5.三人の選択:カグラ
長くなったので、一人一話に分割します。
おかしい。プロットには2行しか書いていなかったのに。
ファルヴの街にもすっかり溶け込んできた東方屋。領主の結婚という一大イベントを経て、より一層馴染んだようにも思える。
その際、普段はあまり訪れない観光客に生で魚を食べるというカルチャーショックを与えたという些細な事件は起こったが、業績は概ね順調だった。
今日も、日が傾いた頃にやってきた常連客が、売り上げに貢献している。
個室というよりは、ユウトたちの専用室。あるいは隔離施設と呼ぶべきかも知れないそこで、リトナは一人、杯を傾ける。
今日の一杯目は、わずかながら生産の始まった清酒だ。
ユウトではなくヴァイナマリネンの協力で、時間など諸々の問題を理術呪文で吹き飛ばしたブルーワーズ産の酒。竜人の里で作られたそれは、確かにまだ若い。
だが、まろやかさには欠けるものの、それも風味のひとつ。将来産まれるに違いない、もっとこなれた作品を想像する余地がある。それはとても、喜ばしいことだ。
まだ希少なため他の数倍はする清酒を、ハーデントゥルム沖で作られた塩をあてに楽しむ。
酒精を摂ることでどうしても鈍る味覚を塩がはっきりとさせ、より深く旨味を感じられるようになる。
リトナは、値段など気にしない。他人の金で飲んでいるからではない。
もはや、ラーシアは他人とは言えないだろう。
「さて」
人心地ついた。
ここで、なにか入れておきたい。
そう思った直後、個室のふすまが開いた。
「失礼いたします」
給仕を担当している竜人の少女が、お盆に数品載せてしずしずと入ってくる。軽く頭を下げてから、テーブルの上に皿を並べていった。
付け出しではないが、その日の仕入れで良かった物をお任せで出してもらうのがいつものスタイル。これらでコンディションを整え、本格的な攻略に乗り出すのだ。
香ばしい醤油の香りがする、秋の茸のあぶり。その芳香はある種の暴力性さえ秘めている。添えられた柑橘類を絞るか、そのままいくのか。難しい選択を迫られる。
だが、まずはそのままだ。
口内に広がる熱。
それを無視してがぶりとやると、じゅわっと汁が吹き出し旨味と風味が踊った。
そして清酒を流し込めば、幸福が生まれる。お手軽だろうか? だが、幸せという得難い物を簡単に得られるだとしたら、それはとても素晴らしいことではないか。
「ふう……」
ほっと一息。次の皿に目を向けた。
それも、同じく焼き物。ただし、焼き鳥でも塩だ。
それだけなら、ファルヴの屋台でもできる。だが、アカネとカグラが出すだけあって、安易な気持ちで塩味を選んだわけではなさそうだ。
軟骨入りで、こりこりした食感が嬉しい、つくね。
余分な脂を落とし、ぱりっと焼き上げた皮。焦げ目が実に香ばしい。
そして、さりげなく焼き鳥のなかに入り込んだ豚のバラ。
確かに、つくね以外は脂が多い。タレでも美味いはずだが、この脂を前にしては、逆にうるさく感じてしまうはず。
加えて、塩自体も美味い。清酒のあてとして出された物と同じだろう。伏線は張られていたのだ。
してやられた。
なんと、挑戦的な献立か。
リトナの疑念をあざ笑うかのような調理に、ついつい酒が進む。悔しいが、酒精に罪はない。
こうして、前哨戦をやや押し込まれる形で終えたリトナだったが、ビールや蒸留酒という援軍も呼び寄せ、なんとか五分の勝負へと持っていく。
この楽しみ、天上ではこうはいかない。
人間はおろか、エルフと比べても永劫とさえ言える時を生きる神々。
下界からもたらされる信仰の力を蓄え、青き盟約に抵触しない範囲で祝福を与え、思想を異とする神々と抗争し、世界を管理する。
超越者たる彼らの精神構造は、定命の存在が推し量れるものではない。
その反動か、地上に降りてきたときはやけに行動が幼くなる。それも、精神の均衡を保つため。迷惑をかけているかも知れないが、仕方のないことなのだ。
なお、リトナは迷惑をかけているとは思っていない。
その後も順調に消化し、締めに頼んだ焼き飯を、木匙ですくい大きく口を開く。こんな食べ方は、一人で飲んでいるときにしかできない。
パラパラとした米の食感と香ばしい醤油の風味。そして、細切れにはなっているが、チャーシューが嬉しい。
「……むむ」
しかし、一口食べた瞬間、難しい顔をして癖毛に手をやるタイロン神の分神体。
確かめるように、もう一口。
しかるに腕を組み、うなずき、そして卓上に置いてあった鈴を鳴らした。
「女将を呼んで」
用を聞きに現れた竜人の女性にそれだけ言うと、リトナは押し黙った。
それを訝しむものの、無言の圧力に押されてきびすを返す。
数分後、女将――カグラが現れた。
「リトナさん、なにか不都合がありましたか?」
なぜ呼ばれたのかを考えてみても、心当たりがない。粗相でもあったのだろうか?
「悩みが、あるわね?」
視線で座るように促しつつ、単刀直入に切り出す。
言われたカグラは虚を突かれたように一瞬動きを止めたが、すぐに笑顔に切り替え首を振った。
「人間、生きていればなにか悩みはあるものです」
「そうね。でも、これに透けて見える程ってのは、結構大きな悩みよ」
分神体の視線の先には、食べかけの焼き飯。
いったいどういうことなのかと、首を傾げる。
「いつもより、少しだけべちゃっとしてるわ。思い切りに欠けているというほうが、分かりやすいかもね」
「それは……」
「火力か調理か。それとも、両方?」
図星とまではいかないが、心当たりはある。ありすぎる。
だからといって、相談するわけにはいかない。これは自分の問題だ。
そんなカグラを優しい瞳で見つめながら、諭すように言葉をかける。種族特有の好奇心は、どこにもない。ただ、真心だけがこもっていた。
「悩んでるってことは、問題はなにか分かっているのよ。本当のところはね。だから、ちょっと整理するぐらいの気持ちで話してみなさい」
「いえ……。ありがとうございます」
誰にも、それこそ兄であるジンガからも指摘されていない迷い。
それをあたかも見てきたかのように断言するリトナに、しかし、不快感は湧かなかった。むしろ、清々しい気持ちすらある。
カグラは、リトナの正体をはっきりとは認識していない。
彼女も、巫女。こちらで言えば司祭と呼ばれる、神に仕える者だ。時折訪れる“奇妙な客”の存在と考え合わせれば、何者かは自ずと分かってしまう。
だから、薄々感づきつつも断定は避けていた。
この草原の種族がなにも言わない以上、曖昧なままにしていたかったのだ。
それでも、今はその魅力に抗えない。
「アカネさんから、ユウト様との関係についてお話がありました。その件で、ええ、確かに悩んでいます」
「お話ね。具体的につまり?」
「その……。要するに……。妻として立候補するなら今のうちだと最後通牒を突きつけられたような格好になっていまして……」
絞り出すように、あるいは恥ずかしそうに。
悩みの元を吐き出すカグラ。
「なるほど、なるほど」
原因は、ほとんど分かっていた。
それでも、言葉にし、はっきりさせることに意味がある。
「諦めたら?」
しかし、リトナから返ってきたのは無情な一言。
「だって、そうでしょ? あっちは結婚しちゃったし、奥さんは超美人だし。そのうえ、フィアンセも他に二人もいるしねぇ。常識で考えて、勝ち目ないでしょ?」
「それはっ」
「そもそも、彼に女性として意識されてるかもあやしくない?」
確かにその通りだ。
そんなことは分かっている。
分かっていて、受け入れられないから悩んでいるのだ。
何度も、助けてもらった。嬉しかった。
でも、恩人だからというだけではない。
筋を通すため、あえて不利な戦場に立った。その心意気に惹かれた。
意識されていない? そんなことは分かっている。出会ったときから、彼の心の中には別の女性がいた。
「それでも、わたくしはっ」
思わず感情を昂ぶらせ、リトナへと食ってかかろうとする。
だがリトナは、そんな竜人の巫女へと笑顔を向けていた。
「ほら、答えは出てるじゃないの」
「リトナ……さん……」
「あとは、決断だけね。このまま泣き寝入りか、当たって砕けるか、当たって受け入れられるか。アタシとしては、とりあえず当たってみるのがオススメだけど?」
そんなに簡単な話ではない。
それができれば、とっくにそうしている。
けれど、本当にそうだろうか?
どこかで仕方がないと、諦めてはいなかったか。曖昧に、穏便に、物事を済ませようと思っていなかったか。
確かに、そのぬるま湯は気持ちの良いものだったかも知れない。
しかし、時間は決して止まらない。望むと望まざるとに関わらず、決着はいつしかついてしまうものなのだ。
「リトナさん。この御恩は、決して忘れません」
「いいよ、いいよー。いつも美味しいもの食べさせてもらってるしね」
「その点に関しては、やや不義理を働くことになりますがご容赦ください」
この時点で、カグラの気持ちは決まっていたと言っていいだろう。
その場を辞去すると同時に厨房へ駆け込んで自らの意思を伝え、その足でケラの森にある竜人の集落へと移動。
すでに日が落ちかけていることなど、なんの障害にもなりはしない。
そして、兄ジンガへも決断を告げると、翌日にはユウトたちに面会を求めた。
「ええっと、突然なんでしょう?」
いつもの執務室でカグラと顔を合わせているのは、ユウト。それに、もう一方の当事者であるヴァルトルーデ。それから、アカネもいた。
この三人が同じソファで身を寄せ合うように座っている。面会というよりは、面接という雰囲気だ。
「お願いがあって参りました」
「俺たちにできることなら、大概は聞きますが……」
とはいえ、内容にもよる。
なにか竜人の里で問題でも起こったのだろうかと、先を促す。
「わたくしを、ユウト様のメイドにしていただけませんか?」
だが、その望みは、予想だにしないものだった。新婚の夫婦は、思わず顔を見合わせる。
「はっ! それって、和風メイド!?」
「良いから、座れ」
がたりと音を立てて飛び上がった幼なじみを一言で制し、ユウトは竜人の巫女へと向き直った。
「ええっと、東方屋は?」
「任せてきました。大丈夫です。質は落ちません」
「アカネ、実際のところ、どうなのだ?」
「まあ、カグラさんが言うなら、そうなんじゃない? 私も、一人いなくなっただけで立ち行かなくなるような体制にはしてないつもりだし」
領主の確認に対し、非の打ち所がない方針を告げるアカネ。
「確かに、いつまでも朱音をメイド扱いにもな……」
本来の騎士爵とは異なるとはいえ、貴族は貴族である。本来であれば、もっと早くきちんとしていなければならなかったことだ。
例えば、事件――つまり、冒険者として力を振るわなければならない事態――が起こって不在の際、アカネにきちんと権力の委譲ができるような法整備もすべきだっただろう。
そういう意味では、渡りに船の提案ではある。なぜ、こんな急にという理由が、ユウトには分からなかったが。
「むむ……」
他方。なんとなくでしかなく、明確に言語化できるわけではないが、ヴァルトルーデは彼女の意図は分かる気がしていた。
その通りだった場合は、どうすべきか……。
そこまで考えを巡らせたところで、すでに詰まされていたことにヴァルトルーデは気づいた。
彼女に“下心”がなかったら、断る理由はない。
そして、逆のケースだったなら、カグラを遠ざけることはユウトを信頼していないということになってしまう。
実のところ、カグラ自身はそこまで考えて実行に移したわけではない。
ただ、いきなりユウトへ結婚あるいはそれに準じる関係を迫っても上手くいかないだろうと、本能がささやいたのだ。
竜人の里との関係を前面に出すのも、悪手に違いない。リトナが言うところの「当たる」ことを選んだ彼女だが、そうした以上、簡単に「砕け」たくはなかった。
ゆえに、メイド。
ヴァルトルーデとの仲の良さを、見せつけられることになるだろう。物理的な距離が近づくことで、彼我の違いを思い知らされることにもなるだろう。
だが、覚悟の上だ。好機を作らねば、なにも始まりはしない。
「確かに、対外的な部分も含めて侍女は必要だよなぁ。それがカグラさんなら、信頼できるし、確かに適任といえばその通りだ」
その評価は、素直に嬉しい。
表情は変えずに、しかし、内心で快哉を叫ぶ。
「でも、ヴァルはどう思う」
「ま、まあ、そうだな。反対する理由はない」
珍しく歯切れの悪い聖堂騎士。それが気になって、さらに踏み込もうとしたところ――
「私も賛成ね。アルシアに異存がなければ、お願いしたら?」
「……そうするか」
幼なじみからの支持を受けて、ヴァルトルーデへの追及の手を止めた。同時に、女性陣の緊張が解ける。皆、理由は微妙に異なるが、真相をユウトに知られたくはなかった。
「精一杯、頑張らせていただきます」
「よ、よろしくお願いします」
勢い込んで事実を既成化しようとするカグラに押され、思わずうなずいてしまうユウト。この場にいない、もう一人の婚約者の承諾を得るという話が抜け落ちているのにも気づかない。
「とりあえず、条件面をクロードさんと相談して決めてくるわね」
「ああ、うん。先に制服を決めるとか言い出したら、どうしようかと思った」
「私は、楽しみは後に残しておく派よ」
マキナと似たようなことを言うアカネと、背中を押されて執務室から出ていくカグラの後ろ姿を見送りつつ、大魔術師は一人、首をひねる。
以前、リィヤ神から指摘された点に関しては、ヴェルガが地上から姿を消した今では、御破算だろう。
では、それ以外になにが……。
「なんか、俺だけ気づいてない要素があるように思えるな」
けれど、隣に座る新妻からの答えはない。
ヴァルトルーデはヴァルトルーデで、負けるわけにはいかないと、まずは今夜の計画で頭がいっぱいだったから。
そろそろ、書籍版3巻の作業が始まります。
そのため、とりあえず今週は月・水・金の三回更新とさせていただきます。
申し訳ありませんが、よろしくお願いします。




