6.昼食会
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10メートル四方ほどの狭い室内に、清らかな美女が足を踏み入れる。
そこは、王宮にある晩餐室のひとつで、王族が私的な会食に使用するための一室だった。今回は、それを昼食会に用いている。
純白の壁には歴代国王の肖像画が掛けられ、各所に配された魔法の光が部屋全体を淡く上品に照らしている。
部屋の中央に置かれた長方形のディナーテーブルには、シルクのテーブルクロスがかけられ、その上にはすでに数々の銀食器が用意されていた。
豪華絢爛で、綺羅綺羅とした光景。
しかし、ヴァルトルーデの前では、すべてが霞んでしまう。
サファイアブルーのロングドレスを優雅に着こなした少女は、薄く化粧もして普段よりかなり大人びて見えた。
いつもの輝くような美しさに加え、淡い魔法の光に照らされたヴァルトルーデにはほのかな色香まで感じられる。
一方、ユウトは、いつものローブは脱いで、詰め襟の制服で昼食会に臨んでいた。確かにこのブルーワーズではふたつと無い衣装だろうが、礼服として押し通すのはいささか無理があるように思える。
本人は、学生だからと開き直っているのだが。
「さっきは、なかなか楽しかった」
「こちらこそ、最近は鈍り気味でしたので」
「これは、私も負けてはいられないな」
上座でヴァルトルーデを歓迎したアルサス王子は、気さくに笑って来賓に席を勧めた。
サテン地のダブレットを身につけ、柔和に微笑む彼は、まさに絵に描いたような王子様だ。
従者がスツールを引くのを待って、二人ともゆっくりと腰をかけた。この辺りの礼儀作法は、爵位を授けられる前から何度かこのような場所への招待があったのですでに身についている。
「よくドレスがお似合いですわ」
淑女の見本のように、慎み深く挨拶をするユーディット。
ここまでは先ほど練兵場で一堂に会した顔ぶれだったが、一人新しい人物がいた。
「久しぶりですな」
ロートシルト王国宰相ディーター・シェーケル。
髪をすべて後ろになで上げ、精悍な顔つきをした壮年の男だ。政治家や官僚というよりは、騎士。いや、軍人のように見える。
不惑を超えているはずだが、体は引き締まり、眼光も鋭い。ただし、ヴァルトルーデを直視するのは避けているようだったが。
止むを得ないだろう。そうしなければ、まともに話などできない。
同席を知らされていなかったユウトとヴァルトルーデは困惑を見せたが、無難に挨拶を交わし下手は打たない。
表面上は和やかな雰囲気で、会食は始まった。
「クロードは役に立っているかな?」
そんなユウトの警戒心も知らず、ワイングラスを片手にしたアルサス王子が世間話のように問う。
「もう手放せないです」
その問いには、一番の当事者であるユウトが答えた。
本来であればヴァルトルーデの使用人に過ぎないユウトが返答するなど許されないことだが、大魔術師であるユウトは別だ。
その間に、チーズを使ったキッシュや貝類のグリル。さらに、牛肉のワイン煮込みやデザートの桃のコンポートまで卓上に並べられていく。
ブルーワーズには、まだコース料理という概念はない。そのため、最初に料理がどんどん運ばれてくるのだ。
「今日も、クロードがいなければ、この場にはいられなかったことでしょう」
「ようございましたね、アルサス様」
「ああ、私も安心した。領内の開発も、順調だと聞いているよ」
婚約者の言葉に笑顔を見せた王子だったが、すぐにその表情を曇らせる。
「しかし、それも考え物でね。ちょっと、横槍が入りそうなんだ」
「横槍……ですか?」
食事の手を止め、ユウトが聞き返す。
「ああ。領内が安定するまではと免除する予定だった、軍役を課せという話が出てきているんだ」
ロートシルト王国では、貴族たちに税金が課されることはない。もちろん、副業として商売を行なっているのであれば、その限りではないが。
その代わりに課されるのが、軍役だ。
北の塔壁を挟んでヴェルガ帝国と戦争状態にあるロートシルト王国では、貴族の重要な義務となっている。
それも当然だ。
魔王と人の混血である亜神ヴェルガが皇帝として絶対の権力を握り、ゴブリンやオーガを始めとする悪の相を持つ亜人種族を尖兵とするヴェルガ帝国への敗北は、死か死よりも苦しい隷属しか無い。
「家臣団も存在しない我々に、軍役などと。正気とは思えませんが」
「女のわたくしにも、それくらい分かります。どういうおつもりなのでしょう?」
ユーディットの言葉は置いておいて、ユウトはアルサス王子に確認をした。
「金ですかね?」
「そういうことのようだな……」
不機嫌そうに言い捨てるアルサス王子。この、絵本から出てきたような王子様には珍しいことだった。
皆、食事の手を止め話に集中する。
まず、ユウトは同席している宰相のディーター・シェーケルと目を合わせた。国政の責任者である宰相はどう思っているのか?
「宰相といっても、入り婿程度の権力しか持ち合わせていないのでな」
不遜と言って良いだろう口調で、ディーター・シェーケルが自嘲する。
ヴァルトルーデを下に見ているわけではない。アルサス王子も同席している場での発言なのだから、これが彼の素なのだろう。
「貴族からの突き上げは、そんなに大きいのですか?」
「珍しいことではないとはいえ、ここまでの板挟みは……な」
イスタス伯爵家が軍役――には出られないから、代わりに金銭を納める。そうなれば、自分たちの負担も減るのだから必死になろうというものだ。
常識で考えれば、開発中の新領に軍役などかけようものなら、反発は必至。しかも、その反感は王国が受けねばならない。徴税するのは、王国なのだから。
また、王都の復興需要に気を取られている間に、イスタス伯爵領の開発利権に乗り遅れたいくつかの商会からの突き上げもあった。
ハーデントゥルムの商会経由で一定の取引はあるが、間接的な関与では不満があるのだ。
とんだ貧乏くじだと、宰相が頭を抱えたくなる気持ちは分かる。
それに同情したわけではないが、ユウトは事も無げに承諾した。
「それに関しては、応じる準備があります」
誰も彼もが――ユーディットさえも――意外そうにユウトに注目する。
例外は、ヴァルトルーデだけだ。
もちろん、事前に相談をしていたから……ではない。ユウトができるというのであれば、そうに違いない。ただ、信じているだけだ。
「年に金貨2万枚相当。ただし、物納で」
「ほう……」
「それでは、税収を超えてしまうのではないですか?」
ユーディットがたまらず問い詰めるが、ユウトはあっさりとかわした。
「まあ、来年にはとんとんぐらいに持っていきたいですが」
「物納とは、どういう意味なのだろう?」
思わずといった調子で、アルサス王子は疑問を口にする。
恐らくだが、この件にアルサス王子が関わってはならないのだろう。どちらかに肩入れすると見られるのは拙い。しかし、穏便に納めるため、剣の訓練という名目でヴァルトルーデを呼び出した。もしかしたら、宰相からの要請があったのかも知れない。
少なくともユウトはそう理解しているし、先方からそれを誤解と訂正されてもいなかった。
「私が魔法具を作って、お納めします。だから、相当です」
「なるほど……」
ディーター・シェーケルが呟きを漏らす。
彼の頭の中では、猛烈な勢いで算盤が弾かれていた。
王都復旧のための予算も不足している今、現金で納められるのが一番良い。だが、次善として、ユウトからの提案は悪くない。
褒賞として、実質的な戦力強化として、魔法具は必要不可欠。しかも、種類を指定しなかったということは、ある程度こちらに要望を聞いてもらえると思っていいのだろう。
そして、ユウトたちにもメリットはある。
魔法具は高価であるが、実際のコストは実売価格の半額程度だ。
最低でも魔導師級の魔法の使い手が十数日も拘束される人件費は別計算なので暴利を貪っているわけではないし、需要と供給の兼ね合いもあるのだから適正価格ではある。
しかし、その人件費さえ無視できるなら、税を半額にしているも同然だ。
「なるほど、相当か」
巧いことを考えるものだと、宰相は素直に称賛した。
「後ほど、魔剣を一振り献上しましょう。もちろん、別口です」
しかも準備も良いと感心したところで、違和感に気づく。
これでは、王国側のメリットが大きすぎる。貴族たちの要求は満たされ、望外の収入も得た。イスタス伯爵家としては、実質半額とはいえ、数年は免除されていたはずの軍役を課されているのだから。
「代わりと言ってはなんですが……要望がひとつ」
「聞こう」
やはり来たかとディーター・シェーケルは身構えた。
すでに、彼らの上位者であるはずのアルサス王子もヴァルトルーデもくちばしを挟もうとはしていない。ユーディットだけは油断ならないと、ユウトも宰相も警戒はしているが。
「クロニカ神王国との貿易を許可してもらいたい」
「それは、この場では断言できぬ」
メインツと神王国は山を隔てているが、山さえ越えてしまえばハーデントゥルムよりも近い。玻璃鉄の輸出ルートを増やしたいという意図もあるが、万が一の時のため食料を確保できるルートを作っておきたいという意味もあった。
「ならば、可及的速やかに決定を」
それが認められねば御破算だと、言外にヴァルトルーデが言う。
「……可能な限り善処する」
宰相としても、他に言いようがない。
なにしろ、もうひとつ厄介ごとを伝えなければならないのだから。
「厄介事? それは、初耳だな」
アルサス王子は言葉で、ユーディットは上品に眉をひそめて宰相に続きを促した。
「バルドゥル辺境伯が、イスタス伯爵家の再興に異議を唱えている」
ロートシルト王国の西を束ねる大貴族である、バルドゥル辺境伯家。
西の国境を抑えているからこそ北の戦線に集中できているという意味では、貢献は大きい。
「なぜだ?」
「七代前のイスタス伯爵家に、バルドゥル辺境伯家から嫁入りをしている。故に、再興するのであれば相続する権利があると主張している」
牽強付会にも程がある。
しかし、それが大義名分になってしまうのが貴族社会というものでもあった。
「領地の割譲でも求められているのでしょうか?」
「いや、飛び地になるから土地はいらんそうだ」
「その代わり、放棄する代償として金貨10万枚の支払いを求めている」
「金貨10万枚!?」
さすがに本気ではないのだろう。
それでも自らの立場を笠に着ての無理難題。金を払えば貴族の一員として認めてやらないでもないという横柄さ。
完全に舐められている。
ヴァルトルーデは、聖女である。慈悲深く、気高く、公正だ。
しかし、同時に聖堂騎士であり、冒険者でもあった。
「ユウト、帰るぞ」
「どうするつもりだ?」
「その金貨10万枚で兵を集めよう。エグザイルやラーシアがいないのは残念だが、私たちだけでも片は付けられるだろう」
「分かった」
ヴァルトルーデが言うのであれば、否やはない。どんな状況だろうと戦争などやりたくはないが、まあ、使った分は取り返せばいい。
そして、イスタス伯爵領とバルドゥル辺境伯領の間にはいくつかの貴族領もあるが、方法はいくらでもある。
例えば、空は誰の物でもない。
「待て!」
慌てるのは宰相だ。
普段の彼を知るものが呆気にとられるほどの勢いで、イスタス伯爵主従を引き留める。事も無げに開戦を語る主従に、本気を読みとってしまったのだからたまらない。
「三ヶ月前であれば別だが、領地を返上する気はないぞ。あの地に住む人々は、私たちの民だ」
だが、ヴァルトルーデの苛烈さを前にしては、無駄な努力でしかなかった。ドレス姿も相まって、暴力的な美しさで国政の責任者を圧倒する。
「まずは、話し合いを……」
「それで要求を取り下げると? 我々は、銅貨一枚払ういわれはないぞ」
「それはそうなのだが……」
内乱。
王家に対する反逆ではないが、到底容認できるはずがない。にわかに現実味を帯び始めた危機に、宰相は絶望に囚われかける。
ロートシルト王家は、極論してしまえばロートシルト王国で最も広大な領地と最大の軍事力を持つ貴族でしかない。
独裁に近いヴェルガ帝国の女帝とは王権の強さが大きく異なる。
警告を行い制裁を科すことはできても、強制的に従わせることはできない。
どうしてこうなったのか。
まるで被害者のように苦悩するディーター・シェーケル。
つまるところ、この期に及んでもまだ正確に把握していなかったのだ。
ヴァルトルーデたちにとって、ロートシルト王国が必要なのではない。
ロートシルト王国が、イスタス伯爵領を必要としているという事実を。
「決闘は、いかがでしょう?」
そこに、天使のような少女が悪魔のように甘い言葉でささやきを発した。
「国法にあったはずです。話し合いでの合意が得られず主張が対立せし時は、神前決闘にて雌雄を決すべし」
「詳しいな、ユーディット」
「それはもちろん、アルサス様の妻となるのですから」
自分で言っておきながら恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして伏せてしまう。
「丸く納められるのであれば、こちらとしては問題ありません」
ユウトはヴァルトルーデの肩を軽くたたき、席へ戻らせた。
本来であれば、王国が裁判を開き判決を出すべき案件だ。しかし、双方納得する判決などこの世に存在しない。ユウトたちから見れば、既に言っているとおり銅貨一枚たりとも払う理由がない。
一方、相手はこちらを新参の成り上がりと足下を見ているのだから。
ならば、当事者同士で決着をつけろ。ただし、内戦はごめんだ――という理屈も、分からないでもない。
(ユーディットに、はめられたかな……)
ユウトは心の中でだけため息を吐く。
だが次の瞬間には、あっさりと前向きすぎる結論を出した。
問題ないだろう。
なにせ、こちらには最強の勝利の女神がいるのだから。




