3.故郷で(前)
「それで、結婚するというのは挙式とイコールだと考えていいのか?」
「うん。一応、婚姻届みたいなのはあるけど、式のほうがメインだから」
ロートシルト王国では、貴族の婚姻には届け出が義務づけられている。滅多にないことだが、著しく国益を損なう場合には却下されることもあった。例えば、ユウトがヴェルガと結婚する――などというケースがこれに相当するだろう。
当然ながら、今回その心配はない。心配すべきは、結婚式そのものについてだ。
「業者も式場もないのだろう? 誰か任せられる大人はいるのか?」
「いや、俺がメインで準備することになると思う。もちろん、細かいところは人に任せるけど」
「そうか……」
頼蔵は腕を組み、ダイニングの椅子に深く腰掛ける。どうやって敵対組織を潰すか考えているようにも見えるが、もちろん、違う。息子を心配して悩んでいるのだ。
一方、ヴァルトルーデと春子はリビングダイニングに隣接する和室にいた。義母が義娘の手を取って、じっと観察している。
「まあ、何度見ても綺麗な指ね」
「そんなことはありません。剣を握ることしかしてこなかった手ですから」
「それも含めてよ。それに、最近はそうでもないのでしょう?」
どうやら、指輪のサイズを計ろうとしているようだった。
「そうだ。ハンドクリーム塗りましょう。試供品でいいやつをもらったのよ」
「あの……。お任せします」
そんな、はしゃぐ母の声を聞きながら、目の前の父から発せられる言葉を待つ。構ってと催促する愛犬を抱きながらでもあるので、今の天草家の状況はなかなか混沌としている。
「……やむを得ないな」
貴族の結婚式など分かるはずもなく、自らの経験が活かせるとも思えない。それに、息子を止めるのではなく、できれば後押しをしてやりたい。
「出席に関しては、こちらでなんとかしよう」
両親がいるのに、列席をしない。
貴族だろうがなんだろうが、そんな式は息子に恥をかかせることになる。それだけはさせないと、頼蔵は重々しくうなずいた。
「ありがとう。さっきも言ったけど、真名を通して相談してくれれば、出張扱いとかになって、会社での立場も守られるんじゃないかな……と思う」
「そんなことを心配する必要はないが、まあ、そうだな。そうさせてもらおう」
それで息子の気持ちが軽くなるのならと、了承する。
「しかし、貴族というのはどういうことなんだ。魔術だったか? 不思議な力があるのだろうとはいえ、こちらではまだ学生年代だぞ」
「年齢は、ほら。昔は15歳で成人とかだったりしたし。似たようなものかと。それと、単に呪文を使えるからってだけだよ」
「呪文か……。いや、それにしてもだな……」
「あと、爵位は違うけど、朱音も叙爵されてるんだけど」
「……分かった。せっかくだから、仕事ぶりをしっかり見させてもらおう」
「は、はい……」
親の職場訪問って、どんな罰ゲームだ。
そう思わなくもないユウトだったが、それで父の心配が減るのであれば、むしろ歓迎すべきなのだろう。
(非常識なところは、見せないようにしないと)
そんな、ラーシアが聞いたら指をさして笑いそうな決意をしたところ、話が一段落したと判断したのか、母の春子がダイニングテーブルへと近づいてきた。
「いっそ、会社を辞めてゆうちゃんのお世話になっちゃいましょうか」
「……移住か? 無理だろう。今から、向こうで職を探して適応できるとは思えん」
「そこは当然、斡旋するけど」
「そんな恥ずかしい真似ができるか」
話にならないと、頼蔵は首を振り目をつぶった。
対話を拒否する姿勢を見せた彼へ、妻がさらなる爆弾を投下する。
「お仕事なら、向こうで、夢を追ったらいいじゃない」
「……夢?」
父と結びつかない言葉を聞き、ユウトは首をひねった。
「そうよ。昔、お父さんは音楽やってたのよ」
「春子。やめなさい」
「作詞も作曲も自分でやって、学園祭でソロライブとかやってたんだから。書斎に、ギターが隠してあるのよ」
「マジか……」
あの父が、アーティスト。
不良が捨て犬に傘をさしているどころではないギャップに、目を丸くする。ヴァルトルーデはよく分からないと顔に疑問を浮かべていたが、それに気づく余裕もなかった。
「そんなに甘いものではないだろう」
「いいじゃない。軌道に乗るまでは、ゆうちゃんがなんとかしてくれるわよ」
「もちろん、もちろん」
勢い込んでうなずくが、目を開いた父から鋭い視線で射抜かれてしまう。
しかし、形勢は頼蔵に不利だ。
春子は学生時代を思い出したのか、きらきらとした瞳で夫を見つめているし、ようやく事態を飲み込んだヴァルトルーデは、「頼蔵殿は、吟遊詩人だったのか」と、妙な感心をしている。
この包囲網は突き崩せそうにない。
「まあ、披露宴の余興程度であれば」
仕方なく――あるいはそう見えるように――頼蔵は妥協案を提示する。
「披露宴がどうなるか分からないけど、絶対組み入れるから」
「……好きにしろ」
苦虫を噛み潰したような父の表情。
ユウトは知っていた。一度引き受けた以上、この父が手を抜くことはない。猛練習をしておいて、何事もないと振る舞うのだろう。
だが、ユウトに未来を見通す力があるならば、全力で母を止めていたはずだ。
しかし、それは叶わない。よって、どういうわけか意気投合したヴァイナマリネンと父のコラボレーションソングを聞かされることになるのだが、それはまだ少しだけ先の話。
ほんの数時間の実家訪問を終えたあと、新郎新婦の二人はあわただしくもうひとつの故郷を訪れていた。
ヴァルトルーデとアルシアの故郷にして、ブルーワーズへ転移した直後に拠点としていた場所。ユウトと仲間たちを結びつけた思い出の地と言っていい。
川辺の水車小屋、小さな雑貨店、荷馬車小屋、下宿していた雷鳴亭。前に訪れたのは、テルティオーネを勧誘に来たときだが、村の佇まいはなにも変わっていない。
「私は、かなり久々だな」
「そういえば、そうか」
「だが、変わりないようだな」
同じことを考えていた婚約者の顔を、まじまじと見つめてしまう。
「どうした?」
「いや、なんでも」
少しでも思い出を共有できたのは嬉しいが、それを伝えるのは恥ずかしい。思わず目を逸らすと、今度はヴァルトルーデの服装が目に入る。
ここを拠点にしていたころは、魔法銀の鎧を手に入れる遙かに前。ごく普通の胸甲を装備していた。
しかし、今日はいずれでもない。
純白のワンピースに、編み上げブーツという活動的な装い。彼女には余計な装飾など必要ない。シンプルでよく似合うこの服は、二人にとって思い出深い。初めてのデートで着ていた服と同じだった。
最近、この服を入手した経緯を聞いて、驚いたことを思い出す。
そのときもそうだったが、彼女は武器を持ち歩いてはいなかった。育ての親でもあるオズリック村の領主ゼインと会うだけなのだ。ここまで《瞬間移動》でやってきたこともあり、武器が必要とは思えない。ヴァルトルーデは素手でも充分以上に戦えるし、無限貯蔵のバッグに予備武器もある。
理屈では分かっている。
だが、それだけで済まないのが感情だった。
「ユウト、本当にどうかしたのか?」
「いや、人に会ってばかりだなと思ってね」
それも嘘ではない。
まだ、王都への報告も必要だ。それなのに、通常業務は待ってくれないのだから、オーバーワーク気味でもあった。
テルティオーネからは村々とファルヴの街を馬車鉄道でつないで学院の生徒を増やせと矢のような催促を受けているし、美食男爵からの問い合わせも順調に積み重なっている。
ヴァルトルーデと結婚をする。
その気持ちに嘘偽りはない。それは断言できる。
しかし、それを実行に移すとなると、そこまで大変なのか。見通しが甘かったといえばそうなのだが、ユウトは驚きを禁じ得なかった。
「そうだな。少し甘く見ていたのかも知れん」
「まあ死ぬわけじゃないし、あとで笑い話になるさ。それに、ヴェルガの相手をするよりは楽だろう」
「それは、比較対象にならん」
不機嫌そうに顔を背ける婚約者の手を取って、再び移動を開始する。途中、顔見知りと挨拶したり、時折立ち止まっては思い出話をしたりしながら、領主の館に到着した。
「緊張するな」
「そうか?」
城館とはお世辞にも言えない、少し大きめの屋敷。
他の家と違うのは、二階建てで、周囲を簡単な塀で取り囲んでいるという部分ぐらいのもの。王城にも参内したことのあるユウトにとっては、小屋のようなものだ。
それでも緊張するのは、中身――主人の問題。
「待っていたぞ」
来るべき対話に備えて心を整えようとしていたところ、前触れなく両開きの扉が開いた。
出てきたのは、総白髪の老人。顔と言わず腕と言わず全身に傷跡を作り、エグザイルにも匹敵する巨体は全身筋肉が盛り上がっている。
冒険者として活動し、周辺のモンスターを駆逐した功績から騎士爵となった戦士ゼイン。歴戦の勇士という表現がぴったりで、実際、オズリック村の周辺にモンスターが出た際には先陣を切っている。
「ジイさま、久しぶりだな」
「まったく。なかなか顔を出さんで、この親不孝者めが」
村の子供は、すべて自分の子供と言ってはばからない老戦士が、いかつい顔に満面の笑みを浮かべてヴァルトルーデを迎え入れる。
「なんだ、この超アウェー感」
いっそ帰ってしまいたいが、それはできない。
「さて。そこの魔術師は、なんといったか……」
「ユウト・アマクサだ。いい加減、憶えろ」
「ああ、ユウトユウト。残念だが、わしの頭は余分なことを憶えるようにはできとらん」
真実なのか、老人特有の冗談なのか。どちらにしろ、歓迎されていないのは確か。
「だが、これは憶えているぞ。確かに、こう言ったな」
鋭い眼光がユウトを射抜く。
次に言われる台詞は分かっている。ここで退くわけにはいかないと、その視線を正面から受け止めた。
「二人を娶りたくば、このワシの屍を越えてゆけぃ!」
ヴァイナマリネンにも負けない大音声が、平和な村に響き渡る。
「分かった。その勝負、私が受けて立つ」
「……仕方ねえって、ヴァル。ちょっと待て」
言葉を発せられただけ、ユウトはましなほう。
この反応はさすがに予想外だったのか、ゼインは顎がはずれそうなほど口を開き呆然としている。
「なんで、ヴァルがやるんだよ。ここは俺が……」
「そうだぞ。万が一、ユウトが負けても、その心意気を讃えてだな」
いきなり八百長宣言をするゼインを見据え、ヴァルトルーデが言った。
「私とアルシアの幸せのためだ。許してくれ、ジイさま」
「ヴァル、暗殺者を生け捕りにしようとして手加減して攻撃したのに、殺しちゃったことあるんだぜ?」
「……とりあえず、なかで話すか」
老戦士が、とぼとぼと館へと戻っていく。
感想は様々だが、とりあえず、その結論に異議はなかった。




