6.政治的な話
「アカネさん、これはいったい……?」
ふすま――のように見える特製の入り口を開き、恐る恐る入ってきたのはレジーナ・ニエベス。ボリュームのあるブロンドの髪に、鮮やかな緑色のドレスがよく映えている。
この美女は、ニエベス商会の会頭にして、交易で栄える自由都市ハーデントゥルムを運営する評議会の一員でもあった。
だが、アカネが彼女を呼び出した理由に、そういった肩書きはあまり関係がない。
「わざわざ来てもらってごめんなさい。ペトラさんとカグラさんも一緒にどうぞ」
ヴェルミリオというファッションブランドをともに運営する彼女を一瞥したアカネは、その背後にいる二人も個室に招き入れる。
「し、失礼します」
「わたくしもですか……?」
ユウトを師と仰ぐ少女も竜人の巫女は、訝しそうにしながらも、レジーナのあとに続く。
満足したヨナがアルシアの膝の上で横になり、これ幸いとリトナがラーシアに体を寄せる。露骨に嫌そうな顔をして遠ざけようとするが、逆にそれがじゃれ合っているようになってしまう。
そうして空いた席ともともと空いていたスペースに、ほぼ交流のない三人が腰を下ろした。
椅子ではなく座敷のため慣れない状態だが、レジーナはこれがなにを目的とした集まりなのか必死に考えを巡らせる。
アカネから話があると呼ばれたときは、ヴェルミリオのことについての相談だと思っていた。そうでなければ、なにか新しい商売のアイディアが出てくるのかという覚悟もしていた。
しかし、この状況はいずれでもないように思える。そして、正面に座る来訪者の少女は意味ありげな笑みを浮かべるだけ。
「レジーナさん、カグラさん、ペトラさん。今日は、お話があって来てもらいました」
そんなアカネが、正座をして居住まいを正す。それだけで、真剣な話があるのだろうと伝わってくる。
「それは聞いていますけれど……」
レジーナが代表して答えながら、素早く周囲を窺った。
一緒に呼ばれ、両脇に座る形となったカグラとペトラの二人は、ともになぜ呼ばれたのか分からないという顔をしている。
一方、アルシアやエグザイルが相手では表情からなにかを読み取ることはできないが、ラーシアを見る限り、「具体的には聞いてはいなかったがなにかを察している」ことが分かる。
一目見ただけで分かる、三人の共通点。それは――
「今度、勇人とヴァルが正式に結婚することになりました。近いうちに挙式をするため、今はその準備や挨拶回りの最中です」
「それで、二人揃って地球へ行っていたんですね。おめでとうございます……って、二人ともいませんけど」
真っ先に反応したのはペトラ。
サイドポニーにしたアッシュブロンドの髪に触れながら、物わかり良く「師匠」の結婚を受け入れる。
まだ気持ちに無自覚な彼女らしい反応だったが、残る二人は、そうはいかない。
レジーナとカグラの二人は口をつぐみ、表情を固くしていた。
婚約していることは、もちろん知っている。
ともに戦い世界を救った二人だ、計り知れぬ絆があるのだろうことは想像に難くない。
こういう日が来るだろうとも思っていた。
だが同時に、心のどこかでまだ先の話になるだろうと考え――否、期待して――深く踏み込むことを避けていたように思える。
だから、単刀直入に聞かされて、祝福の言葉も口にできないほど動揺している。
「私とアルシアさんも婚約者ということで、そのあと順番にそういうことになると思います」
「それは……」
どういう意図で言っているのかと、思わずカグラは声を上げそうになった。なんとか抑えたのは、兄ジンガの教育の賜物。リ・クトゥアの女子は、貞淑さが求められる。
「問題は、そのあとなのよね」
「あとですか?」
話の方向性が掴めず、レジーナが聞き返す。結論が分かっているようで、なかなかそこにたどり着かない。それが、なんとももどかしい。
「みんな、勇人のことが好きよね?」
「好きです。尊敬しています!」
一緒に座るレジーナやカグラの反応が不可解で一緒に沈黙していたペトラが、勢い込んで答える。
そんな彼女を見て、アカネは「ペトラさんを呼んだのは失敗だったかしら……」と、この場に呼んだことを少しだけ後悔する。
しかし、もう、後には引けない。
「でもね、ぶっちゃけ勇人は鈍感というか、ヴァルしか見えてないっていうか、恋人やら婚約者が何人もいる男を慕う女の子がいるなんて思ってないのよ」
「なるほど……」
「そうだとは思っています……」
だからこそとも言えるのだが、その点には触れずにアカネの言葉を待つ。
「そうなると、みんなからアプローチしなくちゃいけないの。分かる?」
「分かりません!」
「……そうね。まあ、つまり、勇人とどうにかなりたかったら、恋愛感情だけじゃなくて、大義名分を持って迫らないとどうにもならないわよという話」
過程を大幅にショートカットし、結論だけ言った。伝えるべきことを言い切って、アカネは足を崩す。
「歓迎するとは言えません。正直なところ、私たちは婚姻で関係を強化しなければならないほど弱くはありませんから」
そのタイミングを待っていたかのように、沈黙を守っていたアルシアが代わって口を開いた。
もう一人の当事者ともいえるヨナは、黙って食休みを続けている。これは、単に、ヴァルトルーデ、アルシア、アカネ以外は特別眼中にないからにすぎない。
「ただ、私もヴァルとユウトくんの間に割り込んだようなものです。すでにそういう関係だからと、他者を排除するのは道理に合いません」
「これはたぶん、勇人が好きな政治の話ね」
これで、本当に話は終わった。
あとはそれぞれ考えて結論を出してほしい。
そう視線で伝え、アカネはそっと息を吐きながら三人の表情を観察する。
もちろん、それだけですべてを推し量ることなどできはしないが――思うところはあったのだろう。
なにか真剣に考えているようだった。
良い傾向だと心の中でうなずき、そして気づく。
(なんで、大奥の運営みたいなことやってるのかしらね……)
ユウトがこちらにまで気が回らないのは仕方がない。けれど、女子高生のやる仕事でもない。とりあえず、帰ってきたらなんかおごってもらおう。
なんにしようか。いっそ、行ったことがない遠くの国でデートなんていうのも悪くない。
そんな想像と一仕事を終えたという解放感に、アカネは頬を緩ませた。
「この度の戦勝、おめでとうございます」
「なに、そちらに比べたらどうということはないさ」
自分がいないところで重大な話がされていたとも知らず、ユウトはオズリック村から直接ロートシルト王国の王都セジュールを訪れていた。
「俺は半分寝てただけですけどね」
「そうしながらも、戦っていたのだろう?」
どうにも過大評価だなと思いつつ、これ以上の謙遜は非礼に当たるかと曖昧な微笑でやり過ごした。
王が私的な懇談を行う談話室。
天井は高いが、シャンデリアのように豪奢な調度は存在しない。壁にも装飾はなく、適度に狭い部屋は居心地にも配慮されていた。
「ですが、陛下も大活躍だったとうかがっています。なんでも、単騎で敵の本陣を壊乱させたとか」
「アマクサ卿、あまりほめないでいただきたい」
もう一人の参加者であるシューケル宰相が、固い声でたしなめる。見れば、普段はきっちりと撫でつけられた髪にほつれと白いものが見え隠れしていた。
苦労しているのだと、無言で主張をしているかのよう。
「陛下がお一人で北の塔壁へ転移されたと、妃殿下より聞かされた我らの身にもなってほしいものだ」
「軽率でした」
俺なら《瞬間移動》で追いつけるから関係ない……などとは絶対に口に出せず、素直に謝罪した。
二十年ほど前、〝虚無の帳〟との戦で行方不明になったという“前科”もある。宮廷の混乱は、ユウトの想像以上だったのだろう。
「そう言うな、シューケル。ヘレノニア神のご意思だ。人の身である私が、どうにもできるものではあるまい」
「他ならぬヘレノニア神が、人の意思を踏み躙るとも思えませぬが」
「……次からは、ちゃんと相談しよう」
「次がないことを、私も天の神々に祈ることといたしましょう」
アルサス王が苦い薬を飲まされたような表情を浮かべ、ユウトに視線を送る。さしもの大魔術師も、それには苦笑しか返せなかった。
前王の時代から引き続きロートシルト王国の宰相を務めるこの男は、若き王の教育を後半生のライフワークと定めているのかも知れない。
「それで、その後ヴェルガ帝国はどういった状況になっているのですか?」
「内乱。その一言に尽きる」
ユウトの問いで雑談は終わった。
一人がけのソファにそれぞれ腰を下ろし、膝をつき合わせながら、本題のひとつを俎上に載せる。
「帝都ヴェルガ――旧帝都と言うべきなのかも知れんが、そこは例外的に平和を保っているが、他は戦乱の世といった状態のようだ」
「なぜ帝都だけ? 真っ先に狙われる場所なのでは?」
特に、バーグラーならば戦略的な価値や維持できるかどうかも考えず、目指しそうなものだ。一勢力が抜け駆けすれば座視することはできず、まず帝都が混乱に陥るはず。
精神世界での知識や印象がすべて正しいとは思えないが、女帝の目的――ユウトを手に入れる――を考えれば、実態に即したものになるはず。
「そこは、向こうの宰相が一枚上手だったようだ」
当時は前線にいたはずの、アルサス王が秀麗な眉をしかめて言う。
「シェレイロン・ラテタルか……」
向こうは一切関知していないが、ユウトのなかでは上司という感覚が抜けきらない。
あのダークエルフならば、どうするか……。
「いち早く中立を宣言して、勝者に帝都を引き渡す。いや、ヴェルガの後継者として認められた者だけに入城を許す。そんなところですか?」
「……その通りだ。密偵からの情報が正しければだがね」
返答までに要した時間で驚きを表し、ディーター・シューケルはユウトの推論を肯定した。後半の付け足しは、ちょっとした負け惜しみに過ぎない。
「その方針に、あのボーンノヴォル伯も賛同したようだ。彼自身は後継者争いには参加せず、帝国宰相の宣言の正当性を、暴力で支えている」
「となると、長引きそうですね」
「ああ。早速、火事場泥棒のように手を出した国がヴェルガ帝国の東の国境であったようだが、それに対しては内乱を起こしている勢力が手を結んで撃退している」
「まあ、ヴェルガ帝国だから……」
簡潔に言えば、普通の人間の尺度では彼らの行動は測れない。悪には悪の価値観があるのだ。
「とはいえ、悪の女帝がいない今が好機であることに変わりはない」
「陛下……」
散々、議論したことなのだろう。
出兵をしようとするアルサス王に、宰相は苦い表情と声で応じる。
「事態が急すぎて間に合わなかった、お隣の義勇兵の協力があったとしたらどうですか?」
「条件にもよるが、今のこの状況で可能なのかね?」
隣国――クロニカ神王国から、悪の勢力へ対抗するために派遣が決まっていた義勇兵。それは、ヴェルガの《催眠》という奇策によって日の目を見ることなく終わったのだが、それをもう一度引っ張り出せと言う。
「ヴェルガ帝国には、奴隷になっている人間が多くいます。売られた者、さらわれた者、奴隷の両親から産まれた者……」
「彼らを救出するという名目であれば、協力を取り付けることは可能か」
「……反対しづらいところですな」
戦争自体に反対したい宰相も、心情的には賛成せざるを得ない。
「ただ、こちらの準備もしっかりしたほうが良いと思います。まあ、俺の言うことではないでしょうけど」
「確かにそうだな。必要のない独断専行はせぬよ」
「先代様にも、かなり絞られましたからな」
「それを言うな」
ここまでの話で、ロートシルト王国の方針は概ね決定されたと言っていい。
しばらくは、派兵の準備をしつつヴェルガ帝国へのアプローチは情報収集に留める。並行して、クロニカ神王国へ奴隷救出の協力を要請する。
恐らく数年がかりの事業になるはずだが、今日明日にもヴェルガが蘇るというわけでもないのだ。拙速よりも巧遅を優先すべきだろう。
「となると、目下の課題はイスタス侯爵とアマクサ守護爵の婚姻ですな」
せっかくその話から離れてたのに……というユウトの哀願は、ディーター・シューケルの鉄仮面に弾かれてしまった。
こういう政治の話のほうが楽だなと、しみじみ思っていたところだけに、落差が大きい。
「うむ。ようやくだな。もちろん、余も参列させてもらう」
「どこから噂が漏れたのかは知らないが、こちらへ問い合わせも来ている」
「陛下は構わないのですが……他の参加希望者ってどれくらいなんでしょう?」
「全員だな」
「全員?」
聞き間違いかと鸚鵡返しにするが、当然、違った。
「我が国の貴族は全員。それに加えて、神殿関係者、大商会、外交ルートにも問い合わせが来ている」
「それ、王族の婚姻より大規模になりません?」
「だから、相談が必要なのだろう」
苦り切った表情で、宰相が吐き捨てるように言う。
ここ数代では、間違いなく仕事と悩みの最も多い国政の責任者であろう。もしかしたら、未来においても。
「受け入れ自体は《不可視の邸宅》を使いまくればなんとかなるけど……」
警備やら席次やら面倒なことが多すぎる。
「ふるいにかけられないんですかね?」
「できればやっている」
「ですよね……」
来る者は拒まずと言いたいところだが、貴族、聖職者、平民を問わず、ほとんど知らないような連中に参加されても困る。
かといって、断るのも角が立つ。
「兎角に人の世は住みにくい……っと、そうだ」
なにか思いついたのか、目を輝かせてユウトが宰相と目を合わせる。
正直なところ、悪い予感しかしない。
けれど、聞かないわけにもいかなかった。
「うちの領地に、神々の分神体が降臨されたんですが」
「……うっすらとは聞いている」
「なんとなく、今回の結婚式にもいらっしゃるような気がするんですよね」
気がするというよりは、確定なのではないかとも思うが、可能性は捨てたくない。「『結婚式には手出ししないでください』と褒賞でお願いすべきだったか……?」と真剣に悩んだこともあったが、却下されることは目に見えていた。
「それがどうしたのだ?」
渋い顔つきの宰相とは対照的に、アルサス王の瑞々しい相貌には称賛の色が浮かんでいる。
「素晴らしいことではないか」
「みんながみんな、清廉潔白には生きていないということですよ」
「分かった。そういった噂をそれとなく流しておこう」
ゼラス神らが降臨の際に各神殿内の不正をただしたのは、ヴェルガ帝国との全面戦争になった際のサポートという意味が含まれていたように思える。
事態が急展開したことで奏功はしなかったのだが、政治に近い者は、皆この件を憶えているだろう。
それがあっても、分神体と顔を合わせられるのか。
「それでも参加したいというのなら、こちらも歓迎できると思います」
これで、大幅に選別できるはず。
その目論見は現在の参加者に対しては有効に働いたのだが……。
近い将来に、誤算で頭を抱えることになるとは、このときのユウトは――もちろん、アルサス王も宰相も――想像もしていなかった。




