彼女が部屋を出た後、手応えを感じてスキップしているなど想像もしない。
そうして、数時間後。
「ペトラからか……」
午後の分まで一気に片付けた家宰は、最後に彼宛の手紙を整理していた。
内容は、要約すれば稽古を付けてほしいというもの。意外と言えば意外だが、ともに理術呪文を学ぶ者である以上、妥当でもある。
「まあ、時間があればだな」
コーヒーを飲み干してから、返事を書こうとし――直接会った方が早いとユウトは席を立った。
元々、午後は城塞から離れる予定だったのだ。
カグラから丁重な見送りを受けたあと――妙に気恥ずかしかった――ファルヴ近郊の農場へと移動する。
そこは、農場というよりは実験場と表現すべきかも知れない。
領内の村々から何人か人を出してもらい、作り上げた実験農場。
そこは、昆虫人を浄化したあとに残った土――神聖土の見極めを行うための施設だったのだが……。
「面目ねえことです……」
「いや、無茶は承知ですから」
肩を落とす中年の男に、ユウトが仕方ないと声をかける。しかし、この農場の責任者である彼に、その言葉が届いていないことは分かってた。
それは、目の前の光景を見れば一目瞭然。
いくつかに分けられた区画は、とても同じ麦を蒔いたとは思えない状態になっている。
ある区画は完全に枯れ果てているかと思いきや、また別の一角ではただの麦が人の背丈よりも高く異常に繁茂している。
しかも、一ヶ月にも満たない期間で実っているのだ。
普通の土との配合比率を研究してもらっているものの、未だ最適解は導かれていない。
「なにしろ、普通に食えますからなぁ、あれは」
「マジで?」
「まじ?」
「いや、本当ですか?」
「ああ、はいはい。もちろん、味は薄いですがな」
それでも、神聖土だけを食べても飢えは満たされたらしい。
いろいろとおかしい。
「日照時間や水の量。そもそも品種にも依る……か」
少し甘く見ていたかと、計画の修正を余儀なくされる。
今は、ヴェルガ帝国の情勢がある意味落ち着いているため、北の塔壁付近の住民を移動させる計画を本格的に実行に移そうとしているところだ。
その前提として開墾が必要になる。どうせならそのときに神聖土を使用した土作りを行おうとしていたが……。
「この件も、メルエル学長に人材を紹介してもらえないかな」
小学校の時に朝顔を育てた程度の経験しかないユウトでは、これ以上は難しい。
宝の持ち腐れは悔しいが、どうしようもないのも確かだった。
ボーナスではないが慰労金として金貨を10枚ほど渡した後も、ユウトは精力的に働き続ける。
学校へと移動してペトラに手紙の返事を伝え、執務室へ戻って残務を処理。
そうしながら適当にラーシアの相手をし、ダァル=ルカッシュから業務連絡を受け取り、夕食。
その日はアカネが用意したメニューで、両親も一緒に舌鼓を打った。
食後は休息――することなく、工房に籠もって魔法具の作製。
それでも従来は日が変わる頃まで作業に没頭してところ、今では21時には切り上げて、夫婦の寝室へと戻っていった。
「やっぱり、近いうちにメルエル学長に会いに行くことにするよ」
ベッドに腰掛けながら今日一日の報告をしながら、少し先の予定を告げる。
薄絹の寝衣に着替えたヴァルトルーデも、その隣に座った。
色気のない会話だが、逆にそれが良い。少なくとも、彼女はそう思っている。
「たぶん、父さんと母さんを地球に帰したあとかな」
「そうか。そろそろなのだな……」
彼女にとって、ユウトの父母は実の両親も同然。仕方のないこととはいえ、残念だった。
「なあ、ユウト」
「どうした?」
「子供を産むとは、どういうことなのだろうな?」
「それは……」
「子を宿してしまえば、戦えなくなる。産んだ後も、どうなるか分からん」
「そういうことか」
孫が生まれたら、ユウトの両親がこちらへ移住するかも知れない。それを知らされていた彼女は、帰還が近いという話を聞いて、急に身近な問題だと認識してしまったのだろう。
その不安がなくなればいいと、彼は愛妻の肩を抱いた。
「俺は男で魔術師だから、その心配が分かるなんて口が裂けても言えない。でも、まあ、あれだ」
このまま、想いが伝われば良い。
そんなもどかしさを抱えながら、ユウトは額同士をくっつけて言葉を紡ぐ。
「家の存続とかそういうのとは関係なく子供は欲しいし、なんなら、子育てにかかりっきりにならなくてもいい環境を作るぐらいの甲斐性はあるつもりだよ」
「ユウト……」
「心配するのは良いけど、不安になっても仕方ない。今までも、そうだったろ?」
〝虚無の帳〟と戦っていたときも、蜘蛛の亜神や悪の半神と対峙したときも。
必勝の保証などどこにもなく、どんなに準備を重ねても、負けてしまうかも知れないという気がかりはあった。
それは、当然のこと。
だが、必要以上に気に病むことはない。
先へ進もうとする意志があれば、未知は切り開けるのだから。
「それに、ほら。案ずるより産むが易し……って、いや、そういう意味じゃなくてな」
するりと出た言葉が不謹慎に感じられ、わざとじゃないんだとあたふたするユウト。
そんな夫の姿を見て、ヴァルトルーデの心配は、どこかへ吹き飛んでしまった。
彼がいて、みんながいる。
他に、なにが必要だろう?
思いの丈をぶつけるかのように、ヴァルトルーデはユウトをベッドへ押し倒した。
目を白黒させる彼が、たまらなく愛おしい。
「そろそろ、私も経験値がたまったはずだからな。今夜は、実地で証明してみせる」
「あー。お手柔らかに?」
ユウトの一日はこうして終わりを告げた。




