1.その翌日
改めて、最愛の人と将来を約束した翌朝。
ヴァルトルーデは、満面の笑みで目覚めた。
昨日はやたらと興奮していたため、二人の部屋ではなく元の自室に戻ってベッドに潜り込んだ。しかし、その配慮は無駄に終わり、夜半過ぎまで眠ることができなかった。
だから、規則正しい生活を送っている彼女にしては非常に珍しく、昼近くになってからベッドを抜け出す。
胸に、熾天騎剣を抱いて。
熾天騎剣の識別鍵になった状態感知の指輪だったが、その状態でも効果は発揮されるようで、剣を握っているとユウトの居場所も分かる。
つまり、これからは彼の存在を感じながら戦うことになる。それだけで、負ける気がしなかった。
考えれば考えるほど、この剣は凄い。
何度も同じ感想を抱いたが、凄い物は凄いのだ。
既に、熾天騎剣の詳細はヴァルトルーデの頭に入っていた。何度も読み返すことになるだろう――最悪、戦闘中に取り出すかも知れない――と羊皮紙に記した使用可能魔化のリストは、もはや無用の長物。
それどころか、初期設定は当然。敵に合わせたプリセットを何パターンも編み出しており、自在に切り替え可能だ。
わくわくしてうずうずして仕方がない。
そんな彼女は、ベッドに座ったまま終始笑顔。改めて二人の愛と関係を確認したうえに、心躍るプレゼントまで贈られたのだ。不機嫌になりようがない。
というよりはむしろ、真顔に戻れなかったと言うべきか。
もちろん、すべてを肯定しているわけではない。せっかく今後の領地経営のためにと保留にしていたヘレノニア神からの報酬を使用してしまった件に関してはすぐに納得とはいかなかった。
だが、その分、自分が働けば良いのだと素早く切り替えた。
「ヴァル、起きてる?」
「ああ。今、目が覚めたところだ。入っても構わないぞ」
「それはどうも……って、まだパジャマじゃない」
迎え入れられるぐらいだから、着替えぐらいは済んでいると思っていたのだろう。彼女にしては珍しいだらけた様子に、メイド服姿のアカネが面食らう。
「ん? ああ、そうだな。だが、そっちも騎士がする格好ではないだろう」
「ヴァルに常識的な注意をされた……」
「私だって、その程度は気づくのだぞ?」
「いやぁ、なんか騎士とか貴族とか畏れ多くて、現実逃避気味にね」
現実への反抗……というほど大それたものではないが、認めたくないものでもあった。自分は変わっていないと確認したいだけかも知れない。
「それにしても嬉しそうね、ヴァル」
ヴァルトルーデの着替えを用意しながら、アカネが笑顔で言う。
彼女の目から見ても、クリスマスの朝に枕元に置いた靴下の中身を確認する子供のようで実に微笑ましかった。
「うむ。そうだ。このユウトが作ってくれた剣は凄いのだ」
頬ずりせんばかりにかき抱き、熾天騎剣へ向ける視線は熱を孕んでいた。
「普通では考えられぬ素材を惜しげもなく使用しているし、なによりその技術が素晴らしい。これは世界最強の芸術品だ。それに、状況に合わせて魔化を組み替えられるというのも凄いの一言だな。さすがユウトだ」
「あ、そうなんだ……。とりあえず、髪にブラシするわよ」
「ああ。頼む。それにだな、扱いに修練が必要そうなところがまた良い。楽しみで仕方がないぞ」
熱っぽく語る天使よりも神々しい美女にやや引き気味になりつつ、アカネは父親のことを思い出していた。
新しいパソコンを買った直後の父親もこんな感じだった。設定を変更し、ソフトウェアをインストールしと、とにかくいじり倒していた父親とよく似ている。
(武器オタク……)
その一言はなんとか飲み込み、金糸のように美しく艶やかな髪を丁寧にくしけずる。まあ、試し切りをしたいと言われなかっただけましだ。
同時に、ユウトからなにかプレゼントされて、ここまで喜べるだろうかと彼女との違いを考えてしまう。
「あう、これはまずそう……」
ある可能性に気がつき、アカネはヴァルトルーデの髪を梳く手を止めた。
ユウトのことだ。どうせ、自分やアルシアとの結婚式の際にも、こんな贈り物を用意するに違いない。
それなのに、スタートからこんな全力全開でどうするのか。あとで絶対苦労するだろう。ちゃんと手綱を握っておかなくては。
「ん? どうかしたのか?」
「いや、ユウトは大変だなーって」
「そういえば、ユウトはなにをしているんだ?」
「決まってるじゃない」
ブラッシングを再開しながら、アカネは簡潔に告げる。
「仕事よ」
「俺が悪いのは分かってる。分かっているんだけど……」
それでも理不尽だと、執務室の机に置いた那由多の門を玩びながらついつい愚痴をこぼしてしまう。
自業自得なのは分かっている。
ヴァルトルーデが喜ぶ顔を見たさに、熾天騎剣の製作にのめり込みすぎた。必然的に政務を行う時間は減り、日々の業務をこなすだけで精一杯。
その結果、決まらない――ユウトしか決められない――懸案だけが積み重なる。
「そうしていても解決はしない。負の連鎖は断ち切らねばならないとダァル=ルカッシュは進言する」
「もうちょっと情緒というものを」
「ダァル=ルカッシュの主も理解しているはず。ならば、だらけていないで手を動かし頭を働かすべき」
「……だな」
眼鏡越しの硬質な瞳でにらまれると、それだけで背筋が伸びてしまう。そういえば、真名は元気でやっているだろうか。こちらから持ち込んだ物品が原因で、面倒なことになっていなければ良いのだが。
(あと、マキナは美少女アイコンを手に入れただろうか)
ふと後輩の少女らを思い出してしまったが、まずは目の前の懸案を片づけるべきだ。
「じゃあ、軽く状況の説明を頼む」
「承知した。まず、王都セジュールのアルサス王から、ダァル=ルカッシュの主の結婚式は二ヶ月後に行なってほしいとの通達があった」
国政のスケジュールを勘案すると、これがベストなタイミングだそうだ。社会的に最も地位の高い招待客になるのだ。配慮するのは当然だろう。
「こっちの準備期間も考えてくれてるんだろうし、断る理由はないな」
「では、ヴァルトルーデ・イスタスに署名してもらって返事を出しておく」
「それで、他の参列者だけれど……」
「ダァル=ルカッシュの主の策謀の甲斐あって、国内貴族の希望者は減少している。国外からの参列も、アルサス王がある程度抑えててくれている模様」
「そっか……」
書類を決裁しながらの方針決定。どちらもよどみないが、どんなに手際が良くとも、断り切れない相手はいる。
例えば、国境を接する隣国クロニカ神王国の神王セネカ二世はその最たるもの。ドゥコマースの秘奥を返却する必要もあるし、断るわけにはいかない。
「それでも、予想よりは良い。この分なら、《不可視の邸宅》を限界まで使用しなくても片が付く可能性が高い」
「限界前提だったというのは、どうかと思うけど……。神殿関係者はどうなってる?」
「順調に減っている。分神体のお仕置きが減った原因だと、ダァル=ルカッシュは断言する」
神殿の上層部は、以前の神の手による綱紀粛正で萎縮して遠慮。それよりも下位の司祭たちは、上がそんな状態なのに無理に参加はできない。
「そっちは、ファルヴやハーデントゥルムの神殿が収容できる範囲だったらうるさいことを言わなくて良いか」
「同意する」
懸案のひとつは片付いたと、ユウトは具体的な指示を書き出していく。身分の高い参加者の割り振りや案内をどうするかなどを、クロード老の指揮下に決めさせるのだ。あわせて、ヘレノニア神殿に警備計画の策定も依頼する。
「問題は、巡礼者」
「分かってる。でも、こればっかりはな……」
分神体が降臨するかも知れないという噂を流した副作用とも言える問題。それが、国内外からファルヴを目指そうとする民衆の動き。
そこには、邪な者たちや単純に仕事を求めてやってくる者も少なからずいるだろう。
「そもそも、宿泊施設が足りない。いや、その辺は天幕なんかでどうにかするにしても……」
「その懸念をダァル=ルカッシュも共有する。衛生問題、治安低下はいかんともし難い」
「かといって、完全にシャットアウトして暴動にでもなったら困るしなぁ」
「提案。赤火竜パーラ・ヴェントの空中庭園リムナスをこの地まで移動させ、巡礼者を収容させる」
「いや、それはさすがに可哀想だろ……」
ヨナであれば「今さら」と一刀両断だっただろうが、これ以上はさすがに良心が痛む。それに、分神体の降臨以上の騒ぎになりそうだ。
しかし、収容できる場所を作るというのは悪くない。
「あ。また、《島嶼隆起》からの《浮遊島》で、島に巡礼者を受け入れるか。んで、結婚式が終わったら、迷惑にならないところに島は捨てる。でもって、ヴァイナマリネンのジイさんに頼んで、式の様子をライブビューイングだな」
「……ダァル=ルカッシュの主の発想には敵わないと、ダァル=ルカッシュは心の底から感服する。この次元竜が唯一畏敬の念を抱くのが、ダァル=ルカッシュの主」
「ほめられてるんだよな?」
「もちろん」
亜神級呪文をこんなことに使用するのは、全次元界を探してもユウト・アマクサのみだろう。
本人は、帝都ヴェルガに島落としをするような使い方よりましだと信じて疑っていなかったが。
「それなら良いけど……。とはいえ、誰でも彼でも受け入れるわけにはいかないから、ラーシアとエグザイルに苦労をしてもらおう」
「適材適所と考える」
「だな」
エグザイルはともかく、ラーシアは仕事があったほうがいろいろ紛れるだろう。もしかしたら、新しい出会いだってあるかも知れない。
自らが結婚するからではないが、親友の幸せを祈らずにはいられない。
「他に決めるべきことは……」
「式典自体は、ヘレノニア神殿で行う予定。その後、馬車でファルヴの街をパレード。祝賀会場へ移動しダァル=ルカッシュの主は参列者と挨拶して挨拶して挨拶する」
「アルサス王のときと、そんなに変わりないな」
「結婚式に伴う諸行事にバリエーションは存在しない」
「そりゃそうだ。とりあえず、仕事を投げられるところは投げよう」
「その場合、監督者が必要になる」
「俺が頑張るさ。衣装や料理とかはアルシア姐さんや朱音が協力してくれるそうだから」
なぜ結婚式をやるだけでここまで大変なことになるのか――と、愚痴りたくもなるが、当人だけの問題ではないのだから当然。
それに、那由多の門のお陰で問題のいくつかがクリアされそうでもある。文句を言うよりも感謝すべきだ。
とにかく、朧気ながら輪郭が見えてきた。
具体化させていくしかない。
そう決意するユウトを、ダァル=ルカッシュは感情のこもらぬ瞳で。しかし、見ようによっては満足そうに見つめる。
光陰矢のごとし。
準備期間はあっという間に過ぎ去り、挙式の前日となった。




