2.家族のこと
「知ってた。こうなることは知ってたさ」
数日ぶりに執務室へ戻ったユウトは、アカネから報告――神の台座での顛末――を聞き終えても、なんら動じていなかった。
神々の施設が増えた? 想定の範囲内だ。問題はない。なにも問題はない。
「それに、俺がいてもいなくても、結果は変わらなかっただろうしな」
「一皮むけたのかと思ったら、単にやけになっただけだったわ」
「じゃあ、どうしろっていうんだよー」
「そこで逆ギレされても」
背もたれに寄りかかりながら、幼なじみを半眼で見つめるユウト。
新婚旅行を終えて仕事復帰したらこれなのだから、多少は愚痴っぽくなっても仕方がない。そう思って、フォローしようとアカネは口を開く。
「ほら、神さまたちは帰ったから。もう安心よ」
「そんな、あやされても」
子供に言い聞かせるような台詞。
それで納得したわけではなく、そんな風に言われるとは。自分がどれだけまずい状態にあるか気づかされたのだろう。
気を取り直して、前向きに言う。
「まあ、どれもマイナスになるようなもんじゃない。こうなったら、ちゃんと活用しないとな」
壊すわけにはいかないし、身から出た錆でもある。
「とりあえず、お墓に関してはアルシア姐さんに任せよう」
「いきなり丸投げ来たわねー」
ようやくいつもの調子を取り戻したユウトを眺めやりながら、アカネも椅子に座り執務机を挟んで向かい合う。
ヴァルトルーデとの結婚式を終えても、特に変わった様子はない。
それが嬉しいような、がっかりしたような、複雑だ。
「でも、適任だろ?」
「それは分からないけど、お墓っていっても私たちが知ってるのとは違うものね」
彼女が真っ先にイメージするのは、山沿いに造成された霊園。三木家の墓は高速道路のインターチェンジからほど近い公園墓地にあった。
トラス=シンク神の墓地も、ある意味でそれに近い。
白亜の霊廟を中心に、芝生の広場が整備され、森まである。墓参した人々の憩いの場になることだろう。
ただ、それは管理する人間が必要ということでもあった。
「その辺は、上手くやってもらうしかないな。人員は、セジュールの神殿とも相談してやりくりしてもらおう」
それに、ある意味チャンスでもある。
きちんと運営した実績があれば、アルシアがさらに昇進するかも知れない。大司教から枢機卿へ。そうなったらなったで大変だろうが、変な干渉を受けるよりはずっといい。
「また、悪いこと考えている顔ね」
「うん? そうか? 普通の顔だろ?」
「それが普通なら、勇人をお婿さんにできるのなんてこの私ぐらいだわ」
「充分だ」
今度は、本当に平然と受け流す。既婚者の余裕と言うべきか。
「それは、奥さんは私一人で良いってこと? 新婚早々不倫?」
「別に、朱音相手なら浮気にはならないだろ」
「ぐぬぬ。なんか悔しいわ」
なので、実力行使。
いきなり立ち上がって、驚いた顔をしているユウトへと唇を寄せ――
「ダァル=ルカッシュの主よ、ダァル=ルカッシュは、公私の別は付けるべきであると考える」
「ひゃっ」
前触れなくかけられた声に過剰なくらい反応して、執務机に倒れ込んでしまった。
「そういうことをやりたいのであれば、やることを済ませてからにする。そうすればめりはりも生まれ、作業効率も上昇する」
「……いたの?」
「ファルヴ一円は、ダァル=ルカッシュの私室と同じ」
「プライバシーには配慮してね」
「言われるまでもない」
微妙に誇らしげに、胸を張る次元竜。
一方、急展開に置いてけぼりを食らった格好のユウトは、二人の顔を順番に見て、なにかを取り繕うかのように咳払いをする。
「ええと、そうだ。良いところに来てくれた」
「下手なごまかし……」
「うっさい。えっと、ダァル=ルカッシュ。神の台座の件でプロジェクトチームを作りたい」
「なるほど。それは効率的とダァル=ルカッシュも賛成する」
「過程すっ飛ばしすぎじゃない?」
普段なら、ユウトが細かいところまで指示を出していたが、今回はみんなに任せたいと言っている。
トラス=シンク神の墓所は、アルシア。ゼラス神の図書館は、アカネとテルティオーネ。そして、レグラ神の修練場はエグザイルとアレーナ。
彼らを責任者にし、管理や活用の方法について決めてもらう。必要があれば、他の人材を登用してもいい。
そうしてユウトが捻出した時間は、ヴァルトルーデと過ごすため……だけではない。
「真名もそろそろ帰さないとだし、父さんや母さんもほったらかしにはできない」
「なるほど。コロもね」
「そうだな。そこが一番大事なところだ」
要するに、家族との時間のためといったところか。
プライベートな事情だと眉をひそめられそうな気もするが、こちらでは労働基準法も有給休暇もないのだ。これくらいは、大目に見てもらいたい。
「ダァル=ルカッシュも協力する。では、休みの間の案件をまとめたので、順番に目を通してほしい。問題がなければ、決済も」
「ああ、そういう協力か……」
「問題ない。ヴァルトルーデ・イスタスにも多少は割り振っている」
「……勇人とヴァル、同じ部屋で仕事するようにしたら?」
「考えておく……」
「父さん、母さん、こっちはどう?」
ユウトは愛犬を抱き上げ、その感触を愛でながら両親に問いかける。
結局、両親と話す時間が取れたのは新婚旅行から戻った翌日になってしまった。
ほったらかしにしていたのは申し訳ないが、これでも頑張ったのだ。
「今さらな質問だな」
非難しているのではない。率直に感想を述べているだけだが、父の頼蔵が言うと妙な迫力がある。
とはいえ、生まれたときからこうなのだ。もう慣れている。
代わりと言うわけではないが、母の春子が口を開いた。
「本当にヨーロッパみたいよね」
「それは聞いたけど」
「あと、本当に魔法があるのねぇ。お買い物も銀貨や金貨だし」
「文化の違いだな」
父が部屋を見回しながらつぶやく。
ファルヴの城塞で二人に割り当てたのは、アルサス王子や真名も泊まった貴賓室。日本では見られない調度や内装は確かに違う文化を感じさせる。
それ以上に深く考えようとしないのは、息子から「ファンタジー世界へトリップして、魔法使いやってました。あと、世界も救いました」と聞かされた段階で、ある程度達観していたからかもしれない。
「もっとも、最初に竜を見たときは本当に驚いたがな。逆に、あれで常識が木っ端微塵にされて良かったのかも知れん」
「そうそう、ルカちゃんだったかしら。おっきかったわねぇ。恐竜がいたら、あんな感じかしらね」
次元門を通ったすぐ先には次元竜ダァル=ルカッシュがいた。事前に伝えてはいたものの、平静でいられるはずもない。
しかも、地下なのに桜まで咲いているのだから意味が分からなかったはずだ。そのうえ、ここで息子はプロポーズをしましたとは絶対に言えない。
その後、城塞に驚き、街に出てエルフやドワーフに目を丸くしと、両親も概ねアカネと同じ道をたどっていた。
「食べ物は朱音ちゃんが頑張ったのかしら? 美味しかったわね。そういえば、こっちの食べ物ってみんな無農薬なのよね。贅沢だわ」
「私は逆に、日本の食への情熱を感じたがな」
「そうなんだよね。品種改良って凄いや」
特に礼賛するつもりはないのだが、食品に関しては日本のほうが遙かに上質。
そこは年季の違いといったところか。下手に日本から作物を輸入して問題が発生しても困るので導入は見送っているが、将来的にはどうにかしたいところだ。
「あと、おしょうゆとお味噌があったのもびっくりしたわね」
「まあ、しょうゆに関しては、最近、自分たちで作り始めたんだけど」
「自家製なの?」
「自家製と言われたらそうか。俺が大豆混ぜたりしてるし」
「定年を迎えて暇を持て余した男のようだな」
あきれたように、父が言う。
その言葉に、ユウトは反論できなかった。なので、代わりに愛犬を膝の上に寝かせてお腹を撫でる。コロはご満悦で、なすがままになっていた。
「ああ、そうだわ。定年と言えば、子供はいつ頃作る予定なの?」
「……ちょっと、つながりが分かんないんだけど」
分かったとしても、どう答えれば良いのか、どう答えるべきなのか。
難しい顔をする息子に、母は微笑を浮かべて説明をする。
「お父さんと話をしたのだけどね。孫が生まれたら、仕事を辞めてこっちに移住しようかしらって。子育てにも協力できるでしょうからね」
「……え?」
「もちろん、あれよ。ヴァルトルーデさんが賛成してくれたらよ。嫁姑の対立なんてしたくないものねぇ」
「いや、それは心配してないけど……」
「勇人、それは楽観的すぎる。人間関係なんて、どうなるか分からないものだぞ」
「どうさせたいのさ」
「親のことよりも、嫁の味方をしろ。それで上手くいく」
「あ、そうなんだ……」
十代にもかかわらず、なにかの闇を見せられたような気分になり、勇人の動きが止まる。愛犬が抗議するように尻尾を振ったため、すぐには再開させたが。
「でも、向こうの仕事とかいいの?」
「よくはない」
不機嫌そうに、間髪容れず頼蔵が答える。
しかし、もっと大切なものがあるのだ。
「だが、お前の勤務状態を見れば不安にもなる」
「父さん……」
暗に、事務仕事だけでも手伝ってくれるという意思表示をしてくれているのか。ありがたいが、情けない。
「まだ、実際のところ、可能かどうかは分からないのだ。感謝される謂われはない」
「もう、素直じゃないんですから」
「ひねくれてなどいない。勇人、親と同居なんかしたくなければ、精々改善することだな」
確かに、分かりやすいくらいストレートに自分のことを考えてくれている。
頭が下がる想いだが……。
「となると、コロも一緒か」
「わぅん」
突然名前を呼ばれた愛犬が、訝しげに声を上げる。
ユウトは、真名には先に伝えておくべきかなと考えながら、そんなコロを撫でた。




