4.故郷で(後)
「だから、年寄りの冷や水だって言ったでしょうが」
「そうは言うがな」
巨体を特製の椅子に落ち着けたゼインが、ぺしぺしと肩を叩く娘へと抗議する。だが、その声に力はない。「このワシの屍を越えてゆけぃ!」などと言ったものの、無理筋であることは自覚していたようだ。
領主の館といっても、来客用の応接室など存在しない。ユウトたちは、村の代表者が集まることもある食堂へと案内されていた。
そして、円卓に置かれた領主の椅子――地位ではなく物理的な要因で特別製――の近くに座る。
「だいたい、ユウトになら勝てるつもりだったの? 呪文使われて終わりでしょ?」
「呪文ぐらい、ワシでも使えるわ」
「そうだったの?」
「うむ。攻撃を食らっても、『痛くない痛くない痛くない』と唱え続ければ、いつも通り動けるもんじゃ」
「それ、がまんしてるだけじゃない」
ぺしんとゼインの頭を叩き、呆れたように言う。二人の力関係が、よく分かる反応だ。
「ルファさん、その辺で。別に怒ってはいませんから」
「ヴァルがそう言うなら、仕方ないね。ほら、ゼイン様。ちゃんと謝る」
「うう……。すまぬ」
「ユウトにも」
「それはできぬわ。魂が腐る」
処置なしと、ルファと呼ばれた女性が肩をすくめる。
ヴァルトルーデやアルシアよりも何歳か年嵩の彼女は、ゼインの後妻だった。
親子どころか、孫と子にも見える二人。
当初はゼインが望んだ関係ではなく、ルファが猛烈にアピールした結果だ。
そばかすの残るやや幼い顔立ちの彼女だが、生来のさっぱりとした性格で、村の子供たちのリーダーでもあった。そのためか、成人すると同時に複数のプロポーズを受けたのだが、「もう40年してから出直してね」と拒否。
ゼインの下へ、押し掛け、押しより、押し倒して後妻という立場を手に入れたのだった。
「しかし、ヴァルもようやくだね。貴族なんかになって、このまま嫁き遅れたらどうしようって、村の皆で心配してたんだよ。まあ、今でも、結構ぎりぎりだけどさ」
「ワシは、まだ……」
「ええい、女々しい」
夫婦には見えないかも知れないが、良い関係を築いているのは間違いないようだ。
「ゼインさん」
ユウトが立ち上がり、正面からヴァルトルーデの育ての親を見つめる。さっきは彼女に持っていかれたが、ここは男が心意気を見せなくてはならない場面。
「俺はこの世界の人間ではないし、俺のせいで苦労も迷惑もかけてきました」
こうして口に出してみると最低だ。釣り合わないなどというものではない。
「それでも、ヴァルが好きだし、幸せにしたいと思っているし、一緒なら幸せになれるし、好きだし……。つまり、ヴァルと結婚したいと思っています。いや、します」
自分でもなにを言っているのか分からないが、言いたいことを言えた……と、思う。
ヴァルトルーデは驚きと羞恥であたふたしているし、ルファも口に手を当て驚きを見せているが目は笑っている。むっつりとしているゼインがいなければ、熱烈な告白に驚喜していたに違いない。
「だから、まずはヴァルとの結婚を認めてください。お願いします」
世界に数名しかいない大魔術師が。
ロートシルト王国から爵位を贈られた少年が。
何度も世界を救った英雄が。
小さな村の領主に頭を下げた。
なおも口を開こうとしないゼインだったが、ルファからは何度も小突かれ、ヴァルトルーデからは哀しそうな視線を向けられては、結論などひとつしかない。
「その言葉、絶対に忘れるなよ」
明確ではない。しかし、許しの言葉。
それを聞いてヴァルトルーデの美貌はさらに輝きを増し、ユウトは顔を上げてほっと息を吐いた。まだこんなイベントを二回も残している……という現実からは、とりあえず目をそらす。
「ああ、もう。ルファ、酒だ。酒を持ってこい!」
「ジイさま、酒なら持ってきているぞ」
アルコールは、どこへ行っても重要なコミュニケーションツールになる。だから無限貯蔵のバッグには、常にある程度のストックがある。
「ドラヴァエルたちの分もあるから、全部は駄目だぞ」
しかも、地球で補給をしてきたばかり。ブルーワーズでは珍しい酒もいろいろある。
ユウトが取り出す様々な酒瓶を、子供のようにきらきらした瞳で見つめるゼイン。喉が鳴る音が、こちらにまで聞こえてきた。
「では早速、領主として味見を……」
「お祝いなんだから、村のみんなも呼ばなきゃ駄目でしょ」
「しかしな……」
「駄目でしょ?」
微笑ましい。
けれど、ユウトにとっては自分の将来も心配になりそうな光景だった。
まぶしい屋内から野外へ出たユウトは、酔いだけではないめまいに頭を押さえた。しかし、それも一瞬のこと。火照った頬を冷ます冷たい夜風が、不快感も一緒に運んでいってくれた。
領主――ゼインの館からは、楽しげな声が外にまで響いている。恐らく、夜を徹した宴会となるのだろう。
「ドワーフのときにも、こんなことがあったな」
「それは負けられんな」
ユウトの言葉に答えたのはゼイン。
それに驚きを見せないのは、もともと、この老戦士に呼ばれてここにいるから。主役の片割れが宴会から抜け出ても、主演女優がいれば問題はないだろう。
「話があるんだろう?」
「そう急かすな」
素焼きの酒壷を手にしたゼインが、館の裏手にある切り株に腰掛けた。それに倣って、ユウトも近くに座る。
そのまま、度数の低いワインで満たされた木の杯を傾けていると、老戦士が唐突に口を開いた。
「あの娘の父親は、ワシとは年の離れた親友じゃった」
「ヴァルの家族の話を聞くのは、初めてだな。でも、勝手に聞いてもいい話なのか?」
ゼイン相手に敬語など使おうものなら、逆に拳骨が飛んでくる。初対面でそれを学習したユウトはいつもの口調で話すが、好奇心は隠せない。
「別に、秘密でもなんでもないわい。ただの昔話よ」
ヴァルトルーデもアルシアも、すでに両親や兄弟はいないと聞いている。彼女たちにとっては、十年以上前に終わった話。確かに、蒸し返すこともないだろうと、こちらから聞き出そうとしなかっただけではある。
「あやつも、ちょっとした戦士でな。結婚してこの村に移住してきたんじゃが――アルサス王子が率いた〝虚無の帳〟の討伐軍に参加してな……」
「そのときに……?」
「いや、生きては帰ってきた。しかし、結局は、そのときの怪我が原因で、ぽっくり逝きおった」
後を追うようにして、母親もじゃ……と、傷だらけの顔に哀愁と後悔を滲ませて、老戦士は続ける。
「じゃから、ワシはあの娘を冒険者になどする気はなかった」
「……それは、無理だろ」
「そうじゃな。あの恐ろしいほどの才能は、ワシの意図を遙かに超えておった」
ヴァルトルーデの筋力、耐久力、敏捷力といった身体能力は人類の最高峰。それは、地球で生まれ育ったユウトから見ても異論はない。月並みな言い方になるが、彼女ならオリンピックで好きなだけメダルを獲得できることだろう。
「それでも、諦めさせるためにアルシアの真紅の眼帯を入手するための試練を課したんじゃが」
「突破されたと」
「あっさりとな。無論、失敗してもあの魔法具はアルシアの物になるはずだったんじゃがの」
「さすがヴァル」
今なら、笑い話にもなる。
だが、ゼインにとっては深刻な問題だったろう。
当時を思い出すかのように月を仰ぎ、ワインで唇をぬらしてから、再び口を開く。
「こうなると、ワシにも止められん。しかし、あの娘は、戦闘時の判断力はそれなりだが、そのなあ、分かるじゃろ?」
「……不本意ながら」
勉強ができないことが一概に悪いとは言えないが、文字の読み書きもできない娘を村の外に出すのは不安だ。
「あの草原の種族や岩巨人とパーティを組んだときには、あやつらを亡き者にしてやろうかと思うたが……」
「過激すぎんだろ」
「そのうえ、得体の知れん小僧を拾ってきたときは、故郷へ帰ったという設定にしたうえで埋めてやろうかとも思うたが……」
「……本人に言うか?」
「ワシの目が節穴じゃった」
そう言うやいなや杯を地面に置き、座ったまま頭を下げる。
「な、なんだよ。いきなり」
予想もしていなかった展開に、ユウトはあわてて頭を上げさせようとするが、老いてなお筋骨隆々とした領主はそのまま動かない。
「ヴァルもアルシアも。無事に生き残れたのは、お前さんのお陰じゃ。しっかり手綱を握ってくれたんじゃろ」
「……そんなの、お互い様だ」
だが、そう否定する声は弱い。
あの精神世界で出会ったとき、アルシアとヨナはいなかった。ユウトが加わらなかったことで、流れが変わったのだろう。すべてではないにしろ、ゼインの言葉にも説得力はある。
「あの娘をヴァルトルーデをよろしく頼む」
地面に額をこすりつけそうになりながら、ゼインはさらに頭を下げた。
「幸せにします。絶対に」
ユウトも居住まいを正し、その懇願を受け入れる。
もとより、そのつもりだ。
「約束を違えたら、ワシが化けて出るからな」
「そのときは、アルシア姐さんに祓ってもらおう」
「ふんっ。かわいげのないやつめ。まったく……」
すっかり調子を取り戻したゼインが、素焼きの壷ごと酒をあおった。
ユウトも、そろそろ酒量は限界だったが、文句ひとつ言わずに付き合う。
「ワシと同じ思いをすれば、気持ちが分かるじゃろ。死ね、孫娘を嫁に出してから死ね」
「そういうのいらないから」
「それから、オズリック村はヴァルトルーデに相続させるからな。苦労しろ、働け。馬車馬のように」
「また厄介な話を脈絡もなく……」
ロートシルト王国に仕える守護爵と騎士爵は二人、そんな具合に語り明かした。




