2.隣の国で街作り
ロートシルト王国が西側で国境を接する、クロニカ神王国。この両国は善の神を奉じており、長年の友好国でもあった。
しかし、少なくともロートシルト王国側からすると、隣国を完全に信用していたわけではない。それは、西の国境に辺境伯という権限の強い貴族を配置していることからも明らかだ。
ロートシルト王国には、長年ヴェルガ帝国から侵略を受け、跳ね返してきたとの矜持がある。それに対し、クロニカ神王国は肥沃な耕作地や神都の存在など、神の恩寵を賜った地であるとの誇らしさを抱いている。
決して表には出さないものの、ロートシルト王国のなかには、クロニカ神王国の繁栄は自分たちが「壁」になっているからだという思いがあった。反対に、我々の物資がなければロートシルト王国は飢えにさいなまれているはずとの考えもある。
このように、国民感情からしても――敵対するとまではいかないが―― 一部に、穏やかならざるものが存在する両国。
そんななか、アルサス王がヴェルガ帝国の侵略を跳ね返し、イスタス侯爵らの活躍で悪の女帝は天へと昇った。
これにより、両国には深い安堵が広がっている。
そしてこの度、交易の拠点として街が作られることになった。これは、両国が次の段階に進む象徴としても注目されている。
新たな時代の訪れ。
その予感を抱かせるには充分だ。
それがまさか、結婚の記念品を作るカムフラージュとして建設が始まるなどとは、思いもしていないに違いない。
「本当に、このような土地でよろしいのですかな?」
隣接するイスタス侯爵家から連絡を受けてからわずか数日で、ネルラ神に仕える司教ギルロントは候補地の案内にまでこぎ着けた。
安息の都ネルクートとその周辺を実質的に統べる月の女神ネルラ神殿。その司教であり、渉外を担当とするエルフの男が、訝しげに確認する。
「ええ。条件通りですよ」
今日の宿をどこにするか。それよりも余程簡単に、ユウトはうなずいた。
そして、改めて周囲を見回す。
背後には、峻険な山肌。
周辺は荒野――というわけではないが、山際で耕作地などほとんどない。つまり集落も見当たらない。猟師小屋や炭焼きを生業とする者がぽつぽつ存在するだけ。
盆地になっているので地面は平たいのが救いか。広さも、千単位の人口を収められるだけはありそうだが、今のところメリットとは言いがたい。
小村程度であれば井戸を掘れば対応できるのだろうが、町という規模になれば水の確保も難しそうだ。
基本的には交易の拠点でしかないとはいえ、少なからぬ商人が訪れることになるのだから、将来問題が発生するのは目に見えていた。
「ということはつまり、どうにかする手段があると?」
ギルロント司教が、満月を意匠化した聖印をまさぐりながら聞く。行儀良くはないが、あのとき――ユウトが様々な無理難題を吹っ掛けたとき――以来、癖になってしまっていた。
「まず、メインツから延伸した馬車鉄道を、あの辺りにトンネル作ってここまでつなげます」
簡単な図が描いてある木材紙を見ながら、山肌の一部を指さす。これでヘルメットでもかぶっていたら建築現場だなと余計なことも考えていたが、説明は滞りなく続く。
「当然、トンネルのなかも馬車鉄道を敷きます。将来のことも考えて、上りと下りの複線でですね。そして、街の山側には資材置き場と検査場を設置します」
「関税は取らないはずだったのでは?」
「違法な物品を輸送されても困りますから」
それはそうだとエルフの司教はうなずいた。
しかし、計画は分かったが、具体的な絵図面は浮かばない。言うだけなら簡単だが、それを実現する手段がまるで見えてこない。
「でもって、今、我々が立っている辺りを中心に、交易関係の施設を整備しましょう。宿に、馬屋、両替所。あと、各商会の支部がおけるような建物をいくつか。まあ、それほどの規模は必要ないから、そこまで困難でもないでしょう」
ファルヴを文字通りゼロから作り上げた彼からすれば、確かにそうなのだろう。大魔術師の言葉でなければ、狂人の妄言とされているところだ。
「なので、結構、土地が余ります」
「そうでしょうな」
「だから、あの辺に穴を掘って水場を作るつもりです」
「作る? 水場を?」
「ええ」
第九階梯の理術呪文、《奔流》。
水の源素界から大量の水を召喚し、すべてを押し流す攻撃的な呪文だが、水そのものは清冽で飲用にも耐えうる。それどころか、その辺の井戸水よりも遥かに美味だ。
「とりあえず、水がなくなったら追加する感じで様子を見て、いずれ根本的な解決策を見つけましょう」
「……それがいいでしょうな」
しかし、ギルロント司教は悲観的だった。川や池から遠い山の中に、貯水池など簡単に作れるものではない。
そして、ここはあくまでも、租借地。何年か、あるいは何十年かすればクロニカ神王国へと返還されるべき土地。
恐らく、それを見越して生命線を握っておくつもりなのだろう。維持できなければ、返してもらったところで意味はない。
もちろん、ユウトもそこまで考えていなかった。ただ、補充する手段があるからそうしているだけだ。
「なるほど。理術呪文を駆使して整備を進めるのは分かりました」
恐らく、トンネルを掘るのも呪文でどうにかすると思っているのだろう。本当は秘宝具である地の宝珠を使用するのだが、誤解しているのならば、訂正する必要もない。
「となると、こちらでできるのは、ここまでの街道整備と施設の建設ぐらいですかな」
「できれば、道を作るのに注力してほしいですね。さすがに、手出しはできませんから」
「残念なことです」
冗談に本気を四割ほどブレンドして、エルフの司教は笑う。どこまでその真意を感じ取れたのかは分からないが、ユウトもつられて微笑んだ。
「ところで、町の名前をどうするかなんですが――」
ある意味で、もっとも重要な問題。
それを提起しようとしたそのとき、視界の端に煌びやかな美女を見つけてユウトは思わず身構えた。
偶然視界に入ってきたなら、あるいは徐々に近づいているのに気づいたなら、こんな反応はしなかっただろう。
突然現れたからこその反応。
ギルロント司教もそれに気付き、あわてて振り向く。
そして、一瞬硬直したかと思うと、美しい金髪をなびかせ、流れるような所作でその場に跪いた。
「畏れ多くも、神王陛下にお目にかかれるとは、望外の喜びでございます」
クロニカ神王国の聖職者たちが、自らが仕える神の他に唯一頭を垂れるべき存在。五つの神都を統べる総大司教から互選される神王。
偉大なる存在が、なんの前触れもなく、まだ名前も付けられていない町の予定地へと現れた。
まだ距離が離れているにもかかわらずエルフの司教が跪いたのは、ユウトへと彼女が何者か伝えるためもあったのだろう。
ユウトも、膝をつきはしないが居住まいを正して頭を下げ、突然の訪問者を迎え入れる。
「そのような礼は不要です。今のセネカは、神王ではなくフェルミナ神の下僕として訪れているのですから」
魔法銀で作った鈴を鳴らしたかのような、涼やかで凛とした声。美声というものが存在するのであれば、神王セネカはまさにその持ち主だった。
「はじめてお目にかかります、陛下。ロートシルト王国の守護爵ユウト・アマクサです」
「こちらこそ、大魔術師様。お噂はかねがね耳にしておりますわ」
ユウトの堅い挨拶を、柔らかな笑顔で受け止め優しく抱擁するかのような対応。ヴェルガ、エリザーベト、ユーディットと、高貴な身分の女性には会ってきたが、「お姫さま」のパブリックイメージには、彼女が最も近い。
栗色の髪は長く、くるぶし近くまである。複雑に編み込まれた髪を解けば、地面についてしまうだろう。
全体的にすらりとしてはいるが、身長は少しだけ低めだろうか。装飾の多い絹の衣服に身を包んでいるため、スタイルまでは分からない。
だが、それは些末事だろう。
その衣装だけでなく、大きなアーモンド型の瞳だけでなく、彼女の存在自体が光り輝いている。
(今まで見たなかだと、ヴァルの次ぐらいに美人だな)
ユウトとしては、最大限の――しかし誰にも言えない――賛辞を心の中でだけ贈る。ちなみに、ユウトのなかでは、ヴェルガは別部門という扱いだ。
「陛下。なぜ、このような地へ……?」
安息の都ネルクートですらない、辺境の地。
そこに前触れなく、供も連れずに神王が訪れるなど異常事態。
ユウトも、顔には出さないようにしていたが眉をひそめてしまう。神術呪文には、《瞬間移動》のような、自由に移動する呪文はなかったはず。
アルシアからも、神王セネカの出現を可能にする呪文など聞いたことがない。
なにかトリックがあるのか。それとも、神王だけが知っている呪文や、特別な魔法具があるというのか。
しかし、その思考は彼女の言葉で中断を余儀なくされる。
「セネカは神託を受け、ある書物をお渡しするために参りました」
「お、私に……ですか?」
思わず素が出そうになり、あわてて取り繕わなければならないほどの衝撃。まったく身に憶えのない話だ。
「はい」
太陽神の地上代理人と呼ぶに相応しい、人の心を溶かすかのような微笑み。見るだけで、心が温かくなる。
ユウトは、ふと北風と太陽の寓話を思い出す。
「こちらをお納めください」
「それは……」
「ドゥコマースの秘奥?」
聞いたことはないが、ヒントはそのタイトルにあった。
ドワーフの守護神にして、鍛冶の神ドゥコマース。その名が冠せられていることから内容は推察できる。そして、ギルロント司教の反応からすると貴重な――もしかすると門外不出の――書物であろうことも。
「どうぞ」
彼女の細腕では、金属装丁の本を持つのは苦行なのだろう。少しだけ表情を歪める神王への心配が、受け取って良いのかというためらいを凌駕した。
「もしかして、これ……」
手にして、はじめて気づく。これはただの本ではない。
「聖遺物?」
「持ち出し禁止の書物だそうです。なんでも、かのドゥコマース神自らが記された奥義書であるとか」
理術・神術を問わず、魔法の力を付与された物品を魔法具と呼び、それらよりも強力で人以上の存在の手や力が加わった物を秘宝具と呼ぶ。
厳密に言えば聖遺物も秘宝具の一種であるが、大小を問わず神々の力がわずかなりとも宿っているため、特別に区別されている。
その意味では――ドラヴァエルたちの手が入り過ぎてはいるものの――ツバサ号もヘレノニア神由来の聖遺物となるだろうか。
「どうしてこれを?」
ヴァルトルーデの剣を打とうとしている今は、まさに渡りに船。それと同時に、見抜かれているような気分もする。
「申し上げましたとおり、神託によってです」
「なるほど……」
ヴァルトルーデに新たな武器を所有させて、どうしたいのか。神々の意図は分からないが、彼女に邪心がないことはその目を見れば分かる。疑うのが馬鹿らしくなるほど、純粋無垢だ。
「ありがたく、お借りいたします」
だから、ユウトはそのまま受け取った。
自分のためではなく、愛する人のためだから。
「しかし、残念ながら、ただではありません。返却いただけるとはいえ、貴重な書物をお貸しするのですから」
「当然です。対価は、このユウト・アマクサが必ず」
国同士の貸し借りではない。イスタス侯爵家ですらなく、ユウト個人の負債であると宣言した。
しかし、それが相手の――クロニカ神王国ではなくセネカの――目論見通りとまでは気づけない。
「はい。ですが、対価を頂戴するには、まだ時が満ちておりません。そうですわね。婚姻の儀式が終わりましたら、またセネカと会っていただけますか」
「必ず」
神王セネカとの対面は唐突に始まり、こうして短時間で終わりを告げた。




