8.イスタス侯爵の新しい日常(後)
「だーかーらー。そうではないであります!」
ダンッとテーブルを叩き、アレーナ・ノースティンが声を荒らげる。
隣で激昂する聖堂騎士に眉をひそめるが、ヴァルトルーデはなにも言わない。
イスタス侯爵領の東にある交易都市ハーデントゥルム。
その評議会が行われる会議室は、二派に分かれての議論が紛糾していた。
議題は、以前ユウトからアレーナへアイディアを提供した、ヘレノニア神殿によるハーデントゥルムの衛兵隊の吸収。
それを推進しようとする神殿側と、抵抗する衛兵隊とが正面から睨みあっている。
「いかに言葉を取り繕うと、ヘレノニア神殿が衛兵隊を吸収するという事実に変わりはないでしょう」
「領内の指揮系統を一本化するだけであります」
かつて、ユウトが乗り込んでエスクデロ商会と海賊の癒着を告発し、レジーナが親の仇を知った場所。
そこでアレーナと議論を交わしているのは、ハーデントゥルムの衛兵隊長だ。
衛兵隊は、この街が自由都市として半ば独立していた頃から存在する、街を運営する評議会直属の組織。ハーデントゥルムがイスタス伯爵領として組み込まれることとなっても、それは変わらない。
つまり、厳密に解釈すれば、ヴァルトルーデも彼らに対する直接の指揮権は有していないのだ。
「ならば、ヘレノニア神殿が上に立たねばならぬ道理もありますまい。逆に、衛兵隊があなた方を指揮下に置いても良いはずでは?」
「そんなこと、許されるはずがないであります」
口の周囲に髭を蓄えた中年の衛兵隊長の提案に、話にならないとアレーナが根拠のない否定を繰り出す。
そんな彼女をたしなめるべき――とは分かっていても、ヴァルトルーデは動けない。なにしろ、どちらの言い分が正しいのか、判断がつかないのだから。
都市間の移動が活発になってきたこともあり、領内の警察機構を一本化するという方針が領主――つまりユウト――から提示された。
アレーナは内諾を受け、ファルヴのヘレノニア神殿が上に立つ形での取りまとめを行おうとしている。これには、ヘレノニアの聖女がトップに立っているにもかかわらず、領内での存在感に欠ける悩みの解決も含まれている。
それはヴァルトルーデも認識していたし、妥当なところだと承認もしていた。
とはいえ、彼らにも彼らの事情があった。
まず、今までこの街の治安を守ってきたという自負がある。簡単に、ヘレノニア神殿の風下に立つことなどできるはずがなかった。
なにより、港の荒くれどもを厳格な聖堂騎士が御せるとも思えない。荷揚げに従事する彼らがへそを曲げれば、港湾は立ち行かなくなるのだ。
けれど、これを口に出してしまえば、ヘレノニア神殿側はやれると主張するしかなくなる。だから、不自然なほど強硬な態度で察してもらうしかなかったのだが――
「これは、領主様の決定であります」
「我らは領主様の指揮下にはない。まずは、評議会を通してもらおう」
――この堂々巡りが続いていた。
この間、ヴァルトルーデは黙して語らない。じっと、議論の推移を見守っていた。
指揮系統の原則がどうあれ、領主の決定に逆らうことなど衛兵隊長レベルではできるはずがない。つまり、強権を振るわないのは、領主ではなく神殿の責任者として会議に参加しており、実務は担当者同士に任せているというポーズ。
自らの出身母体にとらわれることなく、公平な対応を心がけていることになる。
衛兵隊長は、自らの失策を悟っていた。
こうも話が分かる相手であれば、ハーデントゥルムの評議会――具体的には、領主との連絡役と見なされているニエベス商会の会頭――を通じて、根回しをしておくべきだった、と。
「ふむ……」
一方、ヴァルトルーデも悩んでいた。
(やはり、どちらが正しいのか分からん)
――と。
それが理解できなければ、口を挟むこともできない。なんのことはない。議論を聞いていたのは確かだが、口出しできなかっただけなのだ。
ユウトがいたら、頭を抱えているだろうか。それとも、「黙っているだけで思慮深く見えるなんて、ヴァルは凄いな」と天を仰いだだろうか。
「分かった」
分からないことが分かった。
ならば、やることはひとつ。双方の主張を聞いて、公平に判断をするしかあるまい。
「まず、ハーデントゥルムの衛兵隊に、ファルヴの治安維持を行い、我らヘレノニア神殿の聖堂騎士たちを指揮する余裕があるのか確認したい」
「それは……」
口から出任せとまでは言わないが、現実的な裏付けがあっての発言ではない。
やはり、見抜かれていたかと、髭をわずかに震わせる。
「そうか。そして、アレーナ」
「なんでありますか」
今度は、ヴァルトルーデが味方になってくれたと心のなかで拳を握る彼女に、素朴な――しかし根本的な問いを投げかける。
「ヘレノニア神殿が責任を持って、この街の治安維持ができるといえるのか?」
「もちろんであります」
「根拠は?」
「ファルヴでの実績があるであります」
その瞬間、衛兵隊長が顔色を変えたのを、彼女は見逃さなかった。
なにかある。
悪を見抜き、虚偽を見破る彼女の直感が、そうささやいた。
「嫌な予感がする。後回しにしたほうがいいのではないか?」
「……はい?」
「は、はぁ……?」
飾らないどころではない。むき出しの表現に双方の代表者が目を丸くする。
(失敗した……?)
今までは――ユウトやアルシアが相手なら――なんら問題なかったはず。訳が分からない。
「どうでしょう? 領主様のお言葉もありますので、ここは日を改めては」
しかし、後日にしたい理由がある衛兵隊長はこれ幸いとヴァルトルーデの言葉に乗っかった。あまり物分かりが良くては立場上問題があるのだろうと、好意的な解釈までして。
「……仕方ないでありますな」
不承不承、アレーナもうなずいた。
これは、相手への貸しだ。
そう考えれば、なんとか面目も立つ。それに、早いほうが良いとはいえ、そこまで急ぐ案件でもない。
「次回は――私がいるかどうかは分からぬが、友好的な話し合いをしたいな」
そんな当たり障りのない言葉で、散会となった。
「街の空気は、いいものだな」
「ヴァ、ヴァルトルーデさまっ。先に行かれては困るでありますっ」
「そちらが遅いのだろう」
会議を――半ば無理やり――終えたヘレノニア神殿一行は、ハーデントゥルムの市街地へと繰り出していた。視察という名の屋台巡りで、昼食を済まそうという算段だ。
もちろん、ヴァルトルーデの希望であることは言うまでもない。彼女のことを知らずとも、両手に持ちきれないほどの肉や魚の串焼きに、ガレットや焼き菓子を見れば明らか。
(仕事を頑張ったご褒美だな。うむ)
そう満足げに、何本かまとめて肉を噛みちぎり、咀嚼し、嚥下する。
そろそろ、酒でも……と、ついてくる聖堂騎士の苦労も知らずに辺りを見回すと、広場の中央に人だかりが見えた。
「うっ。いきなり立ち止まらないでほしいであります」
「あれは、なんだ?」
「さ、さあ……?」
「確かめてみるか」
残った食物をしっかり味わって処理しながら、人の輪へと入っていく。
「きゃはははは。じゃあ、約束通り、こいつはもらっていくぜ」
「ぐむう……」
なんとか顔だけ抜け出した瞬間、ちょうど終わっていた。
地面には、長い髭を生やした樽のような体型の男――ドワーフの戦士が、悔しそうに横たわっている。
狂ったような笑い声を上げた女は、だが、一顧だにしない。関心はその傍らに転がる戦斧にある。それを踏みつけ器用に宙へ浮かすと、引ったくるように柄を掴んで背後へと放り投げた。
それは綺麗な放物線を描いて、敷物の上に乱雑に並べられた武器の山へと落下する。
「業物だな」
魔化はされていないが、そうして良いほどの質はある。やはり、ドワーフの持ち物といったところか。金銭的価値で考えるのは無粋だが、金貨で100から200枚はしてもおかしくない。
「姉さん、分かるのかい」
「ああ。見ればな」
「ほー」
その目利きに感心した痩せぎすの中年男が、聞かれもせずに解説を始める。
「あの仮面の姉ちゃんがよ、あの武器を広げて言い出したのさ。なにをしてもいい。武器が振れたら、それで勝ちだ。賞金として、金貨五千枚だってよ」
「それは随分な自信だな」
見れば、武器の山の近くに革袋がいくつかある。あのなかに、金貨を詰めているのだろう。
「それよりも、あんたこそ随分と――」
「アレーナ」
「もちろん、だめであります」
その瞬間、中心にいる仮面の女と目が合った。
仮面といっても、顔全体を覆っているわけではない。黒いマスクで覆われているのは、鼻から下の部分だけ。だが、彼女がもっとも隠すべきは、その瞳だ。
剣呑で好戦的で、危険な光を放つ瞳だ。
そこから放たれた視線が、挑発するかのようにヴァルトルーデを射抜く。
炎のような赤毛が揺れた。
笑っているのだ。挑戦しようとしないヴァルトルーデをあざ笑っているのだ。
だが、そうするだけの資格はあるように見える。
長すぎてバランスの悪い腕が気になるが、その立ち居振る舞いや身にまとう雰囲気は、一流冒険者をも凌駕する。
「まるで、獣だな」
「獣かどうか、実際に戦って確かめてみれば早いぜ。馬鹿の考え休むに似たりってゆーだろぉ?」
「だ、だめでありますよ」
先ほどよりも強く、アレーナが制止する。無意識かも知れないが、相手の危険さに気づいているのだ。
この分では、どうしてもとなれば彼女が立ち向かっていくことになりそうだ。
(恐らく。いや、絶対に勝てない)
アレーナも弱くはないが、相手は格が違う。
まるで人ではないかのよう。
しかし、同じ――実際にはもっと鮮やかだったが――赤毛ということでヴェルガも想起させるが、彼女のような邪悪さは感じられない。
双方合意であれば、無理に止めることもできなかった。
「今日は止めておこう」
「はっ。逃げかよ」
「いや、違う」
マスクで隠れた口は、嘲りで歪んでいるのだろうか。
そんなことを考えながら、ヴァルトルーデは続けた。
「私の剣は、金貨五千枚よりも高い」
それは、純然たる事実。アダマンティンには、それだけの価値がある。
仮面の武芸者は、きょとんと目を丸くした。
「ぶわっははあっはははははっっ」
そして次の瞬間、見ているこっちが痛くなるほど激しく両手を叩いて狂ったような笑い声をあげる。
「そうかそうか。なら、次までに賭け金をつり上げておくか!」
「次があるかは分からんがな」
そう言い捨てて、ヴァルトルーデは踵を返した。慌てて、アレーナもついていく。
そんな彼女の背中を、じっと赤毛の女武芸者が見つめるが、意に介さない。襲ってくることはないと、分かっていた。理屈ではなく、剣士のシンパシーで。
しかし、目的は武器を巻き上げるだけなのか。
ラーシアに頼んで、監視をさせるべきかも知れない。
足早に歩きながら、メモ帳を取り出す。そして、その思いつきを忘れぬよう、ユウトからもらったボールペンで記入する。
たどたどしい字。
お世辞にも綺麗とは言えなかったが、彼女は満足そうだった。




