エピローグ
結婚式が終わると、新郎新婦のパレードが行われた。
馬車に乗って、ファルヴの街と神の台座を一時間ほどかけて巡る。
その間に慌ただしく会場設営が行われ、花嫁広場は披露宴の会場へと姿を変えた。
パレードから戻ったユウトとヴァルトルーデは、その奥に設えられた専用席で招待客からの祝福を受けることになっている。
「晒しもんだよな、これ」
「結婚というものへの夢と希望が打ち砕かれた……」
悪魔諸侯との激戦を経てたどり着いたこの場。にもかかわらず、新郎新婦の二人は笑顔を絶やさず辟易するという離れ業を披露している。
率直に言って、不殺剣魔の相手をしているほうが楽だった。
披露宴といっても、招待客の席など決まっていないし、司会がいるわけでもない。
無料で料理や酒を振る舞うブースがそこここに設置され、人々は新郎新婦へ祝福の言葉を唱えながら好きな物を口にしている。
この日のために、大量の食材が運び込まれ、祝いの料理に姿を変えていた。
ロートシルト王国で一般的に食べられているスープに、肉や魚を香辛料で味付けした焼き物は、カイエ村など領内の村から志願した者たちが振る舞っている。
他にも、アカネが陣頭指揮を執って用意した焼き鳥やハンバーグサンドが並べられ、カグラが料理長となった東方屋の出張ブースもある。
また、ドワーフたちには地球から持ち込んだウィスキーが人気だった。
風に乗ってこちらまで聞こえてくる、人々の楽しげで幸せそうな声。
それはいい。喜んでもらえたのなら、それに勝るものはない。
しかし、朝からなにも食べていない二人にとって、同じ風に乗って漂ってくる食欲を刺激する匂いは残酷だった。特に、ヴァルトルーデなど、時折喉を鳴らしている。
だからだろう。
修道僧のような格好をした巨漢が鯨飲馬食している光景を目にしたような錯覚に囚われたのは。力の神レグラが、そんなことをするはずがない。美食男爵と意気投合しているように見えるのは、きっと気のせいだ。
「ヴァルトルーデさん、綺麗だったわよー」
「勇人、疲れるものだろう?」
そんな二人に、ユウトの両親が声をかける。
父はコロを抱いたままなので、一見して花婿の父には見えない。
「義父上、義母上。ありがとうございます」
「おなかすいたかな……」
愛犬の頭を撫でながら言う息子へ、披露宴はそういうものだと、父の頼蔵が重々しく死刑宣告した。我慢しろということらしい。
一方、ウェディングドレスを着ているため座ったままで応対するヴァルトルーデに、母の春子が「お色直しの間にぱぱっと食べちゃうと良いわよ」とアドバイスをする。
ぱあぁっと笑顔を浮かべる新妻に、呆れるのではなく見惚れてしまうユウト。そんな彼へ、黙っていたもう一人が無遠慮に言葉を発した。
「随分と盛大にやったもんだ」
「準備してるうちに、勝手に規模がでかくなるんだよ」
「ここまでやって別れたら、いい笑いもんだな!」
「披露宴で言うことか!」
「かかかっ」
大笑するヴァイナマリネンに、思わず声を荒らげてしまう。
分かっている。
それが「仲良くやれよ」と言っているということも、いろいろ協力してもらったという負い目を感じることもないと伝えようとしているのだということは。
「ったく、このクソジジイめ……」
それでもついつい悪態が出るのは、結局、甘えていると言うことなのかも知れない。両親を任せているのもそうだ。
この大賢者ヴァイナマリネンが両親と一緒にいることで、ユウトの両親を取り込もうとする邪な企ては自動的にシャットアウトされる。
「さて、ワシらはやることがあるから行くぞ」
「やることって……ああ、演奏か」
「それは楽しみだな」
ユウトたちは席に座って笑顔を振り撒いているが、他の人間は会場を自由に移動している。
吟遊詩人や大道芸人もそこかしこに現れては、自らの腕前を披露していた。
しばらくすると、そんな賑やかな一角から、ヴァイナマリネンが作曲した電子音と父のギターと歌声が混じり出す。
「いたたまれねえ……」
聞くに堪えないというわけではない。だが、身内の演奏など平常心で聞けるものではなかった。
「そうか? 聞き慣れぬが、不思議と耳に残るぞ」
「それ、本人の前で言うなよ。調子に乗られたら困る」
特に、ヴァイナマリネンは。
気付いた時には、地球でメジャーデビューぐらいやらかしかねない。
「さぁって、今晩はお楽しみですね!」
「こういうときだけ勇猛果敢だよな、ラーシア」
次の訪問者は、この世界でともに戦った仲間たち。それに、リトナも一緒だ。
「先にここで結婚式したのはお前だろって言っていいか?」
「ラーシアくん、アタシもしたいな。花嫁が綺麗で、なんだか感動しちゃった」
「そういう恋愛至上主義みたいなの、止めてほしいんだけど!?」
「まあ、ラーシアはともかく、おめでとうだな」
「ありがとう、おっさん」
「ボクは綺麗に無視?」
無視だ。
その方針は、両手に食べ物を装備したヨナも踏襲している。
「ユウト、ヴァルおめでと」
「ああ、ありがとう。でも、ヨナ。あとでアルシア姐さんに口の周りはふいてもらえよ」
「次の次の次は、もっと質素でいいから」
「そういう配慮ができるのなら、回数を減らす方向でいきたいなぁ」
「それ無理」
アルビノの少女は妥協しない。
いや、「次の次の次」と言っている時点で、譲ってはいるのか。
「ヴァル。本当に……」
「アルシア……」
一方、最も付き合いの長い幼なじみたちは、しっかりと手を取り合って感動と感慨を共有している。
「幸せになって。いえ、なりましょう」
「ああ。もちろんだ」
そんな二人の姿を、ユウトも仲間たちも黙って見守る。
様々な意味で、この結婚式が転機になったのだと、実感していた。
だが、いつまでもそうしてはいられない。
去り際にもう一度祝福の言葉を贈ると、入れ替わりに五人の少女、アカネ、レジーナ、カグラ、ペトラ。そして、真名が現れた。
といっても、アカネが引率をしているようなものだが。
「うんうん。二人ともなかなか絵になるわね」
無遠慮にデジカメで写真を撮りつつ、そうアカネが褒めあげる。
「すっかりおもちゃだよ、俺たちは」
「私のときは、ジミ婚でいいわ。こんな大げさなことになったら、卒倒しそう」
「ヨナと同じことを言うのだな、アカネ」
「あちゃー」
それは予想していなかったらしく、苦笑を浮かべる。そうしてから、レジーナ、カグラ、ペトラの背を押して、新郎新婦の前に突きだした。
「ほら、なんかあるでしょ?」
「こ、この度はおめでとうございます」
「とてもお綺麗でした」
「おめでとうございます!」
なぜか、三人とも表情が硬い。
いや、笑顔は浮かべているし、心から祝福もしてくれているのだが、どことなくぎこちない。
それがユウトにも伝わっているが、どうしていいのか分からない。ヴァルトルーデも、それは同じだった。
そんな三人を目にして、アカネと真名は密かにため息を吐く。まあ、この場で動くことはできないにしろ、もっとやりようはあるはずなのに。
しかし、こうしていても埒があかないと、地球から来たユウトとアカネの後輩が三人を押しのけて前に出る。
「センパイ、ヴァルトルーデさん。おめでとうございます」
「ありがとう」
「わざわざ来てもらって悪かったな」
「まったくです。賢哲会議に手配されたらどうするんですか」
那由多の門の存在は秘匿しておきたいと言われているため、真名は誰にも内緒でこちらに来ている。
査問を受けたら、どんな処罰が下るか分からない。
そのときには、ユウトがどうにかするだろうから心配はしていないのだが。
「そういえば、お土産です」
「うん?」
そう言って真名が差し出したのは、一枚の記録ディスク。
「マキナが変に頑張って学校行事の様子を撮影してしまったので。私には不要ですので、その気があれば朱音センパイのPCで見てください。いらなければ、適当に処分を」
「そっか。ありがとな」
短く礼を言いながら、そのディスクを受け取った。
地球での真っ当な生活に未練があるわけではない。だが、たまに浸るぐらいは許されるだろう。
「教授、聖女。ご結婚おめでとうございます。心よりお慶び申し上げます」
「マキナもありがとな」
「いえいえ。こちらの水のほうが合うようですから」
タブレットにそんなことを言われてもどう反応して良いものか分からない。
それから、まだ美少女型のアイコンは手に入れていないらしい。もしかしたら、あとでアカネに頼むつもりかも知れなかった。
こうして友人たちの訪問が一段落すると、あとはアルサス王を嚆矢として、各国の地位ある人々からの挨拶ラッシュが始まる。
ほんの十数メートル先では、人々が楽しそうに飲めや歌えやと宴が繰り広げられているのに、主役はこれだ。
ヴァルトルーデはお色直しだと何度か席を立ったが、ユウトはずっと対応に追われていた。
ほとんど儀礼的な対応に終始したが、例外はアルサス王とメルエルからの祝福には、心からの笑みを浮かべられた。
そして、もう一人、例外的な対応を取った相手がいる。
神王セネカだ。
「この度は、わざわざお越しくださり、感謝いたします」
「とんでもない。素晴らしいものを見せていただきました。こちらこそ、臨席できたことを感謝せねばなりません」
いずれもそれなりの地位だろう聖職者を引き連れ、祝福に訪れた隣国クロニカ神王国の神王セネカ二世。
彼女とヴァルトルーデが同じ空間にいると、華やかというよりは荘厳さが際立つ。
「こちらも余裕がなく遅くなって申し訳ありませんでした。是非、このあとドゥコマースの秘奥のお礼をさせていただきたい」
「お受けいたします。しかし、気にされないよう。セネカにとっても、この式のあとのほうが都合の良いお話ですので」
にっこりと微笑み、神王が快諾する。
それ自体はありがたいことだったが、どうにも釈然としない。だが、この場で確認することもできなかった。
なぜなら、花嫁広場の中心から奇妙な震動が伝わってきたから。
「何事だ――」
まさか、不殺剣魔は完全に滅んでいなかったとでもいうのか。ヴァルトルーデが熾天騎剣を求めて無意識に手を動かす。
だが、そんな心配は、突如現れた建造物であっさりと吹き飛ばされた。
花嫁広場に、見上げんばかりの高さの時計塔がそびえ立っている。信じられないことに、一瞬で出現したのだ。
「まあ……」
神王セネカも、呆然として言葉を継げない。
どうやったのかは、分からなかった。
だが、誰がやったのかは考えるまでもない。
「図書館とかを作るって話だったんじゃ……」
「え? 神の台座の施設が結婚祝いだなんて、一言でも言ったかな?」
「それはそれ、これはこれじゃな」
時計塔同様、いつの間に現れたのか。二柱の神が、新郎新婦の前に現れた。セネカたちが反応しないのは、認識阻害がかかっているからか。
「でも、一言ぐらい先に……」
「自分だって、なにも言わずに剣を贈っておいて」
「じゃなあ」
知識神と死と魔術の女神の夫妻は動じない。確かに、こちらがお祝いと解釈しただけで、ゼラス神はなにも言っていなかった。
これには、隣に座るヴァルトルーデも驚きでなにも言えない。正確には、驚きすぎてその機能が摩耗してしまっていた。
「前に来たとき、足りないと思ってたんだよ」
「この領内全体に鐘の音が届く特別製じゃ」
「ああ、あの鐘の音ってそういう……」
いったい何度目の奇跡になるのか。
神の御業に、広場全体からどよめくような歓声が上がる。酔っ払ったドワーフたちの一部には、時計塔の構造を確認しようと近づく者までいた。
(めちゃくちゃだな……)
ユウトは思わず頭を抱えたが、顔には笑みが浮かんでいた。
「まあ、これも私たちらしいのではないか?」
「奇偶だな。同じことを思ってたよ」
ユウトとヴァルトルーデ。
新郎新婦が、誰にも見えないように手を握った。
まるで、それが二人の絆だと主張するかのように。離れたくない、離したくないと。強く強く。
「やっと、落ち着いたな」
「そうだ……な」
《燈火》による魔法の明かりが部屋を照らす。
タキシードとウェディングドレスを着たままの二人は、その夜、ファルヴの街を離れていた。
というよりはむしろ、無理やり放り込まれたのだ。ハーデントゥルム近郊にある温泉宿に。
エグザイルが願い、建てられたこの施設。
広い宿のなかにいるのは、二人だけ。
ヨナの《テレポーテーション》で送り込まれたあと、逆らっても意味がないと準備済みの一室――布団まで敷いてあった――に腰を落ち着けた。
今日は、本当にいろいろなことがあった。
慌ただしさでは、今までで一番だろう。
しかし、まだやるべきことが残っている。
「ヴァル」
「な、なんだ?」
緊張した声音も、可愛らしい。
そんな感想を抱きながら、ユウトは愛しい妻の手を取った。
その感触を楽しみつつ、左手の薬指にシンプルなデザインのプラチナの指輪をそっと嵌める。永遠に続く愛を表す円環を。
「ほぅ……」
だが、シンプルと言っても、それはブルーワーズでの話。
現代の技術で作られたマリッジリングは、宝飾品に疎いヴァルトルーデをも魅了した。
「私が付ける分もあるのだろう?」
「もちろん」
ビロード張りの箱に入った、対となるリングを手渡す。
それを慎重に手にし、ユウトに嵌めようとしたとき――
「なにか書いてあるな?」
「ああ。追加で、ちょっと注文をしてね」
指輪の裏側に、ブルーワーズの文字が刻まれていた。《燈火》の明かりに照らし、ヴァルトルーデがそれを読み上げる。
「いつまでもあなたの傍に」
希望と願いと誓いを込めた言葉。
それを反芻しながら、ヴァルトルーデは夫の指に結婚指輪を嵌める。
二人の視線が混じり合う。同時に、意識も。
ユウトが簡単な身振りで、《燈火》を消し去る。
どちらからともなく瞳を閉じ、ゆっくりと唇が重なり合った。
もう、言葉は必要ない。
世界には、二人しかいない。
やがて、影が重なり合い――二人は、ひとつになった。
これにて、Episode9完結です。
感想・評価などいただけましたら幸いです。
まるで最終回のようですが、もう少しだけ続きます。
更新再開は、3/9(月)の予定です。
また、書籍版「レベル99冒険者によるはじめての領地経営」の2巻が明日2/27発売です。
今回も、発売記念短編を投稿しますので、書籍版と合わせてお楽しみください。
(たぶん、日付が変わる頃に更新できるはずです)
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。




