7.何度目かのプロポーズ
桜が舞い散る地下空間。
究極の理術呪文《大願》によって開花した色とりどりの桜は、陽の差さぬこの地でも美しく咲き誇っている。
ユウトとヴァルトルーデが初めて会ったこの場所。
オベリスクは既になく、代わりにここを住処にしていた次元竜は、何処かへと姿を消していた。
ユウトとヴァルトルーデが初めて会ったこの場所で、二人きり。
「わざわざ、呼び出して済まない」
「いや、私も用があったのだ」
そう言葉を交わすが、後が続かない。
二人とも、やるべきことは分かっている。そのために、苦労――一般的には、英雄譚で謳われるべき探索行だが――もしてきた。
しかし、この期に及んで緊張と羞恥心で気後れしてしまう。どこからか、「さっさと、いけ! やれ!」という叱咤が聞こえてきそうだった。
この日も、ユウトはいつもの格好。
善の魔術師であることを表すローブに、学校の制服。すっかりトレードマークになった服装は、アカネから密かにこのまま結婚式に出るつもりじゃないでしょうねという疑惑を持たれている。
そして、いつも通りという意味ではヴァルトルーデも同じ。
ユウトの求めに応じ、魔法銀の板金鎧だけでなく、籠手と一体化した大盾まで装備している。さすがに剣まで佩いていないが、ほぼ完全武装だ。
これはもちろん、渡してすぐに武器と防具のバランスを確認してもらいたかったからであって他意はない。
色気がないとも思わない。
むしろ、自分とヴァルトルーデであれば、これが自然だとすら思える。
「ユウト。まず、私からいいだろうか?」
彼から呼び出された理由は、朧気ながら分かる。それは彼女が聡いという意味ではなく、送り出すアカネとラーシアの表情を見れば、誰にだって分かっただろう。そのうえ、婚約指輪として贈られた状態感知の指輪まで持ってくるようにと言われているのだ。
推測通りの用件だった場合、冷静でいられる自信はない。だから、先に済ませたかった。
「この前にな、赤火竜パーラ・ウェントと戦ったのだが……」
「あ? え? そうだったのか」
無論、パーラ・ウェントを下したことは知っている。ヴァルトルーデの剣を打つため、火竜の吐息という世界で最も高温なそれで素材を鍛える必要があったから。
しかし、そこまでの大物を連れてくる必要はなかったはずだし、それにヴァルトルーデが関わっていることは知らされていなかった。道理で、赤火竜との戦闘に同行させなかったわけだ。
では、ヴァルトルーデはなんのために赤火竜パーラ・ウェントと?
それはまだ分からない。だが、ここに至って、ユウトは獅子身中の虫がいることを悟った。アルシアたちは、いわば二重スパイを演じていたことになる。
「ああ。そうだ。その、なんだ。ユ、ユウトにな。贈り物をしたいと思ってだな……」
「プレゼント?」
予想外というよりは考えもしなかったと聞き返す。こっちからも贈り物をしようとしていたところだけに、驚きは大きい。
同時に、時計の鎖と櫛を贈り合ったあのクリスマスの物語を思い出す。今回は、そんなことは起こらないはずだが……。
「それで、赤火竜の財宝を?」
「そうだ。ダァル=ルカッシュに調整を頼んでいたので、手に入れてから渡せるようになるまで時間がかかったのだがな」
そう言って、彼女が無限貯蔵のバッグから取り出したのは、門のミニチュアだった。手のひらサイズの白亜の石柱は、まるで実物を収縮させたかのように精巧。
「こいつは、秘宝具か?」
そしてなにより、内包する魔力が違った。
「うむ。那由多の門というそうだ。これを使えば、地球と三日に一回、何十分か行き来ができる」
「……マジで?」
「マジだ」
驚愕に目を見開くユウト。それに対し、魔法銀の鎧を身につけたヴァルトルーデは誇らしげに胸を張った。
長い付き合いだ。彼が喜んでいるのは分かる。
「いや、でも、今までのとの関係は?」
「別腹? 別枠? だそうだ」
「マジか。そりゃすげえな」
頭が悪そうな反応だが、それだけ驚きと喜びが強いのだろう。
「ありがとう。すげー嬉しい」
そう言って、那由多の門を差し出す彼女の手はそのまま、正面から抱きすくめる。不意打ちではなかったが、ヴァルトルーデは動くこともできずなすがままになっていた。
慣れ親しんだ手、意外としっかりした体躯、安心する匂い。
こうされる度に思い知らされる。
ユウトは男で、自分は女だという当たり前で喜ばしい事実を。
「喜んでもらったのはいいが、受け取ってくれ。いつまで持っていればいいんだ」
「ああ。悪い悪い」
あわてて身を離し――自分で言いだしておきながら残念だった――恥ずかしそうに頭を掻いてから、恭しくミニチュアを手に取った。
「なるほどな……。それで、赤火竜パーラ・ウェントだったわけか」
既に空中庭園へ帰還した彼女の所有物だった秘宝具をまじまじと眺めながら、糸がつながったと変な感心をしていた。
アルシアたちは、両方の事情を分かって協力していたわけだ。今頃、いや最初からニヤニヤと笑っていたに違いない。
「じゃあ、今度は俺の番だ」
「う、うむ」
自らの無限貯蔵のバッグへ那由多の門を仕舞うユウトを見ながら、ヴァルトルーデは緊張に唾を飲み込む。
想像通りなら、ユウトが改めて求婚してくるはず。
それは全くの誤りではなかったが、正答でもなかった。
「こんなプレゼントをもらったあとになんだけど、俺からも受け取ってほしい物があるんだ」
無限貯蔵のバッグから取り出したのは、美麗な鞘に収められた一振りの剣。その佇まいだけで、素人が見ても業物だと分かる。
いわば、格というものが違った。
「名前は、熾天騎剣。ヴァルトルーデのために打った、最高の剣だよ」
「私のために……」
いつの間にという疑問が湧く。
同時に、ラーシアたちの意味ありげな態度の理由が分かった。嫌でも分かる。全部知っていたのだ。知っていて、赤火竜パーラ・ウェント討伐にも力を貸したのだ。
しかし、そんなことはどうでもいい。
一目で分かる。この剣――熾天騎剣と名付けられた片手剣が、途方もない技術と苦労を積み重ねて作剣されたことが。
ユウトの思いの深さと同じだ。
「触っても……いいか?」
「もちろん。ヴァルのために、作ってもらったんだ」
恭しくその剣を愛する人へ捧げた。
ヴァルトルーデは恐る恐る手を伸ばし、それとは裏腹にがっちりと掴んだ。
鞘は、玻璃鉄製。メインツの職人に無理を言って――なにしろ、刀身ができあがってからでないと作れない――急いで作らせた物。
だが、その美しさは、背景の事情など一向に感じさせない。
両面に施された精緻な飾りは白百合がモチーフで、清楚にして可憐。同時に、荒々しい力を包み込む包容力も感じさせる。
当然、この鞘にもユウトが魔化を施しており、多少の傷であれば収めているだけで補修してくれる。また、抜剣もスムーズになるようにしている。
その魔化を行なった理由は、剣身にあった。
濃く深い真紅の刀身は、討魔神剣と同じ、1メートルほどの長さ。
しかし、それはただの長剣ではなかった。
「これは、フランベルジュか」
鞘から刃を引き抜いたヴァルトルーデが、その波打つ美しい刀身に見惚れ、ほれぼれするように熱い息を吐いた。
その反応に、ユウトは嬉しそうに――多少嫉妬がないでもなかったが――相好を崩す。どうやら、第一関門はクリアできたようだ。
「ああ。でも、それだけじゃない」
剣身の中心は、竜細工師のウルダンが全精力をかけて加工したドラゴンの牙。それも、ただのドラゴンではない。
適当な素材が村の在庫にもなかったため、自ら竜の墓場へ踏み入り、その中心で見つけた吸血竜――吸血鬼化したドラゴンの牙をアルシアが作製した聖水で浄化した物だ。
理術呪文との親和性が高いそれを炎のように揺らめく刃に加工し、また、刃以外の部分はアダマンティンを重ねて補強してある。
赤火竜の灼熱の吐息で精錬し、エグザイルが鎚を振るったアダマンティンでだ。
さらに、その内部に管を通して液体状の白隕鉄を流してある。
剣を振るうことで重量バランスが変わり、インパクトの瞬間に剣身の重量が最大化するよう調整されたそれは、理論上の破壊力は最高だが扱い難いことこの上ない。
しかしユウトは、《均衡》を魔化することで調整することはしなかった。ヴァルトルーデならば、あっさりと適応するはずだから。
つまり、最高の剣とはそれ単独では存在しない。最高の使い手と一体になったときに、最高の剣となるのだ。
「なるほど、面白い」
ドゥコマースの秘奥に記されていた技法を、ドラヴァエルが再現した特殊機構。
事実、ヴァルトルーデは早くも自在に扱い始めていた。舞うように剣を振るうその様は、ヘレノニアの聖女と呼ばれるに相応しい。いや、彼女以上に相応しい人間など過去にも未来にも存在しない。
「実は、もうひとつ仕掛けがある」
その言葉は、明らかに過小に過ぎたが新しい武器に夢中になっているヴァルトルーデは気づかない。
そんな彼女を微笑ましく思いながら、ユウトは羊皮紙の束を手渡した。
「なんだこれは?」
「熾天騎剣に魔化されてる効果のリストだよ」
「……やけに多くないか?」
手荒く扱っても大丈夫なようにわざわざ羊皮紙に記したそれは、ヴァルトルーデが指摘したとおり、過剰とすら言えるほど書き連ねられていた。
《鋭刃》、《光輝なる刃》、《聖化》。そして、あらゆる種族への《絶種》等々、一振りの剣に魔化する効果としてはあり得ない量だ。
「もちろん、その全部が同時に使えるわけじゃない。状況に応じて使い分けしてもらうことになるけどね」
これが、最高の剣の答え。
ユウトが知る限りのありとあらゆる効果を魔化しつつも、どれを発現させるかは使い手の意思で選択する。切り替えには一度鞘に収める必要もあるが、瞬時で行われる。
これは、ドゥコマースの秘奥に記載してあった、鎧に関する魔化がヒントになっていた。それは、特定の属性の攻撃に晒されたとき、その属性にあわせて切り替わる可変型の《源素耐性》。
同じことが武器でもできないか。相手に合わせて、能力を選ぶことができないか。夢物語のような発想だが、魔力への親和性が高い吸血竜の牙と玻璃鉄の鞘を組み合わせて実現に至った。魔化を担当したのはユウトだが、それを可能としたのはドラヴァエルたちの超常的な技術力に依るところが大きい。
「魔力の強さに応じて1~5までの数字が割り振ってあるから、その合計が15以下になるように選んでくれ。状況に合わせてな」
「それは凄いな。もの凄いな」
興奮気味に頬を紅潮させてヴァルトルーデが無邪気に喜ぶ。
なんだか、婚約者への贈り物というよりは、子供へのクリスマスプレゼントのようになっているような気がするが、思い過ごしだろう。
早くも《巨刃》と《自律》を組み合わせて、両手剣ほどになった刃を意思のみで振るいつつ本人は盾をしっかり構えるという攻防一体の戦闘スタイルを編み出しているが、気のせいのはずだ。家へ帰るまで待ちきれず、電車の中でゲームソフトの説明書を読み始めるかのように見えるが、考えすぎだろう。
それにしても、一番の難関だと思っていた効果の一覧を記憶することと、その組み合わせの制限もこの様子なら問題なさそうだ。
読み書きにあれだけ苦労したのはなんだったのかと思わなくもないが、それでこそヴァルトルーデだとも思う。
ユウトが愛するヴァルトルーデだと。
しかし、彼女が興奮するのも無理はない。神々でもこれほどの業物は所有していないのだから。
この特別な魔化を施すために、保留していた報酬を使用したのだが、その際“常勝”ヘレノニアからは――
「百と一の神剣から適当な一振りを渡すゆえ、これは我に譲らぬか?」
――と半ば本気でねだられたほどの逸品だ。
「あとは、これでヴァル専用になる」
持ってくるようにと伝えてあった婚約指輪を二人で手にし、熾天騎剣の柄からそっと一番奥まで挿入した。
すると、刀身の色が根本から変わっていく。
真紅から純白へと。
「なるほど。なぜ、赤い刀身でホワイト・ナイトなのかと思ったが……」
「鎧を着ながら指輪は難しいだろうからね」
「そっちがメインなのか」
「まあ、一石二鳥ってやつかな」
ユウトのローブが、善の理術呪文の使い手以外が身につけると疲労感を憶えるのと同じように、ヴァルトルーデ以外が熾天騎剣を手にすると、ただの扱い難い剣となる。
そう、最後の説明を終えたユウトは、正面から愛しい彼女を見据えた。
「これは別に結納ってわけじゃないし、これから言う言葉も、もう何度目だって感じだけど……」
「うん」
自分への前置きをするユウトの言葉を素直に待つヴァルトルーデ。
完全武装をしていても、乙女だった。
「ずっと一緒にいよう」
いろいろと考えていたはずだったが、紡がれたのは、それだけ。
しかし、それで充分だった。
「ああ、そうだな。ずっと一緒だ」
幸せにするなどと、言う必要はない。
ともに笑おうなどと、言う必要はない。
一緒にいるだけで、幸せなのだから。
一緒にいるだけで、笑顔がこぼれるのだから。
二人は、要らない物を捨ててしっかりと抱き合った。
言葉など、無粋だ。
ふたつの影がひとつになる。
それを花吹雪が覆い隠した。
本日、なんと本作品が一周年を迎えました。
投稿を始めたときには、一年も続けることができると思ってもいませんでした。
(当然、書籍化するなどとも)
これも、ご愛読いただいている皆様のおかげです。
まだ当分続く予定ですので、これからもよろしくお願いします。




